第三話 賢王の問い
五日目の昼下がり
最後の緩やかな丘を越えた瞬間、視界が一気に開けた。
その先に広がっていたのは、巨大な白い城壁に囲まれた王国の心臓部――
王都ルミエールだった。
陽光を浴びて白く輝く城壁は、遠目にも圧倒的な威容を誇る。
その内側には無数の赤煉瓦の屋根が海のように広がり、街道を行き交う荷馬車や旅人の数はフォルツの比ではない。
活気と喧騒、そして王国の中心たる重圧
フォルティナは馬車の窓からその光景を見つめ、無意識に膝の上で拳を握りしめた。
「……着いたわね」
「相変わらず、無駄に大きい街ね。帰ってきたって感じ」
隣でフレイアが気楽に伸びをする。
その軽やかさに、フォルティナは少しだけ肩の力を抜いた。
馬車が巨大な城門へ近づくと、先導の騎士が凛とした声を上げた。
「フォルツ領主フォルティナ閣下、ご到着!」
衛兵たちが一斉に敬礼し、重厚な門がゆっくりとせり上がる。
馬車はそのまま、整然とした石畳の街路へと進んでいった。
王城へ近づくにつれ、街の喧騒が遠ざかっていく。
代わりに、静謐な空気が辺りを支配し始める。
「緊張してる?」
フレイアが小声で言う。
「……少しだけよ」
「大丈夫よ。陛下は昔からあんな感じなんだから」
「それが一番、気を抜けないのよ」
馬車が中庭に止まり、フォルティナは地面に降り立った。
見上げる王城はただ高いだけでなく、積み上げられた歴史の重みを静かに放っていた。
フォルティナは自然と背筋を伸ばす。
ここには王国の重みがある。
◆◆◆
謁見の前の控室
フォルティナが机の上に置いた小さな木箱を、立ち会いの役人が慎重に開いた。
その瞬間、部屋の空気がわずかに震えた。
透き通る青い光が、静かに室内へ広がる。
まるで水そのものが結晶になったような透明さ。
普通の魔力結晶とは、明らかに違う。
「……っ」
役人が息を呑む。
背後にいた宰相が身を乗り出した。
「この透明度……魔力の安定性も尋常ではない」
「不純物が一切見られません。極めて純度が高い」
役人は震える手で、慎重に蓋を閉じた。
その反応だけで十分だった。
静が「お裾分け」として渡してくれたものが、この国の常識をどれほど超えているか。
フォルティナは改めてその重さを感じた。
「謁見の間にてご報告を」
フォルティナは静かに頷いた。
◆◆◆
謁見の間
高い天井へと続く列柱の先、深紅の絨毯がまっすぐに伸びている。
その終着点に王国の主が座していた。
賢王ルシエル・ルミエール
白髪の混じり始めた髪に、深く刻まれた思慮の皺
年齢は五十に届くかどうか。
だがその双眸は淀みなく、すべてを見透かすような静かな光を宿していた。
フォルティナは絨毯に膝をつき、深く頭を下げた。
「フォルツ領主フォルティナ、拝謁いたします」
沈黙が流れた。
やがて、玉座から穏やかな、しかし芯の通った声が響く
「久しいね、ティーナ」
側近たちの視線がわずかに動いた。
公式の場で王が個人的な呼称を用いるのは、極めて稀なことだ。
フォルティナは顔を上げ、王の瞳を真っ直ぐに見返した。
「お久しぶりです、陛下」
報告が始まった。
空白地帯での出来事
静という青年の存在
そして、彼から託された結晶のこと
フォルティナは一切の虚飾を排して説明する。
言葉は選ぶが、隠さない。
それがこの場に対する、自分なりの誠意だった。
王は無言で、側近が捧げ持った結晶を見つめていた。
淡い光が玉座の前に広がり、周囲に小さなざわめきが起きる。
しばらくして、王が口を開いた。
「その青年は……見返りを求めたか?」
「いいえ」
フォルティナは迷わず答えた。
「何も。ただ、フォルツの街が良くなればいいと」
王はふっと、口元に微かな笑みを浮かべた。
「やはりそうか」
そして背もたれに深く身を預け、まっすぐにフォルティナを見据える。
「ティーナ」
謁見の間が静まり返った。
「君はどう思う?」
宰相の視線がフォルティナへ向いた。
軍務大臣も、財務官も。
誰もが彼女の言葉を待っている。
一領主の主観を問う。
それは王が彼女の「目」と「心」を完全に信頼しているという証でもあった。
フォルティナは一瞬だけ、屋敷の庭でルゥたちを見守る静の姿を思い浮かべた。
縁側に腰掛けて、ただ静かに庭を眺えているあの人。
何かを企てるでもなく、誇るでもなく。
「静さんは……王国に敵対する意思を持ちません」
フォルティナは静かに、しかし確かな声で言った。
「彼はただ、静かに暮らすことを望んでいます」
少しだけ間を置き
「むしろ――過度に関わりを持とうとしないこと。それが、彼との最良の付き合い方であると考えます」
長い沈黙が謁見の間を支配した。
側近たちが固唾を呑んで王の言葉を待つ。
やがて、ルシエル王は満足そうに頷いた。
「君らしい答えだ」
そして、少し笑う
「余も同意見だよ」
王は静かに、しかし力強く続けた。
「静という人物とは敵対せぬ」
「過度に近づき、その平穏を乱すことも許さぬ」
一度だけ間を置いて、王は側近へ視線を向けた。
「この結晶を」
側近が捧げ持った木箱を王はしばらく見つめた。
淡い光が静かに揺れている。
「返しなさい」
短い言葉に側近たちが顔を見合わせた。
宰相が一歩前に出る。
「陛下、この純度であれば国家資源として――」
「返しなさい」
王は繰り返した。
声は変わらず穏やかだった。
しかしその静けさに誰も続けられなかった。
王はフォルティナへ視線を戻す。
「ティーナ」
「はい」
「この結晶は、善意として渡されたものだ」
王は木箱の蓋を静かに閉じた。
「善意は、善意のまま使われるべきだ」
少しの間
「フォルツへ持ち帰りなさい。静の望む形で、フォルツのために使いなさい」
フォルティナは一瞬だけ、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……ありがとうございます、陛下」
「礼は要らない」
王は小さく手を振った。
「余がそうしたいだけだ」
それから、少しだけ笑う。
「善意に対して国が欲を出せば――信頼を失う。それだけのことだよ」
「ティーナ、今後も彼との窓口を君に一任する。その信頼を守り抜きなさい」
フォルティナは深く頭を下げた。
「――はっ。謹んでお受けいたします」
◆◆◆
謁見を終え、長い廊下を歩く。
フレイアが隣で大きく伸びをした。
「ほらね」
「……え?」
「言ったでしょ。案外あっさりするって」
フォルティナは少し考えてから、小さく笑った。
「そうね」
あっさりしているように見えて――あの謁見がどれほど大きな信任だったか。
フォルティナはちゃんと分かっていた。
背負っていた重さが、確かな『使命』へと変わった瞬間だった。
窓の外に広がる王都の景色が、夕暮れの光の中でゆっくりと色を変えていく。
◆◆◆
その夜
王の執務室
蝋燭の灯りが、石造りの部屋をやわらかく照らしていた。
宰相が静かに言う。
「よろしいのですか、陛下。あのような未知の力を秘めた者を、一領主に任せたままで」
王は窓の外を見ていた。
王都の灯りが夜の闇の中に広がっている。
星の多い夜だった。
「ティーナは軽率な判断をしない」
王は穏やかに言った。
「自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の言葉で思考を持ち帰る子だ」
宰相は黙って頷く。
王は窓の外、夜の街をしばらく眺めてから、静かに言った。
「静、か」
少し考えてから、王は小さく笑った。
「あのティーナがこれほど信頼を寄せる人物だ」
夜の街を見つめたまま、続ける。
「面白い。……実に面白いではないか」
王の瞳には不安ではなく、まだ見ぬ隣人への静かな興味が灯っていた。
王都の夜は静かだった。
その静けさの中で――
王国の進むべき道が、穏やかに、しかし確かに定まっていった。
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