目的
目が覚めると、見知った天井が秋斗の視界を埋めていた。
「……あれ、ここは?」
(確か、シアンを助けるためにムツリと突っ込んで……それから、どうしたんだっけか?)
頭の整理をしながらゆっくりと起き上がると、更に頭の中が掻き乱されるような光景が目に入ってきた。
「……は?」
秋斗の視界に入ってきたのは、約一週間ぶりの自分の部屋だった。
「な、なんで俺の部屋に……?し、シアンは?ムツリはどこに行ったんだ?」
ベッドから降りて部屋中を見渡す。だが、どこを見ても自分の部屋であるということしか分からない。
「そ、そうだ、外を見れば……!」
閉まっていたカーテンを勢いよく開けて外を見る。そこには、18年間過ごしてきた懐かしい街並みが広がっていた。
「……帰って、きたのか?」
あれは、全て夢だったとでも言うのか?いや、そんなはずはない。あれは確かに現実に起きた出来事だった。
「そうか、こっちが夢なのか……」
妙にリアルな夢だが、こちらの方が現実味がある。これまでの体験が全て夢だったなんて、秋斗には考えられなかったからだ。
夢だと分かった以上、目が覚めるまで待てばいい。そう思っていると、部屋の外から声が聞こえてきた。
「秋斗ー、朝だよー」
「……っ!か、母さんの声……」
ここは秋斗の家なのだ。親がいたところで何もおかしなことはない。母さんがいるということは、父さんもいるだろう。
(どうせ夢なら、久しぶりに会いたいな……)
まだ目が覚めないと言うのなら、目が覚めるまでこの夢を満喫したい。そう思った。
秋斗は部屋から出ると、慣れた足取りでリビングへ向かった。
「あ、やっと起きてきた。おはよう、秋斗」
「珍しいな、秋斗が自分で起きて来ないなんて」
リビングには、丁度料理を運び終えた母さんと、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる父さんの姿があった。
「お、おはよう。ちょっと、変な夢を見てて……」
ぎこちない挨拶を済ませて席に着く。三人で食卓を囲むのは久しぶりだ。
朝食は目玉焼きが乗せてある食パンと味噌汁、そしてサラダ。この組み合わせは、よく朝食に使われていたものだった。
「……いただきます」
いつも通り、最初に食パンを齧る。その後、味噌汁とサラダを順番に食べ、またパンを齧る。これが秋斗の朝食の食べ方だった。
(美味しい……そして、懐かしい……)
父さんと母さんが目の前にいることもあり、なんだか涙が出そうになる。
「秋斗?どうかしたの?」
「え?い、いや、なんでもない!ただ、母さんのご飯が美味しいなって思って」
「まぁ、ありがとう。相変わらず秋斗は優しいね〜」
「この前も友達を助けてあげたんだろう?こんな自慢な息子がいて、父さん鼻が高いよ」
「でも、あんまり無理しちゃダメだからね?秋斗はすぐ一人でなんとかしようとする癖があるんだから」
「あはは……本当に困ってたら、父さんや母さんにも頼るから大丈夫だよ」
(あぁ、楽しいな……)
なんてことない話をしながら、楽しく食事をする。それはとても居心地がよくて、夢であることを忘れてしまいそうなほどだった。
(……いや、これは夢なのか?)
ぼんやりとした頭で考える。様々な人外が超次元的な力を持つ危険な世界よりも、家族と楽しく食事をする平和的な世界の方が現実味があるのではないだろうか。
(そうだ……あんな世界、夢に決まってる……)
なぜ、先程まであんな非現実的な世界のことを信じていたのかと疑問に思う。所詮は夢、しばらくしたら忘れるはず──。
『──と……』
「っ!?」
その時、頭の中で誰かの声が聞こえてきた。
「今の……」
そうだ、忘れるはずもない。この声の正体は、
『─ゅーと、しゅーと……!』
「シアン……」
約一週間、多くの時間を共に過ごした大切な仲間。何度も自分を守ってくれた、強くて優しい、秋斗が憧れた彼女の声だった。
シアンの声が段々と大きく聞こえてくる。きっと、自分を起こすために呼びかけてくれているのだろう。
(……やっぱり、俺は弱いな)
シアンよりも力がないのは当たり前だ。それは仕方ない。だが、心が弱いのは秋斗自身の問題だ。
必ず助けると言っていた自分がどれほど無責任だったか。セリナと対峙した時、秋斗は逃げ出そうとした。今だって、あれは全て夢だったと現実逃避をしようとした。本当に、最低な人間だ。
(今度こそ、強くなるんだ。どんな相手でも逃げないように。たくさんの人を守れるように……!)
「……父さん、母さん」
「何だ、秋斗?」
「どうしたの?」
これは夢だ。でも、夢の中でもいいから、これだけは二人に伝えておきたかった。
「帰り、遅くなるかもしれないけどさ。ちょっと出かけてくるよ」
「……そう。気をつけてね」
「秋斗は優しいからな。無理はしちゃダメだぞ?」
「分かってるよ。……ありがとう」
夢の中の二人は、とても優しくて温かい言葉を残してくれた。
『しゅーと、起きて……!』
「……ああ。今行くよ」
そろそろ起きる時間だ。これ以上ここにいたら、この決意が揺らいでしまいそうだった。
それに、まだシアン達が戦っているかもしれないのだから、自分だけ寝ているわけにはいかない。
「──じゃあ、行ってきます」
両親に見送られながら、ゆっくりと意識を覚醒させていった。
「……ぅ」
「……!しゅーと!」
「よ、よかったぁ……目を覚ましたんですね」
どうやら、目を覚ますことができたようだ。視線の先には、秋斗の顔を覗き込むシアンとシトラスがいた。
「……あれ、シトラス?」
目覚めて早々、違和感を持つ。なぜ別行動をしていたはずのシトラスがいるのだろうか。
(いや、それよりも……)
起き上がって辺りを見渡してみる。そこにサキュバスの町はなく、代わりにたくさんの木々が生い茂っていた。どうやら、森の中にいるようだ。
(あのヴァンパイアもいないみたいだ……どうにか逃げてきたのか?)
あの怪物から逃げ延びたのであればそれはそれですごいのだが、気を失う前の状況を考えるとその可能性は低いだろう。
「なぁ、シアン。俺が気を失ってる間、何があったんだ?あのヴァンパイアはどうしたんだ?他のみんなは?」
「……もしかして、覚えてないの?」
「え?何のことだ?」
「しゅーとが、セイギの指輪を使って、セリナを圧倒してた」
「……は?」
それから、シアンはここに来るまでの流れを簡単に説明してくれた。
俺がセイギの指輪の力を使い、セリナを瀕死まで追い込んだこと。ヴァンパイアのボスであるティアラという少女が現れたこと。そして、なぜか俺達を殺さず、転移魔法を使ってこの場所まで転移させられたこと。
信じ難い話がいくつかあるが、まず確認したいことは指輪についてだ。
「お、俺がセイギの指輪を使った?嘘だろ?だって、俺にはそんな記憶……」
そこまで言って、自分が気を失う前に聞いた“声”のことを思い出す。
(あの時、突然誰かに力が欲しいかって聞かれたような……)
あの“声”がきっかけとなり、指輪の力を引き出したのだろうか?だが、やはり秋斗の記憶には残っていない。
「俺はセイギの指輪の力を引き出す前までの記憶しか残ってないんだ。あのセリナを圧倒したって言ってたけど、俺は何をしたんだ?」
「えっと──」
シアンの話を聞く限り、こういうことらしい。秋斗がセリナに向かって駆け出した直後、金属音と共にセイギの指輪が光り出した。そして、光が収まると、秋斗が文字通り別人になっていた。
真っ白な長い髪に秋斗よりも高い背丈。手には透明な剣が握られていたという。
「その後は、すごい速さで距離を詰めて、一方的に攻撃してた」
「シアンがそう言うならそうなんだろうけど……やっぱり信じられないな……」
シアンでさえ勝てなかったセリナを、自分が圧倒した。何度声に出しても想像できない。
「それに、指輪の力で俺の姿が変わったって言ってたけど、それは一体なんだったんだ?」
「分からない……指輪の力、シアンの想像とは、全然違ったし……」
そもそも、誰もこの指輪の力について何も知らないのだから、こうなることは必然だ。せっかく指輪の力を引き出せたと言うのに、謎が増えただけという何とも言えない結果になってしまった。
「あのー、すいません。私、話についていけてないんですけど……」
シトラスがおずおずと話に割って入ってきた。
「ん?あぁ、悪い。そういえば、シトラスは何でここにいるんだ?別行動してたはずだろ?」
「私からすれば、何で二人がここにいるのか疑問でしたけどね……話は聞いてたので事情は分かりましたけど」
シトラスは、秋斗が眠っている間のことについて説明を始めた。
「二人と別れた後、私はこの辺りで気になることがあって、それを調べてたんですよ。まぁ、結局何の手掛かりもなかったんですけどね」
その調べていたことも気になるが、話が逸れるといけないのでここは静かに話を聞く。
「とはいえ、まだ二日しか経ってないですし、どうしようかとこの辺りを彷徨いていたら、シアンちゃんと倒れている秋斗さんがいたんですよね」
「シトラスと合流して、それからすぐに、しゅーとが起きた」
つまり、合流したのはついさっきということか。
「それにしても、ティアラって奴が転移魔法とやらでここに飛ばしてきたんだろ?シトラスがいるところに飛ばされるなんてすごい偶然だな」
「恐らく、この森からの脱出が不可能と考えたのではないでしょうか?」
「……それなら、あの場でシアン達を殺す方が簡単。わざわざ、こんな手間をかける意味、ない」
秋斗は気絶していたため、どういう経緯で転移魔法を使われたか知らないが、シアンの言うことにも納得がいく。
シアンは満身創痍、秋斗は気絶していたのだから、殺すのが目的なら簡単に出来たはずだ。
だが、結果的に生きているし、抜け出せるか怪しい森の中でシトラスとも合流できたのだから、今はよしとしよう。
「……ところで、二人に聞きたいんですけど」
シトラスが首を傾げながら指を差した。
「さっきからこっちを見てるあの子、誰ですか?」
シトラスの指差す方を見ると、そこには草むらに隠れてこちらをチラチラと見ているムツリの姿があった。
「……何してるんだ、ムツリ」
「ひぇっ!?」
目が合った瞬間、すぐに隠れてしまう。しかし、夜の森とは言えムツリの空色の髪はよく目立ち、草むらの隙間から尻尾が出ていたため、あまり隠れられていなかった。
「えーっと、サキュバスの子、ですよね?二人の知り合いですか?」
「まぁ、そうだな。サキュバスの町で知り合ったんだけど、まさかムツリも一緒だったとは……」
「随分と怯えてますけど、どうしたんでしょうか?」
「ムツリは人見知りなんだ。町にいた時も積極的に交流するタイプじゃなかったらしいし」
シトラスと会うのは初めてなので、緊張しているようだ。
(俺とシアンとはすんなり話せるようになったけど、状況が特殊だったのもあるしな……)
このままではムツリがずっと隠れたままになってしまうかもしれない。まだ比較的近くにいるが、夜の森は危険だ。かと言って、あまり興奮させるとまた雷魔法を無差別に放ってしまう可能性もある。
(どうにかしてムツリをこっちに呼びたいけど……)
そう考えていると、突然シアンがムツリを呼んだ。
「……ムツリ、こっち来て」
「……え?」
「足、治してほしい。ムツリなら、できるはず」
(足……っ、そうだ、シアンはセリナと戦ってる時に怪我して……!)
先程まで普通に会話していたため忘れていたが、シアンは瓦礫に足が潰されており、両足が真っ赤になっていた。片足に関しては、おかしな方向へ曲がっている。
見るだけでも痛ましいその怪我に、思わず目を背ける。シアンはいつも通り涼しい顔をしてるが、かなりの激痛のはずだ。
「治せるって……ど、どういうこと……?」
「サキュバスなら、使えるはず。ドレイン」
「私が説明しますね」
頭にハテナを浮かべる秋斗とムツリのために、シトラスが説明してくれた。
「秋斗さんはご存知ですが、リッチには回復魔法が使えません」
「体が浄化されて死ぬからだろ?なら、シアンが怪我した時はどうやって治せばいいんだよ」
「それが、ドレインです。ドレインとは、対象の魔力を吸い取る魔法です。そして、ドレインした魔力は受け渡す事ができます」
「それを、ムツリは使えるってことか?」
同意を求めるようにムツリの方を見ると、ムツリは小さく頷いた。
「でも、それでどうやってシアンの足を治すんだ?」
「普通の人であれば、ただ魔力が回復するだけです。ですが、リッチであるシアンちゃんはその魔力を使い、自身の傷を治すことができるんです」
サキュバスには、チャーム以外にも得意とする魔法が存在する。それが、ドレインだ。
本来は魔力を吸い取るための魔法だが、精気を吸い取る際にも用いられるため、サキュバスがチャームの次に覚える魔法とされている。
そして、リッチの回復魔法の代わりとなるのがこのドレインである。
ドレインした魔力をリッチに受け渡すと、回復魔法と同じように傷が癒えていく。リッチという種族自体が少ないため、この事実を知っている者も少ないのだ。
「つまり、ムツリがシアンにドレインした魔力を受け渡せば、シアンの足は治るってことか」
「そういうことです。あ、魔力に関しては私のを吸っていただければいいので、気にしないでくださいね」
「……っ!」
そう言ってシトラスが手を差し出すが、ムツリは相変わらず怯えた様子で近寄って来ない。
「ムツリ……」
ムツリはまだ、シトラスに心を開いていない。しかし、シトラス以外に魔力を吸い取ることができる人物はこの場にはいない。
シアンの足を治すためには、ムツリがシトラスと触れられる距離に近づけるようになるしかないのだ。
「なぁ、ムツリ。シアンの足、治したくないのか?」
「そ、そんなこと……で、でも、やっぱり、まだ、怖くて……」
「……お前、言ってたじゃないか。シアンを助けたいって。目の前でシアンが助けを求めてるのに、手を差し伸べてやらないのか?」
「そ、それは……」
「俺みたいになりたいんだろ?」
「──!」
その言葉が、ムツリの心を動かした。
「……うん。わたしは、お兄さんみたいな、困っている人を、助けられるような人になりたい……」
「ムツリならできるさ。男の俺にだって触れたんだ。シトラスなら余裕だろ?」
秋斗が手を差し伸べると、ムツリはそっとその手を取って草むらから出てきた。
「やっぱり……お兄さんは、わたしの憧れ。あ、ありがとう……」
ムツリは何度か深呼吸すると、少しずつシトラスと距離を詰めていき、手が触れられる距離まで近づくことができた。
「あ、ああああの!て、手を、だだだ出して、貰ってもももももも!」
「あ、あはは……大丈夫かな?」
シトラスが苦笑しながら手を出す。その手をガタガタ震える手でムツリが触れると、禍々しい光が二人の手を包んだ。
「こ、これで、魔力は、大丈夫……あ、後は、シアンちゃんに……」
「……早くして」
「ご、ごめん!」
今度はシアンの足に手を触れる。すると、ムツリの手から先程シトラスから吸い取った魔力がシアンの身体中に流れていき、見る見るうちに傷を癒していった。
実際に魔法で傷が治るのを見るのは初めてだったので、「おぉ……」と声が漏れてしまう。
「すごいな。本当に傷が治ってる……」
あっという間にシアンの体から傷が無くなり、足も自由に動かせるようになっていた。
「ん、治った」
「ふぅ……よ、よかった……」
「ありがと」
「ふぇ!?そ、そんな、お礼なんて……!」
そう言いつつも、どこか嬉しそうな表情を浮かべるムツリを見てつい頬が緩む。
「ね、ねぇ、シアンちゃん。お、お兄さんのこと、もう許してくれたり……」
「……あ」
「え?」
「……許さない」
「えぇ!?」
(シアンのやつ、絶対忘れてただろ……)
どんよりとした空気は消え、いつもの雰囲気に戻りつつあった。しかし、事態はお世辞にもいい方向に進んでいるとは言えなかった。
結局、倒しかけたヴァンパイアには逃げられ、肝心の指輪の発動条件も分からずじまい。サキュバスの町がどうなっているかも分からないし、またいつヴァンパイアと接敵するかも不明。
シトラスと合流できたとはいえ、この森を抜けるのも数日はかかるだろう。
(まぁ、でも……)
「あれ?ムツリちゃん、よく見たらすごい可愛いですね……」
「ひ、ひぃ!な、なんで、そんなに近づいて……!?」
「あ、逃げないでくださいよー!私、悪い天使じゃないですからー!」
「……シアン、眠いから寝る」
「お、お兄さん……た、助けて……!」
「シトラス、ムツリを追いかけ回すのはやめてやれ……」
今は、この騒がしくカオスな時間を楽しんでもバチは当たらないだろう。
シトラスから逃げるムツリを匿いながら、残念そうにするシトラスと共に、膝の上で眠るシアンの寝顔を見て癒されるのだった。
サキュバスの町からユミニスに戻ったティアラは、他の眷属全てを集めるようセリナに命令していた。
「ティアラ様、今ユミニスに残っている眷属全てを集めて参りました」
「ご苦労。他の眷属には後日伝えておいてくれるかの?」
「承りました。……それで、話というのは?」
「……昨晩、ここに一人で攻め込んできた阿呆がおった」
「一人で……?その侵入者がどうされたのですか?」
ヴァンパイアの強さは、この世界の誰もが理解している。一人で攻め込んでくるなど、自殺行為もいいところだ。
だが、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「眷属の74人が殺された。妾が止めなければ、もっと被害が出ていたじゃろうな」
「なっ!?そ、それは本当ですか!?」
「嘘ではない。それほど強力な相手じゃった」
信じられなかった。セリナ達眷属は、ティアラの力により戦闘能力が大幅に強化されている。今日出会った人間を除けば、ヴァンパイアに勝てる者などいるはずがない。それが、セリナにとって普通の考えだった。
「そ、その侵入者はどうされたのですか?ティアラ様が始末されたので?」
「いや、交渉を持ちかけられそれに応じた。もちろん、其奴は逃した」
「な、なぜそのようなことを!?私達同胞の仇を討たなくて良いのですか!?」
「おい、セリナ。お嬢になんて口利いてんだ。気持ちは分かるが落ち着け」
バルザードに注意され、溢れ出る感情をなんとか抑えた。
「……っ、申し訳ありません」
「気にするでない。妾も同じ気持ちじゃ。可愛い眷属達の仇はいつか必ず討つ。だから安心せい」
それを聞いて冷静さを取り戻す。だが、それならなぜ交渉に応じたのだろう?ティアラの実力であれば、いくら相手が強かろうとも負けるはずがない。何か事情があったのだろうか。
「交渉に応じた理由は、これ以上の被害を抑える為じゃ」
セリナの思考を察したのか、ティアラが交渉に応じるまでの経緯を説明し始めた。
「最初は妾も戦った。眷属達を殺された怒りで手加減する余裕などなかった。じゃが、其奴はあの手この手で妾の攻撃を全て防いで見せた」
「ほ、本気のティアラ様でも傷一つつけられなかったのですか……?」
またもや信じられない事実を言われ頭が真っ白になる。この世界で最強の名に相応しい者は他でもないティアラだと本気で考えていたからこそ、あまりの衝撃に空いた口が塞がらなかった。
「いや、本気だったかといえば違うの。指輪の力は使わんかったからの」
そう言って、“右手の指にはめられた赤い宝石のついた指輪”を見つめる。
「もし指輪の力を使っていれば、あるいは──」
「……その指輪の使用は、極力控えて頂けますでしょうか」
「……分かっておる。妾もあんな気味の悪い女に使いとぉない」
ティアラが撫でるように指輪に触れると、それに応えるように赤い宝石が輝きを放った。
「そういえば、ティアラ様はなぜ私の元へ来てくださったのですか?今の話を聞く限り、お忙しい様子だったみたいですが……」
「それも、あの女から言われたんじゃよ。『明日、眷属の一人が危険に晒される』とな。特徴を聞けばセリナのことを指しておったのじゃから、妾も驚いたわい」
(私が単独で攻め込むことも知っていた……?一体、その侵入者は何者なのでしょうか?)
「バルザード、貴方はその時何をしていたので?」
バルザードもセリナと並ぶほどの実力を持っている。彼が加勢すれば、多少なりともこちらが優勢になるのではと考えたが。
「もちろん俺も加勢しようとしたが、お嬢に止められた。……俺じゃ勝てないってな」
その時のことを思い出したのか、悔しそうに拳を握り締める。加勢するのを止められるというのは、戦いの邪魔になると言われたようなもの。忠誠心の高いバルザードからしたら、この上ない屈辱だっただろう。
もし、他の側近の眷属が残っていたら状況は変わっていたかもしれないが、タイミング悪くバルザード以外はセリナを含め皆城の外に出ていた。いや、恐らくそこを狙われたのだろう。
(こちらのあらゆる状況を把握しているとでもいうのでしょうか?薄気味悪いですわね……)
だが、その侵入者のおかげであの人間に殺されずに済んだと考えると、なんだかやるせない気持ちになる。
「妾の話は終わりじゃ。下がってよいぞ」
その言葉で、バルザード以外の眷属達次々とが部屋から出ていく。セリナもそれに続こうと背を向けると、ティアラに呼び止められた。
「セリナ、少しよいか?」
「はい、なんでしょうか?」
「疲れているところすまんのぉ。実は、妾も先日の件で疲れてしまってな。……指輪、外すぞ?」
「……!はい、承りました」
今から何が起こるかを察したセリナは、急いでティアラの目の前まで移動した。
「……んふふ」
「おい、ニヤついてるぞ」
「うるさいですわね……」
ティアラが指輪を外すと、糸が切れたようにガクッと全身の力が抜け俯いた。その際、手に持っていた指輪を落としそうになるが、セリナが素早く回収する。
少しの沈黙の後、ティアラがゆっくりと顔を上げた。すると、ティアラは座っていた椅子からピョンと飛び降りると、セリナに思い切り抱きついた。
「せりなー!つかれたのじゃー!」
先程のカリスマ性溢れるティアラはどこへやら。人が変わってしまったかのように、甘えた口調で騒ぎ出した。
「は〜い、疲れちゃいましたね〜♡抱っこしましょうか〜?」
こちらも敬意を払った言葉遣いをやめ、声色を変えて甘やかすようにティアラを抱き抱えた。
「……始まった」
呆れたように二人の姿を見るバルザード。二人に聞こえるくらいの大きさのため息をつくと、セリナがギリっと睨んだ。
「なんですの?私はただ、ティアラ様の要望に応えているだけですわ。そんな目で見るのはやめてくださいまし」
「ヴァンパイアのボスを眷属ナンバー1の実力者が甘やかしてる絵面を見て、何も思わない方がおかしいだろ……」
「何を今更。いつもしていることでしょうに」
そう、このやり取りは最早定番となっている。というのも、実はティアラの素はこの甘えん坊で我儘な姿なのだ。
では、あのカリスマ性溢れるティアラは演技だったのかというと、そうではない。
「にしても不思議だよな。あの指輪をはめると、お嬢の性格が真逆になるんだから」
「あれは、いつでしたか……丁度百年前でしょうか。ティアラ様が指輪を拾ってきたかと思えば、突然世界を征服するなんて言い出したんですから驚きましたわ」
「あぁ。お嬢は臆病で我儘だが、誰よりも優しかったから尚更な……」
初めて性格が豹変したティアラを見た眷属達は、自分達の目を疑った。あの可愛らしかったティアラが、冷徹で暴力的な性格に変わってしまっていたのだから。
「この指輪も、結局なんなのか分かっていませんしね」
ティアラから回収した指輪を見つめながら呟く。
この指輪には、得体の知れない力が秘められている。それを使い、ヴァンパイアは強大な力を手に入れた。どの種族にも負けない程の力を持っている理由はそこにあった。
この指輪がなんなのかは誰も知らない。だが、この指輪が原因でティアラが変わってしまったことだけは分かっている。
最初は危険なものだと判断して指輪を処分しようとした。しかし、壊そうとしても傷一つつかず、何度捨てても次の日にはティアラの元へ戻ってきた。
手放すことは出来ないことが分かったが、指輪を外すことはできたため、指輪をはめないようにすることを決めた。だが、数日間指輪をはめていないと、無意識のうちにティアラが指輪をはめてしまうのだ。指輪を隠しても、結局手元に戻ってしまうため意味はなく、結局この指輪と付き合っていかなければならなくなった。
セリナ達は、その不気味な指輪をいつしか『ノロイの指輪』と呼ぶようになった。
(こんな指輪さえなければ、今頃ティアラ様は……)
そんな考えが頭を過ぎる。だが、すぐに首を振って無かったことにした。
「そういえば、セリナ。お前、人間に殺されかけたらしいな」
「……はぁ、貴方には話したくありませんでしたのに」
「お前が人間如きにに負けるなんて、例え油断しててもあり得ないだろ。何があった?」
「……あの人間、指輪を持っていました。丁度、これと似たような物を」
「……なんだと?」
耳を疑うようなセリナの発言に、険しい表情を浮かべた。
「あの人間自体には、何の力もありませんでしたわ。ですが、指輪の力が引き出された途端、手も足も出せませんでした……」
「俺達を止める為にこの世界に呼ばれたってのは本当だったわけか……くそっ、あの女との交渉のせいで始末することもできねぇ……」
あの女とは、ユミニスに攻め込んできた侵入者のことだろう。交渉の内容が何だったのか聞きそびれていたが、なんとなく察しがついた。
「なるほど、『人間を殺すな』とでも言われましたか……厄介ですわね……」
あの時、ティアラが脅威になるはずの人間を殺さないと言っていたのも納得がいく。
「ですが、あの人間はまだ指輪の力を使いこなせていないようでした。もし、あの力が自由に使えるのなら、私と対面した時に使っているはず。それに、私達を止めることが目的ならば、既にここに攻め込んできていてもおかしくないですから」
(恐らく、あの時指輪の力が引き出されたのは偶然……それなら、すぐに攻め込んでくる可能性は低いはず)
だからと言って、安心できるわけではない。こちらも何か手を打たなければ、その内痛い目を見ることになるだろう。
「せりな……わらわ、ねむいのじゃ……」
ここで、話を遮るようにしてティアラが眠たそうにしながらセリナの名を呼んだ。
「分かりました〜♡それなら、寝室に戻りましょうか〜♡……フヒヒ」
「おい、気持ち悪いぞ」
相変わらずおかしな笑い方をするセリナを叱責する。
「失礼ですわね……では、私はティアラ様を寝室に運んできます」
「……セリナ」
瞼が段々と落ちてきているティアラを撫でながら、寝室に向かおうとする。だが、バルザードに声をかけられたセリナは足を止めて振り返った。
「なんですの?」
「……俺達眷属は、どれだけお嬢が非情な行動を取っても、それについて行くと決めた。お前も、そうだろ?」
その問いに、セリナは少しだけ俯いてから、すぐに顔を上げて答えた。
「……もちろんです。例え何度この手を汚すことになろうとも、私達はティアラ様のためにこの命を捧げる。それは、ティアラ様に忠誠を誓ったあの日から心に刻んでいますわ」
「……そうだな。おかしなことを聞いて悪かった」
「気にしてませんわ。ティアラ様を寝室に運んだら私も休みます。今日は疲れましたから。何かあったら呼んでくださいまし」
「承知」
そう言って、セリナはティアラを抱えて部屋から出ていった。
部屋に一人残されたバルザードは、そんな二人をどこか悲しむような目で見送った。
「……俺も行くとするか」
遅れて、バルザードも部屋から出ていく。
(お嬢と同じような指輪を所持した人間、か……一体何者だ……?)
城内を歩き回りながら思考を巡らせる。そもそも、人間はこの世界に存在しない生き物であり、情報が少ない。知っていることといえば、こことは別の世界で生きている、非力で臆病な存在だということだけ。
そんな人間が、なぜか最近この世界にやって来たという噂を耳にした。最初は気にも留めなかったが、よく考えればおかしなことだ。
まず、相手の目的はヴァンパイアの暴走を止めること。これは既に確定している事実だ。そして、この世界に頼れる存在がいなかった場合、普通どう考えるだろう。そう、自分達よりも強い者に助けを求めるはずだ。
もちろん、それは簡単なことではない。だが、不可能ではないはずなのだ。
(だが、奴等が助けを求めた相手は誰だ?どの種族よりも弱い劣等種。人間だぞ?)
もしかしたら、セリナが勘違いしているだけで実は人間ではないかもしれない。そんな考えが頭を過ぎるが、それはすぐに否定された。
(あのキユリとかいう女の交渉内容……それがある限り、セリナを殺しかけた相手が人間であることは間違いない……)
では、なぜ相手はわざわざ弱い人間に助けを求めたのか。
(相手が持っている指輪は、お嬢の持っている物とほとんど同じ物と考えていい……つまり、相手の指輪にも得体の知れない力があるってことだ)
となると、人間に助けを求めた理由は一つしか考えられない。
「その指輪は、人間にしか扱えない」
人間のいる世界にその指輪があるとは考えにくい。恐らく、お嬢のようにどこかで拾った者がいるのだろう。そして、その指輪が人間にしか扱えないことが分かった。だから、人間の力が必要だったのだ。そうでなければ、人間なんぞに助けを求める理由がない。
「やはり一番に処理するべきはその人間か。だが、今それをすることはできない……あの女、人間が俺達の脅威になることを分かっててあんな交渉してきやがったな……!」
キユリという少女が何者なのか知らないが、少なくとも人間側に与する者だろう。
だが、そうなるとここで疑問が生まれる。
(あれだけの力がありながら、なぜそんな交渉だけしてあの場を去ったんだ……?俺達を止めたいなら、あの女一人でどうにでも出来たと思うが……)
キユリとティアラの戦いを間近で見ていたバルザードだからこそ分かる。キユリは、ティアラよりも強かった。認めたくないが、それがあの戦いを見たバルザードの考えだった。
(完全にあっち側じゃねぇってことか……?)
ティアラがセリナの助けに入ることができたのも、キユリの忠告があったからだ。そう考えると、キユリがどちら側なのか分からなくなってきた。
「……ダメだ。考えるだけ無駄だな」
誰が敵で誰が味方か。そんなものはどうだっていい。
(そうだ、難しく考える必要なんてない。あの女がどちら側なのかも、どうだっていいんだ)
「お嬢の敵は俺の敵。お嬢に楯突く奴は、誰であろうが俺が殺す。それだけは、昔から何も変わらねぇ」
そのためには、もっと強くならなければいけない。どんな敵が現れても、自分一人で倒せるレベルに。
拳を強く握り締め、そう心に誓うのだった。
これで1話分が終わりです!
また続きが書け次第、投稿していきます〜




