幕間③ おねえちゃんの瞳が映すもの(ツキ)
冬の終わりの柔らかな日差しが、屋敷のリビングに大きな陽だまりを作っていた。
ぽかぽかと温かい絨毯の上でお屋敷の小さな家族たちが、思い思いに心地よい昼下がりの時間を過ごしている。
「にゃ」
ソファーの背もたれの上にちょこんと座ったツキは少しだけ胸を張り、聡明な紫晶の輝きを宿したような瞳でリビングの全体を静かに見守っていた。
その姿はこの屋敷の最初の家族としての、そして頼れるおねえちゃんとしての、いささか誇らしげな佇まいだった。
ツキの視線の先、絨毯の真ん中では夕日の色をしたあかねが、オレンジ色の小さな腹巻きと帽子を揺らしながら、短い前足で一生懸命に毛繕いの真似事をしている。ツキが普段やっている仕草を必死に真似しているのだ。
上手くできずにコロンと転がったあかねのもとへ、ツキはソファーから音もなく飛び降りて歩み寄った。
「にゃあ」
優しく鳴きながらツキはあかねの乱れた背中の鱗を、ざり、ざりと丁寧になめて整えてあげる。あかねは嬉しそうに目を細め「きゅ!」と甘えたように喉を鳴らした。
(あかねは私がしっかり見てあげなきゃいけないんだから)
卵の頃から寄り添い、孵化の瞬間を誰よりも近くで見守った大切な妹分だ。
あかねだけではない。新しく加わったロップ耳を持つ水色の子――ルゥも、風の子ハルも、丸い土の子マルも、ツキにとっては全員が可愛い弟や妹たちだった。
台所の隅でマルが「ぷぷぅー」と得意げに鳴きながらつまみ食いをしようとすると、ツキはすかさず「にゃっ」と短く鋭く鳴いてそれを制する。マルは「ぷぅ……」とむくれたように丸くなったが、ツキが自分の器に残っていた美味しいスープをご褒美代わりにそっと譲ってやると、すぐに機嫌を直して嬉しそうにしっぽを振った。
フォルツの街やセレニアの賑やかな市場へ行くときも、ツキはいつも一歩引いた場所から全体を見守っている。皆がはしゃぎすぎないように、周囲に危険がないように。
かつて、傷だらけで死にそうになっていた自分を拾い上げ、温かい手のひらで抱きしめて「だいじょうぶ」と言ってくれた、大好きな主――静。
(静に貰った優しさはね、今度は私がこの子たちに教えてあげる番なの)
静の作る美味しい料理のお裾分けの精神を、ツキは一番近くで理解していた。静が新しい土地を探索するとき、案内役として得意げに休止中のコアを見つけて見せるのも、大好きな静を助けたいというささやかな思いだった。
ふいに台所からパタパタと軽い足音が聞こえてきた。
お盆を手に新しく淹れた温かいお茶をリビングへと運んできたのは、セリナだった。
「あら、みんなで仲良くお昼寝かしら?」
セリナが穏やかに微笑み、円卓にお茶を置いていく。セリナがしゃがみ込んでツキの頭を優しく撫でると、ツキは「にゃー」と喉を鳴らして、その手のひらにすり寄った。
静には内緒で時々こっそり美味しいおやつを分けてくれるセリナは、ツキにとって特別に信頼できる、もう一人の大切な人だった。
静がセリナのために増改築したお屋敷の『礼拝堂』で祈る時、ツキはいつも音もなくその隣に座って寄り添っている。彼女の純粋な祈りが、歪むことなくしっかりと空の女神へと届くのを、無意識にそっと手伝ってあげるために。
ツキはじっとセリナの横顔を見つめた。
ツキの瞳が映し出すセリナの魂の光――それは、この冬の間に驚くほど変化していた。以前はかすかに混ざっていた迷いや葛藤という名の『神気の揺らぎ』が、今や風の凪いだ水面のようにすっかりと消え去っている。不純物のない、透き通った綺麗な結晶のような聖性。
それは教会の制度や他人の評価のためではなく、この屋敷で、静の隣で、無欲に誰かを救いたいと願い続けたセリナの『徳』がもたらした、聖女としての輝きだった。
(……うん。今のセリナの光、とっても綺麗)
そしてツキはその澄み切った光の奥にある
もう一つの小さな、けれど暖かな桃色の灯りに気づいていた。
セリナが台所の方を――静のいる場所をそっと振り返るたびに、その魂の灯りが、トクン、と甘く愛おしそうに震えるのだ。それが静への特別な感情、まだ名前のない恋心であることを、ツキは本能的な直感でちゃんと知っていた。
「にゃあ」
なんだか応援したくなって、ツキはセリナの足元をぐるりと一周し、励ますようにそのふくらはぎに尻尾を絡めた。セリナは「ふふ、どうしたの? ツキ」と、少し照れくさそうに目を細めている。
バタバタと賑やかな足音が響き、フィアに連れられた静が、嬉しそうに台所から顔を出した。
「みんな、お待たせ。昨日セレニアで仕入れた香草とプリン、新しく切り分けて持ってきたよ」
「きゅ!」
「くぅ」
「ひゅるぅ!」
静の声を聞いた瞬間、あかねもルゥもハルも、一斉に飛び起きて静の足元へと嬉しそうに群がっていく。マルも「ぷぷぅー!」と声を弾ませて転がるように付いていった。
「こらこら、順番だからね。ツキもセリナもお茶にしようか」
静がのんびりとした笑顔で皆を宥める。
ツキはそれを見届けてから、ふいとソファーの上に戻り、一番特等席である静の肩の上へと軽やかに飛び乗った。首筋に伝わる、いつもの絶対的に安心できる主の温もりと匂い。
静の肩の上は今日も一番安心できる場所だった。
大好きな主がいて、大切な家族たちがいて
ぽかぽかの陽だまりがある。
だから大丈夫。
春が来ても、その先の季節が来ても
最高に賢いおねえちゃん猫は、これからも皆を見守り続けるのだから。




