覚えてないなら、それでいい
第3話です。
今回は朝比奈の言動に、これまでとは少し違う違和感が見え始める回になります。
ふたりの関係が、ただの距離の近さではないと感じてもらえたら嬉しいです。
翌日。
教室に入った瞬間、視線がぶつかる。
朝比奈だった。
こっちを見て、にこっと笑う。
まるで昨日のことなんて何もなかったみたいに。
「おはよ、水瀬」
「……」
無視するつもりだったのに。
「……おはよ」
口が勝手に動いた。
それを見て、少しだけ満足そうに目を細める。
なんなんだよ。
その反応。
席につくと、すぐに横から声が飛んでくる。
「今日さ、放課後空いてる?」
「空いてない」
即答した。
間を置くのも嫌だった。
「そっか」
あっさり引く。
でも。
「じゃあ終わるまで待つわ」
「は?」
「部活とかないだろ?」
当たり前みたいに言う。
逃げ道が、ない。
「……なんでそんな構うんだよ」
思わず、聞いていた。
昨日からずっと引っかかってる。
朝比奈は少しだけ首を傾げて。
「言ったじゃん」
軽く笑う。
「気になるから」
それだけ。
でも。
それだけじゃないって、分かる。
「……それだけじゃないだろ」
口に出していた。
一瞬、空気が止まる。
朝比奈の表情が、ほんの少しだけ変わった。
笑ってない。
「なんでそう思うの」
静かな声。
いつもと違う。
「……普通じゃないから」
言いながら、自分でも分かる。
この距離はおかしい。
この執着は、おかしい。
朝比奈はしばらく黙って。
それから、ふっと視線を逸らした。
「……覚えてないなら、それでいい」
小さく、そう呟く。
「は?」
聞き返す。
でも、それ以上は何も言わない。
すぐに、いつもの笑顔に戻る。
「昼、一緒に食う?」
「……食わない」
「そっか。じゃあまたあとでな」
軽い声。
さっきまでの空気が嘘みたいに。
でも。
引っかかる。
――覚えてないなら、それでいい。
その言葉だけが、残る。
放課後。
いつも通り、音楽室に向かう。
誰もいないことを確認して、弓を構える。
音を出す。
昨日より、少しだけ乱れている気がする。
集中できない。
頭の中に、あいつの声が残ってる。
――覚えてないなら、それでいい。
なんのことだよ。
苛立ちみたいなものが、胸に残る。
そのとき。
ガラッ。
ドアが開く音。
反射的に振り返る。
「やっぱここか」
朝比奈だった。
「……なんで来るんだよ」
「約束しただろ」
当たり前みたいに言う。
そんな約束、した覚えはない。
でも。
否定しきれない。
「……弾かねえよ」
「いいよ、別に」
意外な返事だった。
「今日は聴きに来たわけじゃないし」
そう言いながら、近くの机に寄りかかる。
「じゃあなんだよ」
聞くと、少しだけ間が空く。
「顔見に来た」
即答だった。
意味が分からない。
「……は?」
「なんか気になるから」
昨日と同じ言葉。
でも、違う。
その言い方が。
「お前さ」
ふいに、朝比奈が近づいてくる。
距離が縮まる。
「なんでそんな平気なの」
「……なにが」
「俺がこんだけ近くにいんのに」
息がかかりそうな距離。
反射的に一歩下がる。
でも、すぐに詰められる。
「他のやつ、もっと避けるよ」
低い声。
少しだけ、苛立ってるみたいに。
「……知らねえよ」
「知れよ」
一瞬、強く言われる。
空気が張り詰める。
「……っ」
言葉が出ない。
朝比奈はそのまましばらくこっちを見て。
それから、小さく息を吐いた。
「……まあいいや」
いつもの調子に戻る。
でも。
完全には戻ってない。
「そのうち思い出すでしょ」
軽く言う。
でも、その目は笑ってない。
「……なんのことだよ」
聞いても、答えない。
ただ、こっちを見てる。
じっと。
逃がさないみたいに。
「なあ、水瀬」
名前を呼ばれる。
少しだけ、近くで。
「逃げんなよ」
また、その言葉。
「今度はちゃんと捕まえるから」
その一言で、背筋が冷える。
冗談に聞こえない。
でも。
「……意味わかんねえ」
そう言うしかなかった。
なのに。
その場から、離れられなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
少しずつですが、朝比奈の言葉や態度に理由がありそうなことが見えてきたと思います。
まだはっきりとは描かれていませんが、過去や記憶に関わる部分が今後の鍵になります。
次回はその一端に触れる回になる予定です。
よければ続きも読んでいただけると嬉しいです




