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第19話 師匠、ちょっと地上へ行きませんか?

 弟子が三人に増えて、十日が経った。

 この僅かな期間で、彼女たちは劇的な成長を果たした。


「……二十八分」


 椅子に座り、紅茶の入ったカップを傍に置いたココナが冷静に記録を呟く。

 指先の灯火はもう震えていない。

 初日に八秒だった火が、二十八分。

 しかも他ごとをしながら維持できるようになった。素晴らしい成長だ。しかも、一ヵ月と経過していない短期間で。師として、その成長は嬉しく思う。

 目標の三十分に到達するのも、すぐだろう。


「あと二分……なんで消えちゃった? あと少しだから緊張したのかな。それとも集中が切れた? まだ駄目。到達する前に喜んじゃ……」


「焦らなくていいぞ、ココナ」


 現状に満足することなく失敗の原因を追究するココナ。

 彼女に、僕は手元の本の修復作業を進めながら言った。


「君の成長は素晴らしい。残り二分で火が消えてしまったのは、決して君の気が乱れたからではない。集中力は申し分ない。あとは、消費する魔力の配分を考えるんだ。今は少し無駄が大きい」


「はいっ!」


 元気に返事をし、ココナは再び指先に火を灯す。

 するとすぐ、今度は反対側から声をかけられた。


「司書様。古文書の修復が終わりましたので、ご確認を」


「あぁ、ありがとう」


 ミルが差し出した一冊の書物。それに手を翳し、僕は状態を確認する。

 糸目が揃っている。紙の目に逆らっていない。膠の量も過不足なし。二千年前の修復師見習いなら、三年目でようやくこの水準だ。


 彼女の成長もまた素晴らしい。

 軽微な損傷の書物なら、もう任せられるようになった。


「見事だ。優秀な修復師だよ、君は……本当に、愚か者から奪って正解だった」


「お褒め頂き光栄です。あら、紅茶がもうありませんね。淹れて来ましょうか?」


「頼むよ。次は甘めで頼む」


「承知しました~」


 上機嫌そうに鼻唄を歌い、ミルは空になったカップを片手に出て行った。

 彼女は肯定されることに飢えている。褒められるとやる気を出すし、その上集中力が桁違いに跳ね上がる。

 扱いやすい子だが……それ以上に心配になる。

 現代の社会は、どれだけ神経をすり減らすものなのだろうか、と。


「どれ、あの子の様子は……」


 キリの良いところで修復の手を止めた僕は遠くを覗き見る魔法を行使する。

 見るのは第八十層。強力な魔獣の巣窟である大広間にいる──最も新しい弟子だ。

 彼女の様子は──。


「……もう、怖いぞ」


 見えた光景に、僕は少し引いてしまった。

 左手に灯火を維持したまま、右手の剣で自分の影と斬り結ぶ。

 魔法と武の同時運用。しかも片手間に現れた魔獣を一撃で両断している。周辺には、無数の死体が転がっていた。


 バーサーカー。

 出掛けた言葉を僕は飲み込んだ。


 見込んだ通り、彼女は天才だ。

 三人の弟子の中で最も魔法の素質がある。もしかしたら、いずれは本当に僕を越えるかもしれないと、そう思えるほどに。


 だが、だが……まだ早い。流石に早すぎる。

 まだ魔法の修行を始めて十日だ。それでこのレベルは……怖い。うん。もはや恐怖すら感じるレベルだ。


 流石は人外。

 人間では到底届かないほどの成長速度。

 いずれは正体、謎を解き明かそう。

 僕はそっと魔法を解除し、ミルが淹れてくれた紅茶を受け取り、啜った。


     ◇


 昼下がり。

 僕は修復室で、傷んだ一冊の背を撫でていた。

 タイトルは──『魔法の愛し方』。

 二千年場前に記した共著書だ。著者の欄には二人の名がある。

 片方は、僕。

 もう片方は――。


 ……ふと、指が止まる。

 思い出すのは、いつも同じ光景だった。

 白い髪の、小柄な少女。

 窓際の机で、両手で頬杖をついて、僕の書いた術式に赤を入れていた。

 「ここ、間違ってる」「二行目からやり直し」「ラグロは詰めが甘い」――散々な言われようだったが、彼女に指摘されたところは、必ずあとから正しかった。


 睫毛が長くて、笑うと目が三日月になる子だった。

 議論で負けたことは一度もない。ただ、感情論になると……どうしても、僕は彼女に勝つことができなかった。


 何故なら──好きだったから・

 一緒にいる時間が長くなるにつれて、僕の心は彼女に惹かれていった。

 理由はわからない。ただ、好きだから好きになった。それしかわからない。


 果たしてかつての僕は想いを伝えたのかどうか。伝えられたのかどうか。

 数千年の時が経って、そこだけが、霧のように曖昧になっている。

 したような、していないような。どっちつかずだ。


「……そういえば、何処となくココナに似ていたような気がしたな」


 白い髪。小柄。よく笑う。負けん気が強い。

 ……似ている、と言うほど似てはいない。目も、声も、性格も違う。

 それでも、時折、書架の向こうを走っていく後ろ姿が――重なる。


「……年を取ったな、僕も」


 外見は若いが、中身は間違いなく年寄りだ。

 記憶に浸り、思い出に笑い、僕は自分の年齢を自覚した──と。


「――師匠」


 書架の向こうから、当の後ろ姿が駆けてきた。

 僕は本を閉じ、いつもの顔に戻る。


「どうしたんだ?」


「あ、あの……お願いが、あるんですけど」


 ココナは、少し言いにくそうに指を絡めた。


「そろそろ一度、地上に……帰ってもいいですか。妹の、様子が気になっちゃって」


 ――ああ。そうだ。

 この子は、そのために魔法を学び始めたのだった。


「小雪の見舞い、もう一か月近く行けてなくて。病院に顔を出したいんです。魔法のことも、報告したくて……その、あの子、聞こえてるか分からないけど、話しかけると、たまに指が動くんです」


「行きなさい。当然だ」


「い、いいんですか?」


「弟子を軟禁している覚えはないよ。なら、あとで転移の輪を出そう。準備ができたら声を──」


 ――と、そこへ。


「あの~、司書様?」


 ミルが現れ、手を挙げた。


「わ、わたしも、少しだけ地上に用が……アパートを解約しないといけなくて。荷物も、まだ全部置きっぱなしで……あと、そのう、住民票とか、退職の書類とか……」


「そういえば、そうだったな」


 弟子たちは皆、地上に用がある。

 ならばいっそのこと……。


「皆で行こうか」


「「え?」」


「ちょうどいい。僕も、二千年後の世界を見たいし」


 あの日、扉の外に見えた青い空を思い出す。

 あれきりだ。街も、人の暮らしも、まだ何ひとつ見ていない。

 果たして文明はどのような発展を遂げたのか。

 それをこの目で確かめたい。面白そうだ。


「では、案内は私が」


 いつの間にか背後にいたアルテミアが、勢いよく挙手した。

 汗を拭いながら、目が爛々と輝いている。


「地上の地理、交通、飲食、宿泊、全て把握しております。護衛と案内という点では、私以上の適任はいません。あとデートがしたいです」


「後半が本音だな」


「想い人に対して本音と裸は隠すな、というのが世界の常識です」


「「そんな常識はないです」」


 かくして、僕たちは地上へ向かうことになった。

 だが、このやりとりから十数分後。

 僕たちは安易に地上へ出ることが出来ない現実を突きつけられることになるのだった。

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