ルシオ、投げて逃げる
コンラード商会の情報網の広さがわかり、かつルシオ自身の裏を想像させるような情報。
いくつか候補はあるが、この王子に一番効果的なものはどれか。
胸元で振動を感じながら、ルシオは口を開く。
向こうも上手くいったようなので、さっさと終わらせるに限る。
「フェアスーン王女殿下ですが、かの国に嫁いだ後に密偵に転身なさるようですよ」
「……は?」
「隣国は、第二王子との結婚に納得がいっていない王女殿下に対して、自国のためと情報の横流しをさせるように手配を整えております」
「な、何を言っているんだ?」
何を、と言われても。
この期に及んでこの質問とは、残念である。
話に全くついてきていない第一王子を、ルシオは見つめた。
「数ヶ月後には学院を離れ、かの国に入られるファスーン王女殿下のお話ですが」
「それを何故、知っている!?」
王女殿下と第二王子の婚姻は確かに内定したものの、世間には公表していない。
声を荒げた第一王子に対して、ルシオは首を傾けただけだ。
本当にただただ訳がわからない子供のように、紫色の瞳がきょとんとしている。
「それが今、重要なことでしょうか」
今、優先すべきことは「何故」でも「どうやって」でもないので、答える気にもならない。
限られた時間で伝えきらないといけないのだから、余計なことは切り捨てる。
第一王子が答えないので、ルシオは気にせずに口を開く。
「本来、第二王子妃とはいえ嫁いだ先で知りえたことを第三者に漏らすのは禁忌ですが。王女殿下にとっては、自国のためという建前の方が大切なようですね」
王妃候補として育てられた彼女は、結果として第二王子に嫁ぐことになったことに納得していない。
ここで成果をあげれば、自国が自分を引き上げてくれると信じている。
そんな自分本位の中で生きてきたので、嫁いだ先のかの国の情報を自国に流すことの恐ろしさまで気づかない。
かの国に知られたらどうなるかなんて、彼女の頭には考えもないのだ。
何があっても、自国は王女である自分を守ってくれると思っているようだが甘い。
隣国は、情報の横流しがばれたときには、王女一人に責任を押し付けて、なかったことにするつもりだというのに。
ここまでが、情報だ。
ルシオは、目を見開いたまま黙り込んでいる第一王子を眺めた。
ついてきているのかわからないが、話は聞いているのだろう。
だったら、交渉である。
「王女殿下の情報の淘汰は、必要でしょうか」
「なっ……」
王子の喉が引きつった。
目を剥いた王子に、笑顔を向けた。
目の前で顔色悪く唇を震わせている王子は、何度か瞬きを繰り返す。
やがて一度きゅっと唇を引き結んだ。
「君に、それが出来るのか」
「出来なければ、申しておりません」
余裕に見えるよう、笑みを浮かべる。
実のところ、この話をルシオに持ってきたのはザイードだった。
第二の夫として王女と一緒にかの国へ行くことが決まって以来、何かにつけて接触しようとしてきたのだ。
周囲に違和感を持たれても面倒なので、空き教室に引きずり込んで話をしたところ、上記の報告があがった。
王女殿下は第二の夫になるザイードを心から信頼しているので、話が筒抜けである。
一方のザイードは、さすがに情報の横流しの危険性をわかっていた。
王女殿下に何かがあれば、第二の夫である自分も一緒に破滅することになるからである。
情けない顔を隠すことなく、ルシオに相談してきたのだ。
そんなこと言われても、と思わなくはなかったが、利用できるものは利用する。
単純なザイードと連携さえしておけば、王女殿下は手のひらだ。
ただ、かの国にも隣国にもばれないように情報を操作するのは、かなり面倒である。
「必要な同意さえ頂ければ、謹んでお引き受け致します」
「そうか。商人、だったな」
王子の言葉に、笑顔で頷いた。
先ほど約束したので情報は一つだけ伝えたが、その先のことは話し合いである。
こちらに何の旨味もないのに、わざわざ動く理由などない。
それにしても、とルシオは目の前の王子を眺めた。
この様子では、この話の真意までわかっていないようだ。
わざわざ教えてやることもないのだが、今後のために恩を売っておくことにする。
「第一王子殿下」
視線がこちらを向いたので、ルシオは続ける。
「王女殿下が今、この国に留学なさっていることをお忘れでしょうか」
「……どういう、意味だ」
明らかにわかっていない第一王子に、内心嘆く。
頭が回っていないのか、そこまで考えが及ばないのか、どっちだろう。
後者だったら、伝える情報の水準を下げなくてはならない。
「無知な王女殿下に、諜報活動をさせるような国です。この国のことも、当然漏れておりますよ」
下手な言い回しは無駄だと判断して、直球である。
虚を突かれた王子は、唇を震わせる。
「今のところは王妃によって情報を管理されていますが、かの国に嫁がれたらどうなってしまわれるのか……。第一王子殿下ほどの方ならば、予想できるのではないかと存じます」
無知で、無垢なフェアスーン王女殿下。
かの国に少しでも優しくされれば、この国の情報を簡単に吐いてしまうかもしれない。
彼女は意図せずに、それを平気で行ってしまう。
今だからこそ王妃の手のひらで転がされているが、今後はどうなるかはわからない。
王妃は彼女がこの国を出発する前に、強力な魔法をかけようとしているが、そんなものを外す方法はいくらでもあるのだ。
永遠に口を閉ざす方法を考えるよりも、淘汰してしまう方が早い。
王子は深々と息を吐きだした。
カップに伸びる手が小さく震えてしまう。
ルシオが、当然のように王妃について語ることが、恐ろしい。
「君とは、もっと早く話をしたかったよ」
「勿体ないお言葉でございます」
ルシオもカップを手に取った。
二人だけしかいない空間が、静かになる。
あとは第一王子がどう出るか。
ゆっくりとした動作で、王子がカップを机に乗せた瞬間だった。
「…なっ」
目を見開いた王子が、服の胸元を掴む。
同時に小さく弾ける音がして。二人を包んでいた防御壁が消えていく。
「ど、どういうことだ」
立ち上がって振り返った王子の瞳が、人影を捉えた。
母親である、王妃だ。
「母上!?」
「ああ、あなたは!」
第一王子など目にも入れず叫んだ王妃は、一瞬唇を震わせた。
唇をぎりっと噛みしめたまま、つかつかとルシオに歩み寄ってくる。
鋭い瞳が、立ち上がったルシオを捉える。
ぶわりと、ルシオの背筋に寒気が走った。
魔法か。
仕込みまくった防御魔法が、一斉に反応する。
せり上がってくる気持ち悪さも、蘇ってきた。
「お前、何をしたの」
「あ、の」
威圧に負けそうな表情を見せて、堪えた。
喉がつぶされているかと思うほど、息がしにくい。
来るとは思っていたが、まさか王妃ご自身がお出ましとは驚きである。
王妃の魔力が乱れているせいか、うまく防御できていない。
その分の負担が、体に向いている。
「何をした!」
「わ、私は、なな、なに、も」
怒りで顔を真っ赤にしている王妃に怯えたように、ルシオはあえて言葉を切った。
吐き気が襲い、一瞬にして顔色を奪う。
こいつ。
助けを求めるふりをして周囲を見渡すが、混乱している様子の第一王子以外は全員顔色が悪い。
役にたたない側近どもが、と思うものの、相手が王妃では手出しできない気持ちもわかる。
第一王子の魔法を消したのは、王妃しかいない。
誰も言葉を口にすることができず、黙りこくっている。
「一体、どうなさったというのです? このような場で」
唯一、我に返った第一王子が、ルシオを引き寄せて、王妃の間に立った。
息子の登場に息を飲んだ王妃は、音がなるほど扇を握りしめた。
「先ほどの魔法はすべて、私のものです。この者は何もしておりません」
王子の主張は正しい。
たが、それが王妃の求めている答えではないことは、ルシオはわかっている。
怒りで表情を歪める王妃は、ルシオを睨みつけたままだ。
それを不安そうに受け止めたようにふるまいながら、王子の背にそっと逃げ込む。
「母上!」
気づいた王子が、強めの声をあげた。
はっと気づいたように視線を反らした王妃は、頬を震わせながら一歩下がる。
「……驚かせてしまったわね」
「どうなさったというのですか」
「いいえ、いいのよ」
何も良くないが、言葉を切った王妃に言える者は誰もいなかった。
肩で息をした王妃は、するりと横へ抜ける。
「お帰りだと、伝えにきただけよ」
そんな訳がないだろう、と皆が思いながらも頷く。
王妃自ら、こんなところまで平民の子供に会いに来て、伝えることではない。
未だに厳しい表情を崩さない王妃の後ろから、音をたてて騎士たちが走り込んできた。
「お帰りよ」
王妃が冷たく一言告げる。
戸惑った様子の騎士が、顔色の悪いルシオをちらりと見た。
「さぁ。行くんだ」
優しい声で第一王子がルシオの背中を押した。
知らないからこそ穏やかでいられる王子に、騙し討ちを仕掛けた罪悪感が沸きあがってしまった。
それほどまでに、彼の声音はルシオを気にかけている。
「貴重なお時間、本当に感謝申し上げます。御前を失礼させて頂きます」
ルシオは声を震わせながら、深々と頭をさげた。
形式的に小さく頷く王妃は、視線だけでルシオを殺せそうなほど怒り狂っている。
ついてきてくれていたものの、今となっては壁に貼りついている騎士にも頭をさげ、ルシオは促されるままに部屋を出た。
冷えた廊下に出ても、ルシオはひっそりと息をする。
気持ち悪い。
体を小さくしながら、前を行く騎士に声をかける。
「すみません。一体、何が」
「知る必要はない」
ぴしゃりと言い返されて、体を引いた。
そう言うものの、この騎士すら何が起きているのかはわかっていないのだろう。
一応声はかけたし、いっか。
ルシオは優先順位を入れ替える。
広い廊下を抜け、外へ出た。
風が気持ちいい。
気を抜かないよう周囲に気を配りながら、そのままついていく。
門を抜けると、見覚えのある人影が見えた。
少し遠いが、父親で間違いないだろう。
騎士に連れられてきたルシオの元に、父親がわざわざ寄ってきた。
奥に見えるのは王家の馬車ではなく、よく知る商会の馬車だ。
押し出されたルシオを引き取り、父親は頭を下げる。
「急ぎの確認が必要なことがあるとのことで、商会からの迎えがきております。私と息子は、このまま失礼させて頂きます」
父親のセリフなど関心もなさそうな顔をして、騎士が頷く。
ルシオも父親に倣って頭をさげ、少しだけ気にするように振り返りながら、足を進める。
「本日は、本当にありがとうございました。勝手を致しますこと、何卒ご容赦頂ければ幸いです」
父親が見送ろうとしている騎士に頭を下げている間に、ルシオの前に秘書の男が出てきた。
申し訳なさそうにしているのは、演技だ。
急ぎの用件ができたと馬車で迎えに来たのも、計算通りである。
一刻も早く安全なところへ行かなければならない今、王家の馬車などに乗っている場合ではない。
ルシオと父親が商会の馬車に乗り込んだ後、秘書の男が騎士の男に何かを手渡す。
所謂、迷惑料というやつだ。
秘書の男はそのまま、御者席に座る。
馬車の窓から何度も頭を下げながら、ルシオと父親を乗せた馬車が動き出した。
父親は手を伸ばして、扉の横のスイッチを押す。
これで、この馬車の中の会話は漏れない。
「お前、やったな」
「これ、原本」
ルシオは、懐から先ほど第一王子と交わした契約書を取り出した。
ちらりと目を通した父親は瞠目したが、とりあえず黙る。
ソファの下をごそごそ漁って、魔道具を取りだした。
「とりあえず、写しておくか」
魔道具が鈍く光り始める。
ルシオは目を細めた。
これは、紙面でしかない契約書の効力を別のところに複写ことができる魔道具だ。
写すと言うよりも、刻まれると言った方がいい。
基本的にすべての契約は、この魔道具で必ず複写を取っている。
通常であれば、防御のかかった別の紙だったりするのだが、重要な物に関しては、ルシオの父親は自分の体に刻む。
「これ以上、母さんにバレないところなんて、残ってるのかよ」
「何だよ、お前。心配してくれてるの?」
「違います」
小さく笑った父親は、同じく取り出した小型のナイフで親指を切った。
魔道具の上に血が出てきた親指を乗せる。
複写したいものの一部を、魔道具に取り込むのだ。
それを、ルシオは黙ったまま見つめた。
「じゃ、骨で」
挨拶するかのような気軽さで口にした父親に、思わず吹き出しそうになった。
じじ、と動く音がしたかと思うと、光がゆっくりと消えていく。
父親は切った親指に布を当てたまま、両手を開いたり閉じたりしている。
「大丈夫なんですか、ソレ」
「別に何てことない。うわ、これ、生涯契約扱いか。大分持っていかれたな」
骨に契約を刻むなんて話、聞いたことがない。
あっさりやってのけた父親の顔色は悪くはないが、聞いたことがない分よくわからない。
動きに問題はなさそうなので、気にしないことにする。
「じゃ、次は俺。貸して」
「はぁ? お前もやるのか」
父親の言葉を無視して、ルシオは契約書と魔道具を奪い取る。
ナイフを寄越すように手を伸ばしたら、渋い顔をしたままの父親がナイフを手渡してきた。
「別に、お前までやる必要ないだろ」
「父さんに何かあって、骨が砕かれでもしたらどうするの」
「怖いことを言うなよ! 何だその、猛獣にでも襲われるみたいなヤツ!?」
叫ぶ父親を尻目に、ルシオも親指にナイフを滑らせる。
チリっとした痛みを気にせずに、顔をあげた。
「これは俺を縛るものなんだから、俺自身に写す」
じっと父親を見つめると、呆れたようにため息をつかれた。
「俺は、自分を大切にしろって言ったと思うけどねぇ」
「大切にしてるから、絶対に奪われないところに置きたい」
魔道具のスイッチを入れるルシオを、父親は頬杖をついて眺める。
本当にこの息子は、人の忠告を聞かない。
「考えた結果なら、別にいいさ。サリーナ嬢にばれないようにな」
「俺も。骨にしようかな」
「生涯契約だぞ……」
「父さんが大丈夫なら、大丈夫ってことで」
ルシオは気にする様子もなく、魔道具の上に血がにじむ親指を乗せる。
骨に刻むように告げれば、ぐっと意識が前へと倒れる。
「……ふぅん」
瞬いて、小さく声をあげた。
なるほど、父親の言っていたことがわかった。
生涯契約と言うことで契約幅が広い分、ルシオの小柄な体ではギリギリか。
どうやら、骨の大部分に刻まれたようである。
「ま、いっか」
「もう少し躊躇してもいいと思うぞ」
「時間は有限だから、仕方ない」
頭上で鳥の鳴く声を聞いたルシオが、天井を指さす。
馬車の上では、鳥がぎゃいぎゃいと叫びながら、飛び回っている気配がする。
いちいち考えているうちに何かあったら、どうしてくれる。
ルシオは契約書をぎゅっとたたみ、袖口に隠した。
ふと、馬車が止まる。
ちらりとカーテンを見た。
「着いたか」
父親が小さく口を開く。
ここからの動きは、何度も繰り返し計算をした上でのことだ。
ちらりとこちらを見てきた父親に、頷き返す。
さっさと帰る。
そして、サリーナに会いたい。
きっとどうしようもなく心配して、ソワソワしているだろうから、その腕を引きたいと思う。
切り替えるように頭を振ったルシオは、立ち上がった。




