61.渤海①
※航路の地図を追加しました。イメージの参考に
【人物】
藤原夏良 主人公 30歳。 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は桓武天皇。養父が藤原冬嗣。藤原北家。良岑安世の名をもらう。妻は雪子、桜、京子。子は長松、宗貞、豊晨姫。
大仁秀 生没年 不明ー830 渤海の第10代王。高王大祚栄の弟であった大野勃の4世孫に当り、傍系の王族ながら僖王大明忠の死により渤海王位を継承した
817年 弘仁7年5月
太宰府に滞在していた藤原夏良。本人の準備は完了しており、あとは出発を待つだけである。
「良岑左大臣、準備できましたので未の刻に出る予定です」通訳兼船員から伝言を受けた。未の刻は今の時間で13時から15時の間のことを言う。昼餉を終えて出るということである。平安時代の貴族は1日2回の食事が基本であるが、体力の使う船員などは3回食べているようである。
「彦兵衛、本当に一緒に行くかね?」最後に聞きたかった。
「はい、何処までも一緒にお供します」明るく答える彦兵衛。
「あまり聞かないようにしていたのだが、ご家族は反対していないのか?」
「齢40ですが、両親と兄弟は河内におります。結婚はしていないので、何かあっても大丈夫です」
「そうか、では、帰ってから相手を見つけよう」
「えっ、滅相もない。お気持ちだけで十分です」
『唐で美人の子でも連れて帰れたらいいのにな』と思う藤原夏良。
船員の準備が終わり、いよいよ出港である。
日本後紀には嵯峨天皇の哀悼の記録と渤海との交流について書かれている。
昨年遭難して戻ってきた渤海使が造船して戻ろうとしたら、瘡病(今の天然痘)で亡くなった事、短い先王の哀悼の意を記した親書を渤海副使の高景秀に託した事が記録されている。
『弘仁七年五月丁卯、遣使賜渤海副使高景秀己下、~中略~今寄高景秀且有信物、』(日本後紀13巻より)
船団は一旦、福良津港(現在の福浦港 )へ寄港する。
福良津港から日本海の流れに沿って北側からぐるっと時計回りに日本海を回り吐号浦まで渡る予定。
日本までは10日ほどで来れるが、渤海吐号浦までは1月ほどかかる。
「いよいよ我が国を離れますね」一緒に甲板で整理をしていた彦兵衛が話していると、片言の日本語で声を掛けてくれる人物がいた。
「いよいよわがくににむかいます。よろしく、おねがいいたします、さだいじん」
副使として来ていた高景秀であるが、渤海使亡き後はこの船団の責任者である。
「ありがとうございます。早く渤海に渡れることが楽しみです」
笑顔で会話する。
「とごうから20日ほどほくじょうして、しゅとでだいめいちゅうおうにおあいいただきます。びょうじゃくなので、じきこくおうのだいじんしゅうにおあいになることになるかもしれません」
吐号浦から20日ほど北上して首都上京竜泉府に向かう。現在の王は先代から受け継いだものの、病弱で次期国王の大仁秀に会うことになるかも知れないとの事であった。
「宜しくお願いします」礼を言う藤原夏良。
することの無い藤原夏良は甲板で、緩んだ縄を結び直したり、海藻などの漂着物を海へ捨てたりとしていた。
風の寒さが少し治まってきて暖かさを感じるようになると、陸地が見えてきた。
「あすにはとうちゃくします」高景秀がいつの間にか近くに来ていた。
「ありがとうございます。初めての異国なのでわくわくしています」
「わくわくですか?」
「楽しい感じです」わくわくを体で表現する藤原夏良。
何となく分ったのか、笑顔で戻っていった。
翌日、港が見えてきた。大きな港である。
「でかいな」思わず独り言をもらす。
「でかいですね」横で彦兵衛もぽかんと見ていた。
漁船も多数、貨物を積める大型船も多数寄港しており、一面見渡す限りが港の様子である。
「到着したら、馬に分乗します。山間が多いので馬車は使いません」通訳兼船員が教えてくれた
多くの馬に荷物をくくりつけるようにしている。
「こうやって運ぶんだ」
既に感心する藤原夏良。
日本では、スピードの必要な軍用馬車以外は牛車がほとんどである。
『さあ、いざ上京竜泉府へ』




