28 あなたの事が知りたくて その1
スノウがティティの尋問を受けていた‥‥‥その頃。オルタニカの東部、ミネルヴァ領の主城では密かな対話が行われていた。
城主一族が住まう城の奥、白と青で統一された清楚な部屋。そこがミネルヴァ公爵家長女である、シャイリーン・ド・ミネルヴァの私室。
頻繁に夜会に招待されては出席しているシャイリーンは今日、久しぶりに何もないオフの夜長を満喫していた。
夜着に身を包んだ彼女は侍従を全員下がらせた後、やや遅めのハイティーなどを嗜んでいる。
シャイリーンは淹れたての紅茶が入ったティーカップを鼻元に近づけると、ゆっくりと香りを楽しむようにくゆらせた。
普段は侍女に淹れてもらっている紅茶だが、手ずから淹れるのも悪くない。それに、温度を自分好みに調節できるのも良い。少々熱いくらいが今のシャイリーンの好みだった。
「‥‥‥あ゛っづっっ‼」
‥‥‥少々熱すぎた。
シャイリーンはカップをソーサーに戻すと、やけどした舌を冷まそうと手を扇子代わりにパタパタと振った。
「‥‥‥猫舌だと何度も言いましたが?」
テーブルの対面からこれ見よがしに言われる。シャイリーンが視線を上げると、迷惑そうな顔でこちらを見ている壮年の男と目が合った。
シャイリーンと同じシルバーブルーの髪色に、上品かつ威厳のある顔つき。四十過ぎとは思えないほど若々しく、すらりとした容姿。妻子ある身なのにも関わらず、いまだに社交界では女性人気が高く、また領主としての人望も厚い。
――この人こそシャイリーンの父、現ミネルヴァ家当主、サリヴァン・ド・ミネルヴァである。
サリヴァンは、涙目の娘を眺め溜息を吐くと、持っていた新聞を卓上に置いた。それから咳払いなどして、新聞を厳しい目で見やる。
「王都ではここ最近、オーディン家の話題で持ちきりです。我が領内でも彼らを称賛する声が少なからず聞こえている‥‥‥例のギルドを商会に引き入れたのは時期尚早だったのでは?」
サリヴァンの言葉に促され、シャイリーンは目尻の涙を指先ですばやく拭いながら新聞に目をすべらせた。
“悲劇の街を救った聖女”‥‥‥新聞の見出しに大きくそう書かれている。
「昨年までブレア地区は私たちの管轄だった。そこでこんな事件が起こり、オーディン家が事態鎮静化の立役者として国中に知れ渡ってしまうなど‥‥‥オーディン家と敵対している私達を疑う人も出てくるはず。どうするつもりか、聞かせてもらっても?」
するとシャイリーンはフッと笑った。
「これのなにが問題か‥‥‥分からないけど、私には」
シャイリーンは言うと、椅子の背もたれにゆったりと背中を預けた。
「少数派の意見で揺らぐほど私達は脆弱ではないし、オーディン家はなんの確証もなく私達を責められない‥‥‥そうでしょう?」
「そうですが‥‥‥」
「心配はしなくていい――あぁ、そういえば二日後のライオット家主催の舞踏会に噂の彼女も来るんだったな」
「――‥‥‥あの子が? どうして急に」
「さぁ‥‥‥でも、おおかた予想はつくけれど」
言って、眉間に皺を寄せたサリヴァンを尻目に、シャイリーンは不敵に笑んでみせた。
「随分と久しぶりになるんじゃないかしら‥‥‥楽しみね」
♢♢♢
逃げるように城を出たリチアは、寄宿舎に戻るなりベッドに身を投げた。真っ赤になった顔を枕に埋め、先ほどの出来事を思い出しては足をばたつかせて悶絶する。
恥ずかしい‥‥‥! 穴があったら入りたい、そんな気分だった。
(しかも、あんなところをティティに見られるなんて‥‥‥!)
たまたま体を洗っていたタイミングだった。だから――隠すタイミングも無かった。スノウはそれをきっと――最悪だ‼
(そのうえ私は何をした!?)
いきなり入ってきたティティに驚いて、その後――。
わざとじゃない。断じて! リチアは枕に顔を擦り付けた。
‥‥‥あの時は紛れもなく、リチア本来の身体だった。たった一瞬だったけど、それでもその瞬間に感じた動揺も困惑も感触も、全部本当の自分のものだった。
「明日どんな顔して会えばいいのよ‥‥‥もうっ!」
スノウの戸惑った顔が、瞼にこびり付いて離れない。
彼は、どう思っただろう。
(ただ困っただけ? それとも――)
カッと火照った彼の頬。あれは湯気の熱気だけのものだろうか。
考えれば考えるほど心臓がバクバクとうるさくなり、体中が火でも吹き出しそうなくらい熱くなる。リチアは自分の頭をポカポカと叩いた。
(これじゃ、まるで私が何か期待しているみたいじゃない!)
だが、そこでふと我に返った。ハッと動きを止めたリチアは枕から僅かに顔を上げた。
何かって――何を?
(‥‥‥スノウは私にとって、何を期待するべき人なの‥‥‥?)
スノウと入れ替わってから二週間と少し。一心同体というのは変だが、今では側近という立場で側にいるからか、お互いの身体と心が近く、ブレア地区でのこともあって、リチアにとっては肉親に近い存在と感じるようになっていた。
いなくなっては困るし、離れると落ち着かない。事情が事情だからという理由もおおいにあるけれど、彼のそばに少しでも長くいたい‥‥‥今ではそんなふうに思っている。
そしてそんな感情とともにもう一つ、日々交わされる会話の中で、リチアとまったく異なる環境下で育ったスノウのことをもっと知りたいと思うようにもなっていた。
自分がそう思うように、スノウもそう思っているのだろうか? ‥‥‥できればそう思ってほしいとリチアは願っている。これはまさに、期待というべき感情なのではないだろうか。しかし--。
スノウは確かに大切で、重要な人だ。けれど、だからといってこんな気持ちになるものなのだろうか。
(私は‥‥‥スノウに何を期待したの?)
その奥にまだなにかあるような気がするのだ。この期待を生んだ根源たる何かが‥‥‥それが分からない。
「‥‥‥そういえばあの時、なんでスノウはいきなりあんな風に驚いたのかな‥‥‥」
八歳の頃に出会った男の子の話に、スノウはやけに反応していた。ひょっとして彼は、その男の子の正体に身に覚えがあるのかもしれない。
スノウがオーディン家の従騎士になったのは、確か七歳のときだ。そう本人がいっていた。スノウはリチアのいっこ年上である。つまり、その誕生日パーティーの年にスノウは既にオーディン家にいたことになる。面識があるとしても、おかしくはない。
「でも、会場に入れる人は限られるし‥‥‥従騎士は近づけもしないはず‥‥‥」
じゃあ、とリチアは呟いた。もしかして、あの男の子は――スノウ?
‥‥‥いいえ、そんなはずはない。
リチアは頭を振った。
「あの庭園には、お父様と私しか入れないもの」
もしくは、たった一人だけだが、許可を与えた庭師だけ。
誰にも侵されることのない、隔離された秘密の庭園。あの夜、パーティー会場から逃げ出したリチアは、そこに向かった。
一年中赤いバラが咲き乱れるその庭園の最奥には、一つの墓標がある。リチアはその墓標の前で泣いていて、そこに例の男の子が何処からともなくやってきたのだ。
そこには‥‥‥一代前の聖女、つまり――リチアの母親の墓があった。




