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ストリングス  作者: 不覚たん


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12/23

役に立ってしまった

 ただれた生活が始まった。


 天使ちゃんが優しく介護してくれたおかげで、役立たずだと思っていた俺の体は、自分でも信じられないほど役に立ってしまった。

 暇さえあればそれを繰り返した。

 彼女はなんでも受け入れてくれる。

 アリジゴクみたいな女だ。ズルズルと引き込まれて、脱出できなくなってしまう。


 だが、後悔はない。天使ちゃんのおかげで、俺は人生で初めて、他者を受け入れることができた。


「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。聞こえますか? 聞こえたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」


 彼女の唯一の欠点は、気がつくと謎の存在との通信を試みることだ。

 返事もないのに。


 彼女はこちらに身をあずけてきた。

「ね、質問。神さまは、なんで私にお返事くれないと思う?」

「さあ……」

 そもそも、その「神さま」ってのがどこのどいつなのか。

 まずはその情報を開示して欲しい。

 まさかとは思うが、どこの誰かも分からないヤツに話しかけているわけでもあるまい。もしそうなら、その「神さま」とやらもきっと迷惑に違いない。見知らぬヤツからずっと間違い電話がかかってくるようなものだ。


 彼女は甘えたように体を押し付けてきた。まるで自分のモノだと主張するネコのように。

「神さまって、どんなお姿かな?」

「分からないよ」

「考えて?」

「考えてはみるけど……」


 模範的な「白いひげをはやした老人」を想像してもいい。

 大半の人間は否定しないだろう。

 すなわち、この模倣子の世界においては、それが正解となる。


 俺が彼女を押し倒すと、「あっ」と声をあげた。

「またするの?」

「ダメか?」

「ダメじゃないけど……。終わったら、神さまのお話しを一緒に考えて?」

「いいよ」

 よくない。

 俺はとにかくこの女を愛したいだけだ。いや、「愛する」というか「ヤりたい」だけかもしれない。この子はあまりにかわいすぎる。なんでも肯定してくれる。痩せているように見えて、意外と体がしっかりしている。反応もかわいい。とにかくずっと抱きしめていたい。あたたかい。


 ん?


 あれ?


 いや……。


 えっ?


 えーと……。


 俺はいま、天使ちゃんの愛らしい唇にキスをしようとしていた。

 まあ、それはいまでも不可能ではない。

 気がかりな点があるとすれば、それは、彼女の頭頂部から顎にかけて、矢が貫通しているということだ。数秒前までは存在しなかった。

 なにかの模倣子か?


 天使ちゃんの身体が痙攣を始めた。


 愛しい天使ちゃんに、矢を打ち込んだ愚か者がいる。

 俺は、脱ぎ捨ててあるジャケットをつかもうと手を伸ばした。内ポケットに拳銃がある。だが、そのジャケットに容赦なく矢が突き刺さった。


 仕掛けてきたのは間宮だ。

 研究所で会った後、この模倣子の世界に入り込んで来たらしい。


「事情を説明してもらおうか」

「雇用されたんですよ、あなたと同じように」

 彼女はごくさめた目をしていた。

 腰まで伸びた絹のようなまっしろな髪。

 巫女装束で弓を構えている。

 元一課の連中を、まとめて一人で相手していた女だ。俺が銃を使ったところで勝てる相手じゃない。それに矢は、意外と構造が複雑だから、俺の小型オルガンでも消去するのは難しい。


 死亡した天使ちゃんの身体は、ふっと白いもやになって消えてしまった。

 もちろんどこかで再生するのだろう。だが、次にいつどこで会えるか分からない。二度と再会できない可能性もある。


「いまの労働は、あんたの給料に含まれてるのか?」

「知りません」

「余計なことをしたな」

 俺は射られる可能性を無視して、ジャケットから銃を回収した。意外なことに、彼女は見逃してくれた。

 どうもこちらを待ってくれるようなので、あせらずに服を着た。

 銃口を向けても、彼女は動じない。


「なぜ殺した?」

「……」

「黙ってちゃ分からないだろ?」

「……」

 彼女は無言で片膝をついた。姿勢を安定させて矢を射るつもりか?

 いや、両膝をついた。

 かと思うと、頭を地べたにこすりつけ、土下座を始めてしまった。


「すいませんでした! どうしていいか分からず、とりあえずヤってしまいました!」


 どうしていいか分からず?

 とりあえず?

 ヤってしまいました?


 俺は基本的に、次に相手がどんな行動をとるのか、なにを言ってくるのか、いくつか予想を立てながら行動する。

 しかし今回は……すべての予想が外れた。

 さすがに銃もおろした。


 彼女はリビングの床にぐりぐりと頭をこすりつけた。

「かくなる上は、弓切り折り白害して、人にふたたびおもてを向かふべからず……」

「那須与一かよ……」

 それしか反応できなかった。


 彼女は、ダン、ダン、と、頭を打ち付け始めた。

「死にます! 死にます!」

「待ってくれ! 死ぬな! 死ぬにしても、まずは事情を説明してから死んでくれ!」

 すると彼女は頭から血を流しながら、がばと顔をあげた。

 とんでもないホラー顔だ。

「だって二週間くらいずっと話しかけるチャンスをうかがってたのに、二人ともずぅーっとヤりっぱなしだったんですよ? どうすればいいんですか? 逆に教えてくださいよ? ねえ? どうすればよかったんですか? ほら! 答えて!」

 ついには逆ギレ。


 でも、そうか。

 俺は二週間もこんなことを……。

 天使ちゃんの体は、どれだけ抱きしめても足りないほどだった。いまも抱きしめたくて心が潰れそうになる。


「けど、二週間もあったら、少しくらいチャンスあったんじゃ……」

 俺の問いに、彼女は血走った目で応じた。

「なかったんですよ。隙あらばおっぱじまって」

「でも二週間も……」

「だからこうして謝ってるんじゃないですか! まだ足りませんか!?」

「いえ、もう結構……」

 これ以上の流血は見たくない。

 戦ったわけでもないのに、勝手に負傷しないで欲しい。


 彼女は「ちょっと顔洗ってきます」といって部屋を出た。


 この施設は、タイマーを仕掛けると、穴から銃弾が飛び出してくる。

 いまは誰も仕掛けていないはずだから、安全だと推測できる。この推測は必ずしも正しいとは限らないが。


 ややすると、彼女は頭にタオルを巻いて出血をおさえつつ、小さなスティックを持って戻ってきた。

「あの、これ見てもらえます?」

「出血は止まったの?」

「止まりました。それよりこれ」

「体温計?」

「いえ、妊娠検査キットです。どうやら妊娠はしていないようですね」

「は?」

 いったい、誰のなにを検査した?


 困惑する俺に、彼女は不審そうな目を向けてきた。

「え、分かってないんですか? あなた、天使ちゃんと……子供ができるようなことを繰り返してましたよね?」

「いやまあ……。じゃあ、これは天使ちゃんの?」

「いえ、私のです。あ、疑問に思う前に、ちゃんと聞いてください。私、声が……つまり有機周波数が分かるんです。そういう一族なんで。それで、ここ二週間ほど、天使ちゃんとシンクロしてたんで、もしやと思ったんです」

「……」

 すまない。

 いったいなにを言っているのか……分かるけど、脳が理解を拒絶している。


「でもまあ、妊娠してませんでしたね。あ、バカにしてます? ここ、模倣子の世界なんですよ? なにかの拍子に命が宿ってもおかしくないんです」

「つまり……」

「でもまだ分からないので、検査は続けます。妊娠していたら、間宮に婿入りしていただきます」

「……」

「逃げてもムダですよ。私はともかく、祖母は絶対に許しませんから。そういう人なんです」

 あの厳しそうな婆さんか。

 まさに一族の刀自とじといった風格だった。


 とにかく、この世界は危険だ。

 指一本触れていない女が、子供ができたかもとか言ってくる。

 自分がかかわったことならきちんと向き合うつもりでいるが、これはとても自分のこととは思えない。責任の所在がハッキリしないことほど、不幸なことはない。マキナの件だって解決できていないのに。


 間宮氏は遠慮もなく溜め息をついた。

「はぁ、けどガッカリですね。あんなに軽率に婚前交渉するような男性だったなんて」

「余計なお世話だ」

「私が酔っ払ったとき、優しく介護してくれたから、ワンチャンあるんじゃないかと思ってたんですが」

「あれは間宮家を敵に回すのが怖かっただけだ」

「そんなにハッキリ言われたら、さすがに傷つきますよ」

 普通なら謝るところだが……。

 この覗き魔に対して、いまは素直に謝罪する気分になれなかった。俺の大事な天使ちゃんまで殺しやがって。

 また天使ちゃんに会いたい。

 すべてを忘れて、二人きりで永遠を過ごすのだ。


 間宮氏はすっと表情を消した。

「そういえば、私の雇用主を言ってませんでしたね」

「組織じゃないのか?」

「違います。木下さんですよ。あなたをサポートして欲しいとお願いされまして。つまり、彼女が雇用主なのですから、現場で起きたことは彼女に報告する義務があります。あー、でも、心苦しいですね。とっくに亡くなってるはずの女と、あなたがあんなことを……。彼女、あなたにしがみついたままぴょんぴょん跳ねちゃってかわいかったですねぇ。ウサギさんでしょうか? 危うく私まで妊娠するところでした」

 お前は妊娠しない!

 いや、そうじゃない。

 木下さんに言う?

 正気か?


 俺は土下座していた。

「待ってくれ。いや、報告するなとは言わない。そんなこと言える立場でもない。ただ、説明は、俺が自分でしたい……」

「そうですか? まあ、その提案を聞かないこともありませんが……」

「なにか条件が?」

「うーん、悩みますね。交換条件など出さずとも、たいていの願いは自力で叶えられますから」

 こいつはそうなんだろう。

 力のあるやつはそうだ。

「じゃあ保留でもいいので」

「はい」

 うっすらとほほ笑んでいる。

 怖い。

 敵に回すべきじゃない。


「ただ、それでも天使ちゃんを殺す必要はなかったと……」

「えっ? まさか蒸し返すつもりですか?」

「黙ります」

 クソ女め……。


 天使ちゃんはどこかで復活している。

 だから探し出せばいい。

 絶対に見つかる。

 俺たちは互いに必要としている。

 俺と天使ちゃんだけの楽園を作って、そこで永遠に幸せに暮らすのだ。


 ただ、木下さんは不快に思うだろう。俺が、彼女の娘と……そういう関係になって、ここに永住するだなんて。間宮みたいな危険人物を刺客として送ってくる可能性がある。うまくかわさなくてはならない。


(続く)

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