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公爵邸の応接室は、過不足なく整えられていた。
豪奢すぎず、しかし、上質。洗練された空間。
そこに座るだけで、自分の立場が測られる場所だった。
応接室でイザベラを待つカレンは、自然と背筋を伸ばしていた。
まだ、イザベラと向き合っていないが、視線は自然と正面を向く。
そして、無駄な動きは一切ない。
やがて、扉が開く。
「お待たせしたわね、急な呼び出しに応じてくれてありがとう。カレン」
柔らかな声と共に現れたのは、公爵夫人イザベラ。
ゆったりとした足取りで歩み寄り、向かいの席に腰を下ろす。
「お久しぶりね」
「ご無沙汰しております、イザベラ様」
完璧な礼。何の問題もない。
だが、イザベラはは内心で、静かに確信する。
以前のカレンなら、完璧のなかに親しみがあった。
礼儀正しさの中に、未来の家族としての温度があった。
だが、今日は何かが違う。
完全に公爵夫人イザベラに対する振る舞いに見える。
「学園での様子、聞いているわ」
穏やかに切り出す。
「最近、あまり発言をしていないそうね」
「はい」
短い肯定。
言い訳も、補足もない。
「理由を聞いても?」
その問いに、カレンはほんの一瞬だけ目を伏せた。
だがそれも、呼吸一つ分の間。
すぐに顔を上げる。
「必要がないと判断いたしました」
静かな声。
だが、その内容は明確だった。
イザベラの指先が、わずかに止まる。
「必要がない?あなたの意見はほかの生徒の模範になるはず。つまり、必要なのではないかしら」
「はい。現在の環境において、私が前に出ることで得られる利益は乏しいと考えております。また、それを求められてもおりません」
淡々とした説明。
感情は一切乗っていない。
イザベラは、わずかに目を細める。
この少女は、ここまで冷静だっただろうか。
いや、違う。
元からこういうところはあった。
「レオンの成績が落ちているわ」
あえて、核心を突く。
反応を見るための一手。
だがカレンは、微動だにしなかった。
「承知しております」
即答。
予想していたかのような、迷いのない返答。
「原因は?」
「複数ございますが、主因は本人の選択かと」
一切の躊躇なく、言い切る。
「レオン様は大切な、守るべきものを知ったようです」
そこに庇う意思はなかった。
その事実を、イザベラは静かに受け取る。
「では、もう一つ聞くわ」
少しだけ身を乗り出す。
「あなたはレオンの婚約者。それは事実。合っているわね?」
「はい」
「では、婚約者のあなたに問います。あくまで仮定の話として答えて。あなたがもし、レオンに関わらなければ、どうなると思う?」
「この問いには、婚約者としてではなく、カレンという自立した人間として答えてくれればいいわ」
カレンという人物を試す問い。
未来の公爵夫人としてではなく、
一人の判断できる人間としての答えを求める質問。
カレンは、わずかに考えて、答えを出す。
「評価を落とすでしょう」
「短期的には致命的な問題にはなりませんが、公爵家を継ぐ者としての責務、周囲の期待、それらに応えるだけの結果を出せなければ、最終的に…」
ここまで言って、一拍置く。
そして。
はっきりと告げる。
「後継としての信頼を損なう可能性が高いと考えます」
沈黙が落ちた。
重くもなく、軽くもない。
ただ、事実だけがそこに置かれる。
「では、前提を変えます。あなたは婚約者。落ち行く彼を救う気は?」
イザベラの問いは、静かだった。
だが、その奥には確かな意図がある。
まだ戻れるかを測る最後の問い。
カレンは、ほんのわずかだけ目を伏せた。
そして。
「ございません」
きっぱりと、言い切った。
「私はこれまで、十分に役割を果たしてきたと認識しております」
その声には、誇りも後悔もなかった。
「ですかま、レオン様は私を選ばず、拒絶された。私にとって、そこまでされてなお、支え続ける理由は現時点では見当たりません」
完全な線引き。
そこに、情の入り込む余地はない。
イザベラは、ゆっくりと背もたれに身を預けた。
すべてを理解する。
この少女は、もう婚約者ではない。
少なくとも、そのつもりでここには来ていない。
ならば、こちらも、選ばなければならない。
誰を残し、誰を切るか。
それは、当主の妻として、公爵家を守るために当然の判断。
「カレンさん」
名前を呼ぶ。
その声は、先ほどまでよりもわずかに低かった。
「あなたに一つ、提案があるわ」
空気が変わる。
穏やかさの奥に、鋭さが混じる。
「このまま、何もせずに引くのも一つの選択です。あなたは優秀だから、次もある」
視線が、まっすぐにカレンを射抜く。
「ですが、それでは少し、つまらないと思わない?」
意外な言葉だった。
だが、カレンは何も言わず、ただ静かに、続きを待つ。
「私はね、有能な人間が正当に評価されない状況が嫌いなの」
ゆっくりと告げる。
「だからこそ、あなたには証明してもらいたいの」
その言葉は、命令に近かった。
「あなたがどれだけの価値を持っているのか、そしてそれを失うことがどれほどの損失なのかを」
ほんのわずか、口元に笑みが浮かぶ。
カレンは、しばらく黙っていた。
その提案の意味を、正確に理解している。
これは単なる試験ではない。
誰が必要で、誰が不要かを明らかにする行為。
そしてそれは同時に、後戻りのできない選択。
だが、カレンには、もはや断る理由はなかった。
「承知いたしました」
静かに、頭を下げる。
その動きに、一片の迷いもない。
その瞬間。
カレンは完全に選ばれる側から選ぶ側になった。
そして、決定的な局面へと進み始めることとなる。




