ルチア、第一王子と交渉する 後編
利益に対しては、保障をつける。
それが目に見えない利益なら、尚更必要だ。
望むものなど、最初から一つしかない。
「情報すべてに対して、お約束を」
ルチアが小さく告げる。
少しだけ首を傾げた王子を見つめた。
「私と、私の大切なものに決して手を出さないと、お約束を頂きたいと思っています」
「何を言っている。私が君やご家族に、何かするとでも思っているのか?」
「王家のみならず王族の関与すべてを、お断りさせて頂きたいのです」
質問に答えることなく、再度伝える。
ルチアは王家だけではなく、王族すべて信用していないと言っているのだ。
不敬もいいところである。
王子は表情を崩さぬよう気をつけながら、内心呻く。
商会の会頭は父親だろうが、息子がここまで言うとなると、父親も同様に考えていると思っていい。
この国で商売をしているにも関わらず、王家に対するこの乖離を理解できない。
王家だけではなく王族ともなれば、人数はぐっと増える。
まるで、王族全体を憎んでいるのではないかと疑ってしまうほどだ。
「……どういうことだ」
「そこまで驚かれることではないかと」
王子が不敬と言い出さないので、ルチアはもう一歩踏み込む。
「時に、不利益な情報を得ることもあるでしょう。命を脅かされるような日々は、ご容赦頂きたいのです」
一瞬黙った王子は、低い声を出す。
「そうして、君の命を狙うとでも?」
「私だけではなく、私の周囲を巻き込むことも考えられます」
はっきりと告げると、王子の瞳に怒りが灯る。
ぎり、と拳を握る。
「王家を、侮辱する気か」
「決してそのような!」
ルチアは驚いたように声をあげた。
両手を宙にあげ、慌てて首を振る。
「何卒、ご理解頂きたいのです」
王子の気持ちの揺らぎに反応して、魔法壁が小さく音をたてている。
これぐらいのことで動揺されては困るな、とルチアは耳の端でそれを捉えた。
王子の表情が崩れているので、反応が見やすい。
「あなたはいずれ、王になるお方です。私のような平民など、簡単になかったことにできるでしょう」
「するわけがないだろう」
「するかどうかではなく、そのお力があると申しているのです、第一王子殿下」
この王子は、想像以上に真っ白だ。
この国を思い、民を思う気持ちが確かにある。
だが、王になればどうなるかわからない。
力も手段も方法も時間も、手に入れてしまう。
王の暴挙を止めるのは側近の仕事だが、現在の王や王妃の様子を見る限り、そこに期待するのは諦めた。
王の近場にいる人間から、洗脳が始まって染まっていく。
だからこそ、今、何も知らない無知な王子から、確実な約束を得たい。
ルチアはゆったりと口を開く。
「お約束を頂くことが、私の望む保障でございます」
ルチアを含め、コンラード商会は、王家の影にはならない。
あくまで自分たちの意志でしか動かない。
王子は怒りを宿した瞳を隠しもせず、鋭くルチアを見た。
「王家に対して、その物言いがどういう意味を成すのかわかっているのか」
自分で「何を言っても許す」と言ってしまった手前、王子は寸前のところで踏みとどまっている。
だが、本当は不敬だと口にしたくて仕方がないのが見て取れた。
ルチアは真正面からその怒りを受け止めながら、瞬いた。
「それでは、王家にとって不都合な事実を知った場合、私をどうなさるおつもりなのですか?」
「そのような事実を知る日が来ると、本気で想定しているのか?」
「国は、様々な立場の方がそれぞれの意見を持ちながら、生きることで成り立っております。綺麗ごとだけでは国を統治できないことは、ご存じでは? どこかに必ず、綻びとなる欠片はあるものです」
断言するようなルチアの言葉に、王子が詰まった。
動揺を隠すように頑張っているようだが、瞬きの回数が増えている。
この王子は、いずれ王になるだけの教育を受けてきた。
この国の持つ本当の裏の顔を知らない今ですら、王家にとって都合の悪い事実に心当たりがあるのだ。
「緊急性は二の次だとしても、命の危機に陥るのは本意ではございません」
だって、すでにルチアは知っている。
王と王妃が何をして、どうやって国を治めているのか。
そこで命を削って犠牲になっている人たちがいるのはまぎれもない事実であり、絶対に漏れてはいけない機密事項だ。
「これまではもちろん、これからの王家に一切後ろ暗いことがないと証明ができない今、そのような可能性は排除しておきたいと考えるのは、当然のことかと考えております」
これからの王家。
それは、今目の前にいる第一王子が王である限り、ルチアは情報提供に協力するという意味だ。
代わりに、命の保障を迫っている。
「もちろん、この保障にご理解頂けない場合は、利益も結構です」
ルチアは笑顔を崩さない。
揺るがないルチアを見ていた王子は、自身を落ち着かせるように息を吐く。
「確かに、君が持つ観察力は認めよう。その力量を見込んで利益も飲むつもりでいる。しかし命の保障が必要になるほどとなると、極秘扱いだ」
「どれほど極秘の内容だとしても、決して漏れないと断言することはできません」
例え魔法を使っていたとしても、絶対はない。
防御し解除する魔法がある以上、確実に漏れないとは、誰にも言えない。
第一王子は逡巡する。
この保障は、コンラード商会は、王家にとって不都合な情報を手に入れることができる立場にあると言っているのと同じだ。
それだけの情報を得るだけの導線があることを前提に、話をしている。
第一王子は、口元を歪める。
ルチアの言葉に迷いはない。
そこまで断言できる、信頼のおける情報元がいるということか。
「保障を約束すれば、君は私に手を貸してくれるというわけだな」
「お望みのものをご提供できるかどうかは、時と場合によりますが。精一杯務めされて頂く所存でございます」
きっぱりと言い切るルチアを、王子は信じられない気持ちで眺めた。
目の前の平民の男は、学院内では優秀な成績を残しているけれどもそれだけだ。
多少事業での実績があるようだが、それとて多くの手助けがあって成り立っているものに過ぎない。
それなのに、こんなにも確固とした自信がどこからきているのか、さっぱりわからない。
「命をかけるほどの物を、本当に出せるんだな」
「保障を頂けましたら、私が持つ情報の一つをお伝えすると、お約束致します。国を揺るがすほどのものではありませんが、重要さはご理解頂けるものかと」
さらりと耳を通った言葉に、王子はぎょっとした。
何事もないかのような顔をしたルチアは、にこにこと笑っている。
王子は、引きつりそうな頬を押さえ込んだ。
その情報がどれほどのものかわからないけれど、こんなにもあっさりと教えてくれるということは、それだけ引き出しの数が多いということになる。
コンラード商会が持つ情報網が、欲しい。
目の前にいる平民のこの男も同様だ。
チラつかせた立場や利益に飛びつかず、第一王子を前にして、あくまで自分の要求を平然と求めてくる態度は、他国とも十分に交渉できるだけの余力がある。
手駒になれば、王になった自分の役にたつことは明らかだ。
ただそれは、あくまでルチアが必ず自分の味方であるという、前提があってこそである。
ぐっと堪えた王子は一度目を閉じた。
「その保障とやらは、君にもあてはまるな」
瞬いたルチアを苦々しく眺めながら、王子は片手を宙へと向けた。
「君が、私を含めた王家を裏切らないという確約も、ないということだ。不都合な情報を、他国に売るかもしれないだろう?」
一息ついて、探るような瞳がルチアに向けられた。
「どうやら君は王家に対する心情も良くないようだし、手酷く逆を突かれる可能性を考えてしまうな」
意地の悪い視線を向けられて、ルチアは薄く笑った。
その通りだ。
ルチアは、王家に忠誠などない。
王都にいようとも、王家に対して尊敬も何もない平民もいるのだ。
王家があまりに身勝手であれば、平民は反乱を起こすだろう。
魔法が使えなくても魔道具という手段があれば、立ち向かうことが出来る。
本格的な反乱になれば、平民を操れない現状で国にできることがあるとすれば、譲歩を前提とした話し合いか全面対決ぐらいしか手が残されていないだろう。
どちらにしても国に大きなダメージを与え、隣国から隙をつかれかねない。
ルチアは目に見えるように、体から力を抜いた。
「私は、この国が破滅に向かわない限りは、何かをするつもりはありません」
「それこそ信用ならないな。何を破滅とするかは、君次第だろう」
王子の言葉に、ルチアは少しだけ笑みを深めた。
この王子は、やっぱりわかっていない。
「私は、婚約者やそのご家族が悲しむことがないようにと、願っております。すべての基準は、そこにございます」
ルチアは、王家に興味はない。
ついでに言えば、この国がどうなろうとあまり気にもならない。
この国で商売を始めたのは父親なので、特段思い入れがあるわけでもない。
取引先とは信頼関係を築いてきたけれど、プライベートは別である。
多少の争いごとはあっても、それなりに平穏であり、国として成り立っている限りは、それでいいとルチアは思っている。
そんなルチアなので、基準はサリーナにおいた。
この国は、サリーナの母国だ。
穏やかなうちはいいが、彼女が悲しむことがあれば話は別である。
シュベルグ子爵家や親友とやらの女子生徒など、サリーナの大切な人たちに何かあれば、心を痛めるだろう。
手広く商売をやっているコンラード商会であれば、政変を主導することも後方から支援することもできる。
第一王子は、唖然として呟いた。
「先ほどの話といい……君の逆鱗は、シュベルグ子爵家の御令嬢なんだな」
「否定は致しません」
困ったように視線を反らし、答えておく。
ルチアの基準がサリーナにあると知った以上、少なくともこの王子は、サリーナに手を出せない。
「お約束を、頂けますでしょうか」
ルチアは再度尋ねる。
目の前の第一王子とつながり、情報を横流しすることには抵抗はない。
ルチアの大切なものが零れない限りは、王子の望むとおりにしてもいい。
そのためには、この保障内容は絶対に譲れない。
王子の鋭い視線にも怯まず、にこにこと笑っておいた。
「……そうか」
王子がため息をついた。
ソファに背をあずけて、右に首を傾けて髪をかきあげる。
「いいだろう」
王子は苦々しく笑いながらも、ルチアに向かって頷く。
「ただその約束は、互いに必ず守るということが前提だな」
「口頭でのお約束事は、いつ反故にされてもおかしくないと教えられております。契約書の作成をお願い申し上げます」
ここは、父親に責任を乗せておく。
瞬いた王子は、笑い出した。
「確かに不敬罪には問わないと言ったが……ここまではっきりしていると、清々しいな」
おもしろがっている様子の王子は、楽しそうに「いい教えだ」と頷いた。
王子は机の引き出しを漁って、二枚の紙とペンを取り出した。
その一番上に、綺麗な字で契約書と大きく書く。
「しばし待て」
一言告げて、さらさらとなれた手つきでペンを走らせる。
どんどん進んでいく文字を、ルチアは目を細めて追いかける。
「君の望みは、これですべてか?」
王子が契約書を見せてくる。
頭を下げながら受け取ったルチアは、さっと目を通す。
ルチアを始め、ルチアの大切な人や物には王家も王族も手を出さないこと。
一方で、ルチアも第一王子を、決して欺かず裏切らないことと書かれてある。
ただし、お互いに道を外れたときには、この契約は無効となると一文が追加されていた。
最後まで読み終えたルチアは「申し訳ありません」と、紙を突き返す。
この条件だけでは足りない。
「……何だ?」
「第三者への依頼も行わないとお約束を頂けなければ、承服しかねます」
ただの平民を抹殺するのに、王家自ら動くわけがない。
直接の被害はもちろん、誰かに依頼する可能性も潰しておかなければ保障とはいえない。
王子が顔を顰めた。
王家を一切信用していないことが、ひしひしと伝わってくる。
「君……」
一向に譲る気がないルチアに、第一王子は呆れ顔である。
「そこまで王家の信用がないとはね。今後の政策の課題だな」
「何卒、強大な力を前に怯える、平民のお気持ちをお察し下されば嬉しく思います」
これっぽっちも怯えていそうにないルチアが、しおらしく頭を下げる。
第一王子は大変幸せなことに、王家が平民を暗殺するようなことはないと思っているようだ。
王家がそんな心優しい人たちの集まりならば本当に良かったのだろうが、実際はといえば、王家の影の命を弄んでいる。
王位継承の問題が発生しないのも、貴族たちから反抗的な発言がないのも、王と王妃が掌握しているからに過ぎない。
信用など、しろと言われても無理な話である。
王子はため息交じりながらも、追加として「第三者を通すこともなしとする」と記載した。
書き足した契約書を、ルチアに見せる。
今度は受け取ったルチアは、ちらりと王子を見た。
「この、私にとって大切な人や物の部分ですが、詳しい取り決めは必要ないのでしょうか」
「どうせ増えるだろう。シュベルグ子爵家を含めて、関係者には近寄らないようにしておくさ」
納得したように頷きながら、ルチアは素知らぬ顔をして目を細めた。
肩を竦める王子は今、自分が何を言っているかわかっていない。
口にした言葉の本当の意味を知ったときには、もう遅い。
ルチアは契約書の一部分を見つめた。
「私の契約対象は、第一王子殿下、お一人だけということですね?」
「あぁ。私だけだ」
なるほどな、とルチアは息を吐く。
ここを王家としてしまえば、王妃や子供たちにまで範囲が広がる。
ルチアはここにきて、何故王と王妃が、第一王子にルチアとの接触を認めたのが分かった気がした。
早い話、第一王子だけの味方が欲しいということか。
「問題なければ、もらおう」
第一王子の言葉に、ルチアは契約書を返す。
それを王子は、白紙の紙に転写してしまう。
全く同じことが書かれた内容の紙を二枚並べ、王子はそれぞれの一番下にサインをする。
渡されたペンで、ルチアも自分の名前を書いた。
「これで、契約成立だな」
二枚を確認した王子は満足そうに笑い、一枚をルチアに向けた。
それをルチアは王子の方へと押し戻した。
「こちらの契約書に、魔法を付与して頂ければと思っております」
ルチアの言葉に、王子の眉が寄る。
契約に魔法を付与するということは、契約を魔法契約書にしてしまうということだ。
その契約内容を守ることに、互いに制約をかけることになる。
魔法により契約は身に刻まれ、破れば契約の内容に応じて罰がくだる。
ルチアがサリーナの元婚約者であるザイードに対して騙し討ちで結んだのは、口約束に対しての契約魔法だ。
瞳を揺らす王子を気にすることなく、ルチアは紙を指で示す。
「紙は、破ることも燃やすこともできてしまいます。互いの保障のためには、魔法契約書とすることが一番ではないかと」
口調は穏やかだが、それが当然だと言わんばかりに圧をかけた。
ここまできてこんな紙切れ一枚渡されたところで、満足できるはずもない。
紙の契約書など、処分方法の簡単さを考えれば、口約束と変わりない。
なかったことにされては困るのだ。
「君は、商人だったな」
第一王子はふっと笑う。
この契約書に魔法をかけるのは、魔力がないルチアにはできない。
王子は指先を振って、魔力を散らす。
魔力の流れを見ていたルチアは、それを目の端で捉える。
先ほどはいきなりだったので、王子の魔法を追えなかったのだ。
「これで、この契約は魔法契約書となった」
王子が、紙を手渡してくる。
触っただけではただの紙だが、試しに破ってみようと思っても破れない。
指先で撫でると、紙に宿った魔力が揺れた。
「よし。ではこれで、保障については問題ないな」
「ご配慮、心より御礼申し上げます」
契約書を胸のポケットにしまい、ルチアは深々頭を下げた。
本当に本当に、感謝の気持ちでいっぱいである。
これで、王家はルチアどころか、父親にすら手を出せない。
ルチアの大切な人たちも同様だ。
「では、お約束通り、一つお伝えさせて頂きます」
「あぁ、そうだったな」
思い出したような王子を横目に、ルチアは自分たちを包み込んでいる黄色の幕を捉える。
この裏で何が起きているのかはわからないが、恐ろしいことになっているだろうことは想像がつく。
早いところ終わらせてしまわなければ、大惨事になる。
時間を計算しながら、ルチアは何と言うこともない顔をして、口の端をあげた。