製粉所侵入して、粉まみれです。
第46話です。
おれたちは製粉所の中にいた。
予想するともなくそんなものだろうと思い込んでいたフェイドアウト/フェイドイン的な変化はなかった。
見えている景色が、パッパッと何の視覚効果もなしに切り替わった感じだった。
暴力的なまでの量の音に、全身を包み込まれた。
石の軋む音、木材が擦れ合う悲鳴にも聞こえる音。木と木がぶつかり合う音。切れ目なく続く笛の音のような、空気が抜ける音。潮騒に似た、麦粒の流れ落ちる音。
さまざまな音が全方向からおれに襲いかかってきていた。
エラはおれの手を振り払い、耳をふさいでしゃがみ込んだ。
小さくなればそれだけ音量も絞れるかのように。
おれが製粉所の外で作った空気の球体は、一緒には移動してこなかった。
静かな場所から、耳を聾する轟音が発生している、その場所へ瞬間移動したのだから、落差は耐えがたいものだった。
おれは即座に球体を作り直した。
数十台並んだ大きな石臼からとめどなく吐き出される小麦粉は、巨大な機械が作り出す風と轟音の振動で一面に舞い上がっていた。
そのせいで高い天井は霧がかかったように霞んでいた。
頭上の霞の中で、大人のひとかかえ以上も太さがある、大水車の四角い軸が、グルグルと回転していた。
そこから生み出された力が石臼を回し、建屋内に隙間なく構築された木造機械を稼働させていた。
小さな板をつなぎ合わせた「ベルトコンベヤー」が脱穀前の麦を運び、脱穀された麦殻は巨大な木製「扇風機」で吹き飛ばされた。
石臼から落ちる粉は細かく揺すられる斜面を滑って木製「タンク」へ溜まっていく。
ここは粉挽きの水車小屋をそのまま大きくしたような場所ではなかった。
この世界の住民たちが知らないはずの「工場」だった。
壁につけられた灯りが白く煌々と建屋の中を隅々まで照らし出している。
どこにも影がないかのようだ。
ただ、光源は「電灯」ではなかった。ガラス製のホヤの中にとても直視はできない明るさの光が浮いていた。
魔法なのか、それとも【世界-内-存在】にあらざるものなのか。
いずれにしろ、この設備がオーパーツであるのは確定だった。
このまま放っておけば、ここに使われている技術が、世界に流出して拡がるかもしれない。
そのとき、この小さな「剣と魔法の世界」は終わる。
オーナー様はウチの会社を訴えるだろう。
会社は巨額の賠償金を支払わなければならなくなるだろう。
この世界にはもう、キンメリヤのような沈められる大陸は残っていない。
結局、オーナー様はこの世界を手放すに違いない。
おれはもちろんクビになる。
管制も解雇され、彼女とヒロ君の関係は終わりを迎えるだろう。
おれは彼女に刺されるかもしれない。
だが、そんなことは、本当のことを言えば些末な問題だ。
会社が引き取った世界をもう一度修繕し直して売ることは考えづらい。
すでに一回傷がついている世界なのだ。
もはや商品価値は皆無。
おそらく、この世界は廃棄されることになるだろう。
廃棄されるとは、なくなるということだ。
エラも、悪徳レストラン店主も、遍歴の騎士も、女子修道士も、オークもオーガもゴブリンも、すべていなくなる。
いなくなるとは、存在したという事実さえ抹消されるということだ。
あとには何も――データすら残らない。
「いやー、スゴイわー。もう粉だらけじゃないですかー。こんなの見られて、捏ね師冥利に尽きるってもんですわー。こんな製粉所がいろんなところにドンドンできればいいのに!」
弟子が建物いっぱいに充満した小麦粉で興奮している。
ピョンピョンはねている。
違うよ、エラ。
こんなのがドンドンできたら、おまえは消されてしまうんだ。
おれは一人、エラたちと離れて通路を歩いて行った。
どうやってこの施設を破壊すればいいのか考えていた。
暴れればいいのかもしれない。
柱を折り、機械を壊し、水車を使えなくしてしまえばいいのだろうか。
だが、すでに百年、この製粉所は稼働してきたのだ。
その間に、機械は何度も修理されたり、入れ替えられたりしてきたに違いない。
そういう知識や技術を持っている者たちがいるだろう。
ここで大水車を壊しても、その者たちが造り直してしまえば、何の意味もないのだ。
ふと視界の端に動く影を見た。
二階に当たる高さに付けられていいる監視室の窓に人影があった。
水車が動いている間はいないはずの人間が、そこにいるのだった。
おれたちの他にも製粉所見学で忍び込んだやつがいるのか。
足を速めて、おれは通路の端まで行き、そこから監視室へ上がる梯子を登った。
梯子の途中の壁に【ヘルメストリスメギストスの会】の紋章が刻まれていた。
油断していなかったと言えばウソになる。
梯子の最上部にたどり着き、監視室の床に作られた跳ね上げ扉を押し上げた瞬間、おれの右腕に蛇に噛まれたような鋭い痛みが走った。
おれは左手を伸ばして跳ね上げ扉の外枠を掴むと、腕一本の力で身体を部屋の中へ引き上げた。
床に膝をついて右腕を見た。
痛みを覚えたところに銀色の針が刺さっていて、その周囲の皮膚がソラ豆ほどの大きさに黒ずんでいた。
右手がしびれて、力が入らなかった。
監視室の中は、どんな仕組みか防音処理が施されていた。
おれは球体を崩して、室内の空気に直に接触した。
おれの前には、白いシャツに黒い革のチョッキを着た、老人が突っ立っていた。
老人はいかめしい顔で、おれを見下ろしていた。
「あんたには悪いと思うが、これもしかたがないんだ」
老人はしわがれた声でそう言うと、おれの肩を蹴とばした。
いつの間にか全身にマヒが回っていた。
おれは無様に床へ転がった。
今回ほとんど会話がなかったのでびっくりされたかもしれません。
粉だらけで騒々しい製粉所をご堪能いただけましたでしょうか。




