侍女が語る運命の日
楽しんでいただけたらうれしいです!
さて、お嬢様の婚約は無念なことに成立してしまった。政治的な思惑からのようで、これ以上ないほど速やかに。第一王子派は人材不足だな。
婚姻はお嬢様が学院を卒業される半年後からお妃教育が本格的に始まるので、その修了の見込みが立ってから準備を始める。早くてもいまから五年後くらいだろうという見込み。
「お嬢様、本当によろしいのですか?」
「だっていまさらイヤと言えないし、言ったところで覆らないわ」
「ですが、例の」
「誰も知らないのよ。わたくしの記憶違いか、もしかしたら本当に殿下だったのかもしれなくてよ?」
寂しそうな、苦しそうなお嬢様の微笑み。あ、これ内心「絶対ちがう」って思ってるやつ。
「…会えたら」
微かな呟きが聞こえた。お嬢様、実は会いたいと思ってらっしゃる?
あぁ、言ってしまいたい!
「お嬢様、実は………っっ!」
「ミラ? どうしたの?」
声が突然出なくなり、ただ口がはくはくと開閉するだけ。なるほど、喋ろうとするとこうなるのか。
「いえ、なんでもございません」
私の役目は見守ること。その日が来ればすべてがわかるのだから。そう思っていたけれど。
「シルフィ・ローグ! キサマ、よくもボクを騙したな!?」
よりにもよってなんで今日なの!?
今日はお嬢様の十六歳のお誕生日。この国では昔、女性の成人が十六歳だったことから、貴族でも平民でもこの日ばかりは身の丈に合った豪華なお祝いをするのがならわし。
もう、今日のお嬢様の美しさときたら!
袖のないドレスは銀糸で刺繍を施した濃青色の生地に透けるほど薄くて軽い紗を重ねた特注品。髪飾りと耳飾り、首元の装飾品も菫青石をふんだんに使って製作されており、夜の精霊のようだと表現してもまだ足りない…っ!!
お化粧? ほとんどやってません! むしろ最初塗り過ぎたから薄めに直したくらい!
(不本意ながら)婚約者となったディオン殿下も招いてかつてないほど盛大な祝宴を行っているというのに。
その婚約者が開始時刻に遅刻はともかく、開口一番がそれかい!
「騙したとは、どういう意味でしょうか?」
「『若草の君』のことだ! キサマじゃなかったんだ!」
わ、若草の君って…お嬢様のことをそんなダサい呼び方してたのかこのボンクラは! せめて『春風の妖精』と!!
「どうにもキサマと話が合わないと思って、古参の侍女や侍従に話を聞いた。そうしたら! キサマはあの茶会に出ていなかったそうではないか!」
え、今になってそんな聞き込みしたの? まず最初にやるべきことでは?
「侍従が一人、会場に着いてからすぐに帰った招待客がいた事を覚えていた。それがローグ侯爵家の娘だということも証言したぞ!」
ローグ侯爵家に娘はお嬢様ひとり。
招待されて、会場入りはしているから出席と記録され、実はお茶会には不参加、という可能性が高いか。何があったかわからないけれど、 状況によっては人目がなく噂にもならずにすんでしまったかもしれないし。
「そうですか。わたくしはお茶会があったことすら覚えておりませんので」
「キサマが言ったのだろうが!」
「お言葉ですが、殿下。わたくしは幼い頃の記憶をお話しただけです」
そうですよねー。自分の都合が良いように持っていったのは殿下たちですよねー。
「いつ、どこで、その方にお会いしたのか、誰にも話しておりません。なによりわたくし自身よく覚えておりませんから」
「やはり、キサマが元凶ではないか!」
なんでそうなるの!?
「そんなあやふやなら作り話だろう! なんとかしてボクの婚約者になろうとして話を作ったに決まっている!」
だからなんでそうなるの!?
「わたくしの思い出話がどうして殿下の婚約者になるための作り話だとおっしゃるのでしょうか?」
言葉の端々からお嬢様が怒っているのがよくわかる。穏やかな声が少し低く硬質なものになっている。
当然だろう。自分の大切な思い出を作り話だと貶されたのだから。
「何を言っている。ボクが『若草の君』を探しているのは有名な話だろうが」
有名? 「そんな話知っていて?」というお嬢様からの視線に目を伏せて小さく首を横に振って「私も知りません」と答えた。
ちなみに私はこの場に侍女としてではなく男爵令嬢としてお嬢様に侍っている。なぜって? 私の父がジーノ男爵といって爵位をいただいているからですが何か? 男爵夫人が侯爵家の乳母をつとめるのも、男爵令嬢が侯爵家の侍女をするのも普通のことですから。
「あの茶会で出会った若草色の髪をした少女。その瞳は熟した桃のようで、ボクは一目で惹かれてしまったんだ」
なにやら殿下が滔々と語りだした。芝居がかった仕草で声に熱がこもっている。
「その髪の色から『若草の君』とこっそり呼んでずっと探していたのだ。さぞや美しくなったことだろうと思ってな。人伝にキサマの話を聞いて、実際に顔を見たところ色合いがぴったりではないか! これはもう間違いないと思ったというのに!」
やっぱりアンタの思い込みだっただけじゃないかー!! お嬢様の美しさに目が眩んだんだろ!?
髪と瞳の色はたしかにお嬢様と似ているみたいだけれど…ん? その色合いの髪と瞳って。いやまさかね。
「キサマとの婚約など破棄だ!」
おおっ!! これはこちらにとって良い展開。
「それから、王族であるボクを謀った罪でこの国から追放だ!」
国外追放だと!? このアホ殿下ー!!
思わず一歩踏み出そうとした私だが、じっと話を聞いていたお嬢様から制止され、寸でで踏みとどまる。が、じりじりして動きたくて仕方がない。
「婚約破棄はしかと承りましたわ」
広げた扇子で口元を隠すのは貴族令嬢の嗜み。心は口元のみに出して、眼は常に笑みを湛えるもの。
けれど、今のお嬢様は扇子を閉じ、華の容貌には微笑みだけ。
「ですが、わたくしは殿下に対して嘘を申し上げたことはございませんし、まして作り話などしておりません。なによりわたくしに国外追放を言い渡す権限は殿下にございませんでしょう」
「おい、不敬だぞ!」
殿下の横で控えている側近の青年が声を上げたが、すぐにだまって固まった。
お嬢様の眼は笑っているようで全く笑っていない。この視線をまともに受けたら心が凍死する。向けられた当人じゃなくてもしばらく凍りつくシロモノだ。
「司法の場でもないこのようなところで王族が臣下へ勝手に国外追放などという罪を申し渡すなど、あってはならないことでございます。誤りを正すことの何が不敬でしょう。そもそもわたくしのことだって調べたら人違いだったことがすぐに判明したのでございましょう? わたくしがその『若草の君』かどうか、この婚約が整う前に調べることもできたのではございませんか」
それもこれも貴方がた側近がこれまでにやるべきことでしょう!? どれだけ自分の主をわかっていないのか!!
声に出さないお嬢様の心が聞こえた気がした。
もしかして、言葉に詰まっているこの側近たちの誰かがお嬢様の話を聞いて殿下に進言したのでは? 推測だけで殿下が探している方がお嬢様だと決めつけたのでは? そして殿下もきちんと調べもせずに婚約を決めたとか?
だとしたら、さすが殿下の側近たち。使えないわー。
はぁ〜。溜息しか出ない。
「もう頃合いじゃないでしょうか?」
『そうだね、そろそろ良い頃だ』
ぽつりと、吐いた独り言。その答えの如く頭の中に響いたのはとても耳障りの良い声。耳で聞いてないのに耳障りの良いというもおかしいけれど、そう聞こえるのだから仕方ない。
私はそっとお嬢様の耳へ口を寄せた。
「お嬢様、私が合図をしたら耳を塞いで身体を低くしてください」
「ミラ?」
殿下はまだギャーギャー言っているがもう耳に入らない。
「いまです!」
視界の端でお嬢様が耳を塞いでしゃがみ込んだのを確認して、私は思い切り息を吸い込んだ。
読んでいただきありがとうございました♪
次回は5/28予定です。