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次の講義は、前日の続きだった。
政策立案の課題、その発展編。
「昨日の内容を踏まえて、本日はより具体的な数値設計を行います」
教師の言葉に、教室の空気が少しだけ引き締まる。
「各自、昨日提出した案をもとに修正を加え、再提出してください」
淡々とした説明。
だが、レオンの机の上には、何かが足りなかった。
一瞬、思考が止まる。
いつもなら、この時点で必要な補助資料は揃っているはずだった。
数値の整理。
想定される収支。
修正の方向性。
必要なものは自然と、手元にあるのが当たり前だった。
忘れてきたのか?
鞄の中を軽く探る。
ノートをめくる。
見当たらない。
「まあ、いいか。何とかなるだろう」
小さく呟く。
昨日はマリアと一緒に復習もした。
完璧ではないにしても、ある程度は頭に入っている。
根拠のない安心が、自然と浮かぶ。
これまでも、多少のミスはどうにかなってきた。
今回も、きっと同じだ。
「では、順に発表していきましょう」
数人の生徒が指名され、前に出る。
どれも、それなりにまとまった内容だ。
突出してはいないが、ちゃんと考えられている。
内心でそう評価しながら、レオンは腕を組む。
これなら、自分でも問題ない。
そう思っていた。
「では次に、レオン」
名前を呼ばれた。
軽く息を吐き、席を立つ。
視線が集まるのを感じながら、前へ出た。
上手くできるはずだ。
これまでだって、何度もやってきた。
少し詰まるかもしれないけれど、それくらいのことはできるはずだった。
「今回の案ですが」
口を開く。
頭の中で組み立てていたはずの内容を、言葉にする。
だが。
「まず、収支のバランスを考慮すると…」
そこで、引っかかった。
数字が、曖昧だ。
具体的な数値が、出てこない。
一瞬の空白。
それを埋めるように、適当な値を口にする。
しかし、
「その数値の根拠は?」
すぐに教師に指摘された。
「え、それは」
言葉に詰まる。
説明できるはずの理由が、曖昧なまま霧散する。
いつもなら自然に出てきていた答えが出せない。
「まあいい。続けてください」
教師の声は穏やかだが、明らかに温度が下がっている。
教室の空気も、わずかに変わった。
「わかりました」
なんとか立て直そうとする。
だが一度崩れた流れは、簡単には戻らない。
論点がずれる。
数値が合わない。
説明が繋がらない。
発表は明らかにいつもとは違う、レベルの低い結果になっていた。
「レオン、今日は内容が良くないですね。体調でもわるいのてすか?でも、ちゃんと準備してきてください。」
席に戻ると、微妙な沈黙が流れた。
誰も何も言わない。
だがそれが逆に、今日の結果を表していた。
たしかに、出来は良くなかった。
けれど、いつもの自分ならここまで崩れるほどではなかったはずだ。
昨日は少し疲れていたし、準備も完璧ではなかった。
たまたま上手くいかなかっただけだ、そうに違いない。
「レオン様、大丈夫でしたか?」
休憩時間。
すぐに駆け寄ってきたのはマリアだった。
心配そうに見上げてくる。
「少し、調子が悪そうに見えましたが」
「ああ、まあな」
軽く肩をすくめる。
「ちょっと疲れていたから準備不足だっただけだ」
そう言いながらも、どこか引っかかるものが残る。
考えかけて、やめる。
そんなことを気にするほどのことではない。
「でも、途中まではすごく良かったです!」
マリアが明るく言う。
「わたし、やっぱりすごいなって思いました」
その言葉に、少しだけ気持ちが軽くなる。
「そうか?」
「はい!きっと次はもっと上手くいきますよ」
無邪気な励まし。
それは、心地よかった。
深く考える必要はない。
次はちゃんとやればいいだけだ。
それで済む話だ。
その少し離れた場所で。
カレンは、静かにその様子を見ていた。
何も言わず、表情も変えず。
ただ、淡々と観察する。
数値が出てこなかった理由。
論理が繋がらなかった原因。
これまで自然に出来ていたことが崩れた理由。
すべて、理解している。
私の補助がなかった。それだけ。
ほんのわずかに、目を伏せる。
まだ始まったばかり。
けれど。
もう、手を貸す理由はない。
支える義務もない。
ならば、あとは崩れていくのみ。
その視線はどこまでも冷静だった。




