51.正三位⑤
【人物】
藤原夏良 主人公 27歳。 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は桓武天皇。養父が藤原冬嗣。藤原北家。良岑安世の名をもらう。
口分田 大化の改新後、班田収授法により、人民に支給された田。 6歳以上の良民の男子には二段:0.2ha、女子にはその3分の2、賤民のうち官戸・公奴婢 には良民と同額、家人・私奴婢には良民の3分の1を支給。
814年 弘仁5年4月
平安京米問屋でもあり二口の隠れ蓑である「米問屋 晟」に来ていた。名前の由来は子供と同じで明るい未来を祈念して命名した。
米問屋の販売員でもあり諜報員でもある半蔵と話している。
「各国の作付は順調かい?」
「国よっては治水が出来ていないため氾濫による田畑の被害が甚大です。空海和尚が巡礼した場所以外の国は基本的に駄目です。和尚が指導した国は治水と溜池作成と川への対応ができているため、豊水でも渇水でも順調に稲作ができています」
「不作への対応はどうですか」
「基本的には何の対応もしておりません。自然に任せています」
「不作により稲ができない場合は公出挙で対応するしかないという事?改善されなく、結局、種籾を食糧にして稲作されずに私出挙で返済し、借り入れが増えて夜逃げが増えるという悪循環ですよね。口分田も荒れ放題と言うこと?」
「ご理解の通りです。田畑として優良な地が荒廃してるのは国として損失かと」
『貴族による統制施作で耕作地を増やさないといけないのは、避けられない事なのか』
荘園構想が現実味をおびてくる。
極力、人民による自由な農耕をしたかったのだが、稲作の知識も途絶え、行き当たりばったりの作付けでは先が見えている。
蝦夷での成功事例を他の国にも活用してもらいたいのだが、国司で理解できる者がいない状態である。
そもそも、農家出身の官僚がほぼいないのが実情で、農家の事を分かるものはいない。
「旱害はどこの国がひどい?」
「国司の責任が大きいですが大和、近江、丹波が特にひどいです」
この時の各国国司(守)は以下の通り
大和は坂田奈弖麻呂
近江は藤原緒嗣
丹波は大野真雄
「藤原緒嗣氏に話を聞いてみるか」
現在の藤原緒嗣氏の主の役職は右兵衛督。つまり近衛の長官である。この時代、左と右の2つの近衛隊があった。近江守は兼務である。
部下の介は高階遠成。高階姓は長屋王の流れである。
「各国の事情はありますが、京近隣の国は治水に苦慮し、田畑に適さない場所が多く、口分田を与えても荒廃してしまっているのが実情かと思われます」
さすが二口の情報部員。
『七月庚午、畿内・近江・丹波等国、頃年旱災頻発、稲苗多損〜以下略〜』(日本後紀11巻より)
ここで言う畿内は大和・山城・河内・和泉・摂津の五国を指す。




