認識の齟齬がありますって、これなんて読むんですか。
第47話です。
「あんたが『管理人』という人だね?」
老人はおれの足の方へ回った。
首も動かせないので、老人の姿は視界からはずれてしまった。
「わしはこの製粉所の技師長だ。祖父さんの祖父さんがここを造ったんじゃ。それ以来、うちは代々ここの技師長をしている。と言ってもな、祖父さんの祖父さんが一人で建てたわけじゃない。図面を引いたのはノッポの薬屋というお方だ。名前は知らん。何で薬屋が家を建てたりできたのかもわからん。ただ、その方が大水車や機械の図面を書いて、造り方も細かく祖父さんの祖父さんに教えてくれたのだそうだ。わしらはその秘密を守って、百年有余年この川辺で生きてきた」
なるほど、ノッポの薬屋ね。
百年以上前から、おれの世界をうろついていやがったのか。
それで、この祖父さんが隠された知識の伝承者というわけだ。
おれは!管制を念じた。
彼女がヒロ君との不毛なアバンチュールを愉しんでいるのでなければ、気づいてくれるはずだ。
――何してんのよ? え? え? 何これ? あんた、また毒にやられてんじゃない? バカなの? あー、バカはバカだったわね。また性懲りもなく毒キノコを食べたわけ? ちょっとお、何とか言いなさいよ。 え、何で黙ってるのよ? あ、やだ。全身マヒしてんじゃない? 何があったのよ。とりあえず、この前よりはマシだけど。放っておいても小一時間でマヒは治るわね……どうする? とっとと解毒しちゃう?
おれは大きな「!」を思い浮かべた。
――それってイエスなの、ノーなの? どっちだかわかんない。めんどくさいから解毒しちゃうわよ。はい、今、解毒工程開始しました。十五パーセント……四〇パーセント……六〇、八〇、九〇、ホイ、一〇〇パー。解毒完了。もう元通り動けるわよ。
元通りとは言われたが、おれはマヒが解けたのを老人に悟られぬよう、そのまま動かずにいた。
管制には、おれが聞いている老人の声をそのまま通信している。
「祖父さんの祖父さんは【ヘルメストリスメギストスの会】に入っておった。そこでノッポの薬屋には出会ったと聞いておる。そのお方はかつてキンメリヤの皇帝に仕えておった神官であったそうだ。かの大陸が神の怒りに触れ、わだつみの底へ沈められたとき、キンメリヤの知識を護り伝えるために災厄を逃れて他国へ渡った人々がいたそうじゃ。ノッポの薬屋もその一人であったという。すなわち、この製粉所ははるか昔の秘められた知識で動いておるということじゃ」
――誰よ、ノッポの薬屋って? ああ、今は死んだふり――じゃない、マヒしてるふりね?
おれは全受容器官の感度を上げて、老人の動く気配をたどった。
老人には聞こえない音域で喉を鳴らし、反響音で周辺空間を把握した。
色はないが、これで視覚情報に頼っているときと同じように周りが「見える」ようになった。
老人は机へ歩いて行った。
そして、机の上から小さな箱のような物を取り上げた。
「わが一族は秘められた知識を護り伝える使命を負っておる。すくなくとも、三日前まではそう信じて生きてきた。あのノッポの薬屋が戻ってくるまでは、この使命に何の疑いも持っておらなんだ」
老人は箱の蓋を開け、中に指を挿し入れた。
「あの方はわしらのなしていることを見て怒りたもうた。わが一族が五代にわたって――孫まで入れれば七代じゃな――良かれと思ってやってきたことは誤りであったのだ。知識を秘めてはならなかった。護ってはならなかったのじゃ。あの方から与えられた知識は、女房連中が井戸端でしゃべり散らすウワサ話のように、広められなければならなかったらしい。しかし、祖父さんの祖父さんからずっと、わしらはこの製粉所の仕組みの一切を、一子相伝の知識として受け継いできたのだ。製粉所の秘密を知るのは、つねにこの世に一人のみ。そういう掟じゃった」
そうか。そういうことか。
百年以上もおれがズボラにしていたのに、ここの技術が世界へ拡散していかなかったのには、この爺さんたちがあえて広めないようにしていたからなのだ。
科学技術の密教化とでも言えばいいのかね。
自分たちの理解できる範疇を越えていた知識だからこそ、彼らは大事に隠してしまったのだ。
しかし、ノッポの薬屋の目論見はそうではなかった。
ここにこんな便利な製粉所を造っておけば、ここに詰め込まれた知識や技術は自然と外へ拡散していくと思っていたのだ。
つまり、ヤツの狙いはキンメリヤの悲劇の再現。
どうしてそんなことをしたいのか知らないが、それが目的なのだ。
――ちょっとお、とんでもない状況じゃないの。えー、あんた、何を百年もボケボケしてたのよお? マズい、マズいよお。このままじゃクビ間違いなしじゃん。ヒロ君に捨てられちゃうよー。どーしてくれんのよ?
「あの方はわれらを見捨てられた。わしの頭から秘密の知識の一切を抜き取ってしまわれた。今のわしにはもう何もできん。石臼が突然止まってしまっても、わしにはもう直すことができんのじゃ。わしら一族は……わしはすべてを失った。何のための一生だったのか……」
――おっ、ラッキー! 造り直しはきかないんだってさ。今そこを壊せば全部なかったことにできるわよ。ほら、早くブッ壊しちゃえ。ためらうな、行けえ! 今行けば、秘書課のポーちゃんの連絡先をゲットして来てあげる!
そいつはありがたい申し出なのだが、爺さんの話はまだ終わっていなかった。
おれはうるさく叫び続ける管制との通信を切った。
「ただ、あの方は最後にもう一度だけチャンスをくださるとおっしゃった。それがあんたじゃ。『管理人』がここを破壊しにやってくる、とあの方はおっしゃった。それを防ぐことができれば、秘密の知識を返してくださる。それだけじゃない。これまで通りに秘密を護って暮らしてかまわない、と約束してくださった」
老人は小箱の中から輪状の物を取り出した。
指輪というには少し大きい。
「だから、わしは孫娘を使ってあんたをここまで誘導させたのじゃ。あの子たちは見事に使命を果たしてくれた。次はわしの番じゃ。わしがなすべきことをなすときじゃ」
げっ! がめついレモネード姉妹は爺さんの孫か!
しまった。エラをガイドのそばに残してきてしまった。
老人はおれの方へ戻ってきた。
自分の使命に動揺しているらしく、覚束ない足取りに顕れていた。
「あんたは不死身じゃそうじゃの。当たり前の方法では殺せない、とあの方がおっしゃっていた」
そう、おれはこの世界ではほぼ不死身だ。
管理人のために用意されたこの基体は、数百年の連続使用に耐えられるだけの頑丈さを備えている。
心臓や脳など急所となるような器官は存在しない。
当然、呼吸や血液循環などの機能も「見た目」だけの偽装にすぎない。
頭を潰されても再生するし、胴を真っ二つにされてもくっつけておけば数分で癒着する。
酸で溶かされるか、毒素で完全に汚染されてしまうか、基体を放棄しなければならないのはそんなときぐらいだ。
そういう場合にしても、あらかじめ新しい基体を用意して、それまでのデータをインストールすれば、容れ物が変わっただけで「死んだ」ことにはならないだろう。
おれをこの世界で「殺す」ということは――
「あのお方のおっしゃることは、わしにはようわからん。テンイだとか、テンセイだとか、そんなことをおっしゃっていた。この道具を使えば、あんたをほかの世界へ送ってしまうことができるそうじゃ」
老人が手にしている輪は、対象を別世界へ転移させる機能を持った物らしい。
おれはぞっとした。さすがにそいつはマズい。
【可能世界】は想定可能な数だけ存在する。
世界を創造しているのは、ウチの会社だけじゃないからな。
もし、アトランダムに転移させられたとしたら、おれの行方は本社でも到底捜索しきれない。
他社の創造世界を全体検索するなんて絶対に許可されないだろうし、悲しい話だが会社はおれにそこまでするだけの価値を見出していないだろう。
おれが他の世界に転生してしまったら、そこの生き物として寿命を迎えるまでの間に救出されることは、奇跡以外の何ものでもないのだ。
つまり、事実上の「死」である。
どうやら、ノッポの薬屋は、おれや管理人のことをよくご存知の御仁らしい。
おれと同様、【世界-内-存在】にあらざる者確定だな。
何者なのかという疑問は残るが、今はとりあえずそんなことに悩んでもしかたがない。
目先の危機を回避する方が優先だ。
「爺さん、あんた、だまされているぜ」
おれは身体を起こした。
「あわわわ――、毒は効いておらなかったか」
老人は腰を抜かした。その拍子に手から輪がこぼれ落ちた。
輪は机の下へ転がっていった。
「おれは先を急いでいたんだ。ここに寄るつもりはなかった。今日のうちに国境を抜けてジランデへ行きたかったんだ。ここに来ることになったのは、あんたの孫娘が――レモネード売ってる方な、あの子に今日はもう国境までは行けないってだまされたからだ。この製粉所のことだって大水車のことを聞くまで知らなかった」
「なんと――! わしらが誘い込まなければ、あんたはここには来なかったというのか?」
「そういうことだ」
「わしらはあの方にだまされたのか……。あんたはここを壊しにきたわけではなかった……」
「あー、そこはちょっと――」
「わしらはノッポの薬屋の口車に乗って、あんたを殺そうとした。申し訳ないことじゃ。あんたにはこのわしが愛する製粉所をどうこうしようなんて気はさらさらないというのに!」
「いや、そこはね、ちょっとまだ――」
「あー、申し訳ないことじゃ、申し訳ないことじゃ。このお詫びは何としょう? あんたには、わしの人生そのものともいうべき、この製粉所を壊そうなどという気持は爪の先ほどもないというのに! あー、申し訳がない!」
老人は泣きながら額をガンガンと床に打ちつけた。
「まあ、爺さん、落ち着け」
「わ、わしを……わしを赦してくれるとおっしゃるか?」
額から血をダラダラ流している爺さんがおれの袖をつかんだ。
「うん、赦すから。とりあえず、床を頭突きするのはやめてくれ」
「ありがたいことじゃ。なんとおやさしい。いくら一族の存在理由ともいうべき製粉所を守るためとはいえ、そのお命を奪おうとしたわしらを赦してくださるとは!」
「爺さん、うん、なんかね、ちょっとした誤解なんだけど、認識の齟齬っていうのかな、そういうのが今、おれたちの間にはあるみたい」
「誤解……? 齟齬……?」
「うん、そうなんだ。おれはここに何も知らずに誘導されてきた」
「はい。だから、ここを壊したりはしない」
「あ、そこ」
「どこです?」
「そうやって自分の周りをキョロキョロ見回すのはやめて。古典落語じゃないんだから」
「コテン……ラクゴ……? 何です?」
「いいんだよ、そんなことは。おれが言いたいのはそんなことじゃない。おれは確かに何も知らずにここまで来た。でも、ここを見た以上、これは壊さないわけにはいかないんだ」
「ええええええええええー! つまり、なんですか、あんた、このパックリ割れた額はムダだったということかの? 血の流し損? あんたはわしが頭を床に打ちつけるのを見ながら、おいぼれをだましてやった、ざまあみろ、と腹の中で嘲笑っておったのじゃな?」
「いや、そんなふうには思ってないから――」
「まっこと恐ろしい男じゃ! あのお方が恐れるのもムリはないというものじゃ。わしもすっかりたぶらかされるところであった」
老人の手にはいつの間にか針銃が握られていた。
ノッポの薬屋め。いろいろとお土産を置いていきやがったな。
今回登場の老人は「千と千尋の神隠し」の釜爺をイメージしていただければよろしいかと。




