怪物の檻
店のドアを開けると、鉄格子の様な物が目に飛び込んで来た。
その大きさに圧倒されながら、ゆっくりと店に入る。
「いらっしゃいませ。ゆっくりしていって下さいな」
慇懃に頭を下げる店主。
ここまで心の籠った挨拶をする人を他に見た事が無い。
この人の言葉には不思議な暖かみがあり、これだけで来て良かったと思えてくる。
俺は、商品を見に来ているのか、ただ単に店主の話を聞きに来ているのか、いつもの様に答えが出せぬまま、入って来た時から気になっていた物に眼を移す。
入り口からは鉄格子しか見えなかったそれは、天井に届きそうな程の大きな檻だった。
この店は決して大きくは無い。
こじんまりとした、小さな店だ。
店の殆どのスペースを埋めてしまっている、異常な存在感と威圧感に、恐怖にも似た何かが心の奥から滲み出して来る。
その正体を知る為に、震えそうになる足に力を入れて聞いた。
「店主、この檻はなんですか」
檻の大きさ故に、鉄格子越しの会話になってしまう。
一度も入った事等ないが、刑務所の中に居る様な錯覚に囚われる。
犯罪を犯した俺に、面会に来てくれた優しい祖父。
そんな構図が頭に浮かんだ。
不意に頭の中の祖父と、店主が同期する。
「はい、この檻は……」
一瞬、どちらが喋ったか解らなかった。
数瞬の間、俺はどんな顔をしていたのだろうか。
そんな事を微塵も気にする風も無く、店主は語り始めた…………
檻の持ち主は29歳の男。
男には幼い頃から妄想癖と被害妄想が有った。
些細な事でも気にし、簡単に他人を憎んだ。
少しでも気に入らない者が居ると、男は徹底的に憎み恨み侮蔑した。
それでも治まらない時は、妄想の世界に逃避する。
妄想の世界では、気に入らない奴は怪物になって現れる。
自分はその怪物を殺す英雄に。
残酷に怪物を殺し、恨みを晴らし、報酬に皆からの自分を讃える声を聴く。
妄想の中とは言え、堪らなく気分の良い物だった。
男はそんな妄想に浸りながら生きてきた。
親が資産家だった為、働かなくてもいい男が、外に出るのはコンビニに向かう時に限られる。
酒を買いに家の近くのコンビニへ。
レジには新人なのか、初めて見る顔があった。
酒を数本持ってレジに置くと、やはり新人のようで、対応の悪さに苛立った。
だらだらと時間ばかりが取られていく。
仕舞いには、一からやり直し、それでも駄目で店長を呼びに行った。
頭に来てそのままコンビニを出た。
少し遠いが他のコンビニに行く事に。
歩いてる間は、使えない店員の雑言が尽きなかった。
雑言が、文句の一つでも言ってやれば良かったと、後悔に変わった辺りで、別のコンビニに着いた。
コンビニに入ると、レジに立つ一人の女に眼が釘付けになった。
なんて綺麗な人だろう。
突っ立ている男に女は、いらっしゃいませと微笑みながら、挨拶をした。
見とれていて放心していた男は、声を掛けられたと勘違いし焦った。
こんな経験が初めての男は、逃げるようにコンビニを後にした。
それからは、寝ても覚めても考える事は一つだった。
女の顔と声。
あの時、混乱して何も言わず出て行ってしまった。
なんと言っていたのだろうか。
気になって仕方なかった。
男は幾日も考え続けた。
考え続ける中で、少しずつ妄想が足されてゆく。
本人にしか解らない妄想に彩られた男の答えは。
付き合って下さい……
答えの出た男は嬉しくて堪らなかった。
自分と同じく、あの女も俺に一目惚れだったんだと。
返事をしなければと家を飛び出した。
コンビニに入ると、女の笑顔が眩しかった。
勢いで飛び出して来たが、男には自分から話掛ける様な勇気は無かった。
また向こうから話掛けて来るだろうと待つ事にした。
適当に弁当や菓子をカゴに入れ、レジへ足を向ける。
心臓が早鐘を打つ。
女の顔から眼が離れなかった。
会計が終わり出て行こうとした時に女は笑顔で言った。
「有り難う御座いました。またお越し下さい」
頭の中で妄想が付け足される。
またお越し下さい。
次は大切なお話が有ります。
男は嬉しくて、また来ると誓った。
それから男は毎日コンビニに行った。
女の言う大切な話を聞く為に。
なかなか切り出して来ない女を照れ屋だと思い、更に可愛く思えた。
待つのも男の務めだと、そんな自分が誇らしかった。
コンビニに通って行く内に、お互いに何も言わずとも距離が縮まって行くのを感じた。
肉まんを買い、有り難う御座いましたと言われ、好物が同じだと思い嬉しかった。
漫画を買い、袋は一緒で良いですかと聞かれ、趣味が合うと感じた。
箸は二膳で良いですかと聞かれ、二人で食べる夕食を思い浮かべた。
男にとって、コンビニはデート場所だった。
楽しくて仕方がなかった。
自然消滅と言う事があるなら、逆に自然に付き合っているという事もある筈だと考え、正に自分達がそうだと確信した。
幾度とデートを重ねる内に、男はそれだけでは物足りなくなった。
女の後を尾け、家を知った。
照れ屋な女は、自分から合鍵をくれる事はないだろうと自分で用意した。
鍵を手に入れたからには、行かなくてはならないという使命感が湧いてきた。
次の日には、自分で用意したのではなく、女から渡された合鍵という事になった。
勇気を出して合鍵をくれた女に報いなければならない。
男は勇気を振り絞り、女の家に向かうが、やはりまだ踏ん切りが付かず、女が不在の時に家に入った。
家に入ると、綺麗に整頓されたリビングが見えた。
リビングの奥には寝室が有った。
広くはないが、一人暮らしには丁度良く思える。
物色しながら寝室へ。
そこで信じられない物を発見した。
可愛らしい写真立てに飾られた、幾つかの写真。
写真の中で笑う女の横には、知らない男が写っていた。
何かが弾ける様な感覚と目眩に襲われる。
怒りである事は直ぐに理解した。
それも今迄にはない、立っていられないくらいの激怒。
俺の彼女は浮気をしている。
自分という者が在りながら。
許せない。
赦せる筈がない。
写真を滅茶苦茶に破り捨て家を後にした。
怒りで狂いそうな心は、償わせなければ治まりそうにない。
女は許してもいい、恐らく出来心だ。
だが、あの男は駄目だ。
殺してやる。
たっぷりと時間を掛けて後悔させて殺すと誓った。
誓いを果たす為に用意をし、女の家を張る。
へらへらと笑いながら出てきた男に殺意が燃え上がった。
人気の無い場所に行くのを待ち、後ろから用意していた棒で殴りつけた。
何も言わず男は崩れ落ちた。
手に残る殴った感触が心地良かった。
復讐心が鎌首をもたげる。
殴り続けたい衝動を、殺すのは此処ではないと押し殺し、車に運び込んだ。
予め決めておいた山に着き、動かない男を引き摺り出した。
そして、思い付く限りの方法で時間を掛けて殺した。
悲鳴は心地良かった。
命乞いは優越感を煽り、断末魔は性欲すら満たした。
死体の写真を取り、死体を始末して鼻歌混じりに帰路に着いた。
死体の写真を女に送り付け、男は全てを許す事にした。
それから女は笑わなくなった。
いつも辛そうにしている。
何故だろう。
全てを許したのに。
また楽しい毎日になる筈なのに。
男には答えが見付からなかった。
辛そうな女を思うと胸が張り裂けそうだった。
耐えられない。
男は自然と妄想の世界に逃げ込んだ。
次々と現れる怪物を殺し、その度に喝采が贈られる世界に。
不意に男を讃える一人が、あの女に切り替わる。
その顔は溢れんばかりの笑顔だった。
ある閃きに妄想の世界から現実に引き戻される。
そうだ。
女の目の前で怪物を殺せば、また笑ってくれる。
自分を尊敬し、愛してくれる。
男は怪物を捕まえる事を計画した。
女の目の前で、怪物を殺す為に。
そうすれば、また笑ってくれる。
その為に檻を用意した。
そして……………………………
ある場所で男の変死体が発見された。
鋭利な物で抉られ、酷い有り様だった。
現場には、身の丈を越す空の檻。
遺体の側には、遺書らしき物が落ちていた。
それには、捕まえるのだけで精一杯だったと記されていた。
「それが、この檻です」
男の死に様を想像し吐き気が込み上げてきた。
「男は一体、何を捕まえたんですかね。貴方には見えますか。檻の中の怪物が」
震える足を左手で抑え、平然を装い店を出た。




