ルシオ、前日のあれやこれ
サリーナを邸宅まで送ったルシオは、いつも見送りをしてくれる執事と共に馬車へと戻る。
この執事もすっかりと慣れていて、簡単な小話を挟みながらルシオを門まで案内してくれるのだ。
執事に別れの挨拶をして振り返ったルシオは、見覚えのある姿に足を止めた。
向こうも気付いたようで、笑みを浮かべている。
「こんにちは」
「……ご無沙汰しております」
挨拶に、こちらも頭を下げる。
濃い茶色の髪をした、若い男である。
ルシオよりも背が高く、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「こんなところでお会いできるなんて。偶然ですね」
にこにこと笑う青年は、両手に袋を抱えたまま、歩み寄ってくる。
ルシオは未だに見送りのために動かない執事に気にせず戻るように伝え、青年に向き合った。
青年は、シュベルグ家の邸宅を見上げる。
「こちらにご用事だったんですか?」
「えぇ。あなたは?」
「この先に、荷物を届けるところなんですよ」
青年は両手の袋を軽く持ち上げる。
ルシオは馬車を指した。
「良ければお送り致しましょうか?」
「いえ、そんな! もうすぐそこですから」
焦ったように首を振る青年に、ルシオは「そうですか」と告げてそれ以上口を出さない。
頭を下げて、笑顔を浮かべた。
「どうぞ、お気をつけて」
「では、また」
馬車に乗り込んだルシオは、カーテンの隙間から青年の後ろ姿を眺めた。
あの青年は、茶葉の販売を始めた頃から、コンラード商会によく顔を出すようになった。
帰宅して支店の裏口から入ろうとしたルシオをわざわざ捕まえて、恋人に送る茶葉の相談をしてきたのが始まりだ
個人の体調や悩みによって調合を変える貴族用の茶葉とは違い、庶民向けの物は五種類しか売られていない。
恋人に送るのならば勝手に買えばいいだけの話であるが、ルシオは丁寧に接客し、メッセージカードまでつけてプレゼント用の梱包を行った。
それ以来、青年と顔を合わせる機会が増えた。
「……また、ねぇ」
小さくなる彼の背中を見送ったルシオはカーテンから手を離してソファに沈み込んだ。
これを偶然で片づけてしまうほど、頭は沸いていない。
欠伸を一つ。
手を天井へと伸ばして、ゆっくりと下ろした。
「どのみち、向こうの出方次第かな」
呟いたルシオは、とりあえず寝ようと、腕を組んで壁に寄り掛かった。
まだまだやることが、たくさん残っている。
コンラード商会本店に到着したルシオは、店長や従業員に挨拶をしてから、階段を下りる。
相変わらずの迷路のような廊下を抜け、その先にあるドアをノックした。
中からの返事を確認し、ドアを開ける。
ぶわりと感じる煙に顔をしかめた。
相変わらず、時間を歪めまくって仕事をしているらしい。
「おっかえりー」
「そのテンションに、どう答えるのが正解なんだよ」
レンガ作りの壁の真ん中で、ソファに座った父親が手をあげて笑っている。
何とも気の抜ける態度に、ルシオは向かいに座りながらため息をついた。
そのまま横におかれてあるティーワゴンを引き寄せて、勝手にお茶を入れる。
お茶を入れたカップが冷たい。
口を寄せたルシオは、眉を寄せた。
「これ、サリーナの茶葉だろ」
「さすが、よくわかったな。ちゃんと、市販品を買わせて頂きました」
「効果が出るかどうか云々言っていたのを、すっかりとお忘れのようで」
「思い込みってやつだよ」
悪びれなく笑う父親は、机の上に広がった書類と格闘している。
その量からして、相当長い間この場にいたのがわかる。
ルシオはお茶をあおって、口を開く。
「明日さ」
どうせ突っ込まれるのなら、早めに終わらせるに限る。
父親が顔を上げたのを確認してから、続きを言い切る。
「サリーナを、本店の執務室に呼びたい。昼過ぎに馬車を回して、迎えに行かせたいんだけど」
「執務室に、彼女を一人残す気か?」
「まぁ、そうなるかな」
ルシオは、ペンを持ったまま動かない父親の返答をじっと待つ。
ルシオの執務室は、商会の裏にあたる部分だ。
見られたくない書類や、魔道具なども山盛りおいてある。
絶対に見られたくない物などは金庫に入れてあるし、サリーナが漁るとも思えないのだが、普通に考えれば他人を一人で待たせるような場所ではない。
「……ま、好きにしろ」
肩を竦めた父親が、息を吐いた。
ルシオは軽く目を見開く。
その様子をとがめたのは、父親だ。
「お前、自分で言い出したくせに。何なの、その顔」
「いや、別に」
まさかこうもあっさり許可を出されるとは思っておらず、反応が遅れた。
黙ったままお茶を飲んでいる息子を見ながら、父親はペンを机に投げた。
どうせ、すでに店長には話をつけて、明日の馬車は手配済みだろう。
こちらがどう言ったって押し通すだろうに、今更何を言っているのか。
「明日は精神も肉体もガリガリ削られるだろうからな、お前がしたいようにすればいい。何か問題でもあるのか?」
「ない、けど。ただ、母さんはいろいろと準備してるだろうなと思って」
「あぁ、まぁ。確かになぁ」
ルシオの父親は、ここ一番で踏ん張らないといけない日の前日、必ず自宅に戻るようにと伝えている。
その日の夕食は、料理自慢の母親が作った、胃に優しい手料理が山盛り机に並べられる。
朝食や昼食も、母親が手塩にかけて作ってくれた料理を食べ、出陣するのだ。
そして頑張ったその日の夜には、大好物を中心に、豪華な食事が並ぶ。
何も知らない母親に指示しているのは、父親だ。
サリーナを執務室に呼んだ後、ルシオはそのまま彼女を送って支店の自室に帰る予定だ。
自宅まではさすがに遠いので、明日の夜は自宅に帰らないつもりでいる。
夕食の準備している母親の気持ちを、削ぐことになりかねない。
「いやいや、気にするな! そこはしっかりとフォローしておくから、安心してこの父にまかせなさい!」
「……あっそ」
ふんぞりかえって言い切る父親に、危うく「キモイ」と言いかけてしまった。
誤魔化すようにお茶を飲み切ったルシオは、カップを奥へとおいた。
「ところで、お前」
書類をまとめ始めた父親が、言葉を切る。
「最近、毛色の違う大型犬に絡まれているらしいな」
ルシオの脳裏に、茶色の髪をした青年が浮かぶ。
とっくに知っているだろうと思っていたので、特に驚きはない。
「今日の帰りにもいたんだって?」
このセリフには、内心呻く。
知っているのは御者だけだが父親と話はしていないはずなので、鳥を飛ばして見ていたのだろう。
相変わらず抜け目がない。
嫌そうに顔をしかめたルシオを見て、父親がげらげら笑いだした。
「お前、変なのに目をつけられたねぇ!」
「父さんにだけは、言われたくないんだけど」
自分は王家に目をつけられたくせに、何を言っているのか。
そのせいでここまできているというのに、全くわかっていないようだ。
この言い方をするということは、父親もわかって言っている。
渋面を作るルシオに対し、父親はソファに背をあずけた。
呼吸を整えて、にやりと笑う。
「それで? 我が息子殿は、一体何を企んでいるのかな?」
「息子を何だと思ってるんだよ」
「だってお前。会いたくなければ、いくらでも避けられるだろ。あえて向こうの思惑に乗っているのは、どういう意図があってのことかな?」
父親のこういうところが、ルシオは本当に面倒だと思っている。
何かあるとわかって、予想もしているだろう。
ルシオが裏で動いていることも知っているはずだ。
だが、どうやらその真意までは測りかねているらしい。
「俺はいつだって、自分のためにしか動かないよ」
だったら、わざわざ説明する必要はない。
確証が得られていない今、特に伝える気にはならない。
そのルシオの意志を正確に理解し、父親はため息をついた。
「お前はいつもそれだねぇ」
「何度も同じことをきくなよ」
「開き直ったらいいってわけじゃ、ないんだけどねぇ」
聞きたいのは、目的ではなく手段だったのだが言う気はないらしい。
口を割らないならば、せめて確認だけでもしておきたいところである。
父親は、じっとルシオを見つめた。
「大丈夫なんだな?」
「俺にしか接触してこない間は、平気」
「……その含みのある言い方は、何なんだ」
「今は手も時間もないからいいけど、もうすぐ手数が増える。そうすればわからない」
毛色の違う大型犬。
今はただ時間も手数もないから、ルシオだけで何とかなっている。
だが、手数も時間も方法も増えれば、商会にもサリーナにもその触手が伸びる可能性は十分にある。
ただの大型犬が、狼にでもなって噛みついてきたら面倒だ。
ルシオの瞳がかげる。
「だから、その前に叩く」
静かな言葉に、父親は項垂れた。
やると言えばやる息子である、本気だろう。
ここまで言い切るということは、ある程度道筋をたてているからか。
だったら、釘を刺しておかねばならない。
「お前ね。失敗したら終わりってこと、わかってるよね」
「当たり前だろ」
即答したルシオに返す言葉もなく、父親は天井を仰ぐ。
そうやって、勝手に走り出してしまうのはどうしたものか。
だが、これ以上はやり合っても無駄だろう。
「……任せていいんだな?」
「今のところは、俺だけでいい」
「だったらいい。でもな、何かあったら必ず報告しろよ」
「いつもしてるだろ」
「どの口が言っているのかな? 王女殿下と第二王子の婚約の件、お前だろ」
「俺が、国同士の婚約に手を出したとでも?」
さすがに、そこまでのことはしていない。
フェアスーン王女殿下の出身国である隣国には手を回せても、第二王子がいるかの国は遠い。
ただ側近の行動は読めたので、そこに当たりをつけただけだ。
むっとしているルシオに、父親は手を振る。
「そっちはまだいい。俺が言っているのは、王女と一緒に輿入れする、第二の夫のことだ」
「……あぁ。いたね」
フェアスーン王女殿下とかの国の第二王子との婚約は、先日内定した。
その婚姻の際は、何故か取り巻きの一人である伯爵令息が一緒に行くことになっている。
彼の存在とその役割を知っているのは、本当にごくごく一部の関係者のみだろう。
「伯爵家はもちろん、隣国もかの国も、全員一致の大賛成状態で送り出すらしいぞ」
「全員に、利点があるからね」
子爵令嬢との婚約を解消したものの、新しい婚約者を見つけるどころか王女殿下に傾倒している息子を持て余していた伯爵家。
王女殿下一人を手中におけない隣国と、その力を利用したいかの国。
そしてそれを後押ししたのは、王女を受け入れるために隣国に恩を売り、かの国へとつながりを得てがっつりと仲介料をふんだくった、この国である。
ルシオはザイードの手前、手を尽くすとはいったが、結局のところあの話はほとんど決まりかけていたので、実はたいしたことはしていない。
第二の夫の候補を、この国だけではなく、隣国とかの国それぞれ情報を流して、引き寄せただけだ。
興味があるのかないのか、ルシオはティーポットに手を伸ばす。
二杯目のお茶を入れる息子に、父親はため息をついた。
「お前、無茶苦茶したのはわかってるからね」
「特に何かした覚えはないけど」
「してるだろ! 変な契約痕つけて、何やってんだ」
父親から右手首を指さされても、ルシオは平然としたままである。
父親は、子供たち全員に強い防御の魔法をかけている。
だからこそ、攻撃魔法を受けたり媚薬を盛られたり、変な契約を結べばすぐにわかる。
当然ルシオも把握済みなので、ここで言われても何とも思わない。
「お前、他にも手はあっただろ。何でよりにもよって、変な方を選ぶかねぇ」
「最善だったからに決まってるだろ」
「もっと自分を大事にしろって言ってるんだよ!」
思わず父親は叫ぶ。
うるさそうに顔をしかめているルシオは、全然その気がなさそうだ。
最近のルシオは、手段を選ばなくなってきている。
たいした影響がないとふんで放置していたら、いつの間にやら訳のわからない契約までするとは、予想外もいいところである。
父親は、じとりとした視線をルシオに向ける。
「で? その契約痕は、いつ頃消える予定なんだ?」
「さぁ? とりあえず挙式までは無理じゃない?」
「いい加減だなぁ、おい!」
「仕方がないだろ、そのレベルなんだし」
適当な返事しかしないルシオは、契約については後回しだと置いている。
この契約は、手首に残る痕の薄さからわかる通り、実はとても緩い。
騙し討ちのように結んだし、期限も条件もつけていないので、ルシオ次第のところが大きいのだ。
契約を結んだ目的はザイードを脅すことだったので、それでも効力は抜群だった。
王女殿下と第二王子が挙式後初夜を迎えれば、ひとまず義務は終了だ。
その後であれば、第二の夫とどれだけベッドで仲良くして頂いてもかまわない。
義務での初夜に甘さなどあるとは思えないので、第二の夫に散々と甘やかして溶かしてもらえればいい。
そこまでいけば、とりあえず相手の願いは叶ったとみていいだろう。
あとはルシオの問題だ。
「頼むよ、お前……」
父親は嘆く。
ルシオの手数が増えてきているので、だんだんと父親を通さなくなってきているのが恐ろしい。
それでも商会の会頭は父親だし、親としてもその辺りはやっぱり心配になる。
こんなに息子のことを考えているというのに、肝心の息子にはわかってもらえていないようで、とても悲しい。
一応話は聞いてはいるが、頭に残っているかといえば微妙である。
「いいか。決して自分を軽く扱うなよ」
「はい、わかりました」
何とも気の抜けた返事を返すルシオには、父親の気持ちなど全然伝わっている気がしない。
今のルシオを止められるとすれば、一人しかいないだろう。
父親は、にこにこと笑う、小動物のような小柄な令嬢を思い出した。
婚約者であるサリーナは素直すぎるが、周囲の状況はよく理解しているので、話を伝えておけばある程度は抑止力になるはずだ。
問題は、どうやってルシオに気づかれることなく、伝えるかだろう。
最近のルシオルシオは、彼女への過保護っぷりも加速気味なので、こっそり動いて発覚でもしたら恐ろしいことになりかねない。
ただでさえ首輪と言う名の通信機を渡し好き勝手しているというのに、これ以上となると本当に囲ってしまいそうである。
悲惨な未来を想像してしまった父親は、思考を振り切るように声をあげた。
「じゃ、話は終わりだ。さっさと帰ってご飯を食べて、寝るぞ!」
書類をまとめ始める父親に、ルシオも横におかれていたものを寄せる。
明日のことを考えると、やっぱり面倒だなと思わなくもない。
王家は十中八九、精神的な魔法をかけてくるだろう。
それだけを防ぐだけならば簡単だが、ばれないようにとなると話は変わってくる。
誰にも気づかれないようにとなると、その分体に負担がかかる。
影の命さえ軽んじる王家である。
ただの平民でしかないルシオや父親に対して、配慮などあるはずもないだろう。
ルシオも父親もそこは想定しているので、繰り返し負担はかけて耐性はつけてはいる。
実際に王家の魔法を直接受けたことはないが、王族の魔法ともなれば、相当だろう。
精神的な不可は肉体にも大きく影響を及ぼすので、あまりやりたくはない。
媚薬を飲みまくったあの日々よりもはるかにマシなので、何とか過ごしているだけである。
父親があっさりとサリーナの来訪を許したのも、この辺りに理由がある。
父親は悪意を向けられまくったこともあれば、実際に媚薬を飲まされたことも精神魔法を真正面からくらったこともある。
母親はもちろん、ルシオに対しても、とても言えそうにないことを何度も重ねてきているのだ。
そういう意味では、ルシオの経験値は圧倒的に少ない。
少しでも補えるとすれば、サリーナの存在だ。
精神的な支えが強みになることは、強い媚薬を飲んだルシオが一番よくわかっているだろう。
「明日サリーナ嬢を呼ぶのなら、暇つぶしになるようなものを準備しておけよ」
書類をまとめあげた父親は、もったいないと残されたお茶を飲む。
冷たくてもおいしい。
「彼女の性格上、何をしたところで落ち着かないとは思うけどなぁ。ま、自分で呼びつけたんだから何とかしろ」
「わかってるよ」
渋い顔のルシオから書類を差し出された父親は、「お前」とにやりと笑った。
嫌な予感がして口を開こうとしたルシオよりも早く、言い切る。
「サリーナ嬢を、自室に呼べないんだろ」
この発言を、ルシオは聞かないことにした。
無視だと決めて、残っていたお茶を一気にあおる。
サリーナの選んだ茶葉だ、残すわけにはいかない。
そんな様子の息子を見ながら、父親は笑いが止まらない。
サリーナを一人で待たせるのなら、一番いいのはルシオの自室だ。
彼女の邸宅からだと本店よりも近いし、一通り生活用品はそろっているし、水回りも完備されているので安心だろう。
書類関係もあるにはあるが、執務室に比べればはるかに重要度は低いし、少ない。
そんなことは当然わかっているはずのルシオが、わざわざ執務室を指定する理由は一つだろう。
「自室だとベッドとかあるもんなぁ、仕方ないよなぁ」
にやにやとしている父親を完全に視界から外して、カップをティーワゴンに乗せた。
立ち上がったルシオを、父親のにたりとした視線が捉えた。
「彼女、男のベッドに簡単に座っちゃいそうだし」
瞬間、きょとんとしたサリーナがベッドに腰かけている姿が浮かんだ。
ぎりっと歯を食いしばる。
これでは、あの元婚約者の野郎と変わらない。
思わず死にたくなったルシオの顔を見て、父親はさらに笑い出した。
「オトコノコですね、ルシオ君」
「ふ、ざけんなよ!」
射殺されそうな視線を受けても、父親は意に返さない。
ひょいっとお茶が入ったコップを持ち上げ、笑みを浮かべる。
「精神的に不安定になると、本能の方が勝つからさぁ」
「何の、話だ!」
「いやだから、お前ね。本当に気をつけろってこと」
「黙れ」
「今更、子爵家に顔向けできないようなことだけは、やめなさいよ」
「黙れって言ってんだろ!」
ひーひーと大笑いをしている父親を、蹴り飛ばしたくなる。
恨みのこもった、恐ろしい形相で睨みつけた。
いつか、必ず、沈めてやる
心に誓いながらぎりぎりと拳を握りしめて、ルシオは息を吐きだした。




