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俺がローグライトになったため、ダンジョンが終わった  作者: 6k7g/中野在太


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永続アップグレード〈ランダマイザ〉

東京都町田市高ヶ坂一丁目 芹が谷公園浸度(レベル)1




 HUDの左上に表示されたスキル〈ブリンク〉に視線を合わせ、生田いくたいるは15メートルの距離を瞬時に跳んだ。

 ごくわずか、風景が色と残像の川になる。すぐさまスロウのデバフが慣性ごと速度を打ち消し、鋳の体は急停止する。

 空気は水のように粘って振り出す足に絡みつく。背後に感じる分厚い殺意との距離が、詰まる。


 考えが甘かった。


 ダンジョン都市〈町田〉と揶揄される東京都の一画を、知ったつもりでいた。

 配信を、動画を、繰り返し見た。芹が谷公園は初めて攻略するダンジョンにぴったりだと、観光客は長瀞のライン下りと同じぐらいのスリルを楽しんでいると、やくたいのないショート動画が保証していた。

 

 考えが、甘かったのだ。


 俺はここで死ぬ。なにひとつ有意味なことを成し遂げられないまま。


 鋳を追うのは、ヒトの肢体にカマキリの頭と鎌を接合したような、ぶかっこうな怪物だった。

 芹が谷公園のエリートモブ、通称ブレードシング。いくらか通常モブを狩ってレベルを二つも上げれば、無理なく倒せる雑魚だ。

 もちろん、感知範囲を間違えて既に通常モブを二体も引き連れている状況であれば話は別だった。


 走りながらHUDに焦点を合わせる。手の中に現れた〈コンポジットボウ〉に矢をつがえ、振り向き、放つ。

 ブレードシングは足を止めず、飛んできた矢を鎌で払った。〈コンポジットボウ〉の打点は15。このまま引き撃ちを続ければ撃破できるだろう。集中を切らさず、脚力も落とさず、他のモブの感知範囲も踏まなければ。


 死ぬ。間違いなく、数十秒後か数分後には。絶望はほとんど具象化した轟音として鋳の頭の中で鳴っている。


 ブレードシングに絡まれた鋳は、小田急小田原線の方面に進んでどん詰まりに突き当たると反転し、東に向かって走っていた。当の本人にはどこをめがける自覚もなく、一秒でも長く生き延びようと体をばたつかせていた。


 小川が、池が、遊具が、群れて並ぶソメイヨシノの老木が、その一切が、鋳の目には入らない。死にたくない祈りのかたまりが、ただ柔らかい土を蹴立てている。


 4秒のGCDグローバルクールダウンが空けた瞬間に〈ブリンク〉を起動する。靴裏が硬い感触を掴む。コンクリート敷きの多目的広場では、無数のモブがまぬけなしろうとを待ち受けている。


 肺まで干からびたように、息が苦しい。喉の奥に粘りつくような不快な感覚がある。ふとまばたきのように視界が明滅し、顔の全部に響く痛みで、我に返る。

 視界が暗い。転んだのだと遅れて知覚する。立ち上がろうとして、脚が灼けるように熱い。

 仰向けになった鋳は、上半身を起こした。ブレードシングが、道中ひっかけた数体の通常モブが、粛々と迫り来るのを見た。


 鋳は鷹揚に笑うと、〈コンポジットボウ〉を手にした。


「一発は殴り返すぞ」


 足を地面に投げ出したままで矢をつがえ、弦を引く。矢を放つ。


 一射を額に浴びたモブはのけ反り、すぐに姿勢を戻して駆けだした。鋳はかすかに、苦く笑った。ぶざまで無意味な抵抗だ。


「すまない、楽姫らき


 ブレードシングが強く踏み込み、加速した。鋳は目を閉じない、手にした弓も降ろさない。致命的な一撃が体に刻まれるその瞬間を瞳に捉える、そのように自分の肉体を鍛造している。


 数メートルの距離が埋まるのを、いやに長く、引き伸ばされたように感じる。


――カマキリとは、いやに目が合うな。


 死の間際、どうでもいいことに、思いを巡らせる。時間はねばつき、ガラスの垂れる速度で流れる。


 鋳の時間感覚が復調した。

 というのも、ブレードシングが、他の敵が、鋳の体の真横を通り過ぎていったからだ。


「…………は?」


 体を捻って後ろを向き、モブを目で追った。彼らは競い合うように一点を目指し走っていた。その先には噴水があり、水から突き出すオブジェがあった。



 鋳のあずかり知らないことだが、それは彫刻噴水・シーソーと名付けられた噴水だった。高さ16メートルの円柱に、互い違いに傾いて水を吐き出す二基のシーソーがくっついていて、夏場は子どもたちが遊ぶ――遊んでいた。〈大変状〉が町田を書き換えるまでは。



 これまたあずかり知らないことだが、彫刻噴水・シーソーには、神がみによって隠し要素(イースターエッグ)が仕込まれていた。



 さらにさらにあずかり知らないことだが、鋳は、イースターエッグの出現条件を満たしていた。



 ブレードシングが、モブが、次々に噴水へと分け入った。水を蹴立てて円柱に飛びつき、鋳は意識を失う、取り戻す、熱と耳鳴りを感じる。

 またも、視界が暗い。むやみに伸ばした腕の指先が、硬いかけらに触れた。石ころにしては鋭利で、断面はざらついていて、コンクリート片だと直感する。


 顔を上げると、地面が抉れていた。

 シーソーも噴水もモブひとまとめに消し飛んで、かわりに現れたクレーターのふちに鋳は転がっていた。

 腹の下で地面が崩れ、鋳とがれきは一まとめに爆発痕の底まで滑り落ちていった。血と埃にまみれた鋳の眼前、こぶし大の球体が浮かんでいた。


 モブを撃破した際、あるいはステージ内のチェストを開封した際に出現する光球と同じものだ。触れることによって、スキルやレリックや装備、また経験値や通貨ピアスタを獲得できる。

 レアリティは色で判別できる。灰がコモン、緑がアンコモン、青がレア、紫がエピック、赤橙がレジェンダリーだ。


 では、この暗黒物質のような、その無さでしか観測できないような、視認せざる黒は?


 手を伸ばすべきではないと、鋳は直感した。

 直感の前に、手は動いていた。


 光球は、水滴が紙に染みとおるように、鋳の指先に吸い上げられた。不整脈のような殴打のような衝撃が鋳の胸のあたりを襲った。目を凝らすと、HUDにメッセージが表示されていた。



獲得:永続アップグレード〈ランダマイザ〉



 続けて〈ランダマイザ〉に焦点を合わせると、詳細説明がポップアップした。


〈ダンジョン内で死亡した際、自動的に復活し、リスポーンポイントに帰還する〉


 神か?


〈ダンジョン内で手に入る装備、スキル、レリックはランダムなものとなり、ダンジョンから離脱する際に全て失われる。またレベルは初期値となる〉


 ゴミか?


 ダンジョンで死んでも生き返る、これはすこぶる朗報だ。

 決定的に変状したダンジョン都市〈町田〉においても、多くの場合、死んだら単に死ぬ。セーブポイントや直近のチェックポイントから復活したりはしない。

 しかし、無限蘇生のデメリットが重すぎる。レベルを上げて装備やスキルを集め、より上位のダンジョンに挑んでいくのが町田での生き方だ。その全てが失われるのだから、これでは何度生き返ろうと意味がない。


 絶望と失血が眠気を誘い、鋳は目を閉じる。このまま死んだらどうなるだろう。



 死ねるか。



 鋳は重たい瞼を持ち上げて、HUDの左上にある歯車のアイコンに焦点を合わせた。ポップアップしたメニューの『このランを終了する』を睨みつける。戦闘中はグレーアウトしていたが、周辺の敵が消し飛んだ今は選択できるようだ。


 暗転。

 明転。


 鋳は高架の上に立って、芹が谷公園を見下ろしていた。

 痛みはない。全てはリセットされた。これが〈ランダマイザ〉の効果であるのか、通常のダンジョンの挙動であるのか、鋳は知らない。

 なにも知らないのだと、肉体の痛みの無さが、痛い。


 十月。午後四時。

 残暑の曇り空がぬるい水滴を落としはじめ、


――夕立ちになったな。


 濡れたアスファルトの匂いをかぎながら、鋳は歩き出す。

 変状した町田を。

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