サリーナ、前日の話
学院での授業が終了した後、サリーナは手早く荷物を片付ける。
親友のチェルシーへさっと挨拶をしてから、学院の門へと向かう。
あまり天気が良くないので、雨が降り出す前には帰りたい。
門の前の広場には、送迎の為の馬車が止まっている。
日頃は徒歩で帰宅するサリーナだが、今日は別だ。
人の流れを早足で抜けると、良く知る馬車が見えた。
走りよると、中から人が出てきた。
「サリーナ様、どうぞ」
差し出されたルシオの手を、サリーナは取る。
ひんやりとした手が、優しく馬車の中まで誘導してくれる。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「授業が早めに終わっただけだよ」
ドアを閉めると、いつもの良く知るルシオだ。
二人を乗せた馬車は、ゆっくりと動き出す。
同じように帰宅しようとしている馬車が、出るためだけに並んでいる。
これでは、校門から出るだけでも時間がかかるだろう。
「天気が崩れそうだからかな、いつもより迎えが多いね」
カーテンのすき間から、ルシオは空を見上げる。
薄い灰色をした空からは、いつ雨が降ってきておかしくないだろう。
「明日は雨かな」
「晴天になりますよ、絶対です」
確信めいたサリーナの言葉に、首を傾げる。
あまり想像できない。
「今、この天気で?」
「王家は大切な日には必ず晴れるよう、天候をコントロールするんです」
だから、王家にとって大切なイベントは必ず晴れる。
魔法とは、コントロールさえできれば本当に身勝手だ。
その辺のことは魔法科の学生よりよくわかっているルシオは「へぇ」と相槌をうって、カーテンから手を離す。
そのままため息をつきながら、ソファに沈み込んだ。
「じゃ、もしも明日雨が降っていたら、適当に扱っていい存在って思われているわけだ」
「必ず晴れます、驚くほどの快晴かと」
自信を持って言い切るサリーナに、ルシオは苦笑してみせる。
一度大きく伸びをした。
「大切って、思われていればいいけどね」
「わざわざ呼びつけているんですから。その価値は、わかっていますよ」
サリーナは気を抜けば下がりそうな眉を、必死に保っていた。
鋭いルシオを前に無駄なことかもしれないけれど、胸の奥に不安が渦巻いている。
馬車の中は、静かだ。
流れている時間は穏やかなのに、どこか歪である。
それも仕方がないだろう。
明日は、いよいよルシオと父親の登城の日である。
約束の時間は午後からだが、今日だけはルシオはいつもの支店の自室ではなく、自宅へと帰る。
本店で仕事終わりのルシオ父親と合流し、距離のある自宅まで馬車で帰るのだ。
ついでにサリーナも一緒に送るよう、手筈を整えてくれた。
サリーナはどこを見ていいのかわからずに、カーテンを見つめる。
今、一番気が張っているのはルシオでありルシオの父親であり、サリーナではない。
それがわかっていても、明日が来るのが怖くて仕方がない。
明日は顔合わせのようなものなのでそこまで時間もかからないだろうし、表面上は穏やかに進むだろう。
だがそこで何かあれば、王家は間違いなく動く。
サリーナが知っていることは精一杯伝えたし、それぞれ対応策は考えているだろう。
それでも二人が絡めとられる想像をしてしまって、思わず唇を結ぶ。
「サリーナ」
名前を呼ばれて向くと、ルシオがほほ笑んでいる。
紫色の瞳を、真っすぐに見ることができない。
ぎこちなく反らしてしまう。
「不安だし心配だし、って顔してるよ」
サリーナはきゅっと手を握りしめた。
こういうときに、直球で突っ込んでくるところがルシオだ。
しかも当たっているので、言い返せない。
明日がどうなるのか不安だし、ルシオを含めて心配だし、何かあったらと思うと怖い。
「……すみません」
本当に大変なのはルシオであり、ルシオの父親だ。
自分は気にかけることしかできないのに、ぐるぐると考えてしまって嫌になる。
項垂れてしまったサリーナとは対照的に、ルシオは笑いそうになっていた。
ここで笑うのはさすがに悪いと思っているので押さえているが、引きつりそうである。
自分以上に、気にかけてくれていることが嬉しいだなんて、口が裂けても言えない。
そこに父親が含まれていることは不満だが、気にしないことにした。
はっきり言えば、サリーナがこんなに不安がっている理由もわかるので難しい。
あれこれと考えてはみたものの、どれだけ言葉を尽くしても、サリーナの心から不安や心配を取り除くことはできないだろう。
だったら、とルシオは切り替える。
「俺、頼りにならない?」
「え」
「そんな顔してるのは、俺が頼りにならないからかなと思って」
「ち、違います」
「じゃぁ、不甲斐ないとか?」
「そんなこと、決して!」
少しだけ眉を下げれば、勢いよく返事が返ってきた。
先ほどよりも、声に張りがある。
「思ったことなど、ありませんからね! 一度たりともありませんよ!」
「そうなの?」
「そうですよ、誓って!」
サリーナは、むしろ、いつもルシオを頼りにしている自覚がある。
ほころびがあればサリーナは王家に狙われる可能性があっても、ルシオは一緒にいてくれる。
そんな強い心が、いつもサリーナを勇気づけてくれる。
サリーナを婚約者だと譲らないルシオに、何度助けてもらっただろうか。
誰も手出しができないようにと、サリーナを婚約者として扱ってそばにいてくれる。
それが、どれほど嬉しかったことか。
「いつも私のことを気にかけてくださり、感謝しています」
「えぇ? 俺、そんなに何かしたかな」
「何度も支えて頂きました。私のために手を尽くしてくださったこと、忘れていません」
必死なサリーナは、身を乗り出して訴えてきている。
真っすぐな瞳は真剣で、胸の前で組んだ手が震えている。
「私の態度に問題があったことは、謝罪します。その、明日のことを考えると憂鬱になっていただけでして……申し訳ありません」
ぎゅっと口を閉じる。
言葉にすると申し訳ない気持ちでいっぱいになり、一度目を閉じた。
明日のことで忙しいルシオに、気を使わせてしまったことが悔やまれる。
「ルシオ様。私は、決してルシオ様に対して、そのようなことを思ったりなど、して、おりません」
語尾が消えていく。
精一杯の気持ちを口にしたものの、伝わっただろうか。
「それよりも、頼ってばかりで申し訳ない気持ちです。こうやって一緒にいてくださること、嬉しく思っています」
そろそろと顔をあげて、ルシオを見る。
何故か、ルシオは片手で顔を覆って俯いている。
視線すら合わない。
伝わっているのかどうか、いまいちわからない。
「ルシオ様……?」
「はい」
「その、ご理解頂けましたでしょうか」
そろそろと問いかけると、ルシオが盛大なため息をついた。
表情は相変わらずわからない。
ただ、背中が丸くなった。
「すみません、ダメージが大きすぎました」
「…え」
「この感覚、久々だなぁ」
「え?」
若干口調が遠いルシオに、サリーナは青ざめた。
ルシオの言う「ダメージ」が、頼りにしていないと思っていることだとしたら、全然伝わっていないではないか。
言葉が足りなかったのだと、とサリーナは震える口を開く。
「ルシオ様、ですから本当に」
「サリーナ、違います。十分、伝わりました」
声をあげようとするサリーナを遮って、ルシオは両手をあげた。
思っていた反応と違うことに、サリーナは目を丸くした。
「ルシオ様?」
「いや、ごめんね。ここまで言われると、さすがにね」
「……何が」
全く意味がわかっていないサリーナに、ルシオは特段説明する気はない。
先ほどまで不安そうに震えていたのに、今やその瞳が真っすぐにこちらを向いて、一生懸命に自分の気持ちを言葉にしている。
その熱が入った主張がすべてルシオに向いているなんて、正直なところたまらない。
ストレートすぎる言葉が、嬉しいやら恥ずかしいやら照れくさいやらで、思わぬ攻撃を受けてしまったが、それすら笑えてしまう。
おろおろしているサリーナを前に、ルシオは顔が緩みそうなのを必死で堪えた。
あそこまで言われてしまうと、さすがに表情を戻すのに一苦労である。
おまけに、ここで何かおかしなことを言ってしまったら、サリーナが元に戻りかねない。
「ね、サリーナ」
「あ、え?」
「ちょっと端に寄ってくれる?」
サリーナは、ルシオが立ち上がった気配を感じて顔をあげた。
ルシオはサリーナの返事を待つことなくそのまま隣に移動してきたので、慌てて端による。
ソファに腰を下ろして深呼吸をしたルシオが、口を開いた。
「俺、明日は精一杯頑張ります」
「はい」
宣言するような口調は、緊張のかけらもないほどいつも通りだ。
何だろうと思いつつ頷くと、ルシオがにっこりと笑って両手を広げた。
「だから、英気を養いたいです」
「え」
「ご協力を、お願いできますか?」
相変わらず手を広げたままのルシオが、楽しそうにサリーナを見ている。
サリーナの大きく丸くなった瞳が、ルシオと両手を行き来する。
ルシオが自分に何を求めているかがわかり、じわじわと体温があがる。
「駄目かな」
ルシオがふっと力を抜いたので、思わず体を小さく丸めながらルシオに寄せた。
頭上で、少しだけ笑った気配を感じる。
ずるい人だ。
駄目なんて、言うわけがないことぐらいわかっているだろうに。
ルシオの手が、背中に回った。
こんなもので英気が養えるのか疑問でしかないのだが、ルシオが望むのならそれでいいのだろう。
何かを言いたいのに、何も言葉が見つからない。
震えた唇が息を吸い込むと同時に、だんだんと頬が赤くなるのが自分でもわかる。
「あのさ、サリーナ」
「はい」
「もう一つ、お願いがあるんだけど」
サリーナの髪をゆっくりとルシオが撫でた。
指先で髪をすいて、流す。
「明日予定が無かったら、本店に来てよ。出来れば、夕方頃にはいてほしいなぁ」
「特にありませんので、お伺いすることはできるかと」
明日、ルシオと父親は王宮へ行く。
約束は昼過ぎからなので、夕方には戻ってくるだろう。
報告だろうか、と瞬くサリーナに、ルシオは「じゃあ」と楽しそうに言う。
「お昼過ぎに迎えに行くように、馬車を手配しておくね」
「お、お昼過ぎですか!?」
サリーナの声が、ひっくり返った。
お昼過ぎに本店に行ったとしても、ルシオどころか父親もいない。
そんなところで何をしたらいいのか、何も思い浮かばない。
うろたえるサリーナに、ルシオは「そう」と平然と返す。
「父さんにも店長にも話をつけておくから。俺の執務室にいてよ」
「え!? 執務室ですか? 私、ひ、一人ですよね!?」
「俺がいない間、好きに使っていいよ」
「な、えぇ!?」
さすがに予想外すぎて、言葉がでない。
他人の執務室でサリーナ一人、一体どういうことなのか。
執務室はルシオの仕事部屋だ。
見られたら困るようなものも、たくさんあるのではないだろうか。
「えぇと。ご報告でしたら、後日でかまいませんよ」
明日は想像以上に精神力も気力も使うと思われるので、早く帰って休んだ方がいいだろう。
正直に言えば、王宮での話は気にはなる。
だが、疲れている中で、わざわざサリーナのために時間を取ってほしいとは思っていない。
ルシオはもちろん、彼の父親の体調が心配だ。
慌てて告げると、ルシオがむっと口を尖らせた。
「その様子では、わかっていませんね?」
ルシオの若干低くなった声が、サリーナの耳元で響いた。
驚いて跳ねたサリーナの、首筋の髪が揺れる。
「待っててほしいって、言ってるんだけど」
柔らかい声音で、ルシオが笑う。
肩に、ルシオが頭を寄せた。
「明日、頑張ってくるから。待っててよ」
「え……」
「俺、ちゃんと、帰ってくるから」
とん、と一度、ルシオが柔らかく背を叩いた。
そこから温かい痺れが走っていくようで、目を閉じる。
ルシオは「ちゃんと帰ってくる」と口にした。
帰ってくるから待っていてほしいと、サリーナに告げた。
これは、約束だ。
「はい」
サリーナは、小さく頷いた。
ほんの少しの動きと声だったが、ルシオには伝わったはずだ。
回された腕に、ぎゅっと力がこもる。
温もりを感じたくて、サリーナは目を閉じて深く息を吐いた。
「お待ちしています」
「お願いします」
耳元で、嬉しそうなルシオの声がする。
その声を聞いていると、先ほどまで冷えていた胸の奥が温かくなっていくのを感じる。
本当に嬉しいのは、サリーナの方だ。
何があっても変わらないと、繰り返すルシオが大切だ。
ルシオの体温はサリーナより低いけれど、体を寄せているとやっぱり温かい。
「御武運を、お祈りしています」
小さく呟いた言葉が、ルシオに届けばいい。
明日なんか、こなければいいのにと一瞬思ってしまった。
ルシオの仕草や言葉の一つ一つが優しすぎて、信じているのに怖くなる。
大好きです。
とても口にできそうになくて、サリーナはルシオに頭を押し付けた。




