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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
百年越しの一歩

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蟲以下の卒業

 翌朝。

 腕がだるい。パラサイトを一匹、術式の中で動かし続けるのは、バグ・スウォームを千匹飛ばすより地味に消耗するんだ。指を握り直すたび、昨日の名残が筋肉の奥でくすぶっている。

 ……それでも、今日はギルドに行かないといけない。

 先生には「明日、会う予定」と言った。

 ——期限も告げずに黙って待つのは気遣いじゃない。そう言われて、ちゃんと聞くと答えたのは私だ。だから、こっちから捕まえに行く。



 ギルドの扉を押す。革鎧の匂い。掲示板の人だかり。いつものロビーだ。

 朝早い時間帯のせいか、依頼の取り合いはもう一段落している。

 セリアは、まだ来ていない。いつもは向こうが先にいる。今日は私の方が早いらしい。

 ……待つ間に、掲示板でも眺めておくか。



「——おい、聞いたか? セリアンディエル様、Sランクの打診が来たらしいぞ」


「マジかよ。やっぱりルミナリエルフはすげぇ……」



 入口の柱の陰で、若い冒険者二人が小声で話していた。

 ……へえ。本人から聞いてないけど。

 依頼票をめくる指の関節が、ぎし、と鳴った。

 ……昨日のが、まだ抜けてない。

 次の一枚に手をかけて——背後で、扉が開いた。

 振り返ると、セリアがいた。

 目が合う。



「あ、セリア。迷宮の話なんだけど……いい?」


「……」



 セリアは無言で視線をこちらに寄越し、奥のテーブルへ歩き出した。ついてこい、ということだろう。

 人気の少ない隅の席に座る。

 ……切り出す前に、一つ確かめておきたいことができた。



「その前に。さっきロビーで、噂を聞いたんだけど」


「……」


「Sランクの話って——本当?」


「……打診はある」


「マジか、すごい——」


「……あとは、実績次第」



 セリアは、短く切って言った。



「実績? もう十分じゃないの?」


「……まだ足りないらしい」



 ……本人が言いたくないなら、掘らない。

 ——それより、本題だ。



「あのさ。私、虚ろの迷宮に行く。もう決めた」



 セリアが、こちらを見た。



「先生には話してある。協会の長期任務も、断ってきた。出発は早ければ明後日、遅くてもこの一週間のうちに」



 言いながら、指を折っていた。日を決めて、伝えて、答えを聞く。順番は、先生に言われた通りだ。



「……ついてきてくれない?」


「……」


「それに……Sランクに上がりたいんでしょ? 実績って、ああいう場所のこと言うんじゃないの?」



 言ってから、さっき掘らないと決めたばかりなのを思い出した。

 セリアは、テーブルの木目を見ている。返ってこない時間が、思っていたより長い。

 ……あの日、「あなたを帰すために?」と聞かれた。私は、うん、と答えた。

 返ってきたのは、「考える」だけだ。理由なら、分かってる。

 分かっていて、日付を置いた。



「……私が行かないと言ったら」



 息を吸いかけて、止まった。

 答えは、決まっている。決まっているから、言いたくなかった。



「護衛を雇うか、別のAランクに頭を下げる。……どっちにしても、行く」



 顔を上げる。

 テーブルの上で、セリアの手が、一度、握られた。



「……付き合ってほしいことがある」


「……え?」


「一度、やっておきたい」


「やるって、何を」


「……手合わせ」



 ……いや、返事。返事はどこ行った。

 手合わせ次第ってことか?



「あの……先生にも同じようなこと言われて、昨日さんざん絞られたんだけど」


「あなたの師も私と同じ気持ちなのかもしれない」


「どういう気持ち!?」



 最初に模擬戦を仕掛けてきたのは、セリアだった。次は私から挑んで、返事は「いいよ、暇だし」。

 そして今日は、またセリアから「付き合ってほしい」だ。



「……いいよ。やろう」



 先生は「腕は、見た。文句はない」と言った。セリアは——どう評価するんだろう。前回は「蟲以下」。今回は、せめて蟲以下は卒業したい。



「場所どうするの? ……それなりに広いとこ、要るよね」


「……どこでもいい」



 ……「どこでもいい」って言われると、困るんだけど。

 大丈夫。場所には、ちゃんと当てがある。緑に囲まれた、広い庭のある、静かな家。人目を気にせず戦える、いいところだ。

 あそこしかないな。



「ついてきて」


「……どこへ」


「ちょうどいいところ」



 ギルドを出て、表通りから裏路地へ入る。坂を上がり、生け垣に沿って歩く。

 途中から、セリアの視線が、道の先と私の顔を何度か往復した。見覚えのある道だと気づいたらしい。それでも、何も言わずについてくる。



 ——で。

 ソロンの家に着いた。

 木戸を押すと、庭は昨日の戦闘で掘り返されたままだ。色の違う土が、あちこちに残っている。

 台所の窓からは、湯気が漏れていた。今日も揚げ物だな、たぶん。



「……まさか、ここでやるの」


「広さも地形も確認済み。せめて地の利くらいは欲しいと思って」


「……あなたの師の家を、勝手に演習場扱いするの」


「昨日も使ったし」


「昨日は、あなたの師から仕掛けたのでしょう」


「先生には事後報告しておけば問題ない」



 セリアが、数秒黙った。



「……人間の図太さは、エルフには真似できない」


「……エルフの執念深さも、人間には真似できないんじゃない?」



 刺し返した、つもりだった。

 セリアの口の端が、ほんの少し上がっている。



 ……さて。

 無言で髪を後ろに払って結び直し、袖の留め金を確かめる。最後に、ポケットのアルミ玉へ指を触れた。

 セリアは黙って見ていた。

 目が合う。

 すぐ逸らされた。

 ……何だ。準備、遅かったか。



 向かい合う。

 セリアは、最初から剣に手をかけて構えている。

 ……前回は腕組みだったのに。それだけで「同じ土俵」って認めてくれてる気がする。いや、自意識過剰か。

 頭の中で、ノートを開く。「対セリアンディエル戦略・改」。

 手合わせとはいえ、セリアが本気で私を殺しにくることはない。でも、勝負で手を抜いてくれる相手でもない。

 バディを組んでから、セリアの戦い方は隣で散々見てきた。詠唱らしい詠唱はない。剣を抜く動きは見えない。剣と魔法の併用。——そして向こうも、私の手の内は知っている。

 正面からぶつかって、実力で勝てる相手じゃないことは承知だ。

 でも、昨日、初めて形になったパラサイトは知らない。魔力で組まれた構造へ潜り込ませ、内側から崩す蚊だ。

 二群も、まだ見せていない。前の合同依頼では合流してしまったけど、昨日は先生の前で、別々に動かせた。

 二群で対抗魔法を引き出す。そこへパラサイトを入れる。

 過去二回、私の蟲は一匹も届いていない。今日こそ、一匹でも届かせる。

 剣の間合いに入ったら終わる。距離を保ったまま、どこまで崩せるか。



「いつでもどうぞ」



 セリアが言った。



 動いた。

 左に、バグ・スウォーム。右に、氷蜂(フロスト・バグ)。五百ずつ。

 火の群れが左から、氷の群れが右から、セリアへ向かう。

 ——今日も、割れたまま飛んでいる。よし。

 セリアが剣の腹で、左の火を払った。返す刃が右へ回る前に、氷がその腕へ迫る。

 セリアが、一歩退いた。

 ……退いた。前は、ためらいなく前進してきたのに。

 ——剣は、もう間に合わない。

 セリアの左手が、氷へ向いた。指先が、わずかに開く。

 ——来た。前回、バグ・スウォームをまとめて消した、白い光。

 二群を手放して、蚊の形に組む。掌から光が広がった瞬間、パラサイトを光の根元へ放り込んだ。入れ、と念じる。

 氷の群れを呑むはずだった光が、端の方だけ、ふっと途切れる。

 手放した氷蜂が、勢いのまま、その切れ目を数匹すり抜けた。

 セリアの袖口に、ぴしっと白い霜が咲く。

 セリアの動きが、一瞬だけ止まった。



「……何か、入ってきた」



 短い呟き。普段の「別に」より、音が硬かった。

 ……効いた。



 でも、それだけだった。

 セリアが剣に光を纏わせ、左手の前に残った白い光ごと薙いだ。パラサイト一匹分の手応えが、ぷつ、と消えた。——焼き切られた。

 次の瞬間、距離が一気に詰まる。後ろに飛ぼうとして——セリアが、視界から消えた。



「——」



 背後。まずい——。

 振り返る間もない。すぐ後ろで、剣が地面に落ちる音がした。

 脇から伸びた腕が、腹の前へ回り、右手首を掴む。そのまま手首ごと腹に押さえつけられた。魔法を操る手が、動かせない。

 肩をひねって、抜けようとした。



「……動かないで」



 もう片方の腕が、肩越しに胸の前へ回る。二本の腕に上半身を抱え込まれ、背後へ引き寄せられた。

 セリアが、私を抱えたまま少し身を屈める。白金の髪が、頬に触れた。



「……捕まえた」



 耳元で、低く。

 ……は? えっ、ちょっと、何。

 背中に、セリアの体温。セリアの呼吸が、耳の後ろ——うなじにかかる。心拍が、跳ねた。

 ——名前のつけられない匂い。この距離で嗅ぐのは、九層と、それから——。

 ……何でこんな時に思い出すんだ。

 息が、浅い。意識して吐こうとして、うまく吐けなかった。

 それでも、セリアの腕は緩まなかった。

 喉の奥が、締まった。

 ……動けないんですけど。

 背後を取られたのだから私の負け……なんだよな?

 模擬戦の終わり方ってなんだっけ。あの時、喉元に当てられたのは、冷たい金属だった。

 ……でも今は、セリア……剣捨てたよな?

 今、当てられているのは、体温だ。

 胸元に回った腕の力が、ほんの少しだけ強くなった。すぐに、ふっと緩む。

 拘束が解けた。背後で、剣を拾い直す音がした。



 数秒、沈黙。



「……あの」


「……何」


「これ、勝負ありってこと?」


「……動けなくなった方の、負けでしょ」


「いや、それは分かるんだけど。戦闘の一手として、『抱きしめる』ってアリなの?」


「……知らない」


「知らないんかい」



 セリアは、少しだけ顔を逸らした。

 二群にパラサイト。使える手は全部組み合わせた。想定できなかったのは、こういう手だ。

 負けは、負けだ。



「……初めて見る魔法」



 セリアが、剣を鞘に納めながら、ぽつりと言った。



「……えげつない」


「えげつないが感想ですか……」


「魔法構造に潜り込むなんて、品のない発想」


「……自覚はあるよ。先生にも、悪役みたいだって言われた」


「……」



 セリアが、ふっと息を吐いた。鼻で笑った——ような気がする。



「……蟲使いらしい技」



 腰に手を当てて、息を整えた。

 ——とはいえ、届いた。一手だけでも、確かに届いた。



「どうだった? ……ちょっとは戦えるようになったと思ったんだけどな」


「そうね……蟲以下、から——」



 セリアが言いかけて、一拍空ける。

 ……来た。あの「まだ蟲以下」の更新版が。これが今日の答え——。



「……蟲になった」



 ……蟲になった、ってどういうことですか。



「人間なんですけど。蟲にしないでもらっていいですか」


「……あなたの称号は、ずっと蟲でしょ」


「『使い』! 『使い』が抜けてる! 肩書きが激変するんだけど!」



 セリアは何も言わずに、剣帯の位置を直した。

 でも、肩が、ほんの少しだけ揺れていた。



「……セリア」


「……何」


「迷宮、一緒に行ってくれる?」



 セリアが、こちらを見た。

 数秒。



「……当然。バディだから」



 短かった。いつもと同じ、平らな声だった。

 なのに——音が、ほんの少しだけ違って聞こえた。

 指先が、少し冷たい。気づくと、ポケットの中のアルミ玉を、ずっと撫でていた。

 風が、掘り返された庭の土の上を渡っていった。



「お主たち——!!」



 家の扉が、勢いよく開いた。

 油じみのついた前掛けのソロンが、菜箸を片手に出てくる。



「お主——昨日使ったからといって、勝手に庭で始めるな!!」


「先生、安心してください。何も壊してません。私が負けただけです」


「セリアンディエル様……」



 声音が、変わった。

 お説教をしようとしていた口が、一度閉じる。前掛けの紐を、無意識みたいに結び直していた。

 セリアが、短く頭を下げた。



「……無断使用は詫びます」



 ソロンは数秒、セリアを見ていた。それから、短く頷いた。



「……まあ、柵も塀も無事なら、構わんが。チップスの油温が下がる前に戻らねばならん。……食っていくか」


「……今日はいいです。心臓が、まだ戦闘中なので」



 誘うだけ誘って、もう背中しか見えない。

 ——あ、そうだ。

 セリアからの正式な返事が、さっき出たばかりだ。先生に伝えないと、推薦状の話が進まない。



「先生、それと——」


「ふむ」


「迷宮の話、ちゃんと片付きました。よろしくお願いします」



 ソロンが、菜箸を持った手で軽くひらりと振った。

 戸が、ぱたんと閉まる。

 これで推薦状は確保した。

 ギルドの受注も、装備の買い足しも、明日一日あれば足りる。

 ——なら、早い方で行こう。



「セリア。明後日の朝、出る。ギルドの前で」


「……分かった」



 ソロン宅をあとにして、街への帰り道。

 セリアが、隣を歩いている。石畳に、揃った足音が二つ。



「……やっぱり、セリアは強いよ」



 横顔に向けて、言った。



「……知ってる」



 短く、返ってきた。

 数歩、無言で歩く。



「……あなたも、強くなった」



 足が、一拍だけ止まった。

 ……今、はっきり褒められた。「蟲」じゃなくて、「あなた」って。



「……明日、時間ある?」



 不意に、セリアが言った。



「あるよ」


「……話しておくことがある」



 セリアの目は、石畳の先から動かない。

 ……作戦会議か。



「……分かった。どこで?」


「……私の宿の屋上。月が出ている時間に」



 ……作戦会議なら、ギルドで済む。屋上で、夜に。何を話すつもりだろう。


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