29 あなたの事が知りたくて その2
セレステア・ディ・オーディン。
リチアに物心がつくころ‥‥‥セレステアは流行り病を患って亡くなった。
その年の冬、オーディン領では家畜が相次いで死んだ。原因は領内に流れる川の水。川から大量に打ち上げられた魚の処分に困り、飼料の代用品として家畜に与えたことが病の引き金となった。
次々と家畜が倒れ、その倒れた家畜の肉を人が食べ――それはまるで毒のように、肉を食べた人々の命を音もなく奪っていった。
原因を探る間、セレステアは自ら流行り病の現地に足を運び、聖女の力で大勢を救った――が、その途中で病を発症。
あまりにも急なことだったそうだ。高熱で倒れたセレステアはその日のうちに帰らぬ人となってしまった。
リチアには当時の記憶が残っていない。だから母親がどんな顔をしていたのかも、城に飾られている肖像画くらいでしか知る術がない。どんな人柄であったのかも人伝いに聞かなければならず‥‥‥だが、オーディン家に当時を知る使用人は少ない。それはセレステアが亡くなってから多くの臣下が離散してしまったためだった。
ハインツに聞けば話してはくれるのだろうが、リチアはあえてそれはしないでいる。妻が亡くなり、そのうえ家臣にまで見捨てられたのだ。当時を覚えていないリチアでさえ心苦しくなるようなことを、わざと思い出させるような真似はしたくなかった。
それに、母の顔を覚えていないのに――どうしてだろう。その当時の記憶を思い出そうとするたびに、酷い喪失感と悲しみが泥のように広がって頭の中を支配する。
そのせいかリチア自身、セレステアのことを思い出すのが怖くなっていた。それなのに、何か辛い事があると、母に縋る子供のように必ずセレステアの墓標がある庭園に足を運んでいる。‥‥‥今でもだ。
あの夜のときも、そうだった。
母もいない、友達もいない、父にも言えない。だからこそ、そんなどうしようもない時に一緒にいてくれたあの男の子には感謝をしている。
できることならまた会いたいと願っている。
(スノウがあの男の子ならいいのに‥‥‥)
ふと思いが浮かび、リチアは飛び起きた。
「‥‥‥いやいやいや‥‥‥だからなんでスノウなのよ」
ないない、ないから。強く首を振り、リチアは深く嘆息した。
(スノウがあんなこと訊くから変なことばっかり考えちゃうじゃない、もう)
やめたやめた!
リチアはベッドから腰を上げ、そそくさと部屋を出た。
スノウの部屋にいるだけで落ち着かない。ならば、気が晴れるまでしばらく外でも歩こうと思ったのだ。
(どうせなら剣の練習でもひとつやってみようかしら)
廊下を歩きながらそんなことを考える。
やっとマナ操作ができるようになったのだ。ここで練習をしておけば、いざという時に役立つし、何より明日の訓練でスノウをびっくりさせることができるかもしれない。
スノウは優しい。臣下としても友達としても、そして師匠としても。けれど、剣術指南が始まってからこっち、一度だって褒めてもらったことがなかった。
教え方はあくまでも丁寧だ。むしろ謙虚過ぎるくらいに。だが、ご機嫌取りをする気はまったくないようで、及第点でも絶対に良しとは言わず、しかも妥協はしない性質なのか、剣技において彼は少しの粗でさえ見過ごそうとはしなかった。
(‥‥‥って、またスノウのことばかり‥‥‥)
剣を振るう手を止め、リチアはハァと息を吐いた。
「気分転換のつもりだったのに、我ながら呆れるわね」
思わず自嘲気味な笑いがこぼれた。
(私より、よっぽど彼の方が公爵家に相応しいような気がする)
入れ替わってから常々考えていたことが脳裏を過る。
体内のマナと研ぎ澄まされた感覚が、今の自分がどれくらい優れているのかを教えてくれるのだ。
マナの保有量でいったら、スノウはおそらくシルベットよりも上だとリチアは確信している。
王家旗下の騎士団は、入団前に王城に勤めながら魔法の基礎を学ぶ。シルベットの魔法の腕前は、そこら辺の貴族と比べ物にならないくらい優秀だとハインツが断言していた。
マナを応用した技術こそが魔法だ。したがって、保有量が多ければそれだけ高度かつ優れた魔法を使うことができる。
「‥‥‥お父様がわざわざ下民であるスノウを騎士団に入れたのも、なんか納得ね」
スノウがちゃんとした家の子に生まれていたら。もしそれが貴族の家柄であったのなら。‥‥‥彼の真っ直ぐな性格上、きっと王都ではその名を知らないものはいないくらい有名になったはずだ。
(‥‥‥もったいないわね‥‥‥あぁ、でもスノウの妹弟たちはちゃんと学校には行ってるんだっけ)
七歳で従騎士となり日夜修練と勤労に勤しむスノウにかわって、彼の妹弟たちはしっかり勉学に励んでいるらしい。
スノウの給金のほとんどが家族への仕送りと学費に充てられていた。とはいえ、学費の半分はハインツから借金という形で工面しているけれど。
学校を卒業した子供とそうでない子供とでは、その後の人生に大きな差が出る。それは、道が開けると言い換えても良い。
仮に妹弟たちが物凄く優秀だったとしよう。するとどうだろう、その気になれば下民という身分を返上して、成りあがることだって夢ではない。
(まったく‥‥‥よくできた兄だこと。そういえばあの子達、元気にしているかしら)
兄のお見舞いにとやって来た彼らと会ってから三週間近くが経った。
その時に彼らから貰った剣穂は、リチアが持っている。スノウに渡そうとしたが、リチアに持っていてほしい、と返されてしまったのだ。
『僕に贈られたものなら、お嬢様が持っているべきです。それに、またもしものことがあるかもしれませんし、お嬢様が持っている方が僕としても安心です‥‥‥だから、預かっていてください、元の体に戻るまで――』
リチアは剣を胸の高さまで持ち上げ、揺れる剣穂をしばし眺めた。
青く透き通る宝玉が美しく輝く。房に使われている糸も一本一本丁寧に編み込まれていた。これがまだ小さな子供たちの手によって作られたものとは思えないほど立派な出来だった。
「これのお陰で命を救われたのよね‥‥‥」
スノウも自分も、まだお互いの体に馴染んでいなかった時の出来事だ。この青い宝玉の魔除けの力が無ければ、今頃リチアはこの世にいなかったかもしれない。
「なにかお礼ができればいいんだけど」
困ったことに、今の自分にはお金がない。
何かないだろうか‥‥‥と思案し、するとそこでリチアは「あ!」と閃いた。
(そういえば――小さい頃に着てたドレスがまだ残ってたっけ!)
その昔、贅沢好きなマナー講師がいた頃、サロンや来客の時のためにとドレスや靴をはじめ、ジュエリーなど王都から度々買い付けていたのだ。買ったものの二割ほどを、こっそりとくすねていたことがハインツにバレて、その講師は直ぐにクビになったのだが‥‥‥その時にしこたま買い漁ったもののうち半分以上は売却済み。けれどまだドレスルームの奥には、数回着用した程度のものが処分せずに残っているはずだった。
リチア自身が気に入り、お願いして残してもらったのだ。
それを売ってお金にすれば、少しは彼らに恩を返せるのではないだろうか。そうと決まれば――。
リチアは剣を鞘に戻すと、足早にオーディン城へと向かった。
(まずはティティに伝えなくちゃ‥‥‥あとは換金できる場所をディアムに訊いて‥‥‥)
スノウの実家の場所は既に知っている。ティティに彼の素性を調べてもらったときに把握していた。城下町の端っこの方で多少距離はあるが、今のリチアには馬という足があるので何の問題もない。
ふと空を見上げ、月の位置を確認したリチアは、さらに足を速めた。あまり夜遅くになってもいけないから、早くしないと。
(スノウの家かぁ‥‥‥)
自然と頬が緩む。急ぐリチアの足取りは、軽やかだった。




