童遊の鏡
何時もの様に、左手で店のドアを開ける。
店主が頭を下げ、挨拶を交わし、商品に眼を移す。
どの品にも興味が湧いてくる。
不意に暗い顔で覗き込む男の顔が眼に入り驚いた。
余程、熱中していたのか、鏡だと気付くのに時間が掛かった。
鏡に写った自分をじっくりと視るのは久し振りに感じたのと、驚きを隠す為に店主に声を掛けた。
「店主、この鏡はなんですか」
店主は鏡に写る自分に少し視線を向け、視線を戻し、鏡の過去を語り始めた…………
鏡の持ち主は22才の女。
女は、ある事を誓い生きて来た。
それは復讐。
自分の家族を奪い、天涯孤独の身へと堕とした相手への憎しみだけが生きる糧だった。
十年前、両親は騙され、多額の借金を背負わされた。
其処からは、絵に書いた様な家族崩壊への坂道を転がり落ち、全てを失った。
まだ学生だった女に出来る事は無く、ただ家族が壊れていくのを観ている事しか出来なかった。
それは憎み呪い復讐を誓うには十分な怨みだった。
義務教育を終えると、すぐに働きながら、あの男を探した。
早く金が欲しかった女は、齢を偽り水商売で働いた。
気にして居なかったが、自分の見た目は良いらしいという事が客の指名の数で解った。
綺麗に生んでくれた両親に感謝し、そんな両親を死に追いやった相手への怨みが増した。
自分と同じ様に全てを壊してやる為に、自分を磨き金を稼いだ。
稼いだ金は高価な化粧品と男の捜索費用に費やした。
女には他の人間にはない特殊な事があり、復讐は果たせると確信があった。
それは、呪術の知識と真の意味を理解していた事。
母方の家系が昔は呪術師だった。
女だけが継ぎ伝えていく物で、幼い頃から、父には知られぬ様に呪術の真の意味とやり方を教わった。
大多数の人は呪術の真の意味とやり方を勘違いしている。
それは当然の事で、間違ったやり方をわざとばら蒔かれたからだった。
呪いの標的にされる事が多い権力者や富豪達は、間違った術式を流布する事で、呪う事しか出来ない弱者へ、復讐の手段を与え、反乱を防いだ。
健気に人形に杭を打ったり、怨みを呟きながら、神社を廻る弱者達は、標的になった者の災いが有ったという嘘で、復讐心が満たされ、標的はほくそ笑む。
そうやって、呪いの真の意味とやり方を理解している者は少なかった。
僅かな人間だけが、童遊びに混ぜ気付かれぬ様に、伝えてきた。
呪いの真の意味とは、誓い。
自分の命を掛けて行う復讐の為の。
呪術師の仕事は場を整える事。
女は毎夜、欠かさずに呪いの儀式を行った。
鏡に向かい、自分を見つめる。
笑ったら負けよ…………
あっぷっぷ…………
冷たく暗い眼が見つめ返して来る。
怨みが増して行く。
家族を失ってから笑っていない。
復讐の途中で笑うのは覚悟が足りない証拠だ。
自分に呪いを掛ける独呪。
覚悟と怨みが薄れぬ様に。
人間は簡単に気持ちが変わる。
それを防ぐ為に。
男を見つけた。
すぐにでも殺したい衝動を抑え、男に近付いて行った。
身体を使い、愛人になり使用人という地位を得て、家に潜り込んだ。
毎夜の独呪が難しくなって行く。
笑ったら負けよ…………
あっぷっぷ…………
いつでも殺せるという想いが唇の隅を歪ませようとする。
頬が笑いの形に持って行こうと震えた。
まだだ、全てを失わせてからだと言い聞かせ歯を喰いしばって耐えた。
少しずつ少しずつ失わせて行った。
男は財産を失った。
財政難から家族が不仲になって行く。
笑みを堪えるのが困難で快感だった。
娘は家で行われる情事を見て、家を出て行った。
勿論、わざと見せた。
首も回らぬ状況でも女を側に置く男に、妻が怒り、口論が絶えなくなった。
そして、時が来た。
呪術師としての仕事をする。
場を整え、溢れそうになる笑みを堪えた。
三人で顔を合わせての話し合い。
修羅場でしかない。
男と妻は怒鳴りあってお互いを詰った。
女はわざとらしく、果物を剥いて男の口に運んだ。
それを見て、妻は叫び、女に出ていけと命じた。
然り気無く刃物の柄を妻の方に向け、部屋を出た。
ドアを背に呟く。
旦那さんが口論だ…………
もう堪える事も無く、笑いながら部屋に戻り、鏡に向かって笑い続けた。
誰かの足音が近付いて来るのが解った。
鏡越しに妻と眼が合う。
顔をどす黒く染め、怒鳴り始めた。
手には赤く染まった刃物が握られている。
女は笑いながら鏡越しに怨みを叫んだ。
そして、小さく歌い眼を閉じた
。
囲女さんも口論だ…………
「それがこの鏡です。」
鏡の端に付いている赤黒い物に顔をしかめた。
「確か、あの童遊のルールは、相手から眼を離さない事でしたね。人の怨みは買う物じゃありませんね。お客様は大丈夫ですか」
曖昧に返事を返し店を出た。