第一話 公務の終わりと明日への灯火
アリアたちの定期調査が完了してから、数日が過ぎた頃。
フォルツの領主であるフォルティナは、連日にわたり精力的に領地内を巡っていた。交易路の整備状況の確認から、農業の命となる用水路やため池の治水事業の点検、そして各農村への丁寧な慰問まで——それら予定されていたすべての公務を無事に終わらせ、彼女は執務室の椅子で、ふぅ……と長く息を吐いた。
「ふぅ……」
肩の力を抜いたフォルティナの傍らでは、ギルドの業務をあらかた片付けたフレイアがソファに深く背をもたれかけて寛いでいる。
「ティナ、お疲れさま。これで急ぎの公務は綺麗にこなせたわね。明日からの三日間は予定通りしっかりお休みできそうね」
フレイアの労いの声にフォルティナはパッと表情を和らげて頷いた。
「はい、なんとか全てこなせました! 明日からのお休み、本当に楽しみですね」
「静さんには予定通り行けるって連絡はしたの?」
「もちろんですよ、フレイ。昨日のうちに目途が立ったことは伝えてあります。このあと、確定の連絡を入れるつもりです」
「ふふ、じゃあよろしくね」
そんな言葉を交わしながらも、二人の手は自然と足元や膝元へ伸びていた。フォルティナの膝の上ではルナが、フレイアの腕の中ではサンが、気持ちよさそうに撫でられている。
「くぅん」
「ぴぃ」
二人に優しく撫でられるたび、幼体たちは嬉しそうに喉を鳴らし、甘えるように身を寄せてくる。その愛らしい反応に、二人とも目元をゆるめずにはいられない。
フォルティナは机の上の連絡板を引き寄せ、そっと文字を紡いだ。
【フォルティナ:静さん、お疲れ様です。昨日ご連絡した通り、明日から三日間おやすみが取れそうです】
しばらく待つと、淡い光と共に静からの返信が静かに浮かび上がる。
【静:フォルティナさん、お疲れ様。それは良かったです。明日の朝、いつもの宿まで迎えに行きますね】
【フォルティナ:はい、よろしくお願いします。フレイやルナもサンも楽しみにしています】
【静:きっと楽しめると思います。ではまた明日】
短くも確かな温もりが籠もったやり取りを終え、フォルティナは連絡板を静かに閉じた。
「フレイ、連絡が終わりましたよ。明日は早めに『上弦の月』へ向かいますから、そろそろお休みしましょうか」
「そうね、しっかり休んで明日に備えましょう。どんな場所に行けるのか、私も楽しみだわ」
二人は互いに微笑み合い、それぞれの寝室へと足を向けた。
◆◆◆
フォルティナの寝室。
月明かりが柔らかく差し込む部屋で、フォルティナはベッドに入り、枕元でころんと丸くなっているルナへと優しく視線を落とした。
「ルナ、明日は静さんたちの所に行きますからね。またツキちゃんたちに会えますよ」
「くぅん……」
嬉しそうに耳をピクと揺らすルナの頭を、フォルティナは指先でそっと撫でる。
「ふふっ、きっと楽しいことが沢山ありますよ。さぁ、明日に備えて寝ましょうね」
◆◆◆
一方、フレイアの寝室でも。
ベッドの脇でそわそわとしているサンに向け、フレイアが柔らかく語りかけていた。
「サン、明日はあの大樹に行けるわ。二層目にはサンと同じような小さな子たちがいるみたいだから、お友達ができるかもしれないわよ? 楽しみね」
「ぴぃ!」
その言葉に応えるように、サンは嬉しそうに小さな羽をパタつかせた。
「ふふ、もちろん、私にとってはサンが一番かわいいけれどね」
身を寄せてくるサンの頭を愛おしそうに撫でながら、フレイアも静かに目を閉じる。
明日から始まる穏やかな三日間に胸を躍らせながら、領主館は静かな夜の深みへと包まれていった。
◆◆◆
翌朝、身支度を整えたフォルティナとフレイアがそれぞれルナとサンを腕に抱くと、控えていた執事長のロベルトが静かに歩み寄ってきた。
「フォルティナ様、フレイア様。馬車の準備が整っております。どうぞこちらへ」
穏やかな声でそう告げ、ロベルトは二人を馬車まで丁寧に案内する。
「ロベルト、前回と同じように何かあれば『短文通信の魔道具』で連絡してください。すぐに対応します」
浮かれてばかりではなく、しっかりと領主としての顔も見せるフォルティナにロベルトは深く頷いた。
「かしこまりました」
フレイアもロベルトへと向き直る。
「ロベルトさん、もしギルドの方でも何かあれば、伝えてもらえますか?」
「はい、その様なことがないよう努めますが、万が一の際にはご連絡いたします。ですから、フォルティナ様とフレイア様はどうかしっかりとご休養なさってくださいませ」
まるで孫を見守る好々爺のように優しく告げるロベルトに、二人は思わず顔を見合わせて微笑んだ。
「ええ、そうさせてもらいますね」
「よろしくお願いします」
そう言い残し、二人は腕の中のルナとサンを抱えたまま馬車へと乗り込んでいった。
◆◆◆
その頃、屋敷では。
「フォルティナさんたちもそろそろ準備が終わって、いつもの宿に向かってる頃かな?」
静がのんびりと呟くと、隣でセリナが優しく微笑んだ。
「そうですね。あのお二人ならきっと、遅れないようにと早めに向かわれていると思います」
「うんうん、真面目ってのもあるけど……すっごく楽しみにしてそうだよね」
フィアが笑いながら言うと、アリアも頷いた。
「そうね。この間、大樹の二層目には可愛い子たちがいるって伝えてあるし……可愛い物好きそうだから、余計に楽しみなんじゃない?」
「姉さんなんかも、ああ見えて可愛い物好きだからなぁ。今はサンに夢中だし、きっと『うちの子が一番ね』とか言いそうだけど」
ミレイアがくすくすと笑いながら付け加えると、リーナも思い出したように目を細めた。
「何か分かるわね。あの二人、この子達を見て羨ましそうにしてたし……ルナとサンに会った時、とても嬉しそうだったもの」
初めてルナとサンに引き合わせた時のことを思い出しているのか、リーナはどこか懐かしそうに笑っていた。
「じゃあ、そんな二人を待たせない様に、先に行って待ってるね」
静がそう言って立ち上がると、セリナが静かに頭を下げた。
「はい、いってらっしゃいませ」
静が右手を軽くかざすと、空間がふわりと柔らかな光の粒子に包まれる。一瞬の心地よい浮遊感の後、光が静かに収束すると、そこはフォルツの定宿『上弦の月』の一室だった。
窓の外に広がる朝の柔らかな光を眺めながら、静は二人が到着するのを穏やかな気持ちで待つのだった。




