サリーナ、お礼に悩む 後編
温かいお湯のはったバスタブに体を沈めたサリーナは、ゆっくりと力を抜いた。
全身がほわほわと痺れる。
チェルシーのおかげもあり、ルシオへのプレゼントは買えた。
後は、渡すだけである。
「いつ渡せばいいのかしら」
学院では王家の影の目もあるし、プレゼントを渡すようなタイミングもない。
いきなり押し付けては驚かれてしまうだろうし、やっぱり落ち着いて渡したい。
ただ約束を取り付けるにしても、理由がない。
パフェを食べに行く約束が浮いているのでそれを理由にしてもいいが、店内で渡すのは気が引ける。
できれば落ち着いて話ができるところがいいし、プレゼントのことは秘密にして会いたいと思う。
加えて、あの文具店のこともルシオに伝えたい。
あの文具店の店主の魔法は、本当に見事だった。
そのままにしておくには、あまりにも惜しい。
魔法石も扱うコンラード商会は、今は所品物の売買しか行っていない。
それを専属でできれば、大きな力になるだろう。
魔法の付与は専門の部屋で行ったのでその腕はばれていないだろうが、王家の影が店の中の会話を傍受していたとすれば、店主が魔法を付与できることは伝わるかもしれない。
たいしたことのない情報だと素通りされる可能性が高いが、不安はある。
できれば早めにルシオに伝えておきたかった。
ゆっくりと湯船につかりながら、首から下げていたペンダントを見つめる。
今こそ連絡を取るときかもしれない。
しかし、完全な私用で連絡するのは気が引ける。
頭を悩ませていたサリーナは、胸元の宝石が光っていることに気づく。
光にかざすと、薄い紫色の奥が光った。
ルシオが連絡をしてきたのだ。
「どうしよう、えぇと……」
いつから光っているのだろう。
全く気が付かなかったので、待たせてしまっているかもしれない。
念のため、サリーナは石をくるっと回す。
鈍い音がして、周囲に防音用の魔法が貼られたことがわかった。
そのまま石をぐっと押し込んだ。
「……ルシオ、様?」
これで使い方はあっているはずだが、とそろそろと口元を近づける。
始めて使うので、ドキドキしてしまう。
少しだけ雑音がしてから「サリーナ?」とルシオの声がした。
「声、聞こえてる?」
「聞こえます、ご連絡が遅くなってしまって申し訳ありません」
「え? いや、それはいいんだけど……え」
「何かありましたか?」
「うん、まぁあったんだけど……」
慌てて謝るサリーナに対し、ルシオの歯切れが悪い。
連絡が遅くなって怒っているわけではなさそうなのに、様子がおかしい。
少し慌てているようにも取れるが、タイミングが悪かっただろうか。
「ルシオ様?」
「サリーナ、今、どこにいるの……」
「バスルームです。近くには誰もいませんよ」
「何っ、で、そんなところから連絡してくるかなぁ?」
「あの。今気がつきましたので、急いでご連絡した次第です」
メイドの存在を気にしたのか、と思ったが違うようだ。
ルシオの様子が本当におかしくなってきた、何が悪かったのか。
慌てて周囲を見渡したサリーナは、納得したように立ち上がる。
「すみません、声が反響して聞こえにくかったでしょうか」
「違っ……待って。いいから、大丈夫だから落ち着くから」
「すぐに出ます! もう少し後で、ご連絡してもいいですか?」
「うん、そうだね。そうしてもらいたいなぁ」
「急いで着替えますので!」
「いや、いいから!」
混乱気味のルシオなんて相当珍しいのだが、サリーナもそれどころではない。
「遅くてもいいからね!」とルシオが叫んだあとプツンと通信が切れ、周囲の魔法も消える。
ルシオを待たせてしまっている、とサリーナは急いでベルを鳴らした。
再度ルシオに連絡できたのは、大分遅くなってからだった。
入浴後すぐに連絡したかったのだが、髪の手入れやクリームなどを塗られ、時間がかかってしまったのだ。
いつものことではあるが「ルシオ様が待っているから急いで」とは言えず、サリーナは何ともやきもきすることとなった。
サリーナは、しょんぼりと肩を落とした。
「ご連絡が遅くなってしまい、本当に申し訳ないです」
「気にしなくていいから。遅くなってもいいって言ったの、俺だし」
「そうですが……」
ルシオのことだ、遅くなった理由ぐらいわかっているだろう。
向こうで苦笑したルシオが「あのさ」と口火を切る。
「急いで連絡してくれたのは嬉しいけど、今後はバスルームからはやめてね」
「はい、すみませんでした」
「声が反響したからじゃないからね、わかってる?」
確かめるように言われ、瞬いた。
バスルーム内は音が響くので、聞き取りにくいかと思ったが違うのだろうか。
「水の音がお邪魔でしたか?」
「……違います」
何故だかルシオの声が一段低くなった。
平坦な声音に、ルシオにがっかりされてしまったと焦る。
反響も水の音も違うのなら、何がいけなかったのだろう。
よくわからなくなってきた。
「ご説明頂けないでしょうか……」
ぎゅっと宝石を握ると、ルシオが何故か「ごめん」と謝ってきた。
意味がわからず顔をあげる。
「ルシオ様?」
「違う、サリーナが悪いわけじゃない。俺の問題だ」
「どういうことですか?」
「だから……その。いろいろ、あって」
珍しく言葉を濁したルシオが、言葉を切った。
どうしたんだろう、と待っていると「とにかく!」と強い声がした。
「今後は部屋から、落ち着いて連絡してくれたらいいから」
そのまま勢いよく言う。
本当にそれいいのだろうか、とサリーナは首を傾げた。
ルシオの問題ではないような気がするものの、それ以上口にするには圧が強い。
「今、約束して」
「わかりました、お約束します」
「絶対だよ」
強く念を押されたので、しっかりと頷いておいた。
これ以上はよくない気がした。
聞かれたくなさそうなことは聞かない、これは大切である。
「えぇと。それで、ご用事があったのでは?」
「あぁ、そう。そうだった」
少し疲れた声のルシオが、軽く息を吐く。
声のトーンが戻る。
「父さんが、できるだけ早急にサリーナと話がしたいって言っててさ」
「お父様、ですか」
「そう。しかも、俺抜きで」
サリーナは黙り込んだ。
ルシオの父親とは婚約をするときに顔を合わせて話をしたものの、それ以降はお互い遠くから眺めるだけだった。
コンラード商会に呼ばれるので受け入れてはもらえていると思ってはいるが、それ以上は、はっきりと線引きをされているのを感じていた。
その父親からのお誘いである。
「目的は、王家についての情報でしょうか」
「隙あらば聞き出そうとするだろうけど、かわしていいよ。判断はまかせるけど、父さんには俺にしか言わないって伝えてあるし」
「では、何故」
「サリーナの人となりを、自分で確かめたいんじゃないかな」
だからこそ、ルシオを抜いた二人で、ということなのか。
「あの人、できれば王家とつながりたいんだよ、商会としては当然だろうけど。だからこそ、サリーナをどうするのかを考えたいんだと思う」
サリーナは息を飲んだ。
コンラード商会が王家とつながるということは、後継者のルシオにもつながり、婚約者のサリーナにも近くなる。
それをふまえて、ルシオの父親がサリーナのことまで視野に入れているというのか。
サリーナの周囲には影がついているが、すでに王家から何か打診があったのだろうか。
婚約について何か言われたとしても、おかしくはない。
「王家と接触した可能性はありますか?」
「ないよ。今後を踏まえてってことだからね」
本当だろうか。
ルシオの父親とルシオの考えが同じだとは限らない。
感覚的に、ルシオの父親はサリーナをあまり好きではないような気さえする。
「俺の婚約者は、サリーナだよ。わかってるよね」
「……はい」
通信越しだというのに雰囲気を感じ取ったのか、ルシオの強い声が聞こえた。
サリーナは大きく息を吸い込む。
今はまず、ルシオの父親のことを考えることにする。
「人となりということですが、どのように確かめると思われますか?」
「フィゲロだと思う」
「……いい考えですね」
サリーナは思い出す。
フィゲロとは黒と白の駒を使った陣地を取り合うボードゲームだ。
主に王家を始めとする貴族の間で流行っている遊びだが、フィゲロは海外でも流行しているので外交にも使える。
商人であるルシオの父親がたしなんでいても、おかしくはない。
フィゲロは陣地取りなのでルールは簡単だが、その人の個性がかなり出る。
攻め方逃げ方、駒を犠牲にすること、守ることも含めて、かなり戦略的なゲームだ。
ボードを変えれば地形も変わるので、複雑さは増す。
「サリーナ、やったことはある?」
「ありますが、数回だけです」
「あれは男向けのゲームだからねぇ」
フィゲロは、どちらかというと男性のゲームとされている。
陣取合戦なので貴族の男子たちの嗜みの一つとして戦略を学ぶこともあるが、女性は知識として知っている程度でしかない。
女性が茶会の場で遊ぶこともあるが、大体は机を囲んで話をするので不向きなのだ。
あくまで遊びの範疇で行うので、勝ち負けというよりも会話しながら戯れるレベルで遊んでいる。
「お父様は、お強そうですね」
「まぁ、そうかも」
そういえば、とサリーナは思い出す。
どこかの人生で商人になったとき、ライバル関係だった大人のルシオとフィゲロとしたことがあった。
物凄く強くて素のままのサリーナでは何の手立てもなかったので、魔法でズルをしまくった覚えがある。
どこで鍛えたのかと思っていたが、あれは元々父親とやっていたのか。
「わかってると思うけど、勝ち負けは関係ないからね」
「はい……」
大人のルシオ相手には容赦なく魔法を使って勝ったこともあるが、今のサリーナにできることといえば実践を積むことぐらいだ。
しかもあのときの大人のルシオはゲーム最中にも平気で交渉を持ちかけてきていたので、おそらく父親も同様と思われる。
勝ち負けが重要ではない。
ゲーム最中に何があっても、落ち着いてゲームに向かう姿勢が大切なのだろう。
す、と息を吸い込んで背筋を正した。
「わかりました。お会いします」
「嫌なら断って良かったんだけど」
「それでは、前に進みませんから」
うんざりした声のルシオに少しだけ笑ってしまう。
心配をしてくれているのがわかり、力が湧いてくる気がした。
「精一杯、できることをします」
相手はルシオの父親だ、一筋縄でいくとは思っていない。
商人として生計を立てている人だ、相手を見極めることなど慣れているだろう。
ルシオが考えるように言う。
「次の休みって、一日時間ある?」
「はい、ありますよ。その日にお目にかかりますか?」
「父さんには午後から会えば十分だけど、朝一に迎えに行くよ」
「え」と瞬いたサリーナに、ルシオが少し笑った。
「午前中に、一緒にフィゲロやろうよ。練習相手になるから」
「個人的にはありがたい申し出ですが、ルシオ様に手を貸して頂くことになるので反則とか言われませんか?」
「反則にはなりません、対策です」
すぱんと言われ、サリーナは思わず笑ってしまった。
気にかけてくれていることが嬉しい。
「本店は父さんがいるから、支店になるけど……それでいい?」
「もちろんです、嬉しいです」
「嬉しいの?」
「はい」
即答すると、ルシオがおかしそうに笑った。
ルシオにはわからないかもしれないが、サリーナは嬉しい。
支店なら二人きりになれるだろうし、王家の影の目も届かない。
話が終わりそうな雰囲気を感じ、サリーナは慌てて「ルシオ様」と声をあげた。
伝えるのなら、今だ。
「とある文具店の店主について、お伝えしておきたいです」
「文具店の店主?」
「はい」
そこまで言って気付いた。
文具店の店主のことを伝えようと思ったら、何故その店に行き、どんな魔法を付与したかを話さないといけなくなる。
それはルシオのプレゼントに関わるので、できれば隠しておきたい。
「サリーナ?」
言葉を切ったサリーナを不審に思ったのか、ルシオの声が聞こえた。
どう言えばいいのか考えを巡らせても、いまいち浮かばない。
「どうしたの、大丈夫?}
「だ、大丈夫です」
「……何かあった?}
これまたよくない、ルシオにいらぬ心配をかけてしまう。
唸ったサリーナは、ゆっくりと口を開いた。
「チェルシーに教えてもらった文具店の店主なのですが、魔法の付与に関してかなりの腕をお持ちなんです」
「シュベルグ家の関係者?」
「違います。店を祖父から受け継いだという年配の男性なのですが、個人で経営されているようです」
「……個人」
ルシオの声のトーンが変わる。
興味を持ったのか「それで?」と続きを促される。
サリーナは、慎重に言葉を選ぶ。
小さな店であるが、庶民向けの立地と貴族向けの商品という組み合わせに違和感があること。
チェルシーが買い物をするぐらいなので、名のついた後ろ盾がいるのではないかということ。
店主の男は魔法を付与するための部屋も完備しているというのに、それを宣伝しておらず、むしろ隠している様子すらあるということ。
サリーナがシュベルグ家の人間だとは伝えてはいないが、試し書きで家名を書いたということ。
サリーナの両親には従者から話が伝わっている可能性があるが、サリーナからは何も話をしていないということ。
そして現在人手が足りているシュベルグ家は、おそらく動かないだろうということ。
王家の影は店内を盗聴していた可能性はあるので、店主が魔法の付与ができることは伝わるかもしれないこと。
ただ店主の腕前まではわからないので、そこから王家が出てくる可能性は低いこと。
一つ一つ伝えたサリーナは、一度口を閉じた。
向こうのルシオの様子を伺いながら、ゆっくりと問う。
「ご興味、ありますか?」
「……凄く」
ルシオの返事に、ほっとする。
興味をもってもらえたのなら、時間をとってでも伝えて良かったと思う。
「サリーナ、もう少し時間ある?」
「はい、ありますよ」
「店の場所が知りたい。地図持ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言いながら、向こうの音が騒がしくなる。
紙をバサバサしている音が聞こえた後、ルシオが「いいよ」と言う。
「えぇと、学校を出まして…………」
馬車に乗っていたとはいえ、ルートはしっかりと覚えている。
チェルシーが描いてくれた地図も思い出しながら、サリーナは文房具店の場所を伝えた。
ルシオは、すぐにコンラード商会としてその店主と接触する手配を整えるだろう。
あの店主の男がどう思い感じるかはさておき、間違いなく良い人材に間違いない。
「かなり助かるかも。ありがとう、サリーナ」
「良かったです」
ホッと息をはく。
無事に伝えることができて、力が抜けた。
「他に何かない?」
「はい、大丈夫です」
サリーナは頷いた。
プレゼントは、今度会った時に渡せばいい。
次の休みまでは少し日があるので、そのときには店主との話も聞けるだろう。
「明日には父さんから手紙が届くと思うから、待ってて」
「わかりました」
返事をしながら、笑みがこぼれる。
久しぶりに、心置きなくルシオに会えることが嬉しい。
フィゲロも練習しなくては、と前を向く。
「いつでも連絡してきていいからね」
「私の方こそ。何かあればご連絡くださいね」
「俺からの連絡は、落ち着いてから、部屋で折り返しだよ」
強めに言われて「わかりました」ともう一度伝える。
これはしっかりと覚えて守らねば、大変なことになりそうだ。
それからはお互い声を交わして、約束の確認をして通信を切った。
通信が切れたことを確認し、サリーナは服の下にネックレスをしまい込む。
立ち上がりベッドから降りて、棚を開けた。
「フィゲロ、かぁ」
取り出したのは、白い箱。
これは、サリーナが母から譲り受けたフィゲロだ。
隣におかれていた本は、ルールブックだ。
後ろの方には実践用のページもある。
「大丈夫かしら……」
不安は尽きない。
ベッドに入り、ルールブックを開いた。
明日父親に練習相手になってもらえないかと、声をかけると決める。
一応サリーナの父親は子爵なので、それなりに経験は積んでいるはずだ。
父親の時間を見て相手をしてもらおうと思い、サリーナはページをめくった。




