町はパニックなのに、管理人は鍋を直したがっています。
第60話です。
エラはだいぶ待たされたコーヒーにたっぷりのクリームと砂糖を入れて飲んでいた。
目が合うと、力なく笑った。
「どうした? 眠いのか?」
「疲れました。うどん打つのにがんばりすぎたかも」
おれたちは食堂から引き上げて部屋に戻ったが、外からは昼間のような喧騒が聞こえてきていた。
おれは窓を開けてみた。
下の通りは、町から逃げ出そうとする人たちでごった返していた。
身上一切を馬車に載せて運んでいる者。
自分は大荷物を背負い子どもたちの手をひいて小走りに走っていく母親。
年寄りも、子どもも走っている。
職人風も、商人風も走っている。
主なしの騎士や傭兵らしいのも、ウロウロしている。
オークもいれば、ゴブリンもいる。
焼き討ちのうわさはあっという間に広まったようだ。
宿場中がパニックに襲われていた。
エラが隣へ来て、窓の下を見て息を呑んだ。
「何だかとんでもないことになってきちゃいましたね」
「そうだな、この町は焼き払われるんだってさ。まずそんなことはないだろうけどな。ここの領主は自分の領地を焼いて領民の反感を買うようなバカじゃないはずだ。絶対とは言えないが。まあ、そんなことにはならないだろう」
「じゃあ、みんな、騒ぎ過ぎですね。でも、こんな騒ぎになるなんて思ってもみなかったです」
「まさか、おまえ、自分のせいだと思ってるのか?」
「全部そうだとは言わないですけど、あたしが『八月軒』から逃げ出さなければ、こんなことにはならなかったと思います。それに師匠だってあたしを弟子にしなければ軍隊に追われることもなかっただろうし」
「さあ、それはどうかな」
いずれノッポの薬屋にはどこかでぶつかっただろう。
そうなれば事は必然的に大きくならざるを得ない。
エラはこっちの話にはまるで関係がない。
むしろ巻き込まれているのはこのハーフエルフの娘の方だった。
「あたしがあの店に戻るって言っても、もう収まる話ではないんですよね?」
「うん、領主が怒っているのはレストランのパン捏ね係が誘拐されたからじゃない、製粉所を噴き飛ばされたからだからな」
「あのー、そっちもあたしですよね?」
「あー、まー、そうだね」
「もしかして、全部あたしのせいなんじゃ……?」
「たまたまだよ、たまたま」
「あたし、これから領主様のところへ行ってきます。行って、本当のことを話してきます。そうすれば、誤解もとけて師匠も赦されると思うんです。そうすれば、つかまって首を刎ねられたり、生きたまま焼かれたり、生爪剥がされたところへ溶きカラシを塗られたり、鼻の穴へクサヤ突っ込まれたり、べろに一滴ずつハバネロ抽出液を垂らされたり、恥ずかしい格好で校庭を一周させされたりなんてことはないと思うんです」
「最後のはやだな。っていうか、おまえ、自分のことは大丈夫だと思ってないか?」
「そりゃ大丈夫でしょう。こんなにかわいいんだから。きっとカンベンしてもらえますよ。赦してくれなくたって、せいぜい凌辱されるくらいですよ、へんっ! ちょっと凌辱される程度ですって。凌辱ですよ、凌辱。女騎士とかエルフとか、結局、凌辱されちゃうんですよ。世の中、そうなってんですよ。不公平ですよ。りょ、凌辱ですもん。やだなー、凌辱。りょ、りょ、リョナ? リョナー、ヤダー! ふぇーん! 触手もイヤー! ふんぎゃあ!」
「泣くなよ……」
「師匠が怖いこと言うからですよ」
「おれはべつに何も言ってないだろう」
突然、エラが小脇に抱えていた看板を突き出してきた。
不意をつかれて、おれは顔の中心で受け止めることになった。鼻血がピューッと出た。
「な、なんだ、この攻撃は?」
「この看板、あたしの形見ですっ! ときどきこれを見て、あたしのことを思い出してください!」
え、「元祖アプレーデルうどん あたりや」と書かれた板を見て、おまえを思い出せ、と?
ムリのある形見だなあ。
「おまえ、これさあ、さっき貰ったばっかじゃん。形見なら形見でなんか他にあるだろう、もうちょっとこう、おまえらしいというか、おまえに直結するものというか――」
「え? パンツはあげませんよ、パンツは」
「誰が下着なんか形見にするかよ。だいたい、形見ってなんだ。おまえ、死ぬ気満々じゃないか。バカか。死んでどうする?」
「だって――」
「だってじゃないよ。大丈夫だよ。死んだりしないからさ。なんとかなるから心配するな」
「なんとかなるって、根拠もなく断言してますね、師匠?」
「根拠なんてモンは後からついてくるから大丈夫だ」
「今、あたしはつくづくこの人についてくるんじゃなかったと後悔しているところです」
部屋の扉がノックされた。開けると宿の主人だった。
「お客様。領主様が町を焼き払うというウワサが流れております。ウワサだとは思いますが、万が一のこともありますので、私どももいったん町を離れることにいたしました」
「今から?」
「はい。たった今でございます」
「で、おれたちにもさっさと出て行けと、そういうこと?」
「いえいえ、お客様はいたいだけご滞在くださって結構でございます。ただ、先にその分の宿代をいただきたいと思いまして、はい。もちろん、ウチにあるものはご自由にお使いいただいて結構でございます。お風呂も沸かしていただかなければなりませんが、お好きにどうぞ。厨房にございます食材もお好きにお使いください。えー、松の間の方はウォーターベッドで、天井鏡張りにもなっておりますので、よろしければお部屋を替わっていただいても、へへへ……」
おれはイヤらしい目でエラを舐め回すように見ている主人に宿代を渡して下がらせた。
ドタバタと騒々しい音がそれからしばらく続いていたが、窓から見ていると主人の家族は馬車に乗って宿を出て行った。
宿の中は静かになった。
客はもうおれたちしか残っていないようだ。
「ギャーッ!」
厩の方から男の悲鳴が聞こえた。キ○○マに電撃をくらったような声だった。
きっとウチの馬を盗もうとしたやつがいたのだ。
ウチの馬には、泥棒除けにおれは魔法を仕掛けておいた。
クツワを取ろうとすると、そいつのキ○○マに電撃をくらわせる魔法だった。
馬泥棒が女だったときには×××××××××××××××ことになるという、恐ろしい魔法である。
「師匠、あたしたちは逃げないんですか? あの毒キノコの騎士には、もう逃げだしたって言ってくれって頼んだでしょ? あ、なるほど! 裏をかく作戦だったんですね?」
エラは看板をブンブン振り回しながら感心していた。
「いやあ、そういうわけでもないんですけど……」おれは頭を掻いた。「ここを出て行くつもりだったんだけどねえ、みんな出て行っちゃったからなあ、町の外へ出たらかえってここの人の迷惑になりそうだ」
「じゃあ、ここで戦う?」
「戦う? 五千人と? おれが一人で? 鋳掛屋がどうやって領主様の軍勢と戦うんだ?」
「え? 戦わないんですか?」
「鋳掛屋は戦わないでしょう、ふつう。鍋釜は直すけど」
「師匠が鍋を直したくったって、向こうは師匠を殺したがってんだから、どうにもならないじゃないですか」
「どうにかさせてもらうしかないだろう? とりあえずおまえは風呂でも入ってこいよ。お湯はすぐに魔法で沸かしてやるから」
「先に風呂へ入ってこい? 何をエロいことを言ってんですか? まさか、勝ち目はないと思って、自暴自棄になってんじゃないでしょうね? ダメですよ、師匠、あきらめちゃ。あきらめたらそこで終わりですよ。あきらめの先には凌辱しか待ってないんですからね」
「わかった、わかった、いいから風呂行ってこい」
おれは蹴とばすようにしてエラを部屋から追い出した。弟子は、凌辱がー、触手がー、とべそをかきながら階下の風呂へ行った。
「管制!」
エラがいなくなるとすぐにおれは管制を呼び出した。エラを風呂へ行かせたのはこのためだ。
――どうなってんの、そっちの状況は?
「そっちはどんな状況なんだ?」
――ヒロ君が独立して自分の店を持ちたいって言ってる。いい物件も見つけたんだって。よそに取られる前に早く手付けを打ちたいらしいんだけど、今は新しい車を買ったばかりでちょっと足りないのよ。こんなこと相談できるのは、おまえだけだって言われちゃった。
「売れって言え」
――え?
「買った車を売れって言え」
――で、そっちはどんな状況なの?
話をそらしたな。
おれは現在の状況を簡単に説明した。管制は聞き終わると、はあ、と一つ大きなため息をついた。
――それで、何がお望みなの? 爆弾? ミサイル? 毒ガス? 戦術核兵器? ハインライン型機動歩兵一個大隊?
おかげさまで60話までたどり着くことができました。ありがとうございます。




