第五話 もうあんたが指示してくれ
平沢たちが食堂へ着くと、すでに二十名ほどの学生が集まっていた。白いライン入りの黒ジャージ姿から、ひと目で同期の学生だとわかる。
食堂内には横長のテーブルがずらりと並び、それぞれのテーブルには八脚ずつ椅子が裏返されて重ねられていた。数が多すぎてわからないが、ざっと見て三百名ほどは収容できそうだ。
カウンターの奥では調理師たちが食事を用意しており、肉じゃがに似た食欲をそそる香りが立ちこめている。物珍しげに食堂内を見渡していると、黒ジャージ姿の学生たちが次々とと集まってきた。
チャイムが鳴る。警察学校でも普通の学校と同じ音だった。奥の柱に据え付けられた大きな壁時計を見ると、時刻は十一時三十五分を指している。
やがて階段を登って、教官が一人食堂へ入ってきた。朝、竹刀を手にして凄んでいた教官である。その教官は学生たちを見回すと、まっすぐ平沢に近づいてきた。
「お前」
声をかけ、平沢の左腕に目線を移す。ジャージの左腕には、名前が刺繍されている。
「平沢、全員に指示を出して食事の準備しろ。お前ら、この平沢の指示に従って動け」
頭の中が真っ白になった。混乱したまま「はい」と返事をする。何から手をつければいいのか、まるでわからない。それでも、まず椅子は降ろすべきだと判断する。
「ぜ、全員、自分の座る席に集まってください」
学生たちは顔を見合わせながら、ゆるゆると動き始めた。全員がテーブルについたのを見て、
「全員、テーブルの上の椅子を降ろしてください」
不安を押し隠しながら出された指示を受け、学生たちはガタガタと音を立てて椅子を降ろし始めた。
次は何だ。何をすればいい。食堂の中を見回す。カウンター近くの柱の脇に、身の丈ほどある大きな金属製のキッチンワゴンを見つけた。近づいて確認すると、皿やボウルなどが入っているようだ。
なんだか地面の感覚が乏しい。硬いフローリングの上を歩いているはずなのに、柔らかい地面を踏んでいるような錯覚にとらわれる。
「全員、一枚ずつ皿を取って、カウンターから食事を受け取ってください」
平沢がそう指示を出すと、
「先に手ぇ洗え!食中毒起きるぞ!考えて指示出せ!」
容赦なく怒号が飛ぶ。他人から怒鳴られる、という経験は少ない。心にズシンと響いて、精神が削られていく。
「あ、はい。全員、……手洗い場どこだ。あれ?」
平沢は混乱し、言葉が詰まる。すると、戸嶋が助け舟を出す。
「平沢さん、奥に手洗い場ある」
指さされた先には、トイレが見える。その隣にある手洗い場の存在にも、遅れてようやく気づいた。
「あ!ありがとう。全員、奥の手洗い場で手を洗ってから戻ってきてください」
学生たちが一斉に手洗い場へ急ぐ。
「食堂で走るんじゃねぇ!怪我するぞ!」
教官が間髪を容れず叱責する。ほんの少しだけ時間ができた。手洗いは最後にしよう。平沢はキッチンワゴンを再び覗く。箸、スプーン。これはすぐに配れる。湯呑み。お茶が用意されているのだろうか。カウンターに目を移すとポットが置かれている。あれかもしれない。
最初に手洗いを終えた学生たちが戻り始める。
「それでは、戻ってきた人から、箸入れを持ってテーブルに箸を配ってください!」
再び教官が口を出す。
「テーブル拭く前に箸を置くんじゃねぇ!食中毒を起こすなってさっき言ったぞ平沢ァ!」
〈くそ。正解はなんだ。もうあんたが指示してくれ……〉
内心で毒づきつつも、平沢はテーブルクロスを見つけた。
「はい!テーブルクロス⋯⋯乾いてる。ので、えーと、手洗い場で絞ってから水拭きをお願いします!」
声に力が入らない。だが腹の底力を振り絞り、勢いでごまかすしかない。罵声を浴びれば浴びるほど、気力が萎えていく。集中しないと。
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