エピローグ 終わらない片付け
神白が酒とつまみを大袋4つ分ほど買って戻ると、2階の部屋は足の踏み場もないほど散らかり、トモルは窓際で大昔の漫画誌を広げ、伊東は本棚の前でプラモデルのパーツを切り離して並べていた。
「……君たちさあ、片付ける気ないでしょう」
「積んどくのが悪い」伊東は組立図を覗き込みながら、すぐに言い返した。「最後に僕が全部組み立てて供養してあげよう」
「そんなことしなくていいんだよ。捨てるんだから」
「開けずに捨てると罰が当たるぞ。呪われるぞ」
「そんな宗教は無いって」
とっくに夕方だった。エアコンの無い部屋なので、窓は開いているが熱気がなかなか抜けない。網戸の隙間からはだいぶ虫が入り込んだようで、頭上の蛍光灯の周りを小さな蛾がチラチラと飛び続けている。
「せめて、布団を敷ける場所くらい開けようよ……君たち、今夜ゴミの上で寝る気なの?」
神白は大股で床の物を避け、トモルのもとへ行き、その手から漫画誌をもぎ取った。
「こら! 読んでるのに!」
「読まなくていいんだよ。捨てるんだよ」
「読まずに捨てると呪われるぞ。最後に読んで供養しとかんと」
「何が供養だ」神白は取り上げたものを手近なゴミ袋に突っこんだ。「伊東君。君の、それも寄こしなさい……」
「待って待って。この右腕の変形だけでも、試させろ」
「早くここに入れなさい。僕に殴られる前に」神白は伊東にゴミ袋を突き付けた。「さあ早く」
「もう、不信心な者はこれだから困る」伊東はしぶしぶ、広げていたものを袋に入れた。「……あ、あとさ、さっきアキちゃんがいない間に、僕は大変なものを見つけたんだ」
「え、なに」
「これ」伊東はカラフルな六芒星の描かれたボードと、ボール紙製の小箱を本棚の隙間から引き出した。小箱には工事現場のカラーコーンのような形の、3色のコマが大量に入っていた。「すごい懐かしいな! ちょうど3人いる。やろう」
「え、こんなのまったく記憶に無いんだけど」と神白は言った。「これなに?」
「ああ、なんだっけ、名前忘れたけど」トモルが言った。「すごろくみたいなやつ。あ、ルール忘れたなあ。3人でできたっけ?」
「なんでそう君たちは馬鹿なんだよ?」伊東は勢いよく床に腰を下ろし、その辺りに散っていたものを全て乱雑に押しのけて、盤面にコマを並べ始めた。「3色あるんだから3人用に決まってるだろうが。それぞれがこの自分の色の三角形の頂点に、コマを置いて、向かいに全部移動させるんだよ、すごろくより簡単だって。これをね、ああ、赤いコマが足りない……」
「遊び始めないで」神白は溜息をついた。「頼むから、片付けるか、何もしないか、どっちかにしてよ。君、今日、ここに泊まってくの? 正直な話、もう帰って欲しいんだけど」
「じゃあこれで勝負してアキちゃんが勝ったらね。何色がいいの? 僕は青ね」
「しないよ。早く捨てなさい、それも」
「1回だけ。すぐに終わるから。これはすぐ終わるって、ほんとに」
「何も終わってないよ。まず片付けてからにしろって……」
ビールを開ける前にひと区切りつけたいと思い、神白はひとりで押入れの中身を分別し始めたが、結局他のふたりが何もしないので馬鹿らしくなった。
中身の分からない段ボールを椅子とテーブル代わりに、買って来た缶ビールを開け、ポップコーンの袋を広げる。
「あ、サボってんじゃん」伊東がすぐにやってきた。
「何ひとつ片付けてない人に言われたくないんですが」
「アキちゃん、おれのは?」窓際でまた別な漫画誌を開いていたトモルが言った。
「知らん。自分で取りに来い」
「ちょっとさ、ひどくない? おれがどんな身体か、わかってるよねお前は?」
伊東が「しょうがないなあ」と言いながらトモルの身体を段ボールの前まで引っ張ってきた。
当然、トモルが移動したぶんだけ床の上のものが更に押しのけられて散らかり、そのまま宴会が始まってしまった。
「ああ」神白は改めて部屋の惨状を眺めた。「僕はこれを土曜日までやらなきゃいけないのか?」
「いいじゃん、片付け楽しい」伊東はまたとんでもない早さでビールを飲み始めた。
「あのね、これは『片付け』ではない。『散らかし」だよ」
「人生ゲームも見つかったんだけど。やらない?」
「やらない」
「つまんないなあ」
「これ以上面白くしなくていいんだよ。ほんとに、寝る前に半分は床を開けないとさ……」
「え、アキちゃんは今夜寝る気なの?」と、トモルが言った。「明日も休みなのに? 伊東君が来てるのに?」
「は? あのさ、僕はね、午前中ずっと秋田からここまで運転してきて、いま相当疲れて……」
「そんなこと知るかよ。ねえ、伊東君」
「うん、知らない」伊東は早くも1本目のビールを飲み干した。「早く人生ゲームをやろう。あとドンジャラと、UNOも」
「伊東君とトモ君でやってりゃいいだろ! もう僕を寝かせてくれよ」
その後、段ボールの中から10年以上前のポータブルゲーム機が2台と、ソフトが20本以上見つかったので、結局布団に入れたのは4時近くだった。
伊東に叩き起こされたのはその3時間後だった。
「アキちゃん、起きろ!」
「ちょっと……勘弁してよ」神白は枕元の自分のスマホを見て時刻を確かめ、呻いた。「あと12時間寝かせろ! 僕を殺す気か?」
「いいよ、僕が運転するから、すぐ出よう」伊東は何かとてつもない秘密を打ち明けるような声色で、耳元で言った。「トモ君がいなくなった。嫁さんが迎えに来て、ふたりで朝ご飯買いに行った! 今がチャンスだ。ずらかるぞ」
「知らねえよ! 寝かせろ」
「いいから来いって。いいものが見られる」
「もう怪獣はたくさんだよ」
「何を時代遅れなことを言ってんの。次は宇宙船を見に行くぞ。いいよ、僕はひとりでも行くからね」
「……え?」
神白が起き上がったときには、伊東はもう部屋を出ていた。軽快に階段を降りていく音がする。
ひとりでも行くと言ったって、ここは神白の実家、バスもきちんと通らないような田舎町だ。結局は車を出す者がいなければ、伊東はどこへも出られない。
神白は思わずもう一度スマホを取り、時刻と日付を見た。
どうする?
夏休みはまだ、90時間ほど残っている。
(了)




