第25話 交渉決裂
──殺すぞ。
あまりにもふざけた要求に膨れ上がった殺意と怒気を何とか鎮め、僕は深い息を吐いた。落ち着け。乱されるな。心の乱れは弱さの証。相手のペースに飲まれるな。冷静に、冷静に……。
僕は拳を握った。
肩を震わせ、溢れ出そうになる怒りを全力で抑圧する。
ここで魔法を撃てば、この地下ごと消し飛ぶ。被害を受けるのは眼前の少女だけではない。大切な三人の弟子たちまで怪我をすることになってしまうのだ。
感情に身を任せては、絶対にいけない。
まぁ、本音を言うなら……今すぐにでも彼女の口を縫ってあげたいところなのだけど。
「……し、師匠? 大丈夫ですか?」
「あぁ、ありがとう。大丈夫。問題ないよ」
心配の視線を向けるココナに笑いかけ、僕は彼女を片腕で軽く抱きしめた後、継ぎ接ぎの少女に言った。
「相手にものを頼むなら、まずは名乗りなさい。最低限の礼儀すら欠くような相手と対話をするつもりはないよ」
「そうですね。失礼しました。順序を間違えました。うっかりさんです」
こつん、と自分の頭に拳を打ち付けた少女は次いで、仰々しく一礼し、自らの名を名乗った。
「超絶イカした継ぎ接ぎメイド――イルミナと申します。職業は、錬金術師です」
「錬金術? 鉄屑を黄金に変える研究者か」
「はい。ですが、金や不老の薬には興味がありません。私の専門は――怪造学」
「聞いたことのない専門だね」
「そうでしょう。一般的には公にされていない……いえ、歴史の闇に葬られた学問ですから」
イルミナは腕の縫い目をいじりながら説明した。
「怪造学は人間を越えた超生物を作る分野。あらゆる素材から、生物から、あらゆる可能性を摘出し、結集し、調合し……新たな声明を造り出すのです」
「例えば、どんな怪物を?」
「ここにも、たくさんいますよ」
イルミナが何でもないかのように告げた瞬間──背筋が鳴った。
カウンターの椅子。壁のランプ。天井の梁。棚に並んだ酒瓶。床のタイル。一見すると何の変哲もないそれらの輪郭が一瞬、ぶるりと震えた。
そして次の瞬間──椅子の足が関節を持ち、ランプの傘の内側に歯が並び、酒瓶の中身が眼球に変わった。
超危険生物の登場。
肌が粟立った瞬間、僕は硬直した弟子たちを背に庇い、魔法を発動。
「【慈愛なる加護の膜】」
身を寄せ合う三人を、三枚の膜が覆った。
外部からのあらゆる攻撃から対象者を防ぐ、強固な防御結界だ。
「素晴らしい魔法です。流石は大賢者様」
イルミナは、感心したように膜を眺めていた。
周囲の怪物たちは動かない。ただ、じっとこちらを見ている。
「ご安心を。私の合図がなければ、この子たちは動きませんから」
「その合図を出させないために、僕がここで君を殺すという発想はなかったのか」
「勿論ありましたよ。ですが、貴方様はそれをしないという考えもありました」
何故なら。
少女は褪せた金の瞳で僕を見上げた。
「――話を聞き終わるまで、相手に危害を加えない。あなたは、そういう人です」
「僕のことは調べてあるわけか……いいよ」
一先ず話を聞こう。
僕は弟子たちを守る防御結界を展開したまま、応じる。
「その首元の飾りと、病院に残されていた札。三日月に、剣……君たちは──【聖剣軍】の残党か」
「残党、とは少し違います。私たちは──後継者」
イルミナは続けた。
「かつてあらゆる魔法使いを滅ぼし、図書館を焼き、悪しき力を屠ることで神に忠誠を誓った者たちの……素晴らしき末裔です」
「何が素晴らしいだ。神の名のもとに略奪の限りを尽くした蛮族がッ」
思わず声を荒げてしまった。
しかし、そんな僕を咎めることはせず、イルミナは言った。
「白波コユキさんは私たちが預かっています……取引をしましょう」
「……100年も生きていない青二才が大人の真似事をするものじゃないぞ」
「であれば、この世の大半は大人とは言えないことになりますよ……白波コユキさんはお返しします。その代わり、貴方が守る全書物の焼却を」
ココナが息を呑み、僕を見つめる。
大切な妹の生死は今、僕が握っているから。
「……一つ、答えてくれ」
「何なりと」
「なぜそこまで──魔法を憎む」
二千年前も答えを得られなかった問いだ。
「魔法は崇高な力だ。人間が持つ叡智の結晶であり、奇跡そのもの。古来より多くの魔法使いが生涯を賭して発展に貢献した、宝だ……それを、何故」
「何故、と言われましても」
イルミナは、僅かに首を傾げた。
そして暗記したものを読み上げるような、平坦な声で答えた。
「―─魔法は神の意志に背く、悪しき力であるからです。それ以上でもそれ以下でもありません」
嗚呼、変わっていない。
二千年の時が経っても、人は変わらないのだな。
少しだけ、ほんの少しだけ……失望した。
「コユキ……ココナの妹は無事か?」
「もちろんです。ご覧になりますか?」
「案内してくれ。答えは、それから出そう」
◇
イルミナに導かれてカウンターの奥の扉をくぐる。
その先は思ったよりも広い空間だった。恐らくは地下を掘り広げたのだろう。石の床。剥き出しの配管。そして、部屋の中央に鎮座するのは──硝子の円筒。
人ひとりが立って入れるほどの大きな硝子の器。
中は淡い青の液体で満たされ、細かな泡が絶えず立ちのぼっている。
その中に──少女が浮かんでいた。
薄い病衣。ゆらゆらと漂う、長い白髪。目を閉じて、両手を胸の前で軽く握って。眠るように沈んでいる。
「――コユキッ!」
防御結界の外に駆け出し、ココナが円筒に縋りついた。
「コユキッ! お姉ちゃんだよ! ねえ! 起きて! ねえっ!」
「……」
当然返事はなかった。
少女はただ静かに、青い液体の中で漂っている。
寄り添ってあげなさい。
僕はミルとアルテミアに視線を向ける。と、彼女たちは意図を汲み取ってくれたようで、すぐにココナの傍により、彼女の小さな背中に手を添える。
優しい弟子たちを持てて良かった。
怒りに満たされそうになっていた心に温かな感情を宿し、僕は改めて、円筒を見つめる。
死んではいない。
確かな生命反応を感じる。コユキはただ、眠っているだけに過ぎない。
「――この液は」
僕は硝子の表面に指を当てて、内側の魔力を読んだ。
「……魔力を溶かした保護液。組織の劣化を止め、生命を維持している……なるほど、丁寧な仕事だ。少なくとも乱暴に扱われてはいない。僕が本の保存に使う術式と原理が近いな……悔しいが、腕はいい」
「お褒めにあずかり光栄です」
イルミナがぺこりと頭を下げた。
「有機物も無機物も、生命も非生命も、等しく丁重に扱うのが私の信念です」
「その割には、命を冒涜する専門のようだが」
「発展や進化には常に犠牲がつきものです。それを割り切れないものは、何も成すことができません」
「一理あるな」
「それで……どうなされますか?」
彼女は、硝子の円筒に手を添えた。
「尊い命と、書物。選ぶのは?」
イルミナの瞳から読み取れるのは、僕が命を粗末にしないというある種の信頼だ。
迷った末、前者を選ぶという確信。
だが──実際のところ、僕はそこまで甘い男ではないのだ。
「男というのは、欲張りなものでね」
「?」
「何かを犠牲にして得るよりも……何も失わずに何かを得る方法を模索するものなんだ。所謂、総取りというやつだね」
僕は懐から細い試験管を取り出す。
入っている薬の名は──【ポロ・ポーション】
変身を解除する効力を持つ薬。その栓を弾いて、一息に呷った。
白い髪が銀灰に。
細い肩が広く。
低くなった視線が、少女を見下ろす高さに戻る。
「いい気になるなよ──小娘」
口元に三日月を描く。
「書物は捨てない。コユキも頂く。君たちの信念も、信条も、志も、何もかも粉砕する……決裂だ。交渉の席に着く余地もない」
バキッ。
一瞬で周囲の空間全てを凍結し、部屋に控えた怪物たちを無力化し──告げる。
「一昨日来やがれ──邪神の奴隷共」
「……やれやれ、こうなるとは思っていました」
溜め息を吐いたイルミナは袖を捲り――痛々しい縫い目に、指をかけた。
何をする気だ? まさか、体内に怪物を飼っていたのか?
臨戦態勢を取り、僕が睨む中、イルミナは次々と肌の糸を解いていく。
血が滴り、亀裂が広がり、思わず目を逸らしたくなる。
そして、やがて現れたのは──口だった。
人の唇の形をした裂け目が、彼女の腕の上でゆっくりと開いた──瞬間。
【相変わらず頑固なんだから……私のラグロ】
「──は?」
声を聞いた瞬間、世界が止まった。
嘘だ。
僕はその声を知っている。
知らないはずがない。
だってそれは、僕がずっと恋焦がれ、想いを馳せ、そして僕自身が命を奪う最悪の結末を迎えた女の子のもので──。
「流石に効果覿面」
薄く笑ったイルミナ。
僕が見せてしまった一瞬の隙を──彼女は的確についた。
「ではでは──ごきげんよう」
その瞬間──世界が白く爆ぜた。




