ルシオ、父と共に王宮へ 前編
雲一つない青空とはよくいったものだ。
窓から空を見上げたルシオは、サリーナの言った通りだなと薄く笑う。
昨日は灰色の空が広がり、それなりの雨が降っていたというのに、見事な快晴である。
部屋の奥で髪を整えている父親に、声をかける。
「多大な期待をされているようですよ、会頭さん」
「それはそれは光栄です」
軽い口調で返してきた父親は、全身を確認している。
もうすぐ王家から、馬車が二人を迎えに来る。
今日の二人は、そろって黒を基調としたモーニングコートを着ている。
後ろから見ればサイズ違いにも見えるが、色や小物はそれぞれの年齢にも合わせているので別だ。
二人して襟元には商会のマークが入ったピンをつけている。
「眩しいなぁ」
ルシオはもう一度、窓から空を見上げた。
今日、この日を迎えるにあたって、出来ることはすべてやってきた。
「迎えが来たぞ」
父親の言葉に、ルシオは窓から目を反らす。
言葉なく、父親と視線が交わる。
くるりと踵を返して、父親は歩き出す。
先を歩く父親の後ろについて、ルシオも部屋を出た。
ちらりと、執務室の方を見る。
今、馬車がサリーナを迎えにいっているので、もう少ししたら彼女が来る。
胸に、競りあがってくるように会いたい気持ちが沸く。
だが、今会ってしまえば、昨晩から一つ一つ積み重ねてきた気持ちが崩れる気もする。
だったらきっちり終わらせて、帰ってきてからの方がいい。
振り切るように、ルシオは歩き出した。
王家からの馬車は、これまで乗ったことがないほど快適だった。
見た目からして華美であり、目を惹く。
わざわざ商会の本店に迎えにきてもらったので、商会の名前もさらに上がるだろう。
ふかふかとしたソファに体面で座ったまま、一言も話すことなく時が過ぎる。
この豪華な馬車の中まで目が届いているかもしれない可能性があるので、余計なことは口にしないだけだ。
だが、実際には違う。
ルシオは、うんざりと目の前の父親を眺めていた。
指先がひょこひょこと動いている。
あれは、コンラード家だけに伝わる手話だ。
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この状況の中とは思えないほど下らない内容すぎて、意識が遠のきそうである。
引きつりそうなルシオの前で、さらに指が動く。
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まさかの追加情報に、項垂れそうになるのをぐっと堪えた。
さきほどまで同室にいたはずだが、何故今言う必要があるのだろう。
てんちょうから さりーなじょうに わたして もらう よてい
続きに、少しだけ驚いた。
父親がサリーナのことを気にかけるとは、思ってもいなかった。
気づかれないように、視線を反らす。
おれいを いっておくように
フィゲロのこと云々の前に、ある程度事情を知っている店長には話はつけてある。
父親のことは関係なく、改めて色をつけたお礼を返さねば。
わざわざ返事を返すのも癪なので、小さく頷いておく。
向かいの席の父親が、そっと笑ったのは見なかったことにした。
いつもは遠くから視界に入れるだけの巨大すぎる建物が、目の前にそびえている。
若干の緊張をしつつ、馬車を降りる。
門を通った後は従者に案内され、最終的に騎士が出てきた。
この辺りのことは、サリーナに聞いていた通りである。
謁見の場所は、王宮にいくつかあるホールのうちの一つだ。
冷えた空気の中、ルシオは父親の少し後ろで膝をついて頭を下げていた。
前にも後ろにも、騎士が立っている。
ルシオの私室どころか、家まで入りそうな広すぎるホールと、首を痛めそうなほどの高い天井。
奥には数段の階段があり、その上には大きな背もたれがついた椅子が二つ並べられている。
豆ほどとは言わないが、かなり遠い位置だ。
ここからでは表情を判断するのさえ、困難な距離だろう。
ルシオと父親がこのホールに入り、騎士たちが配置についてから数分ほど経過してからのことだった。
後ろからドアが開いた音がする。
途端に、緊張が走る。
王と王妃の登場だ。
頭を下げているので直接見えるわけではないが、その息遣いは伝わる。
ゆったりとした足音だけが、ホール内に響く。
二人が高い位置の椅子に腰をかけた音がした瞬間、脳裏がずきりと痛む。
じわじわと這い上がってくる不快さを、足先に力を入れることで逃す。
こんなところから、圧をかけてくるのか。
「面をあげよ」
王の力強い声が、ホールに響く。
その言葉に、ルシオと父親は顔をあげる。
あげたところで距離があるので、こちらからは王の顔も王妃の表情も読み取れない。
その存在が確認できるだけだ。
だが、向こうにはルシオも父親もはっきり見えているだろう。
「今日は、よく来てくれた」
その声に、顔をあげたばかりの父親が、明らかにわかるように肩から大きく体を下げた。
小柄なルシオも下げていた頭を低めに落とす。
そのまま、視界の右端に見える父親を、かろうじて捉えた。
体制的に、無理やりである。
「最近は、この王宮内にまで商会の名が届いているぞ」
上から声が降ってくる。
声音からすると、機嫌は悪くはないらしい。
「興味深い限りでな、話をしてみたいと思ったのだ」
含み笑いである。
王とは距離がかなり空いているというのに、はっきりと聞こえる声。
魔法だ。
この距離で声がここまで通るのは、建物の構造の関係ではなく魔法だ。
このホール全体に、王と王妃の魔力が漂っている。
そこまでわかるのは、こちらも魔道具を使っているからだ。
父親と王との堅苦しい挨拶を、白々しい気持ちでルシオは聞いていた。
今のところ、ルシオは一言も話す必要はない。
その期待をされているのは、ひとまず父親の方だ。
ただ、先ほどから体を包み込む気持ち悪さはどうにもならない。
こめかみにピリピリと走る痛み、体を包む不快感。
魔法を好き勝手に、使いがやって。
ルシオは緊張をしている雰囲気を醸し出しながら、内心で毒づく。
この部屋には、精神に作用する魔法が、気持ち悪いほど満ちている。
頭の中にキンキンと声が響く。
王家に対して、尊敬の意を持つように。
平民である自分たちが、この場にいることがどれほど光栄なことかをわかるように。
どれほど恩恵を受け、優遇されているかを感じるように。
じわじわと、精神が浸食されていく。
「今回見たもの以外に、他国品も多く取り扱っているそうだな」
通常の魔力からでは、これだけ精神に負担をかけるような魔法はかけられないはずだ。
他人の生命を吸い取っている魔法石から得た、過ぎたる魔法だろう。
魔法石の力は王家の影を操るときにこそ威力を発揮するが、目の前にいれば精神を操れるということか。
回数を重ねるわけでもなく、いきなりこのレベルで精神魔法をかけてくるとは、さすがとしか言いようがない。
ルシオと父親の身のことなど、全く考えていないやり方だ。
王家の影の命を吸い取りまくり、やりたい放題しているだけのことはある。
「恐れ多いお言葉でございます」
王の言葉に、父親が感動したように頭を下げる。
こちらは王家に忠誠心もなければ、何の恩恵も感じていない、ただの平民である。
人の行為を素直に信じることも受け取ることもしない、疑り深い人間だ。
すぐに人の裏を読もうとすることが癖になっているほど、ある意味、人としては終わっていると自覚までしている親子である。
王家からの招待状を手にし、狂喜乱舞したとでも思われていたら心外だ。
「そう緊張せずとも、楽にすればいい」
「お言葉、痛み入ります」
容赦なくがんがんと精神をかき乱しておきながら、何を言っているのか。
もしも何の対策もしていないと思われていたとしたら、それはそれで何とも悲しい。
下着からシャツからベスト、ネクタイやパンツに至るまで、身に着けているものはすべて身を守るための魔法がかけてある。
呼びつけた平民相手に、身体検査などするわけがないとふんでのことであったが、大正解である。
大体、魔法が使えない平民相手に襲われても、騎士もいる中では痛くもかゆくもないだろう。
その分、仕込めるだけ仕込んで持ち込んだ。
ルシオに至っては、見えない位置にあるポケットに、サリーナからもらったペンも持っている。
父親だって、同様だ。
ルシオはもちろん、父親も魔法は使えない。
だからこそあれこれ調べ、考え、引っかける。
抜け道になる穴を見つけて押し通す術は、魔法が使えない人間の方がよく知っているのだ。
このレベルの精神魔法ならば、効かない。
とはいえ、向けられた強い魔法は煩わしい。
防ぐことは簡単だが、王家相手に表立って防御するわけにはいかないので、結果として肉体も精神も損害をくらうはめになる。
身に着けている物がバチバチに反応しているので、体中がぞわぞわとしている。
「そう頭を下げずともよい」
「恐れ入ります」
粛々と答えている父親も、同じように感じているだろう。
父親が顔をあげる。
視界の隅でそれを感じ取ったルシオも、同様だ。
胸中は相変わらずではあったが、表面上はいかにも「場違いなところに呼ばれて緊張しまくっている小心者」で見せている。
「事前に見たが、気になるものも多くあった」
王の声が、少しだけ変わる。
ルシオは、視線を反らすことなく立っている騎士に、神経を集中させた。
周囲の騎士は、この魔法が重ね掛けされている気味の悪いホールの中で、平然としている。
王家と顔を合わせるほど近い位置にいる騎士は、貴族の令息が多い。
貴族ならば魔力を持っていることが多いので、特に訓練をしていなくても、通常であればこのホールに充満した魔法に違和感を持ってもおかしくない。
だが、現実の彼らは何も口にせず、気にした様子もない。
ルシオは跪いたままの足先に力を込めて、引っ張られそうな意識を戻す。
やはり、サリーナに確認した通りらしい。
影ほど完全に操ることがなくても、王家に対して、揺るぎない忠誠心を埋め込むことぐらいはしているようだ。
本人にすら気付かれないように、日常的に少しずつ操作をしているとは恐れ入る。
騎士がこれならば、貴族たちも同様に感覚が鈍っているはずだ。
この国が長い間、たいした争いも大きな戦争もなく、穏やかに緩やかに存続している一端は、これが原因でもあるのだろう。
父親が、王と何の生産性もない上辺だけの会話を繰り広げている中、ルシオはひたすら周囲に意識を向ける。
目を動かさなくても、視野ははっきりと隅々を捉えている。
気持ちの悪さを、周りに神経を注ぐことで飛ばす。
ホールの大きさ、天井までの高さ、壁の色や素材、窓やドアの位置、騎士たちの立ち位置など、初めて目にするものばかりだ。
王と王妃が後ろから出てきたということは、奥にもドアがあるはずだ。
並んで立っている護衛騎士の顔、身長を計算し、ある程度の体格も予想する。
騎士団の服や靴にも意識を巡らせる。
得られる情報は、すべて持ち帰る。
不安そうに時折視線を一瞬下げながら瞬き、ルシオは素早く頭に叩き込んでいく。
瞬間的な記憶に関しては、散々鍛えられているのだ。
「ぜひとも、詳しく聞きたいところだ」
「恐れ多いお言葉にございます」
いつも飄々としている父親が、澄ました口調でせっせと話をしているのを聞きながら、ルシオはゆっくりと息を吐きだした。
このホールは、ピカピカに磨かれチリ一つ落ちている様子もない。
何かを仕込めば、一発でばれるな。
ルシオは遠くに見える王と王妃が視界に入らないように、顔をあげたまま凌ぐ。
万が一にでも視線が合いでもしたら不敬罪を取られかねないので、顔をあげておきながら視線を彷徨わせることもないよう、とりあえず精一杯見せかけておく。
「品は隣の部屋に並べてある。支払いも含め、話をしたい」
「恐悦至極に存じます」
話が途切れそうな気配がする。
おそらくこの後、商品を並べてあるという隣の部屋へと移動になるはずだ。
だが、ルシオは姿勢をそのままに息を殺す。
ここまでで聞こえてきたのは、王と父親の声ばかりだ。
隣に座っている王妃は、開いた扇で口元を隠したまま一言も声をあげていない。
サリーナの話でも事前に得ていた情報でも、王妃はただ静かに座っているような存在ではない。
むしろ外交には率先して出向くし、強気の態度を崩さない。
そんな王妃は、先ほどから扇を口元にあてたまま動かない。
視線は、父親というよりはルシオに向いている。
このまま終わるとは思えない。
特に、もうすぐ実子である第一王子が王として即位するとなれば、尚更だ。
ルシオが考えている間にも話は落ち着いたようで、王が姿勢を変える。
「では、部屋へ案内を」
「お待ちになって頂ける?」
王が後ろに立っていた騎士に指示を出そうとしていたところを、よく通る声が遮る。
パチン、と音を響かせ扇を閉じた王妃が、ここにきて初めて口を開いた。
「私は、御子息の話も伺いたいわ」
王妃の強い視線を感じ、ルシオの視界がくらりと揺れる。
ゆっくりと寒気が広がっていく。
「いえね、大変素晴らしいご子息だと聞いているものだから」
楽しそうな口調の反面、言葉の端々が強い。
字面だけは優しげな言葉が頭の奥にしみ込んでいく感覚を、ぎりっと歯を食いしばって耐える。
やはり、こっちに来たか。
手のひらに汗が滲む。
ここで崩す訳にはいかない。
ルシオは乱れそうになる息を整えて、黙ったまま王妃の言葉を受け止めた。
こんなところで、自分が失態をおかすのはごめんだ。
ホール内の視線が、一気に自分に向いているのを感じる。
ルシオはきゅっと口を引き結び視線をあげ、王妃の次の言葉を待った。




