第6話 弟子になるための試験
その日の夜、魔法で作り出した青い三日月が輝く頃。
「ラグロさん。私に、魔法を教えてください!」
安楽椅子に腰かけて読書をしていた僕のもとへとやってきたココナは教えを請い、深く頭を下げた。
しん、と静寂が落ちる。
まぁ、予想はしていた。君でも魔法が使えると言った時の彼女の瞳は、とても印象的に残るほどに輝いていたから。
想定通りの彼女の行動。懇願。
僕はカップを宙に浮かせ、頭を下げたままの彼女を見た。
「……断るとは言わない。だが、誰彼構わず弟子にする気もない」
「っ……」
「魔法は道具だ。便利な技術で、その者の人生を豊かにしてくれる……だが、使い方を誤れば人を殺める危険な技術だ」
これは頭に入れておかなくてはならない事実だ。
実際、二千年前には多くの魔法使いが存在していたが……その中には、魔法によって全てを失った者もいる。いや、自分だけならばまだいい。時には、他者の人生を破壊してしまうことだってあり得るのだ。
真摯に向き合い、学べば、誰でも扱える。
だが、誰もが気軽に手にしていい技術ではない。
「だから師は教える前に必ず問うことになっている──ココナ。君はなぜ、魔法を使いたい」
どんな願望がある。どんな欲望がある。どんな信念のもと、魔法を学びたいと思っている。
師事する上で、何よりも大切な問い。
頭を下げたままの一度唇を結び、それから、ココナはゆっくりと話し始めた。
「妹を救いたいんです」
声が、少しずつ細くなる。
「二年前、地上に出てきた赤い蝙蝠の魔獣に襲われて……一命は取りとめたんですけど、目を覚まさなくて……お医者様には、もう目覚めることはないと」
「……」
「唯一の希望は……S級ダンジョン【月影の霊峰】の深部に群生する【月宵草】です。万能の薬草と言われているそれなら……と思っているんですけど、トップ攻略者でも命がけのダンジョンで、E級の私なんかじゃ、入口にも……」
彼女は自分の掌を見下ろして、力なく笑った。
「配信を始めたのも、それが理由なんです。お金を貯めて、装備を買って、いつか届くかもって……あと、これは、恥ずかしい話なんですけど」
「聞こう」
「私、ほんとうは、すごく臆病なんです。一人でダンジョンに潜るのが、毎回、怖くて怖くて。でも配信を点けると、画面の向こうに誰かがいてくれる。『誰かと一緒にいる』って思えるんです……たった二十人でも、私にとっては、命綱でした」
なるほど。
初日、死神を前にして、彼女が浮かぶ箱に「ありがとう」と告げた理由が、ようやく分かった。あれは客への挨拶じゃない。一緒に潜ってくれた仲間への、別れの言葉だったのか。
「……ラグロさんの魔法を初めて見た時、思ったんです。ああ、この力があれば、妹を救えるって。だからお願いします。時間がかかってもいい、どんなに厳しくてもいいんです。私に――」
「ひとつ、いいことを教えよう」
僕は彼女の言葉を、静かに遮った。
「その眠り病。古代では【夢喰い】と呼ばれていた……知っている病だ」
「────え」
「そして月宵草は確かに効く。だが、摘んだだけでは駄目だ。あの草は、煎じる時に術者の魔力を通して初めて薬になる。近しい血縁の魔力なら、なおいい。──つまり君の妹を起こせるのは、薬草を手にした『魔法使いの姉』だけ、ということだ」
ココナの目が、大きく見開かれていく。
「じゃあ……じゃあ、私が魔法を覚えたら、あの子は……コユキは……」
「道はある。二千年前の医術書に正式な調合手順が残っている……ただし」
僕は立ち上がり、机の引き出しから一枚のパピルスを取り出した。
さらさらと術式を書き付け、現代の言葉に訳を添えて、彼女の前に置く。
「試験だ──そこに記した手順だけで、火を灯してみせろ。できたら、弟子にする」
「手順、だけで……? ラグロさんは、教えてくれないんですか?」
「ここは図書館だ。学び舎の入口はいつでも『書かれたものを、自力で読む』ことから始まる。それができない者に魔法は渡せない……安心しなさい。手順は完璧に書いた。あとは、君の問題だ」
ココナはパピルスを両手で受け取り、じっと見つめ──顔を上げた。
もう、泣きそうな顔はしていなかった。
「やります。絶対に、灯します」
◇
【ガチ検証:紙に書かれた手順だけで、現代人は魔法を使えるのか】
翌朝から、試験は始まった。
パピルスは映さないので配信をさせてくださいとココナが言い、これを僕は了承した。「見ててもらえた方が、頑張れるので」とのことだ。
僕は約束通り、手も口も出さない。
彼女から預かったスマホを机の端に立てかけ、ドローン越しの映像を横目に、自分の読書に戻った。
「【灯火】! ……ファロス! ……はぁっ、ファロス!」
何も起きない。
「息を、整えて……火を、思い描いて……ファロス!」
必死に唱えるが、何にも起きない。
◇
『開始6時間経過』
『祭りだと思って来た奴らはもう帰ったな』
『同接、ピークの200万から2万まで減った』
『残ってるのはガチ勢だけか』
『2万人で見守る配信、嫌いじゃない』
『美少女が必死に頑張ってる姿だけで飯が美味い』
『お前は帰ったほうがいいぞ』
◇
夜が来た。
ココナは水だけ飲み、パピルスに齧りついている。
仮眠を取れと言ったら「五分だけ」と言って本当に五分で起きた。頑固な子だ。
「……ふふ、みんな、まだいてくれるんですね。ありがとうございます。……ほら、私、一人だと弱いので。見ててくれると、続けられます」
掠れた声で、彼女は画面の向こうに笑いかける。
◇
『いるよ』
『寝落ちしたけど戻ってきた』
『仕事から帰ってきた。まだやってて安心した』
『諦めるまで付き合うって決めたから』
『20時間経過。もはや全員家族』
◇
二十五時間目。詠唱の声はもう、囁きに近い。
二十九時間目。指先が震えて、パピルスを取り落とした。拾って、また構える。
体力も気力も限界を超えている。
画面に映るココナは、今にも眠りに落ちてしまいそうだ。
このままでは倒れてしまう。
一度、ちゃんとした休息を取らせるべきだろう。
彼女の身を案じた僕は声をかけに行こうと、席を立った──丁度、その時。
スマホの中の彼女が、すう、と息を吸ったのだ。
今までで一番、深く、静かに──そして。
「──【灯火】」
彼女の指先に。
豆粒よりも小さな、けれど確かに熱を持った、橙色の火が──灯った。
「…………あ」
ココナが、自分の指先を見つめる。
自分自身でも信じられないように、大きく目を見開いて。
「つ、ついた……ついてます……! みんな、見えてますか、私の火、私の……っ、う……ひっく……」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、それでも彼女は火を消すまいと、宙に浮いた火を両手で包む。。
小さな火が、涙に滲んで揺れていた。
配信のコメント欄は一時的に、完全に沈黙し──それから、決壊した。
◇
『ついた』
『ついたああああああああ‼』
『苦節三十時間!』
『泣いてる。朝の電車で泣いてる』
『【歴史的瞬間】現代人類、二千年ぶりに魔法を灯す』
『魔法使い第一号、ココナ』
『E級探索者が人類史を変えた瞬間である』
『おめでとう!』
『おめでとう! おめでとう!』
『おめでとう』
『おめでとう』
◇
見事なり。
僕は我が子の成長を見守る親のような感慨に浸りながら、彼女がいる部屋に入った。
「よく頑張りました」
「は、はいっ……ひっく……」
「三十時間、一度も手順を疑わず、一度も投げ出さなかった……合格だ。今日から君は、この大図書館の、弟子第一号だ」
「……っ、はい! よろしくお願いします、師匠!」
「師匠はやめなさい。ラグロでいい」
「じゃあ、ラグロ師匠で!」
「聞きなさい」
◇
『師匠呼び定着しそうで草』
『弟子第一号、正式認定きたああ』
『この師弟、尊すぎる』
◇
さて。
僕はドローンに向き直った。丸いレンズの向こうに、二万の目がある。三十時間、彼女の火を待ち続けた目だ。
「──画面の向こうの諸君にも、伝えておこう」
板の文字が、ぴたりと止まった気がした。
「見ての通り、魔法は才能を問わない。書かれた手順を読み、諦めなければ、誰にでも使える。そして、その手順を記した本なら――ここにある」
僕は背後の、地平線まで続く書架の海を示した。
「この大図書館まで辿り着いた者。そして、悪意なき者。その両方を満たすなら、誰であれ、僕は魔法を教えよう」
「ら、ラグロ師匠!? それ、大変なこと言ってますよ!?」
「かもしれないな……だが、二千年待った。友人たちの本が、読まれる日を」
だから、言ってしまおう。
「――学びたければ、探せ。この世の叡智の全てを、ここに置いてある」
板が、砕けそうな勢いで鳴き始めた。
◇
『言ったぞ』
『言っちゃったよこの人』
『大探索時代、開幕!』
『世界中の攻略者が今、一斉に装備を確認してる』
『どっかで聞いたことあるセリフなんだよなあ……』
『いや待て、この図書館への道、この人が全部消したんだが?』
『↑自分で隠した宝を探させるの、大物すぎる』
◇
「な、何だかとんでもない、こ、と……に」
「おっと」
ココナの身体がふらりと揺れ、僕は咄嗟に支える。
見えるのは達成感に満ちた寝顔だ。聞こえる寝息からして、深い眠りについたらしい。
無理もない。
三十時間、ほとんど休憩を取ることもなく魔法に挑み続けたのだ。
未知の領域への挑戦は、莫大なエネルギーを消費するもの。こうなって当然だ。
「本当に、よく頑張りました……我が弟子よ」
魔法で呼び寄せたソファにココナを寝かせ、膝枕をし、彼女の頭をそっと撫でつける。
今はゆっくりと寝かせよう。修行は、起きてからだ。
尚、この時の様子は勿論配信されており……約十二時間、僕に膝枕をされ頭を撫でられる様子に、コメントは非常に盛り上がった
後に、この映像を観たココナは『楽に死ねる魔法を教えてください』と本気で言ってくることになるのだが、それはまた別のお話──。
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