第六話 ツキと暮らす、音の息吹を感じる日常
朝、屋敷の大きな窓から差し込む光が、ゆっくりと床を撫でていく。
静は、胸元にわずかな重みを感じて目を覚ました。
いつもとは違う感覚
温かく、柔らかく、そして確かに生きている重み。
「……?」
視線を落とすと、そこには黒い毛並みの小さな塊があった。
丸くなったツキが、いつの間にか静の胸の上で眠っている。
規則正しい呼吸、微かに上下する小さな体。
昨夜は用意した小さな寝床で大人しくしていたはずだ。
柔らかな毛布を敷いた籠の中で、丸くなって眠っていた。
それなのに朝になったらここにいる。
「……来たんだな」
小さく息を吐くとツキは薄く目を開け、喉をくるると鳴らした。
まるで『おはよう』とでも言うように。
金色とも紫ともつかない瞳が、静の顔をじっと見つめている。
起こす気にはなれず、静はそのまま天井を見上げる。
一人で迎えるはずだった朝が、少しだけ温かい。
こんな朝を迎えるのは、いったいいつぶりだろう。
誰かと一緒に目覚める感覚。
それは懐かしく、そして心地よかった。
やがてツキがもぞりと動き、静の顎の下に額を擦り寄せた。
すりすりと、甘えるように何度も顔を擦りつけてくる。
「……甘えん坊だな」
そう呟きながらも、口元は自然と緩んでいた。
こんなに素直に甘えてくる存在がいるというだけで、心が満たされていく。
◆
身支度を整え廊下に出ると、当然のようにツキもついてくる。
少し歩くたび、すり、と足元に体を寄せる。
まるで、離れたくないとでも言うように。
時には足にまとわりついて、歩きづらくなることもある。
「そんなに離れたくないのか?」
問いかけてもツキは答えない。
ただ、尻尾を揺らして歩調を合わせる。
静が速く歩けば、小走りでついてくる。
ゆっくり歩けば、のんびりと後ろからついてくる。
支配エリア内の散策も、最近はツキと一緒だ。
静が歩けば、少し遅れて追いかけてくる。
立ち止まれば、隣に座る。
何かに気づくと先へ進み、振り返ってこちらを見る。
まるで「こっちに何かあるよ」と教えてくれるかのように。
(……本当に賢いな)
日本にいた頃に世話をした動物たちより、ずっと。
まるで、人間の言葉を理解しているかのような反応を見せることもある。
この世界の生き物は、地球の動物とは違うのかもしれない。
「いや、贔屓目か?」
そう思いながらも、静の視線は自然とツキを追っていた。
小さな体が草の中を進んでいく様子、時折立ち止まって匂いを嗅ぐ様子。
その全てが、なぜか愛おしく感じられる。
◆
その日、倉庫区画を確認していた時のことだった。
普段は使わない奥の通路へ、ツキがふらりと入っていく。
暗がりの中を、まるで何かを知っているかのように進んでいく。
「そっちは――」
呼び止めようとして、静は足を止めた。
倉庫奥の壁際に小さな制御盤が設置されている。
屋敷コアほど大きくはないが、どこか似た気配を感じる。
淡い光を放っており、何かの機能を持っているのは間違いない。
「……補助端末?」
近づくと淡い光が灯り、視界にステータス表示が浮かぶ。
さっきまでは反応しなかったのに、静が近づいた瞬間に起動する。
【倉庫内専用補助端末】
接続:可否選択
一瞬だけ迷い、接続を選んだ。
すると、視界に新しい情報が展開される。
倉庫内の簡易マップ
区画表示
温度設定
保管状態の管理項目
操作できそうな項目もあるが、多くはまだ伏せられている。
灰色の文字で「未解放」と表示されているものが大半だ。
(……今は見るだけでいいな)
静は端末から手を離した。
無理に全てを理解しようとする必要はない。
必要になったときに、また向き合えばいい。
足元ではツキが満足そうに尻尾を揺らしている。
まるで、役目を果たしたとでも言うように。
「教えてくれたのかな?」
ツキは小さく鳴いただけだったが、どこか誇らしげに聞こえた。
偶然とは思えなかった。
ツキは何かを知っていて、それを静に伝えようとしている。
そんな気がしてならない。
◆
午後、静は椅子に腰掛け、ツキを膝に乗せていた。
特別なことはしていない。ただ同じ空間で過ごしているだけだ。
窓の外を眺めたり、本を読んだり、時には何も考えずにぼんやりしていたり。
それなのに以前とは違う。
一人で生きるための屋敷だった場所が、誰かと暮らす場所へ
少しずつ変わっている。
ツキの体温が膝に伝わってくる。
規則正しい呼吸、時折動く尻尾
それらの全てが、この場所に生きている証だ。
「……悪くないな」
呟くと、ツキは再び喉を鳴らした。
ゴロゴロという音が、静かに響く。それは満足の音であり、安心の音でもある。
外では風が木々を揺らし、枝葉がささやく。
遠くで鳥が鳴き、草が揺れる音がする。
屋敷の中には静かな呼吸が二つ。
人と獣、二つの命が、同じ時間を共有している。
まだ大きな変化はない。
劇的な出来事も、驚くべき発見も、何もない。
けれど――確かに、生活は動き始めていた。
小さな命と共に、音の息吹を感じながら。
一人ではなく、二人の日常。
それは静かで、穏やかで、そして温かかった。
静は窓の外を眺めながら、そっとツキの頭を撫でる。
柔らかな毛並みが、指に心地よい。
「これから、よろしくな」
ツキは目を細め、喉を鳴らし続けた。
世界は――
また少しだけ、彩りを増していく。
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