語られた生い立ち
すべて言い訳になるが、と再度前置きをして颯は口を開いた。
「結婚を躊躇っていたのは、オレが親と一緒の道を歩んでいるからなんだ」
「颯さんが?」
あかりは首を傾げる。あまり家のことは話したがらない颯ではあるが、あかりの記憶が正しければ、彼の両親はどちらも警察官ではないはずだ。
あかりの疑問に答えるように颯は続きを口にする。
「あかりにも何度か話していた両親は、実は戸籍上は養父母になるんだ」
突然の颯の告白に、あかりは絶句する。そんな話、今まで聞いたことないからだ。
驚いているあかりにフッと笑うと颯は続きを口にする。
「といっても、実の両親のことはほとんど覚えていないんだ。物心をつく前に殉職しているから」
「殉職……」
「そうだ。二人とも警察官だったらしい」
颯は一瞬遠い目をする。見たことのない表情だ。
「一歳頃までオレの家は神戸にあった。……意味はわかるな?」
「阪神淡路大震災……」
「そっ。被災者なんだ、オレ。まぁ、覚えてはいないし、運よく大阪市内の祖父母のところに預けられていたから被害には合わなかったけど、共に別夜勤の任についていた両親はアウトだったらしい。結婚している関係上、それぞれ別の所轄での勤務だったんだが、運悪くどちらも被害が大きい場所だったそうだ」
言葉を失っているあかりに苦笑した颯は向かいから手を伸ばして頭を撫でる。
「そんな顔するなって。今の両親は、母親の姉夫婦で、実子と分け隔てなく育ててくれていた。だから俺自身、中学の時に偶然戸籍謄本を見るまで、養父母が実の親だと思っていたくらいだ」
颯はそう言うと、胸ポケットから電子タバコを取り出して口に咥えた。一口二口吸うと、すぅ、と吐き出す息と共に言葉を押し出した。
「それまでも薄々はおかしいと感じることはあった。養父の方の祖父母の態度がオレと従兄弟で若干違うこと、そしてオレにだけ定期的に会いに来る年寄り夫婦。……戸籍謄本を見た後で腑に落ちたよ。その夫婦が父方の祖父母だと。彼らに面会している時に実父のことを訊ねて、それで両親の死因を初めて知った」
「知って……どうしたんですか? その、……育ててくださっている伯母様夫妻には」
別れた男に聞くには立ち入った質問である。が、あかりは思わず訊ねてしまっていた。
颯は気を悪くした様子もなく淡々と答える。
「まぁ、知ったところで言えないよな。黙っていた。ただ、実の両親が育ての親と違う事実に変に納得はしていた。幼い頃から何故か無性に警察官という仕事に憧れを抱いていたんだ。使命感といってもいい。親は……養父母はさり気なく警察官という職業をオレから遠ざけようとしていたが、そうすればするほど、焦がれていった。採用に有利だと知ってずっと柔道を続けていたくらいだしな」
ふぅ、と一息ついた颯は喉を潤すかのようにビールを一気に飲み干した。酒の勢いを借りないと話せないといった様子の颯は追加で同じものを頼むと、店員が運んでくるのを待って続きを口にした。
「高校に入ってから警察官になりたい、と告げた時は、養母に泣きながら引っ叩かれたよ。「なんで同じ道を歩もうとするの!?」ってな」
「颯さん……」
思わず声をかけたのは、颯が一瞬ツラそうに眉を寄せたからだ。
颯は軽く首を振ると、新しいタバコを咥えなおした。吐く息と共に続きを話し出す。
「しまった、という顔した母に、知っているというとまた引っ叩かれてな。「なんですぐ言わないの」って。……あの時はエラい目にあった」
思い出したように笑う颯は遠い目をしたきり黙って残ったタバコを吸いはじめた。しばらく沈黙した颯が何を考えていたのか、あかりには読み取れなかった。
颯もあかりに何かを言ってほしいとは思っていなかったようで、吸い終わるなりサラリと続きを口にする。
「まぁ、泣かれてもシバかれても警察官になりたい意志は変わらなかったし、最終的には家族は折れてくれた。だけど、その時母親が言ったんだ」
「なにをですか?」
「「警察官になるならアンタは一生独り身でいなさい」って。それくらいの覚悟を持って奉職しろってことだったんだろうが、当時のオレはまだ高校生で、結構ガツンと響いた」
「……そう、ですか」
颯の言葉にあかりは、どう答えたらいいかわからなかった。
颯の生い立ちには初めて聞くことで驚いたのは事実だ。同時に腑に落ちた。なぜ結婚に乗り気じゃないのかを。
育ててくれた養母に警官でいるなら独身でいろと言われたから。颯はあかりが結婚を口にした際に別れを選んだのか。
どちらも颯の心の奥に深く刺さったからの行動である。
だが、とあかりは疑問に思う。そうであるならば、別れた後プロポーズしてきた颯の行動の辻褄が合わなくなるからだ。
颯は訝しんでいるあかりの様子に気づいて、フォローするように口を開いた。
「当の本人はスッカリ忘れていて、今は「早く結婚しろっ!」って煩いんだがな……。だから、あかりが結婚したいと伝えてくれた時に別れを選んだのは、親は関係ない。オレ自身の意志だ」
「……っ!」
改めて颯の口から別れたのは彼自身の考えと告げられると、あの時の足元が崩れ落ちる感覚が即座に蘇る。
無意識に手のひらを固く握りしめたあかりの手を包むように、颯の手が重ねられた。
「もちろん、養母の言った言葉が全く影響していないとは断言しない。だが、この職について思ったんだ。子どもが出来たら夫婦共に現役で居続けるのは難しい仕事だと。忙しいのは当たり前だし、家庭より現場優先だ」
「それは……」
颯の言うことは一理ある。結婚を機に激務を続けられないと辞めていく層は男女問わず一定数いる。
警察官である以上、一定期間での転勤はつきものだ。通える範囲で異動なら問題ないが、転居を伴うとなれば家族毎引っ越すか、単身赴任かを選択しないとならない。
昨今は配慮されてきているとはいえ、祖父母の助けなしに夫婦だけで子育てするのは厳しいものがある。
職務上仕方ないとはいえ、家庭を顧みない働き方を求められる場面も多い。昇給試験に合格し、責任のある立場になればなるほど、家庭が犠牲になる可能性は高まる。
だから警察官はバツイチも多いし、家庭の事情で忙しい部署から異動を希望する人も増えてきている。それが出世コースから外れたとしても。
もちろん、警察官は腐っても公務員だ。産休育休時短勤務など、福利厚生は整っているし、夫婦共に警察官の場合は配属先も考慮されるようになっている。
そんな状況にも関わらず、環境は劇的に変わっていないところをみると、まだ旧態依然とした環境が残っているせいであろう。
それが悪いことだと断じきれないのは、あかりも現状をよく知っているからだ。
警察官は事件や事故が起こらないと忙しくならない。でも、そんな日は皆無である。
毎日大なり小なり事件や事故は起こっている。この瞬間にも。今でも小さい出来事には手が回らないくらいなのに。
平和な日常を求めているのは市民も警察官も同じだ。皆が少しでも安全に暮らしていくためには、ある意味仕方ない部分もあるのだ。
それで自らの家庭が壊れるのは本末転倒だと思わなくもないが、一警官として勤めているあかりは仕事熱心な人ほどバツがついたり、独身だったりする状況を痛いほど知っていた。
あかりの思考を読んだかのように、颯が話しだした。
「オレは器用な人間じゃない。付き合っていたから知っているだろが、今の仕事を全うしながら、家庭を両立する器用さは持ち合わせていない。気になる事件があれば自主的に残業するし、帳場が立てば何日も家には帰らない。そのことを当たり前だと受け入れてプライベートを犠牲にしているという感覚もない。わかるだろう?」
「……はい」
あかりは頷く。颯の性格は嫌というほど知っているのだ。あかりが見てきた颯は優秀な警察官にはなれるだろうが、家庭を大事にする夫や父親という役割には向いていないのは事実である。
「決して中途半端に付き合ってきたわけじゃない。結婚だって考えていた。だけど、オレの根っことでもいうのかな、奥深くに部分に職業柄家庭を持つことにためらいもあった。必要な仕事だと分かっているが、自身の両親のように勤務中に死ぬ可能性だってゼロではない。そもそも今の働き方をしている自分に家庭を築けるか。そう思うと、どうしても二の足を踏んでしまっていた。……出世には結婚している方が有利だとわかっていたけれど、決断は出来なかった。……いい夫で父親になるイメージもなかったしな」
「そんな……」
颯はあかりの言葉に「事実だろう」と首を振る。
「そしてオレほどではないが、あかりも器用じゃないのは知っている」
不本意だったが、事実でもある。あかりはしぶしぶながら頷いた。
「そんな仏頂面するなって。そこに惹かれたんだから」
一言で赤くなったあかりに、フッと颯は吹き出した。
「真面目で仕事熱心で、妥協を知らない。少々手を抜けば、と思うこともあるが、お前は優秀だよ」
手放しの称賛にあかりは照れてしまう。今日の颯はおかしい。こんなに直球を口にするタイプではないはずなのに。
あかりが戸惑っているのに構わず、颯は続けた。
「オレの血には記憶にすら残っていないけれど、職に殉じた両親と同じ血が流れている。思い出も残っていないのに同じ職についている身として任務を全うした両親のことを一人の警察官として尊敬するし、誇りに思っている。だが、その一方で同じ血が流れていることが怖かった。結婚はともかく、子どもを持つには向いていない証拠なのだから」
「……」
「だから誰とも結婚する気はなかった。不適合者なのは自分自身、痛いほど知っているんだからな。……本来ならあかりと付き合った時に伝えないといけなかったんだ。いや、そもそも付き合うべきではなかったのかもしれない。それでも……」
いつになく雄弁に話す颯は、半ば思い詰めた顔を浮かべながら、残っていたビールを飲み干した。
「オレはあかりが欲しかった。あかりが想いを伝えてくれた時、断ることも出来たのに。どうしてもオレのモノにしたかった。他の男に取られたくなかった」
「……っ!」
あかりは再び息を飲む。颯のぶつけてくる言葉の衝撃で、目の奥が熱くなる。
「覚悟は決めていたんだ。あかりと付き合うのは、将来を見据えての付き合いになる。分かっていて、自分の意志を曲げてまで手に入れたいと強い衝動に駆られていたのに、いざあかりに結婚を仄めかされ、怖気付いた。足が竦んだんだ」
自嘲するように笑うと颯は、ふぅと息をついた。
「結婚を了承する言葉が出てこない自分に愕然とした。だが、きっと本音なのだろうと。だから一旦距離を置こうと別れを受け入れたんだ」
自嘲するように笑った颯にあかりはかける言葉が見つからなかった。颯の口調は、自身を責めるようなものに変わる。
「それに高を括っていたところがあった。一度離れたとしてもあかりはまだオレに気持ちが残っているだろうと。オレを差し置いてあかりを口説く男なんか現れないだろうと」
「……颯さん」
震える声で呼びかけたあかりを振り払うように、プロポーズをした時と同じような決意を秘めた顔をした颯は、真っ直ぐにあかりを見据えた。
「もう遅いかもしれないが、別れて、他の男が現れて、やっと覚悟が決まった。……今の仕事とあかり、一つしか選べないなら。オレはあかりを選ぶ」
颯の言葉に、堪えきれずあかりの目から涙が溢れ出る。
別れ話をした時も、別れた後も涙など流さなかったのに。溜めに溜めていた雫はダムが崩壊したかのように、止まらない。
何に対して涙が流れてくるのか、あかり自身にもわからない。だから颯に見られたくなくて目を伏せる。
ボタボタとテーブルの上に大粒の水滴が落ちるが、あかりにはどうしようもなかった。
そんなあかりの頭にそっと手を置いた颯は静かに訊ねた。
「二ヶ月前に決断できなくて、済まなかった。……まだ間に合うか?」
頷くことも首を振ることもできないあかりは、ただ、自身が零している雫をジッと見ているしか出来なかった。




