五秒
翠緑の迷宮。
王都から馬車で半日ほどの場所にある、中規模のダンジョンだ。
内部は苔むした石壁と、天井から垂れ下がる蔦で覆われている。所々に魔法の燐光が漂い、薄暗い通路をぼんやりと照らしていた。
「わぁ……」
私は思わず声を漏らした。
ダンジョンに入るのは、これが初めてだ。
ひんやりとした空気。かすかに聞こえる水の滴る音。そして、どこからともなく漂ってくる、土と苔の匂い。
異世界に来て様々な経験をしてきたけれど、これはまた格別だった。まさにファンタジーの王道。ダンジョン探索だ。
まさか本当にやることになるとは。人生何があるか分からない。
――もっとも、感動に浸っている場合でもない。この幻想的な空間のどこかに、確実に魔物が潜んでいるのだ。
「初めてのダンジョンなの?」
隣を歩くミルシェが、くりくりした目でこちらを覗き込んだ。
「う、うん。実は……。緊張する……」
「へぇ〜。地下牢の殺戮者なのに、ダンジョンは初めてなんだ♡」
「殺戮者じゃないから……。あれはハッタリ。地下牢で生き延びただけで、別に誰も殺してない……」
「えー、つまんないの」
「つまんないの??」
ダンジョンの奥には宝がある。そしてその宝を目当てにした人間をおびき寄せ、魔物や魔族が人を狙うという仕組み。つまり、ダンジョンには必ず魔物が出る。
すがるような思いでポケットのアルミ玉に手を伸ばした。
「大丈夫♡ 私たちがついてるから」
ミルシェは私の腕に抱きついてきた。相変わらず距離感がバグっている。
「ミルシェ、あまりベタベタするな。戦闘時に動きが制限される」
フィルが呆れたように言う。
「えー、だってユズリハちゃん可愛いんだもん」
「可愛いかどうかは関係ない」
「フィルは堅いなぁ」
ミルシェがぷくっと頬を膨らませる。
私はその様子を見ながら、少しだけ肩の力が抜けた。
正直、まだ警戒心は消えていない。でも、この軽い雰囲気は悪くない。少なくとも、ラークたちの時のような「作られた親しみ」とは違う気がする。
「ユズリハさん、足元に気をつけてくださいね。この辺りは滑りやすいですから」
リコが小柄な体で私の前を歩きながら、振り返って注意を促した。
「あ、ありがとうございます」
「初めてのダンジョンは誰でも緊張するものです。何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
妖精族のリコは、見た目は子供のようだけれど、物腰は落ち着いている。薄暗いダンジョンの中で、薄緑の髪と背中の羽がぼんやり浮かんで見える。フィルとミルシェの間を取り持つような役割らしい。
パーティの潤滑油というやつか。
――と。私はふと、パーティの最後尾を歩く人物に目を向けた。シャンパンゴールドの髪が、薄暗いダンジョンの中でもなお輝いている。
セリアンディエルなんちゃら。彼女は私たちから少し離れた位置を歩いていた。会話に加わる気配はない。というか、こちらを見向きもしない。
「……」
私は何となく気になって、セリアンディエルの様子を観察した。
フィルが彼女に話しかけると、短く返事をしている。リコにも、最低限の応答はしているようだ。
でも、私には一度も話しかけてこない。目も合わせない。まるで、私という存在がそこにいないかのように。
……いや、私だけじゃない。よく見ると、ミルシェにも自分から話しかけていない。
ミルシェが「セリアンディエル様ぁ♡」と声をかけると、ちらりと視線を向けるだけ。返事はしない。
愛想がない、というレベルじゃない。氷点下だ。
「ねぇねぇ、セリアンディエル様ってクールだよねぇ」
ミルシェが私の耳元で囁いた。
「話しかけても全然返事してくれないの。でも、そこがいいんだよねぇ♡」
……この子、メンタル強すぎない?
私だったら普通に凹む。というか、現在進行形で凹んでいる。あからさまにこんなに避けられたことは多分人生で初めてだろう。私個人っていうよりは、彼女は「人間」が嫌いなんだろうけど。
……ただ、根っからの悪人じゃないことは知っている。口は最悪でも、あの日の帰り、黙って栄養食を寄越してくれた人だ。砂漠で(私を子供だと勘違いして)人に水を与える人。だからこそ、余計に分からない。何か人間にやばいことされた過去でもあるんだろうか。
ダンジョンの浅層を進んでいくと、最初の敵と遭遇した。
フォレストラットの群れ。十匹ほどが、通路の先で蠢いている。鋭い牙と、濁った赤い目。何度も倒してきた相手なのでそこまでビビリはしない。
「来たな」
フィルが身構えた。
「フォーメーション通りに。リコは補助、ミルシェは遊撃。ユズリハは後方から援護を頼む」
「了解」
「はーい♡」
「わ、分かった」
私はポケットのアルミ玉を強く握った。
瞬間、体の中を魔力が駆け巡る感覚。右手を構える。
フォレストラットたちがこちらに気づき、キィキィと耳障りな鳴き声を上げて突進してきた。
「――氷槍!」
フィルの手から、鋭い氷の槍が放たれる。
先頭のフォレストラットを貫き、壁に縫い止めた。美しい。氷の魔法がこんなに綺麗だとは知らなかった。
フィルの二つ名は「氷剣」。Bランク魔法使いの中でも、氷魔法の精度と威力は随一と聞いている。なるほど、噂に違わぬ腕前だ。
「加速!」
リコの補助魔法がミルシェにかかる。
ミルシェの姿がブレたかと思うと、残りのネズミどもの間を縫うように駆け抜けた。その手には、いつの間にか細身のナイフが握られている。ナイフを握る手が、淡く光っていた。魔力で身体能力を強化しているらしい。
「えいっ♡」
お花畑でスキップするような足取りと共に、五匹のフォレストラットが挽き肉に変わった。
速い。正確だ。そして何より、楽しそうだ。
あの可愛らしい見た目からは想像できない、鮮やかな解体ショー。返り血ひとつ浴びていないのが逆にプロの犯行を思わせる。
……怖っ。「えいっ♡」じゃないんよ。殺意と声のギャップがすごい。
残りは四匹。私の出番だ。
「羽虫の群れ」
指先から、無数の光の粒子が放たれる。
それは瞬く間に羽虫の群れとなり、残りのフォレストラットに襲いかかった。
「キィィィッ!?」
蟲に全身を覆われたネズミどもが、悲鳴を上げてのたうち回る。
数秒後、四匹とも動かなくなった。
……蟲vsネズミ。自分で出しておいてなんだが、一番見たくないのは私だ。
「お見事」
フィルが感心したように言った。
「噂には聞いていたが、『蟲使い』の魔法は初めて見た。なかなか強力だな」
「あ、ありがとうございます……」
蟲使いとか、未だにその呼び名を良しとはしていないが、褒められて少し嬉しい。
……と思ったのも束の間、ふと後ろを見ると、リコが壁に片手をついて目を伏せていた。蟲が生理的に無理なタイプらしい。すまん。ミルシェだけが「ユズリハちゃんかっこいい♡」とはしゃいでいた。評価が真っ二つに割れている。
それにしても、さっきのリコの補助魔法。あれは地味にすごい。
妖精族は他者の体内の魔力の流れを感じ取れるらしい。その流れに自分の魔力を沿わせることで、補助魔法の精度が格段に上がるんだとか。ミルシェのあの動きは、リコの下支えがあってこそだ。
……セリアンディエルが戦闘に一切参加していなかった。腕を組んだまま、壁にもたれて立っている。
「……あの、あなたは戦わないの?」
私が恐る恐る聞くと、セリアンディエルは冷ややかな視線を向けてきた。
「雑魚に私が出る必要ある?」
「…………」
なんだこいつ。何のためのパーティだよ。報酬は山分けなんですよ? なんで協力しないんだよ。無理。こいつテレビ業界だったら干されるレベル。テレビ業界のことよく知らんけど。
その後も、浅層から中層にかけて何度か戦闘があった。
フォレストラットの群れ、毒蜥蜴のつがい、凶暴化したコウモリの大群。
敵に遭遇する度に、フィル、リコ、ミルシェ、そして私の四人で対処した。
セリアンディエルは一度も動かなかった。ずっと後方で腕を組んで、退屈そうに見ているだけ。
コウモリに至っては百匹以上いて、正直キモかった。バグ・スウォームで一掃したけど、蟲vsコウモリの空中戦は今日イチの地獄絵図だった。戦闘後、リコが無言で私から距離を取った。フィルまで目を逸らしている。
自分の魔法でパーティの結束が崩壊していく。
「ねぇ、あの人本当に何もしないね」
私はミルシェに小声で愚痴った。
「んー、まぁあのルミナリエルフ様だしね。いざとなった時の保険的な?」
「それにしたって、協調性なさすぎない?」
「あはは、まあまあ」
ミルシェは笑って流した。
この子、本当にメンタル強いな……。他のメンバーもセリアンディエルが戦いに参加しないことは特に気にかけていないようだった。入ってくれたからOKみたいな? 解せない。
私はその後も何度かセリアンディエルの方を見たけれど、彼女は一度もこちらを見なかった。
あー腹立つ。
中層に差し掛かった頃、それは起きた。
「……っ、多い!」
魔狼の群れ。十匹以上が、四方から迫ってくる。浅層の雑魚とは明らかに格が違う。目つきが鋭い。殺意が違う。
フィルとミルシェが前衛で食い止めているが、数が多すぎる。
「リコ、補助を!」
「障壁!」
リコの防御魔法が展開される。でも、魔狼の突進で早くもヒビが入っている。
私は羽虫の群れを展開して援護するが、一匹倒してもまた一匹、また一匹と湧いてくる。
キリがない。
「ユズリハさん、後ろ!」
リコの声。
振り返った時には、もう遅かった。一匹の魔狼が、私の死角から飛びかかってきていた。
牙が迫る。避けられない。
反射的に障壁を展開しようとする。ソロン先生のスパルタ訓練のおかげで、私のバリアは戦車の装甲並みの強度がある。
でも、展開が間に合わない。魔狼の速度が想定外だった。
あ、これ——終わった。
そう思った瞬間。
「邪魔」
冷たい声と共に、銀光が閃いた。魔狼が、空中で真っ二つになる。
血飛沫が宙を舞い、私の頬にかかった。
「……っ」
セリアンディエルが、いつの間にか私の横に立っていた。
振り仰ぐと、宝石のように鮮やかな赤い瞳が、こちらを見下ろしている。
細身の剣を手に、残りの魔狼の群れを睥睨していた。
「下がってて。足手まといだから」
セリアンディエルは残りの魔狼を、文字通り一瞬で片付けた。十匹以上いた群れが、五秒で全滅。
剣技だけで。魔法すら使わずに。
……え、この人前衛もできるの? 万能すぎない? ずるくない?
ていうか、さっきの「邪魔」って狼に言ったんだよな。私にじゃないよな?
「……ありがとう、ございます」
心臓が波打っている。死ぬかと思った。……私は、絞り出すように言った。
セリアンディエルは振り返りもしなかった。
……なんだよ、それ。助けてくれたのは事実だ。感謝すべきなのも分かってる。
でも、同じパーティとして、仲間として一応やってるわけで……この態度はさすがにあんまりではないか。
私の中で、何かがくすぶり始めていた。
さらに奥へ進んだ頃。
広い空間に出た。
天井が高く、苔むした柱が何本も立っている。まるで古代の神殿のような場所だ。
「ここが中層の広間か」
フィルが周囲を警戒しながら言った。
「オーガロードは、この先の最奥部にいるはずだ。全員、気を引き締めて――」
その言葉が終わる前に。
ズシン、と地面が揺れた。
「来たか……!?」
広間の奥から、巨大な影が現れた。
オーガロード。通常のオーガより二回りは大きい。5メートル超の巨体に、筋肉の鎧。
フィルの説明で聞いてはいた。でも、実物を見ると説明以上の威圧感がある。手には、大木を削り出したような巨大な棍棒を持っている。
その背後には、配下と思われるオーガが四体。
「グォォォォォ!」
オーガロードが咆哮を上げた。
空気が震える。鼓膜が痛い。足がすくむ。なにあれ。デカすぎ。巨人じゃん。怖い。帰りたい。
ていうか、配下のオーガも普通にデカいんですけど。配下がいるとは聞いていたけど、3メートル級が四体って。
これがBランククエスト。最悪死ぬ可能性もある。……落ち着け、落ち着け……。
「散開! フォーメーション――」
フィルが指示を出そうとした、その瞬間。
「あれ倒せば終わりなんでしょ?」
冷たい声が響いた。
セリアンディエルが、ゆっくりと前に出る。
彼女は腕を組んだまま、オーガロードを見上げた。
「……え?」
私が声を上げる暇もなかった。
セリアンディエルの姿が、消えた。いや、違う。速すぎて目で追えなかっただけだ。
次の瞬間。
ドサッ。
オーガロードの首が、胴体から離れて地面に落ちた。
「は……?」
私は目を疑った。
オーガロードが、一撃で首を刎ねられている。
あの巨体が。あの筋肉の塊が。一瞬で。セリアンディエルは既にオーガロードの背後に立っていた。
手には、細身の剣が握られている。刃には血の一滴もついていない。
「グ、グォ……!?」
配下のオーガたちが動揺する。
だが、ルミナリエルフは彼らに目もくれなかった。
「業火」
短い詠唱。
セリアンディエルの左手から、紅蓮の炎が放たれた。
それは瞬く間に四体のオーガを飲み込み、灰燼に帰した。残ったのは焼け残った角のみ。数秒。たった数秒で、Bランククエストの討伐対象が全滅した。
「…………」
私は言葉を失っていた。
フィルもリコもミルシェも、呆然と立ち尽くしている。
…………。
え、なに?
今の、なに?
私たちが「フォーメーション」とか言ってる間に、もう終わったんだけど。
ボス戦開幕でプレイヤーの出番ゼロ。経験値だけもらうやつ? いや……そりゃないよ。味気なさすぎる。ボス戦ってこう……一番盛り上がるところじゃん。
フィルは手にした作戦指示書を、無言でくしゃりと握りつぶしていた。徹夜で考えてたであろうフォーメーション。対オーガ用の連携パターンA〜C。ちらっと見えたけど、私の蟲の配置図まで丁寧に描いてあった。その全てが、今、無に帰したのだ。
……フィル。かわいそう。お気の毒に……。
セリアンディエルは剣を鞘に納め、何事もなかったかのように踵を返した。
「終わり。帰ろう」
その声は、相変わらず感情のこもらない、冷たいものだった。
帰り道。
私たちは無言でダンジョンを歩いていた。
あまりにもあっけない幕切れに、誰も言葉が出なかったのだ。
「……すごかったね」
ミルシェが、ぽつりと呟いた。
「Aランクって、やっぱり桁違いなんですね……」
リコがぽつりとこぼした。
「ああ……」
フィルも頷くしかない様子だ。
「あれが、ルミナリエルフの力か……」
フィルが、独り言のように呟いた。
私は黙って歩いていた。頭の中で、さっきの光景がリプレイされている。オーガロードを一瞬で葬ったセリアンディエル。そして、魔狼から私を助けたセリアンディエル。
「足手まとい」か。そんな言葉を自然に受け入れてしまえるほど、圧倒的だった。
強い。悔しいけれど、桁違いに強い。私たちが四人がかりで苦労して倒してきた敵を、彼女は相手にすらしなかった。そして、Bランククエストのボスを一瞬で葬った。
これが、Aランク冒険者の実力。
これが、ルミナリエルフ。……でも。だからといって、あの態度は何なんだ。パーティの空気を乱している。私はチラリとセリアンディエルを見た。彼女は相変わらず、一人で後方を歩いている。
私の視線に気づいているはずなのに、完全に無視。
こめかみの奥が、ずっと熱い。
強いのは分かった。助けられたのも事実だ。だからって何でも許されるわけじゃないだろ。人としての礼儀がどうとか、パーティの協調性がどうとか——言いたいことは、いくらでもあった。
でも、そんな理屈を並べる前に、喉の奥からもっと熱いものがせり上がってきた。
「……ねぇ」
気づいた時には、足が止まっていた。




