電話越しの声
朝イチ、といっても昼前に理貴宛に送ったメッセージが既読になったのは三時頃だった。プライベートの携帯に電波が入ってなくて、という理貴に訊ねてみると、どうやら今商談で海外にいるらしい。
日本から出たことのないあかりには、時差とか想像もつかない世界である。
今から打ち合わせがあって、という理貴から折り返しの連絡があったのは、日がとっぷりと暮れた頃だった。
『ごめんね、連絡が遅くなって。今大丈夫?』
「うん」
理貴からかかってきた電話を受けたあかりは、ふとあることに気づく。
(海外からの電話って、めっちゃお金かかるんじゃ……)
サァーと血の気が引く音がしたあかりが慌てて理貴からの電話を切ろうとする。
「お金かかるじゃん! 大した話じゃないし帰ってきてからでいいから!」
あかりの言葉に理貴は安心させるように話しかける。
『大丈夫、SNS経由の電話は通話料かからないから。だから今聞くよ』
理貴の言うことが本当かどうか、外国に行ったことのないあかりは判断がつかない。電話越しに葛藤しているあかりの様子が伝わったのだろう。理貴は笑いながらあかりに喋りかける。
『電話切ってもすぐかけ直すよ?』
「いや、でも本当に大した内容じゃない……」
『ダメだよ、今言って。じゃないと次僕と会うまであかりちゃん、モヤモヤして過ごさないといけないでしょう? それにあかりちゃんから連絡くるのは、俺にとっては大したことだよ』
あかりは胸が締め付けられる。藤井理貴という男はなぜ、今あかりが欲しい言葉を的確に与えることが出来るのか。
二人にプロポーズされてから、会った時間は理貴と颯、大差ない。どちらかというと昨日一晩共に過ごした颯の方が一緒にいた時間は長いのに。
連絡をくれるタイミングも、欲している言葉も、理貴の方があかりが求めている答えに近いのだ。
まだ何も取り繕うことを知らなかった子ども時代を知っているからなのか、それともあかりが余りにも幼い頃からの気性が変わらなすぎなのか。
あかりの性格を知り尽くした理貴が贈ってくれる言葉の一つ一つが、行動の一つ一つが、あかりが欲しているものなのだ。
今だってそうだ。
わざわざ海外に時間とお金をかけて商談に行ったのだ。本来ならあかりになど割いている時間などないはずだ。けれど、理貴は知っているのだ。
後回しにすれば真面目なあかりが何日も消化不良な気持ちを抱えて過ごすことを。そして結局聞きたいことを飲み込んで我慢するあかりの性格を。
『あかりちゃん』
理貴の優しい声に促されるように、あかりは口を開く。
「理貴、警察庁なんで蹴ったの?」
電話越しに理貴が息を呑むのが伝わってくる。はぁ、と深いため息と共に『幸人だな。ったく余計なことを』と呟く声が聞こえた。
『内緒……とか?』
「……」
無言のあかりの抗議に理貴は取ってつけたような言い訳をする。
『……あーえっと……多分……向いてないと思ったんだ』
警察官でない人間にもわかるくらい下手くそな言い訳を口にした理貴を逃がすつもりはない。
本当のことを吐かせてやる、と急にスイッチが入ったあかりは語気強く問いただす。
「違うでしょ? ねぇ、なんで?」
つい詰問のようになるあかりに、理貴はもう一度だけ息を吐く。思いの外長く息を吐くと、しぶしぶという様子で口を開く。
『あかりちゃんに、自身が理想とする警察官でいて欲しいから』
「……どういうこと?」
理貴の返答は、謎掛けのようだ。腑に落ちない顔をしながらあかりは理貴に質問を返す。理貴は先程までの動揺している様子と打って変わった声であかりに話す。
『言葉通りだよ。……同じ職場でも俺はあかりちゃんを同僚の警官じゃなくて好きな女性として見てしまうのがわかっていたから』
ますます意味がわからないあかりは黙っていた。
同僚として付き合っていても職務中は相手を恋人として見たことない。自身もそうだし、周りも同じだ。というか公私混同している人間がいれば恐ろしくドヤされる。それが警察官という組織である。
他の職場に勤めたことがないけれど、民間でも社内恋愛している男女が仕事中にいちゃついていたら叱責されるのは容易に想像できる。
『そんな深く考えないでよ。言葉通りでしかないから』
頭の中で疑問がいっぱいなあかりに、理貴から声がかかる。
そうは言われても気になって仕方ないあかりに理貴は笑う。
『ってか、話したいことってこれかぁ。てっきり答えが出たのかと思った』
「うっ……ごめん」
それを出されるとバツが悪いのはあかりのほうだ。詫びるしかない。そんなあかりを理貴は茶化す。
『まだ判断つかないなら、もう一回キスする?』
「…………しない」
間が合ったのは偶然だ。だが、理貴の受け取り方は違ったようだ。電話越しでも破顔したのがわかるくらい弾んだ声で理貴が言う。
『あと五日したら帰るからさ。またデートしようよ』
「しない」
今度は間髪入れずに断ったのに、理貴はどこ吹く風だ。
『そう言わないでよ。お土産も買っていくし。もちろん、あかりちゃんに合わせるから』
お決まりのセリフを言う理貴に今度はあかりがため息をつく番だった。
「もう切るよ」
強制的に話を終わらせようとするあかりに、最後に、と理貴が付け加える。
『警察庁選ばなかった理由、もう一つあるんだ』
「……なによ?」
『組織に縛られるより、今の方が時間の自由がきく。だからいつでも――といっても今海外にいるから説得力は低いんだけど――あかりちゃんに会いに行ける』
「ばっ……かじゃないの!?」
そんな理由で警察庁は蹴る場所ではない。警察庁といえばあかりが所属している警視庁よりも上、すべての都道府県をまとめ上げる組織である。
都道府県警察が地方公務員なのに対して、警察庁は国家公務員になるし、難易度も段違いだ。簡単に受かる試験でもない。あかりはそんな理由でアッサリ辞退する理貴が信じられなかった。
理貴はあかりの抗議を笑って受け流す。
『帰ったら連絡するよ。会ってくれるよね?』
「忙しいから無理」
『大丈夫、夜中でも合わせるからさ』
「いや、だって……」
つい口から出そうになった恋人でもないし、という言葉は飲み込んだのに、察しのいい理貴は気付いたようだった。再び笑うとあかりに言った。
『そんなに構えなくても。ただお土産を渡すだけだよ。幼馴染だし夜中に会っていてもおかしくないでしょ?』
都合よく幼馴染というワードを使う理貴に、呆れたあかりは反論することなく、そっと電話を切ったのだった。




