ちっちゃな決意
カッパ淵は号泣と慟哭で満たされていました。
全てのカッパたちが滂沱の涙を流し、あるものは倒れ伏し、あるものは吠えるように、全身を震わせて泣いています。
チェロもぺたりと座り込み、天を仰いで声の限りを尽くしていました。
なぜこんなに悲しいのかわかりません。
教会や学校で、先生のお話の中に聞いていただけの存在です。別に特別熱心に感じていた訳でもありませんでした。
そういう神さまがいる。
自分は水の加護を受けた子どもだから、大事にしなくては・・そんな認識でしかありませんでした。
なのに。
今、体を包んでくれている優しい布地をささやかな力でギュウと握り締め、チェロはもう、体がバラバラになるような悲しみに打ち震えていました。
ふわり。と、チェロはさらに何かに包まれました。
「にゃあ~」
ベジタローが座り込んだチェロを囲むように丸くなっていました。
チェロはベジタローの背中に突っ伏して尚も泣き続けましたが、今度は背中に暖かい重さが寄りかかってきたのを感じました。
ずり下がっていた神皮をぱさりとチェロの頭に被せ直し、小さな手がチェロの肩越しに回されます。
それでも押し上げてくる激情は、涙と共にひたすら外に迸り出て止まりません。
泣いて、泣いて、泣いて、泣きじゃくりました。
しばらくして、やっと自分に戻ってくると、周りの様子がすっかり変わっていることに気がつきました。しゃくり上げながら、ぼんやりと顔を上げます。
なんだか妙に静かです。
目も、耳も、ぼんぼんじんじんしていて、世界の全部が霞がかっているように白く感じられます。
かがり火が立てるパキッという音。それだけが鮮やかに聞こえました。
後ろから回されていた手がゆっくり緩められると、そこでようやく誰かに抱きしめられていたことを思い出しました。
振り返ると、きつく口元を結んだピアノちゃんが、真剣な眼差しでチェロを見ていました。
「・・・・」
チェロは何か言おうとしましたが、何も言葉になりません。
ズルッと洟をすすって、溜息を吐きながらもう一度ベジタローの背中に顔を寄せると、ぐっしょり湿っている毛皮の冷たさにピクッと体をすくめて、急に何かを思い出したように顔を上げます。周りの光景に目を見開きました。
カッパたちが倒れています。
累々と倒れています。
子どもも、大人も。ネネコおばあちゃんも倒れていました。
チェロは強張った体を、ぎしぎしと立ち上がらせ、ギクシャクしながらネネコおばあちゃんの元へ走りました。
「おばあちゃん!」そう叫んだつもりが、「・・ぁ・・ぉ・・」という小さな声にしかなりません。
ネネコおばあちゃんを揺さぶりました。
ネネコおばあちゃんは、口の先だけパクと小さく開き、ひくひくと喉を痙攣させました。
もっと強く揺すってみましたが、ガクガクと頭が揺れるだけです。
チェロは、また泣き出しそうになりましたが、そのチェロの肩を、ピアノちゃんがグイグイと引っ張ります。
ピアノちゃんは、神皮を足の後ろへズルズル引きずったままチェロの前に回りこむと、腕を使って素早く二回淵の方を指差し、木の枝で地面に何やら書きはじめました。
『たすけにいく』
そう書いてあります。
チェロは、唖然としてピアノちゃんを見つめました。
ピアノちゃんは、相変わらず真剣そのものの面持ちです。
淵を指差し、『たすけにいく』の字を、枝で何度もパシパシと叩きました。
ですがチェロは、倒れているカッパたちを見回して、また顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまいます。
―― 無理だよ! できないよ!
声の出ないまま、引きつるようにヒーヒーと、かぼそく息がもれます。
―― お家に帰りたいよう! なんで・・なんで・・? 何を助けるの? ビッグマムはいなくなっちゃたんだよ! ブルさんもいないし、ネネコおばあちゃんも、アイラさんもみんな倒れてるのに・・お家に帰りたい!・・お家に帰りたいよう!
チェロはしゃがみこんで耳を押さえ、イヤイヤと頭を振りました。
しばらく、その様子を見ていたピアノちゃんは、やはり泣きそうに顔を歪めましたが、唇をきつく結んで、かろうじて耐えていました。
やがてチェロに背をむけ、ズルズルと神皮を引きずりながら広場の端にいくと、地面に転がっていた別の神皮をめくります。
そこにはピアニカさんが倒れていました。固く目を閉ざし、ピクリとも動きません。 ピアノちゃんはゆっくりとその頬を撫でると、丁寧に神皮を掛けなおしました。
目を擦りながらチェロの方へズルズル戻ってくると、そのままチェロの前を通りすぎて、岸の方へ進んでいきます。小さな肩がひっくひっくと上下しているのがわかりました。
大きなシーツを被ってオバケごっこでもしているような格好でしたが、背中を丸めて歩いていく後ろ姿は、そのまま闇に消えていってしまうように思えました。
チェロは泣きながらその様子をずっと目で追っていましたが、ピアノちゃんが歩いている道筋に、大きななにかを引きずった跡がついているのに気がつきました。
見れば、竜ちゃんの姿がありません。
タライのところまでいってみると、イルカちゃんの姿もありませんでした。
―― 淵に・・・いっっちゃったのかな・・
ベジタローが心配そうに体を寄せてきました。
そこで気がつきましたが、ベジタローは神皮でほっかむりをしていました。
いつもならきっと、お腹を抱えて笑うのでしょうが、とてもそんな気分にはなれないチェロは、混乱と恐怖と罪悪感に、ただうなだれて立ち尽くしました。
迷子になったような心細さです。
「おうちにかえりたいよ、ベジ・・」
喉がひりひりと痛みましたが、囁き声なら出せるようです。
「おうちにかえりたい・・」
でも、お家まで連れて行ってくれるであろうブルさんはずっと見当たりませんし、ピアニカさんも倒れたままです。誰もチェロを助けてくれる大人はいません。
―― イルカちゃんを助けた後、すぐブルさんの言うこと聞いて街に帰れば、こんなことにならなかったのに・・
チェロはぐずぐずと考え始めました。
もう一度、イルカちゃんが入っていたタライに目を向けると、タライの外に地面を這いずった後が細くついているのに気がつきました。三メートルほど続いた途中で、おそらく竜ちゃんが這いずった跡と、合流するように途切れています。
ピコちゃんが言っていた「わたしたちの兄弟・・」「マムの娘」という言葉が思い出されました。
―― そうか、ビッグマムはイルカちゃんと竜ちゃんのおかあさんだったんだ。だからおかあさんを助けにいったんだ・・。
もしかしたらピアノちゃんが『たすけにいく』といっていたのも、ピアニカさんのことなのかも知れません。なにをどうするつもりなのかさっぱりわかりませんが、そのつもりで淵に行くというのなら、チェロにも少しはわかるような気がしました。
――おかあさん・・・。
チェロはうつむいて、首にかかったペンダントを握り締めました。
そして。
ギュウウ~~っと顔をしかめると、今度はわざとへんてこ顔になって、フヘーっとか、ひむ~っとか、オヨーっとかいっぱいしました。
しばらく、しばらく、しばらくの間・・・・
チェロはグッと顔を上げました。
その顔にはまだ無理やりがいっぱい残っていましたが、それでもしっかりと目に光を宿しています。ベジタローの背中をポンポンと叩きました。
「にゃ!」ベジタローは「待ってました!」とばかりに体を低くしてチェロを背中に乗せます。チェロがしっかり掴まったのを確認すると、風のように走り出しました。
―― なんにもできないかもしれないけど、ちゃんとお祈りしよう。笑っていよう。できることやろう。
チェロの胸に『いつも笑っていてね』と、おかあさんの言葉がきらきらとよみがえってきました。
ベジタローの背中にしっかり掴まりながら、チェロはキュッと口元を引き締めました。
岸辺でもカッパたちがみんな倒れていました。かがり火の光が届く先まで、累々と横たわった姿が見て取れます。
それを踏まないように進んだのでしょう、首長竜の這い跡は複雑に折れ曲がりながら伸びていました。
その先に、大きな影を見つけたチェロは、大声のつもりで呼びかけましたが声にならず、代わりにベジタローが騒がしくミャオミャオ鳴いてくれました。
振り向いたピアノちゃんは、淵の水際で首長竜の背中によじ登ろうとしていたところでした。
さっきピアノちゃんが、木の枝でパシャパシャ水面を叩いていた場所です。
こちらに長い首を巡らせた竜ちゃんから、「キュイー! ィイー!」とイルカちゃんの声がしました。竜ちゃんの口の間からイルカちゃんの顔が突き出していました。
チェロもピアノちゃんも急いで地面に降りると、お互いに駆け寄ってぎゅっと抱き合いました。
ピアノちゃんの小さな手から伝わってくる一生懸命な力を感じて、チェロは申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました。
ピアノちゃんの背に回した手にグッと力を込めると、囁き声で耳元に「ごめんねピアノちゃん」と伝えます。
ピアノちゃんはヒーヒーと泣きはじめました。
二人ともオバケごっこの格好のまま、しばらく動きませんでしたが、竜ちゃんが首を伸ばしてふたりをゆっくり頬で撫でました。
ピーピー騒いでいるイルカちゃんの前ビレが、ペシペシとチェロの頭を叩きます。
チェロはイルカちゃんに叩かれたことがなんだか可笑しくなってしまい、思わず笑いながら、ゆっくりピアノちゃんを放しました。
ピアノちゃんも目に涙を浮かべながら、嬉しそうに笑っています。
「どこにいこうとしてたの?」
ひそひそとチェロが聞くと、ピアノちゃんはさっきと同じように淵の方を指差して、パクパク口を動かします。
指差す方をちゃんと見ようと歩きかけたチェロの足に、サクっという小気味よい感触が伝わってきました。
不思議に思って足元を見ると、地面が白くきらきら光っています。
それは霜でした。
見れば岸一面に霜が下り、淵の水面には氷が張っています。
目をぱちくりさせて、さらに視線を先にむけると、満月とかがり火の光で淵の水は三段階に様子を変えていました。
手前から20メートルくらいのところまでは白く氷が張り、その先にある水と思しき境界でチャプチャプと溶け合っています。小さな波が揺れる水の領域の先には、うねうねと動くスライムの帯がずうっと広がっていました。
月の光がまっすぐにスライムの群れに降りていて、降りてきた光を掴み取ろうとでもするかのように、空中に無数の触手が這い出し、ザワザワと伸び縮みを繰り返しています。
ピアノちゃんは、まさにそこを指差しているようでした。
チェロはその光景をみて、改めて腰を引きましたが、ギュ~っと顔をしかめて、怖い気持ちを払いのけます。ですが、不意に手を引っ張られました。
目を開けると、ピアノちゃんがチェロの手のひらに、指でこしょこしょと何かをなぞりはじめます。
「『こ』?」
ピアノちゃんがうんうんとうなずきました。さらに
「『わ』?」
ピアノちゃんがうなずきます。
『こわくない』
そう書き終えるとピアノちゃんは木の枝を右手に持って、『大丈夫!』というように両手を掲げました。そして、耳に手を添えると淵の方のに体を傾けます。
――聞けってことかな?
そう思った途端、チェロは不思議な声が聞こえてくるのに気がつきました。
さっきまで聞こえていた、気持ちの悪い声ではありません。
それは、ずっと遠くでたくさんの人が泣いているような声でした。
――泣いてる?
眉間に皺を寄せて、もっと耳を澄まします。
――泣いてる・・スライムが泣いてる!
はたとピアノちゃんを見ると、ピアノちゃんは『気づいてくれた』とばかりにニコっと笑いました。
「助けようとしてたのはスライム?」
すると今度は、ちょっと考えるようにしながらも力強くうなずき、口をパクパクしながら両腕を左右いっぱいに広げて何度も空中に円を描きました。
「もっとたくさん・・かな?」
ピアノちゃんは嬉しそうに何度もうなずきます。
チェロは「わかった」と、ゆっくりニッコリ笑いました。




