内側の閂
翌日から、村の警戒は段違いになった。
村人は元々、立て続けの失踪で、夜を恐れていた。それでも、魔法協会員が四人も来てくれたことで、少しは肩の力を抜けていたはずだ——だが、私たちが来てなお、ダリオは消えた。
やれることからやる。壁の補強、見回りの強化、夜間外出の禁止。畑仕事は日が高い間だけ。
——応急処置だ。根本的な原因は、何も分かっていない。
つい先日まで、四人で焚き火を囲んでいた。ユーゴがまっすぐに志を語り、フィーネがぼそりと「お金です」と答え、キリヤがそれを目を細めて聞いていて——いいチームだと思った。あの空気が、もうどこにもない。
ユーゴがトールの家に行った。戻ってきた時、顔が険しかった。
「トールを守ります。俺、夜は家の周りで見張ります」
声が震えていた。拳を握りしめたまま、まっすぐこちらを見ている。
——守りたいんだな。本気で。
腹の底が重くなる。私だって、被害は出したくない。でも、ユーゴと同じ温度で返す言葉が、出てこない。
「ユーゴ、一旦落ち着こう」
「落ち着いてます」
「落ち着いてない。目が血走ってる」
ユーゴが私を見た。
「ユズリハさんは、冷静でいられるんですか。ダリオはまだ見つかってない。次は誰が消えるか分からないんですよ」
「うん、分かってる。だからこそ冷静に——」
「冷静でいられるわけないじゃないですか!」
ユーゴの声が、広場に響いた。何人かの村人が振り返った。
「友達が消えてるんですよ! トールの幼馴染が! ついこの前まで一緒に畑にいた奴が、いなくなったんですよ!」
私は、何も言えなかった。
ユーゴの言う通りだ。次に消えるのが誰か、分からない。怖い状況だ。
——でも、ユーゴほど痛くない。
同じ場所にいて、同じものを見ているのに。
「……ごめん」
謝った。ユーゴに対してではなく、自分の無力さに対して。
ユーゴは、ふっと力を抜いた。
「……いえ。すみません、怒鳴って」
「いいよ。人が消えてるんだから、怒って当然だよ」
「ダリオをさらった奴に、怒りはないんですか」
口を開きかけて、閉じた。
——怒っている? 私は?
「……怒ってるよ。たぶん」
断言できなかった。
怒っているのか、焦っているのか、怖いのか。自分の感情が、よく分からない。
いつからだろう。自分の感情に名前をつけられなくなったのは。
宿の入り口で、フィーネが待っていた。広場の騒ぎが、ここまで聞こえていたのだろう。私が戻ると、黙って隣に座った。
「聞こえていました」
「……そっか」
「ユーゴの怒りは正しいと思います」
「……うん」
「あなたが冷静なのも、正しいと思います」
——え? 正しい?
「……それ、誉め言葉?」
「いえ。観察です」
息が、一拍止まった。
フィーネが、少し間を置いて言った。
「あなたが冷静でいられるのは、まだこの村の痛みが自分のものになっていないからでは」
心臓を掴まれたような感覚があった。
息を吐く間、言葉が出ない。視線をフィーネから外せなかった。
——図星だ。だから返す言葉がない。
——角ウサギで号泣した日が浮かんだ。魔物でも、命に涙を落とした。あれから、似たような場面でも、泣かなくなった。魔物だと割り切った。慣れた、強くなった、と片付けてきた。
違うのかもしれない。きっとまっすぐ見ると痛いから、見ないでいただけ。
傷つきたくないから……無意識に、蓋をしてきたのかもしれない。他人の命にも、自分の命にも。
「……否定はしない」
「私もそうです。似たもの同士ですね」
フィーネの声に、自嘲が混じっていた。
初めて聞く声の色だ。
「私も、怒るべき場面で怒れない人間です。論理で処理して、感情は後回しにする。便利ですが……時々、自分が何を感じているのか分からなくなります」
「……それ、すごく分かる」
フィーネが、眼鏡を指で押し上げた。
「でも、ユーゴは違う。あの人は感情で動ける。それは弱さではなく、強さです。私たちにはない種類の」
フィーネが、私の目を見た。
「ただ——私たちにも、強さはあります。感情で揺れずに、考え抜く。組み立てる。今、必要なのはそちらです」
そうだ。感情で動けないなら、頭で動く。それが私のやり方だ。
昨日の洞穴。衣服だけが残されて、体はない。あの液体は私の魔力を一瞬で消した。殺すためではなく、連れ去っている——その先が、まだ見えない。
なら、今やるべきは別のことだ。条件は昨日のうちに整理した。連れ去り、相手は頭を使う、村人を選別している——そこまでは固い。
だが、誰が次に狙われるかは絞り切れない。条件に合う若い男は、村に他にも何人かいる。
フィーネに共有して、見落としを潰す。
「フィーネ。昨日のうちに整理した条件がある。突き合わせていい?」
フィーネが顔を上げた。目の色が変わった。
「ええ」
「四人とも若い男。夜に消えている。足跡は途中で途切れる——引きずられた跡はなし。自分の意思で歩いた、と見える」
「呼び寄せられている可能性がありますね。あるいは、抵抗できない状態にされている。どちらにしても、相手は頭を使っている。獣ではない」
「同感。条件に合う若い男、村に何人いる?」
「五人です。トールを含めて」
五人。一晩で全員を守り切れるだろうか。
村の入り口だけ固めても意味がない。犯人は入り口を通っていない。
「分散させよう。一軒ずつ、家の近くに張り付く。今夜だけじゃなく、数日かけて様子をみる」
「キリヤさんに通しましょう」
キリヤに相談した。見張りの配置を変えたい、と。
考える。住民は警戒している。普段なら夜に外へは出ない。それでも、ダリオは畑から森へ、自分の足で歩いていった——出る理由のあった畑から、出る理由のないはずの森の奥へ。
つまり、本人の意思とは別の力で、外に出された。操られたか、呼ばれたか、誘導されたか——形は分からない。
第一条件は『家から外に出さない』こと。意思に任せず、物理的に止める。
魔法で相手を操作するには、接触が要ることは知っている。接触を作らせなければ、操作は始まらない。家の周りを固めて、術者が家へ近づく動きを早めに察知する——そういう読みだ。
いつ動くかは読めない。だが、分からないからこそ張る。これ以上、被害を増やすわけにはいかない。
「ユーゴはトールの家に。本人がもう決めてる。残り四軒を、フィーネ、私、キリヤさんで分担。入り口も交互に見る」
「……なるほど。いいだろう」
キリヤが静かに頷いた。
——やれることはやった。穴がないとは思わない。四人で村全体、手が足りているとは言えない。
でも、昨日よりはマシなはず。そう思いたかった。
夜。キリヤと二人で、村の中を巡回していた。
ユーゴはトールの家、フィーネは別の候補家、私とキリヤは入り口と空いた家を交互に。
巡回の合間、入り口で足を止めた。村人が絶やさず守っている焚き火が、ぱちりと弾けた。星が綺麗だった。風が冷たい。
「ユズリハ君」
キリヤが、火を見つめたまま言った。
「君の魔法、もう少し近くで見たいと思っていたんだ。……どこで身につけた?」
何気ない口調だった。
「……ソロンには魔法の基礎を教わっただけです。応用は自分で」
「なるほど。独学か。……それにしては、組み立て方に迷いがない」
キリヤの紫水晶の瞳が、炎を映して深く揺れた。
声色は変わらない。でも、目の奥に好奇心がある。
「今回の任務中、何度か君の魔法を見せてもらったが——面白い。試験の時に見たものから、随分こなれてきたね」
「そうですかね?」
——まあ、ギルドで実践を積んできた。新魔法も開発した。戦法の幅が広がっている自覚は、ある。
「短い間で、これだけのことを。——きっと君は、もっと伸びるよ」
——もっと伸びる。その根拠は何だろうか。
「……買いかぶりです」
「そうかな」
キリヤが微笑んだ。
「ソロン様が協会を退かれて久しい。……あの方の弟子がどう育っているか、気になっていたんだ」
話題はそこで終わった。
キリヤは再びいつもの表情に戻り、薪を足した。
焚き火の音を聞きながら、頭の中でもう一度、昼間の分析を回す。
若い男。村の人間。夜。条件は整理した。対策も立てた。理屈の上では、押さえている。
——なのに、喉の奥がざらつく。何かが、輪郭の外側にいる気がする。
考えを巡らせていると、ふいに——村の奥で、叫び声が上がった。
ユーゴの声だった。
「トール!! トール!!」
ユーゴがトールの名を叫んでいる。——何があった。
私とキリヤが同時に立ち上がった。声のする方へ走る。
家の前で、ユーゴが叫んでいた。家の中からトールの家族が出てきた。母親が泣いている。
足が、止まった。
「トールが——トールがいない!」
ユーゴが私に振り向いた。
顔が真っ白だった。
「家の周りを、ずっと見張ってたんです。誰も入ってない。窓が開いてるのに気づいて、慌てて中を見たら——トールがいなくて……」
窓が開いていた。夜風が、カーテンを揺らしている。
窓の閂は内側にしかない。外からは開けようがない造りだ。
——トールが自分で閂を外して、自分で出ていった。……自分の意思なら、なぜわざわざドアを使わずに窓から出ていった。
誘い出されたか、操られたか。だが、ユーゴは誰の接近も察知していない。誰も近づかないまま、トールは家の中から出ていった。
……ということは、接触はもっと前に済んでいたということか。
操作には接触が必要——その前提は、間違ってない。間違っていたのは、『接触はその夜のうちに起こる』と決めつけたことだ。今晩を見張っても、もう遅かった。
トールが消えた。
喉の奥が、きゅっと締まった。
——分析した。予測した。対策も立てた。それでも、トールは家の中から消えた。
今度は、ユーゴが守ると誓った少年だ。ユーゴが、開いた窓を両手で掴んだ。
指が白くなるほど、強く。
「俺が……俺が見張ってたのに……」
その声は、叫びではなかった。絞り出すような、自分を責める声だった。
——配置の前提は『接触はその夜のうちに起こる』だった。だから、その晩に術者が家へ近づくのを止めれば足りる、と読んだ。
でも、接触が事前に済んでいたなら——その夜にいくら見張っても、もう手遅れだった。外で接近者を待ち構えていたユーゴに、止めようがない。
——ユーゴのせいじゃない。
フィーネが駆けつけた。状況を見て、息を飲んだ。しかし一瞬で表情を引き締めた。
「追いましょう。まだ遠くには行っていないはずです」
キリヤが首を振った。
「夜の森は危険だ」
「でも——」
「明日の朝、全員で捜索する。今動けば、二次被害が出る可能性がある」
「また明日ですか!?」
ユーゴが振り返った。目が赤い。涙ではない。怒りだ。
「昨日も明日と言った! 明日になったら、ダリオは見つかりましたか!?」
キリヤが、静かにユーゴを見た。
「ユーゴ君。気持ちは分かる。だが——」
「分かってない!」
ユーゴの声が割れた。
「トールは俺の友達なんです。たった四日かもしれない。でも——友達なんです」
キリヤが、一歩前に出た。さっきより声が低い。穏やかさの奥に、有無を言わせないものがある。
「夜明けと同時にトールを捜す。痕跡は暗闇では追えない。——だから今は待つんだ、ユーゴ君」
——同じことを考えていた。今すぐ追いたい。でも、暗闇では足跡も見つけられない。
悔しいが、キリヤの言う通りだ。
ユーゴが拳を握ったまま、黙っていた。私は、ユーゴの肩に手を置いた。
「明日、一緒に追う。一人で行かせない」
ユーゴが私を見た。それから、キリヤを見た。
長い沈黙の後——一つ頷いた。
「……分かりました」
宿に戻る道すがら、フィーネが小声で言った。
「防げませんでしたね」
「……くそ」
「あなたの読みは、骨組みとしては合っていました。崩れたのは、家を固めれば届かない、という前提だけです」
フィーネはそれ以上何も言わなかった。
宿の自室に戻り、灯りも点けずに窓辺に座った。窓の外は暗い。星が、残酷なほど綺麗だった。
今夜は眠れないだろう。トール。どこにいる。何が、起きている。……生きてる?
——一つ、引っかかることがある。
ユーゴだって、若い男の条件には当てはまる。すぐそばにいた。
それでも、ユーゴは無事で、トールだけが消えた。
……やはり、対象は村の人間限定、ということか。
考えて、選んで、人を攫う。獣じゃない、理性のある相手。
——人間か、魔族か。しかも、相手は私たちが村にいることに、とっくに気づいているはずだ。それでも、平然と人をさらっていった。魔法協会員が四人。脅威としてカウントすらされていない。
——なめられている。
ユーゴに「怒りはないのか」と聞かれた時、たぶん、と答えた。
今は、たぶんが消えた。指先が、冷たかった。
ふと、セリアの顔が浮かんだ。
あいつなら——魔族の気配を、嗅ぎ分けられる。村に入った時点で、何か気づいていたかもしれない。
いない者の名を、呼びかけて、やめた。
夜は、まだ明けない。




