第八話 俺の何を知ってるんだよ
十四時十分からの環境整理では全員が寮へ戻り、実家からの荷物と支給品を整理の時間となった。そのため緊張を強いられることがなく、少しだけ気を休めることができた。
十五時四十分。ようやく、今日最後のカリキュラムだ。ホームルームと言っていたから、担任が来るのだろう。平沢たちがいるのは、本館二階の第一教場という教室だった。室内には三十人分ほどの机と椅子が並べられていたが、実際に席についているのは二十人に満たなかった。
ガラリ、と教室の扉が開かれる。小太りでメガネをかけた教官が室内に入り、教壇で学生たちへ向き直った。
「起立!……礼!」
学生たちが席につくと、緊張した面持ちで教官を見つめる。
「はい、ということでね。どうだった?今日一日。厳しかったよね」
学生たちの間から、さざめくような笑いが漏れる。
「⋯⋯うん。そうだよね。いまホームルームですからね、ちょっと気を抜いても大丈夫ですよ」
学生たちの間に緩んだ空気が流れる。平沢も警戒を解いて息をついた。
「それじゃあね、まずは自己紹介しましょうか」
教官は黒板に向かって名前を書き始める。
「佐久本輔と読みます。読みにくいですね。よく名前の読み方聞かれます。『すけ』ですか?なんて言われちゃったりしてね。年齢四六歳、妻一人、息子一人、犬一匹。経歴がですね、みなさんと同じ大卒で警察官になりまして、あ、宮城県警です。
もうみなさん知ってると思うけど、十年前に警察庁の組織改革に伴って、東北六県の警察学校が統合されましてね。東北方面警察学校として再編されたわけですが、私が卒業したのは、当時の宮城県警察学校でした。こことは別の、これがまたボロい建物でね。あ、その話はまた今度にしましょうか。
交番勤務四年、機動隊二年。機動隊の訓練がまたきつくてね。これからみなさん、警察学校の訓練を受けて『きついな』と感じるかもしれませんが、機動隊は比べ物にならないですね。体力のある人なんかは、逆に機動隊が一番楽なんて言ってましたけどね。
なんとか早く異動したいと思って一生懸命勉強して巡査部長試験に合格して、異動できました。みなさんも異動したいなって思ったら、試験に合格するのが一番手っ取り早いですよ。ね」
学生たちの顔には笑顔が浮かび、リラックスしている。
「それで異動した先は刑事課です。これがまた大変でね。巡査部長ですから、巡査の部下がつくんですよ。すでに刑事課何年かやってるね。こっちは刑事課の経験ないですから。指示出せるように、勉強がんばりましたね。わからないこと聞いて教えてくれればいいんですけどね、『見て盗め』なんて人もたくさんいましたから。
で、何年か刑事課で働いて、本部の刑事課に異動して。このときが一番大変でしたね。一年のうち休んだ日が片手で数えられるくらいでしたね。その時はもう警部補になってましてね、事件を解決するんだっていう責任感で、休む考えが浮かばなかったですね。今の時代では問題になりますよね。
そんな経験を経て、昨年からこの警察学校で教官をしてます。それじゃあ、みなさんも順番に自己紹介してもらいましょうか」
学生たちが順に自己紹介していく。この教場には、男子学生十三名、女子学生三名が在籍していた。平沢と同じく県外出身の学生は五人。学生数が少ないのは、採用数が限られていた秋採用試験の合格者たちだからだろう。これからともに支え合って学ぶ仲間たちだ。早く名前を覚えなければ。
全員の自己紹介が終わると、教官室への入り方や挨拶の作法、日直の割り当て、一日の時間割などについて説明を受けた。とにかく覚えるべきルールが多く、慣れるまでは苦労しそうだった。
十七時、チャイムが鳴る。これから急いでジャージに着替え、グラウンドへ向かう。ジョギングをするためだ。寮室で着替えてからグラウンドへ出ると、日が沈みかけていた。
しばらく走っていると、制服の学生が国旗掲揚されているポールへ近づいていった。そして、君が代が校舎に鳴り響く。走っていた高卒枠の学生たちが立ち止まり、国旗に向かって敬礼の姿勢を取り続けた。見様見真似で平沢たちも立ち止まり、敬礼する。直前まで走っていたせいで、息が上がっていた。
国旗の下にいる制服の学生が、ポールから垂れ下がった紐を引き、国旗がするすると下がっていく。君が代の曲が終わると同時に国旗が人の背丈まで下がり、制服の学生は紐を解いて国旗をたたむと、校舎の方へ走り去った。
敬礼を解いてジョギングが再開される。すっかり日は沈んでいた。十七時四十分頃になると、走っている学生が減ってきたので、平沢も男子寮へ戻った。
「あ、平沢さん遅ぇよ。もう待ちくたびれたよ」
「お、平沢さんおかえり。随分走ってたね」
またテーブルの上に座っている古謝と、早口の広野に声をかけられる。⋯⋯っていうか、人数多いな。もしかして、ホームルームにいた男子学生全員が集まってるのか?
「え?みんないつ戻ってきたの?」
「『君が代』鳴ってたじゃん。あれ終わったらもういっかと思って戻ってきた」
古謝がニヤリと笑う。
「そんな早く?まじかー……」
「平沢さん、それよりこれ見てよ。元気出るから」
「ん?ごめん名前なんだっけ。ていうか、みんなもう名前覚えたの?早くない?」
「俺、仁平崇徳。ほら、これ」
仁平は一枚の写真を見せてきた。幼稚園前に入る前くらいの子どもが、仁平に肩車をされている写真だ。
「もういいよ、仁平さん。何回見せんのさ、それ」
そう窘めたのは、確か小向だったか。背が高くて体格が良く、メガネをかけている。メガネの奥で大きな目がキラキラと輝いているように感じる。まつげが長いからだろうか。
「何回見せたったっていいだろ!?こんなストレスかけられてんだから、癒やしは必要だって。スマホも取り上げられてさぁ」
「俺の息子のほうがかわいいって言ってんの!」
仁平と小向が争っていると、武道家みたいな戸嶋が止めに入る。
「二人とも落ち着けって。子どもがかわいいのはわかったけど、一番になれない。それはしょうがない。すまん、俺の娘が一番かわいい」
「よし、わかった。決着つけるぞ。お前ら表に出ろ」
小向に促されて三人は寮室を出て行った。
「平沢さんもけっこう年いってるけど、結婚しないの?」
ハスキーボイスの綿貫の言葉になんとなく反感を感じつつ答える。けっこう年いってるってなんだ。たしかに年上だけど。
「結婚向いてないっていうか、誰かと一緒に暮らしたいとか全然思わないんだよね」
「あー、そんな感じする」
「俺の何を知ってるんだよ」
そんな会話をしているうちに、もうすぐ十八時になりそうなので、清掃に向かう。
この日は、衣装ケースが並べられていた正面玄関ロビーの清掃を担当するよう指示を受けていた。ロビーの床は、細かい凹凸のある石のような材質でできており、等間隔で大理石のようなツルツルの面が配置されている。その大理石を踏んで掃除していた学生が教官から叱責を受けていた。歩くときも踏んではいけないらしい。
この小説内では警察庁の組織改革に伴って東北六県の警察学校が統合されたことにしています。
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