遺伝子が先か、模倣子が先か
壁の薄い場所を探して、俺たちは歩を進めた。
前回、この階層ではカナリアに遭遇した。今回はいない。オニゲシに会うとすればこの先になるだろう。たぶん。
ふと、間宮氏が足を止めた。
「そういえば、まだ遭遇していないかもしれないので、先に説明しておきます」
「えっ?」
なんでもいいが、俺のメンタルを削るのだけはやめてくれよ。
彼女は無表情でこちらを見ていた。
「この世界で遭遇するのは、故人だけではありませんよ」
「えっ?」
「模倣子というものは、生命活動の余波です。現実での活動が、すべてここにフィードバックされます。つまり、存命中の人間にも遭遇する可能性があるということです」
「はい?」
木下さんがうろついてる可能性もあるのか?
あるいは俺の親類縁者も?
彼女は愉快そうに笑った。
「とはいえ、自分自身に会うことはありません。自分に関するすべての情報は、いまここにある自己に集約されますから」
「それは不幸中の幸い、かな……。ほかに気を付けるべきことは?」
「どんな相手であれ、危険を感じたら、先手を打って殺害することです。心配はご無用。実際には誰も死にませんから」
「俺の苦手分野だな」
「その道のプロでしたよね?」
「組織に強要されてただけだよ。プロと呼べるようなレベルじゃない」
この女と違って、専門的な戦闘の訓練は受けていない。
現場でいくらかのことを学んだだけだ。
俺の得た学びは、「素人同士なら、強気にいくだけで意外となんとかなる」だ。相手がプロのときは知らない。きっと俺が死体になる。
ブロロ、と、エンジン音が聞こえてきた。
俺たちはいつの間にか福島の廃工場にいた。
迫ってくるエンジン音は、巨大なショベルカーのものだった。
その黄色い車体を見た瞬間、俺は理解した。
過去に手をかけた人間が、俺に復讐しようとしている。
ヒュッと鋭い音がして、矢が放たれた。が、その矢は重機のフロントガラスに直撃し、あっけなくどこかへ逸れた。
「死ね……死ね……」
血走った目の運転手は、そんなことをつぶやいていた。俺を轢こうと躍起になってアクセルを踏み込んでいる。
ああ、空が白い。
いつ雪が降り出してもおかしくない。
重機のスピードはのろかった。
俺は、そのまま殺されてもよかったのかもしれない。だが、申し訳ないが、まだすべきことがあるのだ。
彼には両親もいたはずだが、この場には来ていない。
男は単騎。
執念で俺を殺しに来ている。
重機はのろいだけでなく、小回りが利かない。
こちらがちょっと脇にそれただけで、いちいち大仰にUターンするハメになる。
俺は銃を取り出さなかった。
その代わり、体内の小型オルガンを起動させ、すれ違いざま重機の鉄を分解した。さすがに全部は破壊できない。それでもシャーシの周辺をトばしてやれば、すぐさま走行不能になる。
ガガガーッと金属の食い合う音がして、重機は傾いた。馬力の強いエンジンは止まっていない。アクセルを踏んでも音が強くなるだけ。
男は「動け! 動け!」と意地になってアクセルを踏んだ。
強い殺意を抱いたまま死んだせいか、ずっとこんな調子なのだろう。周りが見えなくなってしまっている。
俺のせいだ。
俺のせいで、彼は、死後も怒りの炎にさいなまれている。
きっと彼を殺しても解決しない。
殺したところで、またこの世界のどこかで再生して、同じことを繰り返すはず。
男が憤慨しながらドアを開け、重機から降りてきた。その瞬間、彼の頭部に矢が突き刺さった。男はぶるるっと痙攣しながら崩れ落ちた。
間宮氏が溜め息をつきながら寄ってきた。
「もっと効率的に戦えましたよね?」
「躊躇があった」
「この方とどんな関係だったかのは尋ねませんが……。どんな手を尽くしても、彼は救えませんよ」
「分かってる」
いや、きっと分かっていない。
分かっていたら、躊躇せず、もっと効率的に戦ったはずだ。
彼女もそれ以上は俺を責めなかった。代わりに、どこか遠くを見つめ、目を細めた。
「でも妙ですね。この手の人間が、壁を超えた先に出てくるなんて」
「そういえばそうだな。声の素質があるわけでもないのに、なぜ?」
「誰かの差し金でしょう」
「オニゲシが?」
俺の問いに、彼女はどこか哀しそうな笑みを浮かべた。
「違うと思います」
「じゃあ誰が?」
「さあ」
分かってて黙っている顔だ。
あきらかに俺に気をつかっている。
ということは、おおかたマキナが犯人なのだろう。
マキナは俺を遠ざけようとしている。
俺が憎いからか?
ムリもない。俺は母親もろとも彼女を殺そうとした。しかもそのせいで、彼女は正常に生まれることができず、水槽に閉じ込められるハメになった。俺を八つ裂きにしたくて仕方がないだろう。
また夜空に、ぼんやりとしたふたつの月があがった。
これは俺へのメッセージなのかもしれない。
意味までは分からないが。
死体が消えたので、間宮氏は矢を回収した。
「木下さんからは、言わなくていいと言われているのですが……」
「えっ?」
「言いたくなったので、言ってしまいます。娘さんは、あなたを愛していますよ。だけど、会ったら最後になってしまうから、会いたくないんです」
「……」
オルガンを壊せば終わる。
そう安易に考えて仕事を引き受けた。
だがそれは、マキナの殺害とイコールだった。
とはいえ、ここは模倣子の世界だ。殺したり壊したりしたところで、簡単に問題が解決するとも思えないが。
「もっと教えてあげましょう。あなたのオルガンには、すでに娘さんのコードが仕込まれています」
「コードって?」
「有機周波数ですよ。遺伝子と模倣子を変換する際に使用するもの。変換時に異様なコードを紛れ込ませれば、完全に破壊することさえ可能です」
「は、破壊?」
「この世界から、娘さんを消し去ることです。いえ、消し去るというより、バラバラにして無意味な情報にしてしまう、というのが正確ですね。あなたの小型オルガンは常に周波数を受信していて、一致するコードを検出したら自動的に発動するようになっています」
「ちょっと待ってくれよ……」
溜め息しか出そうになかった。
だが、そうだ。
だからこそ、十二番は真相を言わなかったのだ。
そのほうが成功率があがるから。
彼女の判断は正しかった。
思考が停止したまま、言葉が出てこなかった。
どいつもこいつも。
人として、そんなことをして平気でいられるのか?
正気を疑う。
俺は自分を善人だなんて思っていない。
だけど、これはいくらなんでもダメだろう。
「どうやったらこの装置を取り出せるんだ?」
俺の体内に埋められた小型オルガンが、急に忌まわしく思えてきた。
これを引きちぎってどこかへ破棄したい。
「外したら死にますよ? この世界で死んだところで、どうせ生き返ってもとに戻るだけですけど。もし現実世界でやれば……。まあ、普通におしまいですね。でも、それは誰も望みませんよね?」
「俺が望んだとしたら?」
「私が止めますよ」
表情ひとつ変えずそんなことを言う。
「止める? あんたにそんなことする筋合いが……」
「ありませんね。けど、私だって、なんの覚悟もなくタネ明かしするほど愚かではありませんよ」
「なら、なぜ……」
「あなたはひどく理屈っぽい人ですが……。それだけに、モノを考えるのは苦手ではないでしょう? だから、自分で考えて結論を出したいだろうと思いまして。考えるためには情報が必要ですよね?」
「おそらく感謝すべきなんだろうな。けど、いまは言葉が出てこない」
「大丈夫ですよ。じっくり考えてください。敵が出てきたら私が殺しますから」
敵に回したくない女だ。
だが、味方としても手に余る。
どうしようもない猛獣だ。
「あ、ここ。壁が薄いですね」
「きっと向こうにオニゲシがいるぜ」
「かもしれません。さ、魔法のステッキをどうぞ」
「ああ……」
バカみたいだが、ここではそうしないと壁が開かない。
俺は魔法のステッキをぶんと振った。
空間が裂けて、グルグル模様のワープゾーンが現れた。
*
昼。
つぎはぎだらけの世界。
オニゲシは公園のブランコに座っていた。
ずいぶん離れた場所からでも、彼女の怒りは伝わってきた。
間宮氏は矢筒から矢を一本とりながら、こう言った。
「その魔法のステッキ、バリアにもなりますよ」
「えっ?」
「攻撃の気配を感じたら、すぐに使ってください」
「攻撃の気配って?」
いや、分かる。
いまだ。
憎悪が襲い掛かってきている。
俺はステッキを振った。すると正面に迫っていた斬撃が、バチィと魔法のシールドに弾けて消えた。
間宮氏は駆け出していた。走りながら矢をつがえ、放った。
矢はヒュンと甲高い音を立てて飛翔し、オニゲシの足へ深々と突き刺さった。
「ぎぃッ」
苦し紛れに再度放たれた斬撃が、間宮氏のすぐ脇をすり抜けてビルの一部を切り裂いた。それと入れ替わるように、別の矢がオニゲシの肩口を貫いた。
それから、おそらく一分もかからなかっただろう。
四肢に大量の矢を受けたオニゲシは、もはや反撃もできないほど消耗し、身動きがとれなくなっていた。それでも生きている。間宮氏が急所を外したせいだ。
「殺せ……」
オニゲシは口から血を噴きながら、手負いの狂犬のように吐き捨てた。
残酷な光景だ。
俺はこんなふうに生かしておくのは好きじゃない。命を奪うにしても、せめて苦しまずに死んで欲しいと思う。
間宮氏は、しかしすました顔をしていた。
「普通に殺したところで、どうせまた生き返ります。そこで、間宮の術を使います。傷口がふさがらなくなる術です」
「えっ?」
俺は思わず間抜けな声をあげてしまった。
未来を予想できてしまった。
オニゲシはここで動けなくなったまま、激痛に苦しめられ、永遠にのたうつことになる。
間宮氏は平然としていた。
「えっ、じゃありませんよ。彼女は純粋な模倣子です。生命ではないんです。同じ情報のまま何度でも再生します。苦しみを感じることもありません」
「そんなわけないだろ」
いま足元に転がっている少女は、あきらかに苦しんでいた。呼吸さえつらそうだ。
ただの模倣子だとしても、放ってはおけない。
「あまり私を失望させないでくださいね。あなたは、これから自分がなそうとしていることの重大さを、きちんと理解していないのですか?」
「してないよ、たぶん」
ブランコ脇に、いつの間にかテレビが置かれていた。
それが勝手についた。
ニュース番組が、謎の生物の大量発生について報じていた。
「これは私たちの世界の様子です。ワームホールが開いてすぐは、さほどの浸食もありませんでした。ですが徐々に……あるときから急速に、影響を及ぼし始めました。見てください。この魚。まるで爬虫類のように手足が生えている。模倣子の影響です」
すでに実害が出ているのか。
俺が返事をできずにいると、彼女はこう続けた。
「じつは私たちは、根本的な誤解をしている可能性があるんです」
「誤解?」
「模倣子というものが、遺伝子から生じた、という誤解です」
「は?」
違うのか?
模倣子というのは、俺たちの生命活動によって生じたものなんだろう?
*
彼女の話はこうだ。
惑星が誕生すると、その回転によって、通常のエネルギーとは異なるエネルギー空間ができあがる。
遺伝子の世界と模倣子の世界が分かれるのだ。
そしてまず、模倣子の世界で生命が誕生する。
あたかも惑星というタマゴから生命が誕生するかのように。
模倣子の世界から、遺伝子の世界へ生命がやってくる。
もし生存可能な環境があれば、生命は活動を始める。
やがて生命は、ああなりたい、こうなりたいと願うようになる。するとその姿が模倣子の世界へフィードバックされ、そこから遺伝子へ還元される。
それこそが進化なのだと。
ただ、ワームホールは基本的に閉じており、互いへの影響を最小限に保っているのだという。
それが今回、強引にこじ開けられた。
生態系への影響は、計測不能なレベルになるかもしれない。
*
間宮氏は肩をすくめた。
「あくまで仮説ですよ。私も受け入れていませんし。ただ、もしこの仮説を信じるなら、生命がどこから来るのかという問いに結論が出ます。そして結論を急ぐ人たちは、この説を支持したがっています。急ぐ必要があるとは思えませんが」
「あー……はい。なるほど……」
正直、ひとつも受け入れられないが。
「模倣子の世界って、火星にも水星にもあるみたいですよ。ただ、現実のほうで生存できないから、生命が存在できていないだけで」
「どうやって観測したんだ?」
「いるんですよ、容赦なく薬を投与して人体実験する悪い大人たちが。どことは言いませんが」
アメリカだろうな。
いや、どうしてもアメリカを悪く言いたいわけじゃない。
ただ、そんな技術を有しているのはアメリカだけなのだ。いま日本人が持て余している技術も、アメリカからもたらされたものだ。
オニゲシはまだ悶え苦しんでいる。
俺は彼女を救えないのか。
「本題に戻りましょう。あなたが決断を渋れば、それだけ世界に被害が出る、ということです」
「べつに知ったこっちゃない」
「それでも前へ進みますよね?」
「……」
そうだ。
俺はマキナに会わねばならない。
間宮氏は印を結んでいる。
「承諾があればいつでも施術します」
「やってくれ」
(続く)




