第65話:もふもふの進撃――シル、神罰を下す
商人王ハシムによって「聖域」という名の不動産を買い叩かれ、信仰のプライドを無残に踏み躙られた司教たちの絶望は、ついに禁忌の境界線を踏み越えた。
大聖堂の中央広場、石畳が不気味な地鳴りとともに爆ぜ、地下の奥底から噴き出したのは、鼻を突く腐敗臭と、どろりとした漆黒の魔力だった。
「……おお、神よ! この不遜なる者たちに、真の守護者の鉄槌を……! 顕現せよ、我らが祈りの結晶、『天秤の守護獣』!!」
狂乱した司教たちの叫びに呼応し、地底から這い出してきたのは、複数の魔獣の四肢を継ぎ接ぎし、アリア様から強引に抽出した聖なる魔力を無理やり流し込んだ、異形の巨獣だった。
三つの首はそれぞれが異なる呪詛を吐き散らし、背中には肉を突き破って生えた歪な翼が蠢いている。その姿は「神の守護者」などという高潔なものではなく、人間の欲望と恐怖を煮詰めた、醜悪な合成獣そのものだった。
「……あら。……随分とお見苦しいものを呼び出したものですわね」
私は、ゼノス公爵の広げた冷徹な氷の障壁の中で、優雅に扇子を動かした。
広場を埋め尽くす毒霧が、私のドレスに触れる前にゼノスの冷気で凍りつき、粉々に砕け散っていく。
「……閣下。……あんな不細工な継ぎ接ぎを『神獣』だなんて、教会の皆様は審美眼まで腐ってしまったのかしら。……シル。……あんな偽物、貴方の白銀の毛並みを汚す価値もありませんわよ?」
私の足元で、これまでずっと喉を鳴らして怒りを溜めていたシルが、静かに一歩前へ出た。
――キュ、キュアァ……。
その声は、まだ愛らしいシルのものだった。……だが、次の瞬間。
シルの全身から、太陽を直接地上に降ろしたかのような、圧倒的な「純白の輝き」が爆発した。
(……キターー!! 完全体シルの、本気の解放! ……原作の最終決戦でしか見られない、あの神々しい『戦闘形態』だわ!)
光が収まった後、そこに立っていたのは、広場を埋め尽くさんばかりの巨躯へと成長した、白銀の獅子の王。
背中からは六枚の光り輝く翼が天を衝き、額の角からは、世界の理を正常化させるための「浄化の波動」が絶え間なく溢れ出している。
シルの周囲だけは、キメラが放つ汚れも、大地の亀裂も、一瞬にして元の美しい姿へと書き換えられていく。
「……グルゥ……ッ!!」
キメラの三つの首が、同時に暗黒のブレスを放った。
聖都の空を黒く染め、すべてを腐食させる死の奔流。……だが、シルはそれを避けることさえしなかった。
シルはただ、面倒くさそうに「ふわぁ」と大きなあくびを一つした。
――パシュゥゥゥゥンッ!!
シルの口から漏れ出たわずかな息吹が、キメラの最大火力を正面から押し戻し、逆にその巨体を広場の壁まで叩きつけた。
物理的な衝突ではない。……存在そのものの「格」が違いすぎるのだ。
本物の聖獣を前にして、継ぎ接ぎの偽物は、立っていることさえ許されない。
「……信じられん。……教会の秘術で作り上げた『神罰の獣』が、赤子のようにあしらわれているだと……」
膝を突く司教たちの前で、シルはゆっくりと天へ舞い上がった。
六枚の翼が羽ばたくたび、聖都の空を覆っていたルカの不浄な雲が晴れ、黄金の陽光が降り注ぐ。
シルは空中から見下ろすように、キメラに向かって一際高く、神聖な咆哮を上げた。
――ガォォォォォォォォォォォォン!!!!!
その音色は、敵を殺すためのものではなく、世界の「バグ(間違い)」を消去するための、絶対的なデバッグコード。
咆哮がキメラに触れた瞬間、異形の身体を繋ぎ止めていた不浄な魔力が霧散し、モンスターは苦しむ暇もなく、ただの灰へと還っていった。
静寂。
広場を埋め尽くしていた毒気は消え、石畳には春の陽だまりのような温かさが戻った。
シルはゆっくりと地上に降り立つと、巨大な身体のまま私の元へ歩み寄り、その大きな頭を私の肩に、甘えるように擦り寄せた。
「……キュ、キュウ……?」
「ええ。……最高にカッコよかったわよ、シル。……よく頑張りましたわね」
私は、かつてないほどに豊かなシルの胸毛に、我慢できずに顔を埋めた。
(……はぁぁ……。……この『完全体もふもふ』の圧倒的な包容力! ……一国の王座よりも、神の奇跡よりも、この肉球の柔らかさこそが私の世界の真実よ……!)
「……リリアーヌ。……独り占めはさせんぞ。……その聖獣の背、私も相乗りさせてもらおうか」
ゼノス公爵が、不敵な笑みを浮かべてシルの背中に飛び乗った。
彼は私の腰を引き寄せ、シルの温かい毛並みの中で、私を強く抱きしめる。
「……ここからなら、大聖堂の頂上の『綻び』がよく見える。……行くぞ、リリアーヌ。……君の愛した聖女を、あのアナログな祭壇から奪還する時間だ」
「……お嬢様! ……お嬢様の横は、この私の場所です! ……この不浄な獣の毛よりも、私の影の方が清潔で快適ですよ!」
シオンが影の鎖をシルに絡ませ、無理やり背中にしがみついてくる。
さらには上空からハシムが黄金の絨毯で並走し、「その神獣もろとも、俺が買い取りたいくらいだな!」と大笑いしていた。
三人の男たちの執着と、一匹の聖獣の愛。
それらを乗せて、シルは大きく翼を広げ、大聖堂の頂上へと飛翔した。
見上げた先には、真っ赤に染まった空。
そして、七つの誓約を象徴する黒い鎖に縛られた、アリア様の震える姿。
「……いらっしゃい。……ようやく、準備が整いましたよ」
頂上で待ち構えるルカ枢機卿。
悪役令嬢リリアーヌと、彼女の最強の仲間たち。
いよいよ物語は、世界の理を書き換える「最後のデバッグ」へと突入する。
(待ってなさい、ルカ様。……貴方の神話、私の『もふもふの咆哮』で、一文字残らず上書きして差し上げますわ!!)




