97話 孫の休暇終了、そしてメイベルとエインワース ~第3部 終章~
夜の活動だけでなく、日中の祭りもあって結構互いに疲れていたらしい。一緒に寝入った翌日、メイベル達は揃って久しく寝坊した。
その後、スティーブンは、予約していた列車で帰るまでの丸二日を、大好きな祖父と過ごしていった。普段はメイベルと二人きりの家の中、彼が加わった事によって、出入りする精霊騒ぎも二倍だった。
その二日間の間、絵仕事の打ち合わせの帰りに立ち寄った画家の老人、エリクトールとまたしても火花を散らしてもいた。
一緒に眠った夜あたりから、ちょっとスティーブンが変かもと思ったメイベルだったが、おかげで自分の気のせいであったと結論した。
――孫は、相変わらずの祖父ラブのバカだった。
やたら構ってくるように感じたのも気のせいだったようだ。だってメイベルのそばには、いつだってエインワースがいる。庭の手入れも料理も、それで不慣れなのに隣に立ってムキになって頑張っていたんだろうと思った。
スティーブンは、丸二日の休暇を経たのち、自分の部屋と事務所がある地方都市サーシスへと帰っていった。それを見送ってようやく、家はいつも通りの二人きりになる。
「ついでに手紙を書け、だなんて変な奴め」
メイベルは、見送り後の紅茶で一息ついたところで、押し付けられるように寄越された手紙のセットをチラリと睨んで言った。
「これ、町で売ってるやつだろ」
「急きょ買って来たんだろうねぇ」
朝のジョギングの際、いつもよりやや遅れて戻ってきた事を思い返して、エインワースがそう相槌を打つ。
「私の手紙と一緒に、君のも封筒に入れたらいいじゃない」
「これといって伝える内容は、ない」
「あらま」
話す事はない。伝えられるような思い出話だって、持ち合わせていない。エインワースの事は、エインワース自身から手紙をもらって知ってもいる。
――そもそも、手紙、だなんて。
精霊としては馴染みがない。魔法使いが手紙のやりとりをするのは、以前までたびたび見ていたものが、エンワースとスティーブンがやっているような方法ではなく。
「それなら、また、時間があれば休みにおいで、と彼を誘わなければね」
そんなエインワースの声が聞こえて、メイベルは思案を止めた。
訝って「あ?」と見つめ返せば、こちらを穏やかに見つめて微笑んでいる彼がいる。
「なんでまた。お前、甘やかしすぎじゃないのか? もうデカい孫だろ」
「直接会えば、近況だって話せるだろう?」
「でもお前、普段からスティーブンと文通し――」
「君だよ、メイベル」
ふと、遮られた言葉に、メイベルの口が止まる。
「エリクトールも、仲良くなった少年団のマイケル達も、たびたび回ってくる役所のリックも同じ町の人間だから近況が分かる。でも、スティーヴは違うから」
そう続けたエインワースが、そこでとても温かい眼差しで微笑んだ。本題を切り出す前置きのように、メイベルと見つめ合って一呼吸分を置く。
「なんだかね、君が、『彼らと同じようにして』私の孫のスティーヴの事も、見守っていきたいと思っているんじゃないか、と思って」
だから、スティーブンに『またいつでもおいで』、『来る時は快く迎えるから』と伝えようとしているのだろう。
そう分かったメイベルは、途端にやや弱った様子で笑った。
「エインワースは、ひどいなぁ」
用もなく、役所のリックのもとへたびたび顔を出してしまうのも、そうだ。自分がここにいる事で、何か精霊による事が起こっていやしないか、と。
最近になって、それはメイベル自身も自覚していた。思わず目を落として、幼い手をじっと見つめてしまう。
「私は、大切な者は抱え持ちたくないのに、気付いたら、名前を知っているモノが増えていて……見守りたいだなんて、気持ちは、『未練』になるのに」
だから呼ばないようにした。昔から、そうだった。でもこれまでと同じように【精霊に呪われしモノ】であると初めから宣言してやっているのに、彼らはメイベルを遠ざけてはくれないのだ。
『あ、あれ? ああ、お孫さんなんですね。先日のお祭りでもチラリと見掛けました。あの、はじめまして、役所のリック・ハーベンです……』
一昨日、うっかり滞在しているのを忘れていたのか、土産だとかいう菓子を持ってリックが訪問してきた。玄関を開けたスティーブンに睨まれて固まっていたのを、ふとメイベルは思い出す。
『へぇ。役職のリック、ねぇ』
『は、はい。ですので僕は、決してあやしい者では……』
『ただの役所の職員が、なんで爺さんの家を個人的に訪ねてんだよ? あ?』
『ひぇっ、殺気!? あ、いえ、ぼ、僕は、その~……ほらっ、老人の一人暮らしだったので、小さな町ですし、役所としては気にかけているというか』
リックは、嘘が下手そうながら必死に言い訳していた。偽装結婚だなんて教えたら、今度こそ切れられそうだもんな、とメイベルは思ったものである。
なにしろあの時のスティーブンは、初めて画家のエリクトールと鉢合わせた際を彷彿とさせるピリピリ具合だった。
だから恐らくは、また祖父ラブだろうと推測された。
『お前、んなこと言って、まさかメイベルを見に来てるんじゃねぇだろうな』
『え!? あっ、ああああの、そのっ、別に僕は、メ、メイベルさんをずっと見ていたわけではな――ひぇえっ、いきなり胸倉を掴んだぁ!?』
『確信した。テメェは、ロリコンで、黒だ』
監視員なので、もしや悟られたかと感じてしまって慌てただけである。それなのに殴ろうとした短気なスティーブンを見て、メイベルは呆れた。
こいつどんだけ祖父ラブなんだと思ったし、呑気に止めに入ったエインワースにも、その前にリックに助け船を出して誤解を解いてやれよ……と思った一件だった。
――なんで、わざわざ菓子の手土産なんか。
メイベルは、一昨日の事を思い出して手に拳を作った。あのあと、引き続き疑い深くスティーブンが見つめている中、リックはこちらに差し出してこう言ったのだ。
『隣町から来ていた団体さんから、僕達に差し入れがあったんです。こういうお菓子、もしかしたら食べた事がないかもと思って、メイベルさんに』
中に餡が詰まった、柔らかくて薄い菓子生地に包まれた、小さな菓子だった。とても甘くて確かに美味しくて、メイベルは名前さえ知らないもので。
今度お礼をしなくてはと、食べながら考えていた。お人好しの役所員だ。まだまだ新米っぽいが、きちんと立派になれるか心配だな。エインワースの焼き菓子の一つでもおすそ分けに持って行くか……と思ったところで、ふと気付いて胸のあたりが寂しくなった。
気にかけているのだと分かった。一体、どうしてそんな事を考えたのか。だって私は、彼が立派になるまで、こうして見ていられる訳でもないのに。
「『未練』、か」
しばらく間を置いたところで、エインワースが言った。
「うん、そうなるだろうと推測していた。だから、私はそのうえで、スティーヴをまず君に会わせたんだ」
そんな声が聞こえたかと思ったら、メイベルは、またしてもエインワースにぎゅっと抱きしめられていた。
「そうしたら、君の事だから、もしかしたらその大きな知識と賢さで、少しでも何か方法を考えて運命に抗おうとするんじゃないか、って」
同じくして死が近い事もあって、だから私を、見届人の一人として選んだのでしょう? それなのに、なぜ?
もしかしたら彼が優しいせいだろうか。メイベルは、いつからそんな思いを抱かせてしまったのだろうかと、ぼんやり考えながらエインワースの服を握りしめた。
「抗えないよ」
ぽつりと、メイベルの口から小さな言葉がこぼれる。
「抗える術を、私は持っていない」
メイベルは、そう言うと、そっとエインワースを身から離した。彼が、とてもとても寂し気に微笑んでいるから、憎まれ口を叩こうにも叩けなくなってしまった。
するとエインワースが、椅子に座っているメイベルの前で片膝をついた。どこか説得でもするかのように、彼女の小さな手を取って、言う。
「魔法を解くのは、いつだって王子様のキスさ」
ここへきて、少しは笑わせて場の空気の重さを払拭しよとでも思ったのか。彼が冗談のように口にした。
「――ただのお伽噺だよ、エインワース。古い時代から、ずっと続く、ただのお話だ」
メイベルは、ニッと笑って見せたものの自信はしなかった。すぐに目を伏せてしまう。
「ねぇメイベル」
言いながら、エインワースが再びメイベルを抱き寄せた。本物の家族の娘のように、孫のように、どこか思う表情でその小さな身体を優しく抱き締める。
「君に、私の幸せを分け与えられたのなら、どんなにいいかな、とずっと考えてるよ」
だから、幸せだった頃をよく話し聞かせる。自分のその思い出を分け与えるみたいに、いつもメイベルに語って聞かせていた。
そんなのは、当初から気付いていた。
いつも寝付かせるようにして話すのは、彼の方だ。それを聞くのがとても好きで、でも長くなると、惜しみながらも『続きは明日にしよう』とメイベルは告げるのだ。
「ごめんね、エインワース」
メイベルは、彼の背中を、ぽんぽんとあやすように叩いて謝った。彼が今、どんな表情をしているか分かる気がした。
「でも、私が選んだ事なの……私が選んで、そうある事を、望んだのよ」
普段、形作っている強さも取り払われて、メイベルは、一人のか弱い少女のように切なげな表情で、彼をきゅっと抱き締め返した。
一人の老人と、どこか神聖な空気をまとった一人の少女。
静かになった室内にいる二人のその光景は、まるで聖女が老人に赦しを与え、そうして幸せであれと悲しげにも強く祈っているかのような姿にも見えた。




