侍女が語る事の発端
初の連載です。
いつも通り短編で書いていましたが、まとめ切れなくなりそうだったので分けました。
楽しんでいただけたら嬉しいです♪
わたくしが覚えているのは、その人が光に包まれてキラキラしていたこと、わたくしに何かを尋ねて、それにわたくしが笑顔で頷いたこと。
それだけ。
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気持ちの良い初夏の朝だというのに、ローグ侯爵家の応接間には重苦しい空気が漂っている。ご当主とその娘であるお嬢様がテーブルを挟んで向かい合い、溜め息を連発しているからだ。
「シルフィ」
「はい、お父様」
「本当に、殿下だったのか?」
違うのに!
侯爵親子の会話に乳兄弟といえど侍女の立場で口を挟むなんて以ての外。どのみち言いたくても言えないこともあり、私はただ部屋の隅に待機するのみだ。
「違うと思いますが、確証がございません」
「だがお前」
「あの頃のわたくしは四歳か五歳でしたわ。正直、顔もおぼろげにしか覚えておりませんもの」
私、ミラがお仕えするシルフィ・ローグ様はこの国の第一王子であるディオン殿下から婚約を迫られ、今朝正式な書面がローグ侯爵の元へ届いた次第。
侯爵家のご令嬢で、近く十六歳になるシルフィ様。若葉色のゆるやかに波打つ髪、淡桃色の瞳、肌理の整った白い肌にすらりと伸びたしなやかな手指。この国で最も美しいのはウチのお嬢様だと私が請け負いましょう。
それに、通われている学院の成績も優秀、学年上位五位以内を保持しており、才色兼備とはまさにお嬢様のことだ。
本来であれば王子妃として身分も器量も問題ないお嬢様。そう、本来であれば。
ディオン殿下は、先ほども言ったとおり第一王子だが、いまだ立太子していない。
なぜなら、この国には同い年の王子殿下が二人いて、そっちの方がふさわしい、序列は大事だと大揉めに揉めているのだ。
第一王子のディオン殿下と第二王子のレオン殿下、現在ともに十九歳。
現国王陛下には正妃様と二人の側室様があり、正妃様には王女殿下が二人、側室様それぞれに王子殿下が一人ずつ生まれた。
先に生まれた第一王子よりも十日後に生まれた第二王子のほうが幼いころから何をするにも優秀と専らの評判で、おかげで第一王子派と第二王子派に分かれて何かにつけくだらない争いを繰り広げている。
民に影響がほぼなく、他国から付け込まれていないのは世情の安定と無派閥の人たちが頑張っているからだ。
「まったく。これまで我が家は権力争いとは無縁だったというのに」
ローグ侯爵家はどちらの派閥にも属していない。
遠く血筋を遡れば神職を任じられていた家柄。生臭いコトからは距離をおくのが常だったが、殿下からの求婚のせいでそうも言っていられなくなってしまった。
『ローグ侯爵家、第一王子派へ!?』
などと吹聴されている。とんだ醜聞だ。
そもそも、この件はディオン殿下の思い込みと先走りが発端。
お嬢様はただ学友との他愛ないおしゃべりで、
『幼い頃にキラキラした年上の男の子と遊んだ覚えがありますが、それだけで他のことをよく覚えておりませんの』
と、話しただけだったのに、それが巡り巡って殿下の耳に入り、
『ローグ嬢、キミが探しているのはボクだ! ボクもキミを探していたんだ!』
などと、かなりぐいぐい婚約を迫ってきた。いや、お嬢様は探していないし。
殿下方が幼い頃、貴族の子女を集めたお茶会が行われ、お嬢様も招待されたらしいのでそこでのお話なのだろうと。
キラキラした年上の男の子。
まぁ、殿下に当てはまらないことはないけど。
明るい金色の髪、晴れた空のような青い瞳は少し垂れがちで、背はすらりと高く物腰は優雅。中身を別にすればキラキラしていると言えなくはないだろう。
そう、中身は別。
お嬢様から話を聞くに、快活といえる性格だが、その場のノリで物事を判断しがちなこと、異性にのみ甘いこと、思い込みが強くて自分が絶対に正しいと信じて疑わないこと。
これは王族として致命的な欠点ばかり。せめて十歳までに修正してほしかった。
まぁ、さまざまな理由から私はかなり不満に感じているわけだ。その理由は言えないけれど。
「せめてレオン殿下であれば」
「レオン殿下の婚約者はカリーナ様に内定されてますでしょう?」
カリーナ様とは、レオン殿下のご生母様の親戚筋にあたる伯爵家のご令嬢。お嬢様より一つ年上で、学院の成績もそれなり優秀だったという噂。
レオン殿下の婚約者が内定したせいで第一王子派もディオン殿下の婚約者を決めるべく動いたのだろう。
私にとってはレオン殿下でも不満だし、迷惑な話には違いない。
「ねぇ、ミラ」
「はい、お嬢様」
「あなたはあの人のこと、覚えていないかしら? 乳兄弟だもの。小さな頃はずっとわたくしと一緒に遊んでいたでしょう?」
ええと、どうしよう。これについて私は話せないのに。
「シルフィ、それは無理だ。ミラは」
「……ごめんなさい、ミラ。あなた、記憶をなくしてしまったのだったわね」
俯いてしまった私を見て思い出してくれた。よかった。
そう、十歳のころ病に罹った私。なんとか快復したものの、それ以前の記憶をすっかりなくしてしまったのだ。
この病は高熱が約七日から十日続き、命さえ落としてしまうことがある恐ろしいもの。運よく助かってもさまざまな後遺症が残ることがある。記憶を喪うことも後遺症の一つ。
「私こそお役に立てず大変申し訳ございません」
それにしても使用人にごめんなさいが言えるお嬢様はやはり素晴らしい方だ。
「とにかくだ。正式に話が来た以上断ることができんが」
「わたくしに王子妃にはなれない決定的な何かが出てこなければ、ですわね」
「お前、何か企んでいないだろうね?」
「何かとは?」
「家出紛いのあの件、忘れておらんぞ」
あー、あったなぁ。そんなこと。
私が記憶をなくしたため遊び相手をやめさせる・いやだと言って侯爵様と盛大に親子喧嘩した翌日のこと。なんと、お嬢様は私を連れて家出したのだ。
といっても十歳の子どもが考えること。御者を言いくるめて侯爵様には何も言わず、お母上様のご実家まで馬車で出かけただけ。ただし、「家には戻りません。探さないでください」という置き手紙を残したため侯爵家は大混乱だったそうだ。
それから六年経った現在、さらに賢く美しくなったお嬢様が何をしでかすか。侯爵様は気が気ではないだろう。
「ご安心ください、お父様。さすがに駆け落ちなんてことはいたしませんから。今のところ」
なにぃ!? と立ち上がって激高しかけた侯爵様に構わず、お嬢様は私を伴って応接間を後にした。
お読みいただきありがとうございます!
次話は二日後の予定です。