閑話 観測者ログ
――観測記録:対象《相川 静》
世界は今日も変わらず回っている。
争いが生まれ、祈りが消え、また別の場所で小さな希望が芽吹く。
それらすべては私にとっては等しく「現象」だ。
善も悪も、光も闇も、ただ存在し、流れ、変化していく。
私はそれを記録する。
ただそれだけの存在として、長い時を過ごしてきた。
私は観測者。
介入せず
裁かず
救わず
――ただ、記す者
それが私に与えられた役割であり、私が選んだ在り方でもある。
感情を持たぬわけではない。
だが、それを表に出すことは許されていない。
世界の流れに干渉することは、観測者としての本質を歪めることになる。
本来ならば
しかし、ひとつだけ……
どうしても視線が、自然と留まってしまう場所がある。
支配エリア上位核――
屋敷コアを中心に展開された、静穏な結界領域。
世界地図の中で、ほんの小さな点にすぎない場所。
だが、その点は他のどの場所とも違う輝きを持っている。
そこに在るのは、英雄でも、覇者でもない。
ただ一人
世界を支配する意志を持たぬまま
今日という一日を「きちんと生きようとしている」魂
相川 静
彼はまだこの世界の危険も、理不尽も
本当の意味では知らない。
それでも焦らず、欲張らず
与えられた力を「生活」のために使おうとしている。
戦わず、奪わず、誇示もせず。
――珍しい
私は多くを見てきた。
力を得た瞬間に、己を誇る者。
世界を変えようと叫び、結果として世界を壊す者。
力に溺れ、最後には自らを滅ぼす者。
弱さゆえに他者を傷つけ、強さゆえに孤独に堕ちる者。
彼はどれにも当てはまらない。
力を得ても、それを振りかざさない。
屋敷という安全な場所を与えられても、そこに閉じこもろうとはしない。
だが、無理に外へ出ようともしない。
ただ、自分のペースで、一歩ずつ進んでいる。
だからこそ、ほんのわずかに
――興味が生じた。
それは感情と呼ぶにはあまりに淡い。
けれど、無関心とも違う。
観測者として記録すべき「変化」への関心というよりは
もう少し個人的な、静かな好奇心に近い。
私は遠くからそれを見守る。
夜空の月が、地上の灯りを静かに照らすように……
近づくことなく、触れることなく
ただ在ることで、道を失わせない距離から。
彼が朝起きて、屋敷の中を歩く様子。
畑で野菜を収穫し、キッチンで料理をする様子。
屋敷コアと対話し、少しずつ世界の仕組みを理解していく様子。
それらはどれも、記録するほどのことではないかもしれない。
世界を揺るがす出来事でもなければ、歴史に刻まれる瞬間でもない。
だが、私はそれを見ている。
静かに、ただ静かに。
本来、私は助言を与えない。
直接の救済も行わない。
観測者は、観測するだけの存在だ。
手を差し伸べることも、声をかけることも、許されていない。
だが――
媒介を通した、断片的な囁きならば
規律の範疇に留まる。
手紙はその一つだった。
彼が目覚めたとき、最初に目にする言葉。
それは直接的な干渉ではなく、ただの「情報提供」として許容される。
屋敷の機能についての説明。
世界の概要。
そして、彼がこれから歩むべき道についての、ほんの小さな示唆。
それ以上のことは、できない。
だが、それで十分だった。
彼は自分で考え、自分で選び、自分で進んでいる。私が手を引く必要はない。
すでに兆しは動き始めている。
祈りを受け取る少女
まだ言葉を持たぬ、黒き幼き存在
彼らはやがて、彼自身の選択によって引き寄せられるだろう。
それは偶然ではない。
世界の流れが、自然とそうなるように動いている。
私が仕組んだわけではないが、私はその流れを読むことができる。
そして、それが彼にとって必要な出会いであることも、わかっている。
彼は一人ではない。
いずれ、彼の周りには誰かが集まるだろう。
彼が望まなくても、彼の在り方が、誰かを引き寄せる。
それが世界の法則であり、私が記すべき「変化」だ。
私は筆を止めない。
観測は続く。記録は途切れない。
彼の一日が、また一ページとして、私の記録に刻まれていく。
それは特別なことではない。
世界中の無数の存在と同じように、彼もまた記録される。
だが――
もしも、この静かな魂が理不尽に呑み込まれ
観測そのものが失われるというのなら。
そのときだけは
私は月の影をほんの少しだけ、動かすかもしれない。
それは干渉ではない。
ただの、観測者としての
――わずかな、偏りだ。
月は地上を照らす。だが、月そのものは動かない。
ただ、影の位置がわずかに変わるだけ。
それによって、地上の誰かが道を見つけやすくなるとしても、それは偶然だ。
そう、偶然。
私はそう記録するだろう。
彼が困難に直面したとき、ふと道が開けたとしても。
絶望の淵に立たされたとき、誰かが現れたとしても。
それは全て、世界の流れの中で自然に起きたこと。
観測者は、ただそれを記録するだけだ。
――そう、記録するだけ。
私は再び、観測の記録へと意識を戻す。
彼の今日という一日が、また静かに綴られていく。
朝の光、屋敷での作業、畑での収穫、夜の静けさ。
どれも穏やかで、どれも尊い。
私は観測者
だが、観測者もまた、心を持つ存在だ。
完全に無感情ではいられない。ただ、それを表に出さないだけ。
彼が笑顔を見せたとき、私もまた、ほんの少しだけ、心が温かくなる。
彼が安心して眠りにつくとき、私もまた、ほんの少しだけ、安堵する。
それは観測者としての在り方に反するのかもしれない。
だが、それでもいい。
私は彼を見守り続ける
遠くから、静かに、ただ在ることで
―― ルーナフィリスより ――
カクコムでも先行掲載しています。
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