第12話 予期せぬ弟子の誕生
翌朝。
「……なんだ?」
鼻腔を擽る良い香りに、僕は目を覚ました。
何だろう、この暴力的な香りは……。
簡素なベッドから下り、僕は真っ直ぐに食堂へ向かう。
すると、エプロンを着用したミルが振り返った。
「あ、司書様。おはようございます。朝食はできていますよ」
「あ、あぁ、おはよう……なんだ、この料理は」
テーブルの上に並べられた料理の数々を見て、僕は少し立ち尽くした。
贅沢な朝食だ。
丁度良い具合に焼けたパンに、食欲を掻き立てる香りを漂わせるポトフ。見たことのないドレッシングで味付けされた新鮮なサラダ。そして食後の紅茶まで……。
「す、凄い……お世辞にも調理器具が揃っているとは言えないここで、これほどの料理を……ど、どうやったんですか、ミルさん!」
「えっと、別にそこまで不思議なことは何もしていないんだけど……ただ、あるもので作っただけで」
「て、天才じゃないですか! 初見で二千年前の調理器具を使いこなすなんて!」
「フフ、大袈裟だよ。食材と包丁と火があれば、大抵の料理は作れるんだから」
「その発言がもはや天才のそれですよ」
「ありがと。ほら、司書様もどうぞ」
感動と称賛の言葉を連ねつつ、ココナはパンを齧り笑顔を浮かべる。
勧められるままに席へ着いた僕は焼き立てのパンを手に取り、まだ熱いそれを口にした。
美味い。
お世辞抜きで、これまで食べてきたパンの中で一番と言えるほどに美味しかった。
ポトフも絶品だ。適度な塩加減で、食材の火の通りも丁度良い。二千年前の宮廷料理人にも、ここまでの朝食は作れなかったと思う。あれは見た目に凝りすぎるからな。
「ミルさん、ほんとにほんとにお料理上手ですよ……どこかで習ってたんですか?」
ココナの問いに、ミルは食事の手を止め、少し、苦笑いした。
「習ったというか……その、必要に迫られてというか。給料が安くてね。家賃を払うと、食費が一日三百円くらいで……自炊を極めないと生活できなかったの。もやしと卵と特売品で、どこまで美味しくできるかっていう、五年間の研究の成果……ですね、これは」
「い、一日……三百円」
「あっ、で、でも! おかげで腕は上がったから! 結果オーライだよ!」
笑っているが、恐らく笑い話ではない。
ココナの反応から察するに、尋常ではないほど安価なのだろう。
本当に、これまでよく生きてきた。
僕が温かな眼差しでミルを見つめ、また、ココナが何か言いたげに口を開きかけた──その時。ココナのサブ端末が速報の音を立てた。
『――臨時ニュースです。迷宮省が先ほどから、緊急記者会見を行っています』
画面の中、演台に立った迷宮省の大臣が硬い顔で原稿を読み上げていた。
『――株式会社ラビリンス・マッピングにおける、従業員への殺傷指示および退去強要の疑いについて、迷宮省は本日、同社への立入調査を開始しました。事実であれば、断じて許されない行為であり、政府として最大限の非難を表明します。同社には業務是正命令を発出し、併せて、全従業員の保護と雇用支援に万全を期します。なお――』
大臣は一度、原稿から顔を上げた。
『――この会見をご覧になられているかはわかりませんが、大図書館の司書様に申し上げます。本件は、我が国の法により、厳正に対処いたします。どうか、対話の門を、閉ざされませんように』
深々とその場で頭を下げた大臣。
それを見て、二人が各々の驚きの声を上げる。
「す、凄いですね……大臣が米国以外にここまで頭を下げるのは初めて見ました」
「ね。普段はどんな不祥事があっても他人事なのに」
「まぁ、対応があったのは良いことだ。正直、どうでもいいが」
どんな対応が為されたところで、僕には関係のない話だ。
優秀な使用人であるミルを獲得できたのだから、僕としてはそれでいい。ただ、ムカついたからあの配信をしただけであって。
ニュースはさらに続いた。
件の会社の社長は昨夜から連絡が取れず、雲隠れ状態であること。主要取引先が一斉に契約を打ち切り、株は取引停止、会社は早晩、立ち行かなくなるだろうという観測。
それらの報道に、ココナが笑った。
「いい気味ですね。ミルさんにあんなことした会社なんて、潰れて当然で……あっ。ご、ごめんなさい、古巣のことを悪く言ってしまって」
「ううん、大丈夫。寧ろ、もっとボロクソ言ってほしいくらい。私、あの会社には毎日隕石堕ちないかな~って思っていたくらいだから」
「そ、相当ですね」
「酷い目に遭ってきたから……ただ、後輩たちのことは少し心配かな」
「従業員は国が保護すると言っていた。君が案じるべきことじゃない。それに、この世は大抵何とかなるものだ」
「えぇ、そうですね」
もう会社のことは吹っ切れているらしい。
なら安心だ。
それでは、次の話をしよう。
「ミル。今日から君に頼みたい仕事がある」
「何でしょう! 何でもします!」
「本の修復の補佐だ」
ミルが目を丸くした。
「保護魔法を施してはいるが、流石に二千年も経つと書物は傷んでしまう。僕は主に、壊れてしまった書物の修復作業をしているのだが……これが中々に重労働でな。一人で全てを行うと、一日に五冊程度しかできないのだ」
「な、なるほど……でも、私、書物の修復作業なんてやったことがないんですけど……」
「料理ができるということは、器用な証だ。大丈夫。ミルならすぐにできるようになる……ただ、修復作業は主に魔法で行うもので、当然補助作業も魔法で行う」
だから。
僕は朝のうちに仕込んでおいたものを、布ごと机に載せた。
真珠色の殻に、銀の羽根模様が浮かぶ――卵である。
「「……まさか」」
声を揃えて僕を見た二人に頷く。
「ミル。君にもココナと同様、魔法が使えるようになってもらう」
「わ、私が、魔法使いに……」
「あ、あの、師匠? 私の時は試験があったと思うんですけど……」
「それはダンジョン攻略のための、殺傷力のある魔法を学ばせるからだ。ミルに学んでもらうのは、あくまでも書物の修復に使用するものだけ」
「あぁ、そういう」
「とはいえ、気が変わることもあるだろう。その時は当然、試験を実施させてもらう」
僕の書物修復を補佐する専属の魔法使い、ということだ。
当然、殺傷力のある魔法は教えないので、試験を実施する必要はない。
僕から頼んで魔法使いになってもらうのだからな。
「目的が目的だ。必要な魔力量は少ないので、相応の使い魔になるよう設計して……なんだ、その目は」
ココナの視線が気になり問うと、彼女は目を細めたまま言った。
「いえ。ただ、竜が羊になったりするので、あまり設計は信じられないなって」
「今回は大丈夫だから……」
本当ですか? とでも言いたげなココナを無視して、僕は残っていたパンを齧った──と。
パキッ。
真珠色の殻に亀裂が走った。
は? と僕は思わず困惑の声を零す。
妙だ。おかしい。まだ孵化するには早い。少なくとも今日の晩までは温めなければ産まれないはずなのに……。
「わっ、もう産まれるみたいですよ」
「私にも、モコみたいな使い魔が……」
だが、疑問を浮かべても、卵は待ってくれない。
二人が楽し気に話す中、表面の亀裂は面積を拡大し、そこから銀色の光が放射され、ふわりと膨らむ。
そして、中から産まれたのは――白だ。
白いたてがみ。白い四肢。額から流れる一房の銀毛。
そして、その小さな背には、畳んでもなお輝く、一対の――翼。
ひん、と幼い嘶きが一つ。
仔馬だ。翼の生えた、真っ白な仔馬が、濡れた羽をぷるぷると震わせて、ミルの胸に収まる。
僕は、無言で額を押さえた。
まただ。また、設計とは異なる使い魔が誕生してしまった。
しかも……。
「……ペガサス、だ」
「ペガサスって、あの空を駆ける馬ですよね?」
僕はミルに頷きを返す。
「天馬。聖獣ペガサス……使い魔の中でも、最強格。魔力の純度で言えば、竜すら上回る。二千年前ですら、確認されたのは歴史上数体。偉大な魔法使いだった僕の友人たちでさえ、誰一人宿せなかった」
「「ええええええ⁉」」
二人が驚く。
いや、驚きたいのは僕のほうなんだが。
「ど、どうして私に、こんな凄い子が?」
「それがわかったら苦労しない……いや、この際、使い魔は何だっていい」
最強の使い魔、ペガサス。
その主となったのであれば──予定変更だ。
「ミル。予定を変更する。補佐魔法だけ教えるつもりだったが……ペガサスを宿す魂を使用人で終わらせては、僕の魔法使いとしての名が廃る」
「……と、いうと?」
「――弟子にする。ココナに続いて、二人目だ」
「で、弟子!? わたしがですか!?」
「そうだ。だが、僕の弟子になるのは試験に合格する必要がある。ココナも乗り越えた難関だ。このパピルスを──」
「えっと? ──【灯火】」
ぽ。
ミルの指先に橙色の火が灯っていた。
「「…………」」
「……あ、あれ? こう、じゃない、ですか……? 書いてある通りに、息を整えて、火を思い浮かべて……って」
所要時間――五秒。
隣でココナが白目を剥いて、ゆっくりと崩れ落ちた。
「さ、さんじゅうじかん……私の、三十時間……ご、五秒で……あ、あははははははは」
「えーっと……あの、司書様。私、何かやっちゃいました?」
「……気にしなくていい」
とは言いつつ、流石にココナを哀れに思い、僕は彼女を抱き締めてヨシヨシしてあげることにした。




