嘆きのステージ
サロンさんは、息苦しさに目を覚ましました。
―― カハァっ!
何かが喉に詰まっています。息ができません。
目を開けても、光は見えず、全身が硬い糸を引くように重く感じます。
パニックを起こしかけながら、胸元を探ると固い鎧が指を阻みました。
全身を痙攣させるようにもがきながら、呪いのようにもどかしく鎧のバックルをはずします、ですが、脱ごうとすれば首元で、ばりばりと張り付いて取れません。
それでも力任せに引きちぎると、制服のボタンをちぎり飛ばして胸元を開き、首から下げられていた水晶のペンダントを握り締めました。
水晶がボウっと癒しの光を放ちはじめると、ようやくばたりと頭を地面に戻し、暫し・・・。
体を弓なりにのけぞらせ、全身で空中をかきむしると、打たれたように体を四つんばいにして、ゲェゲェと喉に詰まっていたものを吐き出しました。
落ちるように仰向けに倒れ、ゼエゼエと荒く呼吸を掻き込みます。
――息ができる・・・
思考を思考として感じられるようになるまで、無限の時を苦しんでいたようにすら思えます。
脳に酸素が戻っていくにつれ、サロンさんはさっき頭に閃いた理解をぼんやり思い出していました。
――スライムを理解できた・・・
ですが意識が翳りそうになります。
――呼吸!呼吸だ。呼吸!
可能な限りゆっくり息を吐きます。可能な限りゆっくり息を吸います。
そして思い出したように四回。ハ、ハ、ハ、ハ、と息を吸い。同じく四回吐きます。
繰り返しているうちに、体中が痺れ、意識もぼんやりしてきましたが、その先でようやくハアハアという、せめて日常の範囲内に呼吸が戻ってきました。
――そうだ・・スライムを理解したんだ。
光が戻ってきました。
本陣として設営した結界柱に取り付けた、蓄光照明の光です。
体を大の字に伸ばして荒い呼吸をしながら、上顎の下や首の横に遠い痛みを感じ、サロンさんはなんとか自分に戻ってこられました。
震える指をのばすと、小さな破片がいくつか皮膚を破って突き刺さっていました。
両耳につけていた守護の耳飾が爆ぜて、その破片が刺さったようです。
―― 誕生日にもらったばかりだったけど・・おかげで助かったみたい・・。
刺さった破片を爪の先で抜き取って、サロンさんはのろのろと体を起こしました。
顎の下から胸元にかけて突っ張られるような感覚があります。撫でてみるとザラザラとした感触がありました。流れ出た鼻血が広く固まっているようです。自分の姿を見るのが怖いな、と思いながらも周りを見渡しました。
ガムラン隊長が倒れていました。クトさんが倒れていました。
這い寄って確認すると、どうにかふたりとも息はあるようです。
簡易椅子によりすがってなんとか立ち上がり、よろよろと柱にもたれかかって淵に目をやります。
月明かりの下、ここからでもスライムが蠢いているのが見えました。
――このスライムの攻撃は・・。
反射であり、共振であり、増幅なのだ・・・感情の・・。
こちらが恐れれば恐れとして。怒りは怒りとして。悲しめば悲しみとして。
ただこちらの思いに反応して、何倍にも増幅して反してくる。
攻撃の解釈そのものが間違っていたのだ。
『負の感情』で成したもの・・それをことごとく逆手にとってくるのだ。
こちらの『作為』は全て向こうに力をやるようなものなのだ。
盲目的な攻撃は結界で食い止められても、自分の発した感情のルートを逆に手繰って内側から反されたら防ぎようがない。それでも戦おうとするなら、戦う意思を持たずに戦うしかない。
―― だから・・だからなのだ・・カッパの族長が言っていたことがやっと理解できた・・・ 隊長が危惧していたことが理解できた・・・。
「攻撃しなければいい」ではなく、「用心していればいい」でもなく。まずは相手を認めるしかない。話を聞こうと胸襟を開くことしか対応できないのだと・・。
「こんなのと戦いようがないですよ」
サロンさんは、持っていた聖騎士としての矜持を、簡単に放り捨てられたような気がしました。守ること、その思いそのものが自分に返ってくるのですから。
それでも状況を分析しようと、呼吸を整えて意識を凝らすと、怪訝に眉を寄せました。
あれほど膨大に広がっていた呪力が大幅に減衰していたのです。さらに言うなら呪力の源である怒りの波動がスッカリなくなっていました。
今、感じるのは悲しみを基にした、嘆きの歌と呼ばれる呪歌に酷似した呪力ですが、これは健常の意識を保っていれば死に至るほど危険なものではありません。
おそらくビッグマムが、なんらかの手段なり対応なりで、怒りの波動を分断したのでしょう。燃え盛る炎を超低温の冷気で瞬間的に包み込むようなイメージが浮かびました。
その際のショックで意識が絶たれたのだろうと推測します。
とにかく「死の歌」の脅威はなくなったようです。
淵を見下ろしながら深い溜息をつくと、視界の先に何か動くものを捉えました。小さな黒い影です。
―― 竜?
サロンさんは額に二本指を当てると、その影に意識を集めました。
千里眼は得意ではないのですが、望遠鏡の代わりくらいならできます。
―― 首長竜に・・猫?・・袋が二つ・・・!!
「なにをやっているの!!」
サロンさんは驚いて、むせながら叫んでいました。
袋に見えたのは布を被った子どもでした。首長竜の上に小さな女の子がふたり。しかもカッパではなく人間の子が乗って、どういうつもりかスライムの方へ進んでいたのです。
サロンさんはフラフラしながらも岸へ走り出しました。
そこへ聞きなれた感覚で、思念が舞い込んで来ました。レンジャーの使う思念周波です。
「各員法円展開! 蛍星光弾、高角射出!」
間違いありません。増援要請していたレンジャーのサレンドロ隊です。
「だめ! だめよ、攻撃しては!」
慌てて呼びかけましたが、次の瞬間、淵の上空には太陽と見まごう光の玉が煌々と出現していました。
チェロとピアノちゃんとベジタローは、竜ちゃんの背中によじ登りました。
つるつるしていて大変でしたが、一番首に近いほうにピアノちゃんが座り、それを抱きかかえるようにチェロ。ベジタローはチェロの方にお尻を向けて竜ちゃんが痛くならないように注意しながら背中に爪を立ててへばりつきました。
イルカちゃんを咥えている竜ちゃんは、「ンフー」と声を上げると、淵に張った氷の上を、シューっと滑って、ドボーンと水の部分に落っこちました。
グラングランと揺れましたが、チェロは力いっぱい竜ちゃんの首に手を伸ばして踏ん張りました。冷たい水を頭から被りましたが、神皮からはみ出した足にしぶきを受けたくらいで、ほかの部分は大丈夫です。
竜ちゃんが水の中に入ると、背中の部分も思いのほか平らになって座りやすくなりました。
すいすいと水を進み、すぐ目の前にだだっ広いスライムの原が見えてきます。近くで見ると、やっぱり怖いし気持ち悪い感じです。
触手がにゅいにゅい動く姿は、チェロがお家で見ているスライムと同じですが、何しろこちらは大きいし、色も真っ黒でとっても臭いのです。
ですが竜ちゃんはお構いなしに、その中にスイスイと入っていきました。
―― ぅおぅおおおおおおお~~~ん
スライムの中に入ると、泣いている声はハッキリ聞こえてきました。それだけでチェロもつられて泣きそうになるほど悲しい声でした。
急にピアノちゃんが体を斜めに倒しました。
チェロは慌てて体を支えましたが、ピアノちゃんはもっと体を伸ばして、持っていた木の枝で、スライムの表面を撫でるように優しく優しく動かしはじめます。
すると。
枝に撫でられた部分から、段々触手の動きが小さくなっていくのです。
大きく円を描くような竜ちゃんの泳ぎにまかせながら、本当に少しずつ、触手は水の中に沈んでいきました。
どうやっているのかわかりませんが、ピアノちゃんは悲しげに泣いているスライムを少しずつ鎮めているようです。
チェロにもそれはわかりましたが、ピアノちゃんはこの膨大な量を枝一本でなんとかするためにこんな危険を冒しているのかと理解して、びっくりしました。
校庭の砂粒を、一粒ずつひっくり返すような途方もない作業に見えます。
ですが、ピアノちゃんはそれをやろうとしているのです。
チェロはギュッと唇を噛みしめて、最後まで応援することにしました。
その時、チェロたちのずっと上の方で、ばさりばさりと鳥の羽のような音がしてきました。なんだろうと見上げた先に、円になってグルグルと回っている鳥の影を見つけます。
突然、目も眩む光が爆発しました。
強烈な熱風が襲ってきました。
チェロもピアノちゃんも喉の奥から笛のような甲高い音を鳴らして竜ちゃんにしがみつきますが、竜ちゃんごとひっくり返りそうです。
熱風が収まると、今度は叩きつけるような熱がやってきて、とんでもない悪臭が周りに漂いだしました。スライムが焼けているのです。
熱は神皮が守ってくれますが、臭いはどんどん届いてきます。
チェロもピアノちゃんもこんなに臭いのははじめてで、一瞬本当に気が遠くなりました。
チェロは咄嗟に後ろからピアノちゃんの鼻を神皮で覆うと、右肩に鼻を押し付けて口で呼吸しました。それでも臭くて臭くて鼻が取れてしまいそうです。
目もズキズキと痛くなって開けていられなくなりました。
ベジタローにも相当効いているようです。「ブゲッ! ブゲッ!」と聞いたこともないような声を出しています。
「クキ~! キキュ~!」
叫ぶようなイルカちゃんの声が聞こえました。
チェロはまぶたを震わせながら、ギリギリ薄目を開けてみると、首を持ち上げた竜ちゃんの先の空に、見覚えのある光の法円がびっくりするような大きさで広がっていました。
「ダメ~~~~~っ!!」
チェロは叫びましたが声がでません。
「・・・・・!!」
ピアノちゃんも何か叫びましたが、やはり声になりません。
「ギャ~! キュエエー!」
「んひーぷきー!」
イルカちゃんが何やら叫び、竜ちゃんが答えています。
すると、ぐぐぐぐっと竜ちゃんの首がチェロたちの方へたわんで、ビュンと弾け、スポ~ンとイルカちゃんが空高く飛び出していったのです。
遠くのほうでゴチンという音と「んぎゃ!」っという悲鳴が聞こえ、その瞬間、光の法円は残像を残してフッと消え去りました。
竜ちゃんは岸の方へ少し進むと、水の中に首を突っ込みました。
チェロはお尻の下で、んぎゅ、んぎゅっと何かが通っていく太い感触を感じましたが、竜ちゃんはザバリと首を上げると、フワフワ浮いている太陽みたいな光の玉にすごい勢いで水を吐き出しました。
ボフっ!と大きな音がして、長く伸びた水柱とともに光の玉も淵に落っこちて消えてしまいました。
スレンデロ隊の副隊長ジャバンさんは、左手で騎鳥の手綱を握り、右手をまっすぐにかざして念を凝らしていました。
破邪の印である「浄の紋章」がジャバンさんを機軸とした設定領域で完成しつつあります。
隊員六名の精神周波は完全に一致し、それこそ自分が六人いるような気分です。
ククウーっと満ちた魔力があふれ出て、かざした右手に戻ってくるような感覚がやってきました。
そこへスレンドロ隊長が念話が届きました。
『待てジャバン、竜がいる!』
見れば確かに竜がいました。背中に何か乗せているようにみえますが、あれは・・・。
そこへいきなり黒いものが、顔面目掛けてスッ飛んできました・・「んぎゃ!」。
ジャバンさんは数瞬意識を失ってしまいました。せっかく作った法円も掻き消えています。ハーネスで固定されているおかげで、騎手が気絶しても落ちることはありませんが、ジャバンさんは、ゾッとして身を固くしました。
『なんだ!?』
念話の声にビクッと体を震わせると、蛍星光弾の光が掻き消えたところでした。
おっかなびっくり周りを見渡したジャバンさんの目に、赤い光が三つ。夜空に打ちあがったのが映ります。
『緊急撤退信号だ。島へ降りるぞ』
『りょ了解!』
さっぱり状況のわからまま、ジャバンさんも飛行列に従いました。
「クカカ! クカカ!」
イルカちゃんが戻ってきました。
チェロがそちらに手を広げるとピョ~ンとジャンプして腕の中に飛び込んできます。
しっかりキャッチしたチェロは、そのままイルカちゃんを抱きしめました。
「すごいねイルカちゃん! 大丈夫? 怪我してない?」
囁き声でしたが、精一杯の感嘆を込めていうと「クカー!」っとイルカちゃんは答えました。元気なようです。
「竜ちゃんもすごかったねえ。ね、ピアノちゃん」
竜ちゃんの首をポンポン叩いて、ピアノちゃんに笑いかけると、竜ちゃんは得意そうに「キュウ~ン!」と鳴き、ピアノちゃんも目を輝かせてうなずきました。
長大な水柱が落ちた勢いで臭気は随分と薄れ、なんとか呼吸できるくらいになっています。
ですがスライムは、今の騒ぎに触発されたのか、全体で、ものすごくうねりはじめ、触手も長く素早く、でたらめにのたうつように激しく動き始めました。
おおおおおおおぉおお~ん うおおおぅおおお~ん
泣き声はいっそう悲しく響きます。
月光はありありとその上に落ち、スライムの嘆きのステージを設えているようにも見えました。
それでもチェロたちは、まっすぐに月光の中に進んでいきました。




