エピローグ・魔物大全・
これは、よく勇者が引き抜いた聖剣の他に鎧や復活できるアイテムなどを道中拾って行くが、そのアイテムの一つが作られる過程の物語。
普通とは違っていても何かを残せるかもしれない、そういう物語。
多分。
魔王城、最奥、玉座の間。
赤黒い空が、崩れた天井の向こうに広がっていた。床には血痕。壁には剣痕。
勇者ソウマは、血に濡れた剣を握り直した。背後には仲間たちがいる。盾を砕かれた女騎士。杖を折られた宮廷魔術師。膝をつき、それでも祈りを絶やさない聖女。
誰もが限界だった、それでも、玉座の前に立つ魔王もまた、無傷ではない。
黒い鎧は割れ、胸には勇者の剣が刻んだ深い亀裂がある。
その奥で、暗い炎のようなものが脈打っていた。
「見事だ、勇者」
魔王が笑った、その声だけで、床に散らばった瓦礫が震える。
「ここまで辿り着いたことは褒めてやろう。だが、惜しいな」
何?っと呟きながらあもソウマは剣先を下げない。
魔王は、胸の亀裂から黒い血を流しながら告げた。
「お前たちは、わたしを殺せない」
その瞬間、玉座の左右に控えていた六つの黒い影が動いた。
狼のような影。蛇のような影。鳥のような影。鎧をまとった獣。無数の脚を持つ虫。顔のない巨人。
魔王の六眷属。
六眷属は、魔王の背後へ集まっていく、三体が右へ。三体が左へ。まるで最初からそう決められていたかのように。
宮廷魔術師が青ざめた。
「まずい……何かするきだ!」
女騎士が叫ぶ。
「勇者、今すぐ魔王を斬れ! 」
だが、ソウマは動かなかった。代わりに、懐から一冊の本を取り出す。
古びた革表紙の本だった。何度も開かれ、何度も補修された跡がある。表紙の角は擦り切れ、背表紙には雑な縫い跡が残っていた。
かすれた文字で、こう記されている。『魔物大全』っと。
聖女が息を呑んだ。
「今、それを……?」
「今だからだ」
ソウマは震える指でページをめくる。
血が紙に落ちた。だが、彼は構わず目的の項目を探した。
魔王はそれを見て、目を細める。
「本だと?」
「ああ」
ソウマは答えた。
「ひとりの賢者が、命がけに遺した本だ」
ページが止まる。そこには、乱暴な筆跡でこう書かれていた。
『魔王。世界の歪みと瘴気を受け止める、人類の天敵。通常の魔物とは異なり、単純な討伐対象ではない。勇者による討伐のみ、世界に許された正規手順と推定される』
ソウマはさらに下を読む。
『魔王には、代命の能力あり。死の直前、配下の六眷属を己の命の代わりとする。眷属単体では命の器にならない。三体が融合した時のみ、一つの代命として成立する』
六眷属は、すでに魔力を重ね始めていた。右の三体。左の三体。二つの黒い繭が、魔王の背後に生まれようとしている。
『六眷属が全て残っている場合、魔王は二つの代命を得る。 すなわち、魔王は二度死を逃れる。ゆえに魔王を討つ前に、必ず眷属の融合を崩すこと』
ソウマの目が鋭くなる。彼は本を閉じた。
「魔王を斬るな!」
女騎士が目を見開く。
「何だと!?」
「先に眷属を崩せ! 六体残したまま魔王を殺せば、あいつは二度蘇る!」
宮廷魔術師が叫ぶ。
「二度だと!?」
「三体で一つの命の器になる! だから、どちらかの融合から一体でも弾き出せばいい!」
魔王の笑みが、そこで消えた。
「なぜだ…」
低い声が、玉座の間に響く。
「なぜ、人間ごときがそれを知っている」
ソウマは答えなかった。本の余白に、小さな追記がある。
『融合中の眷属は、魔力を合わせるため防御が薄くなる。
殴れ。蹴れ。燃やせ。一体でも転ばせれば儲けものじゃ』
ソウマは、ほんの少しだけ笑った。
「先生らしいな」
その本を書いた老賢者は、もういない、名を、オルド・バルナック、世界中の魔物を見て、調べて、触って、殴って、時には追いかけ回されながら書き残した男。奇人。変人。老賢者。そして、勇者たちにこの一冊を遺した者。
「右の三体を止めろ!」
ソウマが叫ぶ。
「左は一体だけ引き剥がせばいい! 完全に倒さなくていい、融合を崩せ!」
女騎士が走った、砕けた盾を捨て、剣一本で右の眷属へ突っ込む。
宮廷魔術師が、折れた杖を掲げて炎を放つ。
聖女の祈りが、瘴気に沈みかけた仲間たちの身体を支える。
六眷属の融合が乱れた。黒い繭が歪む。魔王が初めて、怒りを見せた。
「人間風情がぁ……!」
ソウマは剣を構える。
「人間は弱い」
一歩、踏み出す。
「弱いから知恵を尽くすんだ。調べ書き残す。次の誰かに託し渡す」
胸の奥で、古びた本が熱を持つような気がした。
「俺たちには、魔物大全がある」
勇者の剣が、魔王へ向けられる。
これは、魔王を倒す勇者の物語ではない。これは、その勇者たちに一冊の本を遺すため、ひとりの老賢者が旅をした物語である。
その始まりは、今よりずっと昔。
王都から遥か西。古代都市ルメリアの廃墟で、老人が封印結晶を見つけたところから始まる。




