普通の会話
酒場から暗くなった林道をルークことナイトは歩いていた。
「よ、千両役者!」
木の上から声が降ってきた。
ナイトが足を止めると、金髪色黒の忍びライガが降ってきた。
「酷い方っすね、お父上、まだ死んでないっしょ?」
「いいだろう、俺が作った設定なんだから…こんなことでもしない限り、親父の奴死にそうにないからな」
ナイトは偽の設定で父に恨みを晴らした。
「まあ、それは言えってるっすけど、女好きはないんじゃないんすか?」
父ウォーレスはナイトの母一筋の堅物だった。
そのせいで、継母は生母そっくりという悲劇をナイトにもたらした。
「母親の違う息子が3人もいるんだ。勘違いもされても仕方ないだろう」
「フロントは違うでしょう?」
「一緒さ、俺の中んではな…」
家族で一緒に過ごした子供の頃を思い出して、ナイトは呟いた。
「ところで、何かあったのか?」
忍びが姿を現す時は何か火急の要件がある時だが…
「フローレス様がお呼びっす」
「フローレスが?」
温泉に浸かって、食事に舌鼓をして、今頃は寛いでいる時間のはずだ。
「こんな時間にいったい何だろう?」
「行ってのお楽しみっす。さあ、フローレス様が待ってるっす!」
ライガはニヤニヤしながら、ナイトを急かした。
嫌な予感しかしないが行かないわけにはいなかい。
なぜなら、今は虹の双子姫に雇われた傭兵ルークなのだから。
「ルーク、待ってたわ!!!!!」
部屋のドアを開けた瞬間、フローレスが突進してきた。
「あの…何か用か…?」
お茶を飲んでいるネティアが刺すような視線を送ってきた。
ナイトは抱き着いてきたフローレスを引き剥がす。
フローレスは身を正して、
「ええ、いいお湯だったからもう1回入りに行こうと思ってね…」
「それなら、ランドの女騎士達にもう1回付き合ってもらえばいいんじゃないか?」
女湯に男は入れない、常識だ。
しかし、
「あなたがいいの!!!
だってその秘湯…
『混浴』なの!!!!」
フローレスは叫んだ後に、イヤン、と言って顔を赤らめた。
ネティアは飲んでいたお茶を噴き出した。
ナイトは固まるしかない。
「一緒に行ってくれるわよね!?」
「行くか!!!」
鼻息荒く言ってくるフローレスをナイトは全力で拒否した。
先刻、兄から果たし状を受け取ったばかりなのだ。
この上、一緒に風呂など入ってしまっては、決闘前に問答無用で殺されてしまう。
「え、何でよ!フロントの代わりでしょう?」
「そうだけど、傭兵はそんな仕事内容じゃない!」
「傭兵はいらん、なぜなら、我々がいるからな…」
部屋の隅っこに避難している正規軍の護衛リーダーが呟く。
「ルーク、フローレス様の命である、お供をしろ!」
「はあ!?」
ナイトは耳を疑った。
絶対、姫を守る護衛が口にする言葉ではない。
「お前はフロントの代わりだ!一緒にご入浴し、お背中を流して差し上げる責務がある!!」
「………………………………待て、にっ…フロントは一緒に入ってるのか!!!!?」
「…………………………………………婚約者だからな………………………」
ボッソと呟く正規軍護衛リーダー。
その真偽を確かめるべく、ナイトはネティアを見る。
ネティアはハンカチで口元を拭いていた。
別段、否定する様子もない。
『マジかよ!!!!!!!』
ナイトは羨ましすぎる兄の日常の一部を知ってしまった。
「さあ、行きましょう」
フローレスがナイトの腕に絡みつてきた。
もう行くしかないのか、と絶望しかけた時、
「フローレス、ルークはダメです」
ネティアが待ったをかけてくれた。
「何でよ!?」
「フロントは『責任は取る』って言ってくれたけど、ルークは責任は取らないでしょう?」
冷たいネティアの視線だったが、ナイトは必死で頷いた。
「秘湯!混浴!秘湯!混浴!!!!」
フローレスはむくれて駄々を捏ねた。
ネティアは頭を抱え、大きな溜息を吐いた。
「そんなに行きたいのなら、『ルーク以外の者』を連れて行きなさい」
「………………………………え?」
思わぬ火の粉が正規軍の騎士達に降りかかった。
まさか、自分達が人身御供にされるとは思ってもみなかったのだ。
しかし、彼らは10人いるし、フローレスは気に入った者しか近づけない。
お気に入りはルークだ。
だから、彼らは少し楽観視していた。
自分達はただの護衛の騎士で、それ以上でもそれ以下でもないと。
「ルーク以外ねぇ〜」
フローレスは10人の騎士達を1人1人しかめっ面で見て回る。
「まあ、いっか!」
「えええええ!!!!??」
正規軍の騎士達の間に悲鳴が上がる。
彼らは自分達がフローレスの許容範囲内だったことに驚いた。
少し、嬉しい気もするが、喜んでばかりもいられない。
フローレスに気に入られるということは、フロントに焼きを入れられると同意語なのだ。
フローレスについていくにしても、全員がついていく必要はないはず。
誰がついていくか、仲間同士で視線を送り合う。
しかし、道連れは多い方がいい。
「ネティア様、我々が行くのですから、ルークもよろしいのではないでしょうか?」
1人の騎士がナイスアイディアを繰り出し、ナイトを地獄に引きずり込もうとする。
フローレスが期待のこもった視線を姉に投げかけた。
ネティアは困った顔をしている。
このままでは押し切られる。
そう思ったナイトは手を上げた。
何としてもこれ以上の誤解を兄に生じさせてはならない。
「悪い、実は、俺、酒場でちょっと飲みすぎたんだよ。だから、遠慮させてもらうぜ」
「え!!!!?」
「そういうことなら仕方ないわね。諦めなさい、フローレス…」
「そんな…」
ナイトの言い訳に、ネティアが上手く乗ってくれた。
フローレスはみるみる落ち込んだ。
この様子から混浴行きはなくなったと思われた…、
「じゃ、お留守番よろしくね、ルーク!」
フローレスは、あろうことか正規軍の騎士10名全員を引き連れて、混浴行きを決めた。
狼狽えたのはネティアだ。
「ちょっと、待ちなさい、フローレス!」
「え、何?」
フローレスは笑顔で双子の姉を見る。
「何故、わたくしがこの者と2人でいなければならないのです?」
「え、だって、ネティアが言ったんじゃない?『ルーク以外の者を連れて行きなさい』って」
「それは…」
まんまと上げ足を取れたネティアは返す言葉がない。
気心が知れた者がいなくなることが怖いようだ。
離れているが、震えているのがナイトにも見えた。
「それに、2人だけじゃないでしょう?」
双子の姉が心細いことに気づいたフローレスは天井を指した。
それに合わせて、ネティアの元に1枚の紙が落ちてきた。
『俺もいるっすよ!』
ライガはメモで自分の存在をアピールした。
「あなたはいないも同じでしょう」
ネティアはそう言い捨てると、メモを握りつぶした。
すると、抗議すかのようにまたメモが降ってきた。
『そんなことないっす!ちゃんと『聞いている』っすよ!」
メモにはライガが盗み聞きしている様子の絵が描かれているのが見えた。
ネティアはそれを無言で握りつぶした。
「じゃ、遅くなっちゃうから、行ってくるわね」
フローレスはウィンクだけを残し、すべての護衛を引き連れて出かけてしまった。
双子の妹を見送ると、ネティアは力なくソファに戻った。
もう震えてはいなかった。
ライガのことを口ではいないと切り捨てたが、心の中ではちゃんと頼りにしているのだ。
「行っちまったな…ここ座らせてもらうぞ…」
ナイトも観念してネティアの向かいにあるソファに座った。
許可も拒否もなかった。
ただ心ここにあらずと言う感じだ。
心だけ妹についていったようだ。
ナイトは溜息を吐いた。
ネティアが自分に興味を抱いていないことにガッカリしたのだ。
『フローレスのことばかりだな…少しくらい俺に興味持ってくれてもいいだろう?』
窓の外を見ているネティアの横顔を、ナイトは前にも見たことがあった。
それは子供の時、遊び疲れたフローレスが寝込んでしまった時に見せたあの顔だ。
あの時は寝てしまった子を見守る母親のようだった。
今は子が巣立っていった時のような寂しそうな顔になっている。
ナイトはネティアのその母性に少し惹かれていた。
大人になったらどんな女性になるのだろうかと。
予想通り美人になった。
艶やかな黒髪、深窓の令嬢の例に漏れず、透き通りそうな白い肌。
エメラルドグリーンの双眸は、時に優しく、時に悲し気に、時に強い意志を見せる。
その瞳は“誰か”を思い起こさせた。
それが誰かを考えていると、
「何を見ているのです?」
突然話しかけられて、ナイトは泡を食った。
いつの間にかネティアがこちらを怖い顔で見ている。
ずっと見ていたはずなのに気づかなかった。
「いや、その、何か面白い話ないかな…って…」
何とか言い訳を絞り出すもネティアは変わらなかった。
「喋らなくて結構、お酒臭いです…」
「あ、すまん…」
ナイトは口を押えた。
今更ながら、自分の吐く息の臭いに気づいた。
相当不快だったのかネティアはソファから立ち上がった。
壁際に用意してあったティーセットのところへ行き、お茶を2つ注ぐ。
お茶を盆に乗せ、戻ってきて無言でテーブルに置いた。
「…ありがとう…」
ナイトは無言の命令に従い、お茶を飲む。
甘いお茶だった。
「そのお茶、胃に優しいのよ。酔い覚ましにもいいって聞いたわ」
思わぬネティアの言葉にナイトは固まった。
「どうしたのです?」
固まっているナイトを見てネティアは慌てふためき始めた。
その姿を見て、ナイトは思わず吹き出してしまった。
「いや、その…気遣ってるくれてたんだなって…」
嬉しくて、正直にナイトは思ったことを言ってしまった。
すると、ネティアの顔が見る見る赤くなった。
「別に気遣った訳ではありません!
今、わたくしの護衛をしているのはあなた1人なのですよ!酔っ払った状態であなたはわたくしを守れのですか!?
だいたい、まだ日が沈んで間もないと言うのに酒場に行くなんて不謹慎です!騎士なら職務怠慢で即刻解雇ですよ!
あなたには大金を払ったのですよ!傭兵と言えども、騎士並みに職務を全うしなさい!」
「す、…すいませんでした…以後、気を付けます…」
ネティアのマシンガン説教にナイトはタジタジになった。
気が済んだのか、ネティアはソファに座り込んだ。
そして、また窓の外に目を馳せる。
先ほどと違い不機嫌な顔で。
これは明らかにナイトから目を反らすためだ。
「全く、フローレスはなぜ、こんな男をわたくしに押し付けたのかしら?」
ネティアはぼやきながらお茶をすすった。
どうやらフローレスの真意は双子の姉には伝わっていないようだ。
「何だ、気付いてないのか?」
「何がです?」
「俺が当て馬だってこと」
「当て馬?」
ナイトの思わぬ暴露話にネティアは頭が真っ白になったようだ。
「あ、言っとくけど、本命はランドの領主じゃないからな」
意味を理解したネティアの顔が急に厳しくなった。
「では、本命は誰なのです?」
「うーん、今のところ水の国の第一王子だろうな。同じ水の民だし」
ナイトは悪びれることなく、本当の自分を押した。
「フローレス、まさか、本気で…」
嘘だとは思えないはず、現にこの状況が真実を物語っている。
「よっぽど、ランドの領主と結婚してほしくないんだろうな…」
「それでも、わたくしの意志は変わりません」
「知ってるよ。だから、話した…」
ネティアは戸惑った顔になっている。
ナイトの目的が見えないからだ。
「あなたの目的は何です?」
「あえて言うなら、陳情かな。俺はネティア姫が誰と結婚しようが、それは姫の自由だと思う。でも、ランド領主を始めとする王気取りの貴族共を選ぶのはやめてくれ。闇の民が迫害される。だから、考え直してほしい」
闇の民の話が出るとネティアは驚いた顔をした。
「…どうして、ランド領主が闇の民を迫害すると言い切れるのです?」
「見ればわかる、ランド軍の上級騎士には闇の民が1人もいない」
ナイトは宿場町で寛いでいるランド軍の様子を見て回っていた。
虹の国ではだいたい髪の色を見れば出身地がわかる。
虹の国は移民が集まってできた国だからだ。
ランドは炎の国の移民達が集まってきた土地で、主なの髪の色は赤だ。
見渡す限り赤髪が目立った。
ところどころ、金や銀、緑、青い髪などの者がいたがごく少数だ。
軍の最後部に闇の民の特徴である黒髪の者もいたが、ランドで生まれた混血だった。
話を聞くと、彼らは自分達は奴隷だと言った。
ナイトはそのことを伝えたが、ネティアは反論した。
「ランド領主は…ジャミルは闇の民も関係なく受け入れると言っていました」
「口だけだろうな、現にランド軍に闇の民の上級騎士はいないし、闇の国からの流民も混血の者もランドを選ばないとその奴隷達から聞いた。それでも信じるのか?」
最下層の民の生の声をネティアに伝えた。
彼らほど現実を教えてくれる者はいないからだ。
「…では、ジャミルが嘘を吐いたのですか?」
「それは自分の目で確かめたらどうだ?俺は今起きている現象を信じるようにしている。人の言ったことはまともに信じないんだ。世の中、嘘つきが多いからな」
「…そうですね、そうしてみます」
「短い間だろうが、俺も手伝ってやるよ」
ナイトはウィンクして、お茶を飲んだ。
ネティアの反応は悪くない。
このまま行けば気を変えさせることができるかもしれない。
「あなたは水の国の人でしょう?なぜ、闇の民に拘るのです?」
ネティアが不思議そうに尋ねてきた。
虹の国は鎖国こそしてないものの、よその国からは敬遠されていた。
国にやってくる者言えば、商魂逞しい商人か、国を追われた罪人が流れつく土地だったからだ。
「俺の腹違いの兄ちゃんがこの虹の国にいるんだ。兄ちゃんは闇の民なんだ」
ナイトは真実を語る、少々の嘘を混ぜて。
「そうですか、ですが、闇の民が迫害されるとは限りませんよ。現にわたくしは闇の民の血を引いているのですから」
ネティアは自分の黒い髪をつまんで見せた。
闇の民の父からの遺伝だ。
「闇の民を迫害するということはわたくしを迫害するのと同じことです。ジャミルが王となったとて、主権は女王であるわたくしのもの。もし迫害が起きても阻止できます」
自信を持って言うネティアにナイトは問題を定義する。
「そうかもしれない。だけど、虹の国では人事権は王の方にあるって聞いたぞ。ジャミルが今の大臣達を追い出し、自分の生きのかかった者達で固めたらどうする?」
「その前に気付き、手を打ちます。王家には忠実で優秀な忍びがいますから」
何も言わないのに1枚の紙がヒラヒラと、テーブルの上に落ちてきた。
『任せるっす!』
文字の下に、ライガが一騎当千している絵が書かれていた。
正規軍の騎士達がライガ1人に主の護衛を任せたところを見ると、彼が相当な強者であること間違いないだろう。
強気なネティアにナイトは不安を覚えた。
次の質問をする。
「なるほどな、でも、敵は王だぞ。正々堂々と権力を行使して汚い手を打ってくる。姫はそれを退けられるかな?」
「正攻法で汚い手とはどんな方法です?」
やはり、世継ぎとして大切に育てられたネティアはまだ純粋だ。
しかし、ジャミルには一領主としての経験がすでにある。
人心を掴むありとあらゆる手を学んできたはずだ。
そんなジャミルの前ではネティアは無力と言って過言ではない。
「俺が悪い奴なら、始めはネティア姫の納得がいく人事にしておく。そして、排除したい奴を後で呼びつけて、王命を使って無理難題を押し付けるか、無難な仕事を与えといて罠にはめ、抹殺するか、汚名を着せる。もしくは、買収できそうだったら買収する」
ナイトは自分がやったこと、やられたこと、考えたことを教えた。
一領主になるまでナイトも苦労した。
実権を握ることはきれいごとではないのだが、
「何て悪質な…よく思いつきましたね」
ネティアは軽蔑の眼差しを送ってきた。
まるで、ナイトならやりかねないという顔をしている。
「でも、非難はできないだろう?」
「抹殺と汚名は非難できます!」
「任務中の不慮の死は珍しくないし、証拠があったら濡れ衣かわからない。どうやって見分ける?」
「現場を徹底的に調査し、関係者を尋問します!」
「現場は工作できるし、人は保身のために嘘を吐くぞ」
「自らの保身のために嘘を吐く者などいません」
ネティアは強固に反論した。
臣下は皆、王家に仕える時に固い誓いを立てる。
だが、
「なら、大切な者のためならどうだ?」
「それは…」
ネティアは口籠った。
世の中には忠誠より自分の命よりも大切なものがあることに、気付いたのだ。
「悪い奴って、人の痛いとこ突いてくるんだよな。身内だからって、王家に忠誠を誓っているとは限らない」
ランドの騎士達は王家よりもランド領主に忠誠を誓っている。
王都に住んでいた者でランドに嫁いだ者、移り住んだ者もいるだろう。
「人の心はバラバラだ。
誰を信じ、誰を信じないかは個人の自由だ。
だから、全員を守ることなんてできない。
それでも全員を守るのが王家の役目だ。
政治は駆け引きだ。王家に忠誠を誓う者、ランド領主に忠誠を誓う者、金儲けに明け暮れる商人、貧困から盗賊に身を落とした者も、皆同じ国の人間だからな」
ナイトはしみじみと語った。
父に振り回され、世の中思い通りにいかないことを痛感した人生だった。
ネティアの反応がない。
ナイトは急に不安に駆られた。
今は水の国の第一王子ナイトではなく、傭兵ルークだ。
王族でない者が王族を語るのはおかしい。
「悪い…」
「…え?」
「一国の姫様に対して、何か偉そうなこと言っちゃって…」
慌てて取り繕うが、
「そんなことないです…感心しました。ルークは見識があるのですね」
「いや、見識なんて、ただ思ったことを言ったまでだよ…」
ナイトは照れ隠しに頭をかいた。
それを見てネティアはおかしそうに笑った。
*
「…ねぇ、何かいい感じじゃない?」
「…そうですね…」
窓の外から部屋の中の様子を窺っているのは、出かけたはずのフローレス姫と正規軍の護衛達。
一旦、出かけたふりをして戻ってきたのだ。
2人きっりにした頑なな双子の姉とイケメン傭兵の様子が、フローレス姫は気になって仕方がなかったのだ。
皆、窓にへばりついて食い入るように中を見ている。
そのため、背後には注意を払っていなかった。
屋敷の周りの警備をしているランドの騎士達はその怪しげな様子に気づいてはいるものの、声を掛ける勇気がなかった。
見て見ぬふりをしていると、夜道を歩いてくる1人の騎士に気づいた。
「お疲れ様です、エルク隊長」
門番をしていた2人がエルクに敬礼をした。
エルクも敬礼を返す。
「双子姫様に御用ですか?」
「いや、双子姫が雇った傭兵に用があるのだが戻っているか?」
「はい、戻っています」
「そうか、すまないが、呼んできてくれないか?」
エルクが頼むと、門番達は微妙な表情になった。
「どうした?」
「いや、その…取り込み中のようでして…」
「取り込み中、まさか、双子姫が喧嘩でもしているのか?」
妹姫フローレスは姉姫ネティアの結婚を妨害しようとコソコソと何かをしていた。
ルークを雇ったのもその一環だ。
それに気づいたネティア姫が怒ったのではないかと推測したのだが、
「いえ、フローレス姫ならあそこにいらっしゃいます…」
言いにくそうに指さす。
その先に、覗き見をしているフローレス姫と10名全員の正規軍の騎士にエルクは衝撃を覚えた。
「…隊長…どうしましょう?」
「何か、声かけずらくて…」
警護しなけらばならない人間の怪しい行動を咎めるべきか、皆迷っていた。
「私が行く」
「お願いします!」
エルクはランド軍の一仕官としてこの事態を容認することはできない。
それに別命ではあるが、ルークの監視も任されていた。
フローレス姫達の様子を見る限り、ネティア姫とルークの中が深まっている可能性がある。
そうなっていた場合、主のため、何としても阻止しなければならない。
「こんなところで何をしている?」
エルクはできるだけ抑えた口調で覗き見している正規軍の騎士の1人に話しかけた。
振り返り、エルクを見て驚いた正規軍の騎士は、
「立ちションだ!」
と思わず言ってしまった。
「バカ!フローレス様は女だぞ!」
近くにいた仲間が思いっきり頭を殴る。
「エルク殿!?」
正規軍のリーダーが慌ててフローレス姫を隠すも後の祭り。
エルクはドカドカ近づいていく。
「どのようなご用件ですか?」
いつも堂々としている正規軍のリーダーとは思えない狼狽ぶりだ。
「これはこれはグリス殿。ちょっと、ルークに用がありまして。それより私も交ぜてください」
「は?」
周囲の硬直など無視して、エルクは空いたスペースから窓の中を覗き込んだ。
ルークとネティア姫が楽しそうに談笑している。
その表情から姫はルークに心を許したようだ。
『これはいかんな…』
窓の正面にへばりつき、真剣に覗き込むエルクの姿を見て、正規軍だけでなく、ランドの騎士達も引いてしまった。
「エルク隊長…」
「注意するんじゃなかったんですか?」
部下に誤解されていることにも気づかず、エルクは部屋の中を凝視する。
フローレス姫が険悪な視線を送ってくるが無視する。
『気づけ!』
エルクは思念を送って2人に送った。
すると、ネティア姫がこちらを見た。
ヴェールから覗いている目がパチパチと瞬きを繰り返している。
エルクがホッとすると、すべての窓が急に開いた。
正規軍の騎士達が一斉に窓から離れ、直立する。
「こんなところで何をしているのです、フローレス?」
開いた窓からネティア姫の抑えた声が響いた。
「ちょっと、忘れ物…」
「窓から取りに来るつもりだったの?」
「…覗いてました…」
フローレス姫は白状すると、窓から部屋の中に飛び込んだ。
エルクと正規軍の隊長グリスと他2名も続いた。
残りは窓からの侵入に抵抗があったのか外に残った。
「もう温泉はいいでしょう?寝なさい、フローレス」
ネティア姫は戻ってきた双子の妹を立ち上がって迎えた。
「え、嫌よ!せっかく来たんだから絶対行く!」
「もう遅いわ、我がまま言わないの」
ネティア姫はベッドの方までフローレス姫を押していき、沈めた。
『お休みなさい』
ベッドから規則正しい寝息が聞こえる。
どうやら、ネティア姫は魔法を使って妹を眠らせたようだ。
「それでは、紳士の皆さま…」
ベッドの前に立ち、ネティア姫がベッドから男性全員を見据える。
「お引き取り下さい」
「…………はい…」
一瞬間があったが、全員一緒に返事をした。
「ネティア姫、お休み」
「なさいだろう!」
グリスがルークをどつき、足りなくて気安い挨拶をつけ足して丁寧にした。
「それでは、失礼いたします」
グリスは、苦笑いを浮かべているルークを連行するように連れて行く。
エルクも後を追おうとすると、
「あなたは?」
ネティア姫に呼び止められた。
部外者が1人混じっているのだから当然だろう。
エルクは膝をついて名乗る。
「は、私はランド軍で1小隊を預からせていただいているエルクと申します」
「ランドの小隊長がわたくしに用事ですか?」
「私が姫に用事など恐れ多い。用事があるのはルークです」
「ルークと知り合いなのですか?」
「はい…先の宿場町の酒場の一件で知り合いました」
「…そうでしたか」
「それでは失礼いたします」
エルクは素早く立ち上がって、廊下に出た。
廊下ではルークが正規軍の隊長であるグリスから説教を受けていた。
恐らく、先ほどの気安い挨拶のことだろう。
「ルーク!」
「エルクのおっさん、何か俺に用だって?」
グリスから聞いたようだが、ルークは訳が分からない様子だった。
エルクはズカズカと近づき、1枚の紙をルークに突きつけた。
「…250ゴールド?」
その金額を見てルークはようやく思い出したようだ。
「自分で飲んだ分は自分で払え!」
「お前、無銭飲食したのか?」
グリスはルークを見て呆れていた。
「ごめん、忘れてた。でもさ、これくらい驕ってくれてもいいじゃないか?隊長なんだろう?」
隊長だから、部下に奢るくらいの金はあると思っている。
「駄目だ」
「ケチだな」
「先の酒場では払った。今回も私が払うと思うなよ!」
「エルクのおっさんが払ったのか?」
ルークは頭をかく。
今更ながら自分が暴食した量を思い出したようだ。
「そうだ、お前のせいで私の財布はスカスカだ!」
「わかったよ、ちゃんと払うよ」
ルークは渋々財布を取り出した。
「確かに受け取った」
「おっさん、謝金取りみたいだ」
勝ち誇ったエルクの顔にルークは不満顔だ。
エルクの次にグリスが立ちはだかる。
「次はこちらの説教だぞ、ルーク。お前は姫様方に対して馴れ馴れしすぎる!」
「フローレス姫はいいって、言ってたぞ」
「百歩譲ってフローレス様のことは良しとしよう。だが、ネティア様はダメだ」
「次期女王だからか?」
グリスは頷いた。
エルクも同感だったが、
「そんなのバカバカしいって、双子の姉妹で差をつけるなんてさ」
ルークは意に返さなかった。
「しかし、王位継承者とそうでない者には差がある」
「そんなの公の場だけでいいだろう?ネティア姫だってプライベートにまでそんな差別持ち込まれたくないだろう」
「それは、そうだが…」
「プライベートなら、ネティア姫にだって気安く話せる人間ぐらいいるだろう?」
「…」
「何だよ、まさか、いないのか?親戚とかも?」
「虹の王家は特殊なのだ。次期女王に近づけられる者は選ばれた者だけだ。親戚に相当する王の一族とは対立関係にある。ネティア様に近づけた男など、例外のフロントぐらいなものだ」
エルクは虹の民だから知っている事実だが、ルークには信じられない事実だったようだ。
「親しく話せる男って、従者1人だけなのか?」
「そうだ」
「なんか、可哀そうだな…」
「可哀そうだと?」
「可哀そうだろう?だって、普通に喋れないんだぜ」
「俺と2人だけになった時、ネティア姫、なんだか不安そうだった。どう接したらいいのか、どう喋ったらいいのかわからなかったからだったのか」
ルークはネティア姫と談笑していた時のことを思い返しているようだ。
そして、何かを閃いたように手を打った。
「よし、決めた!俺、ネティア姫の友達になる!」
「はあ?」
「…どういう意味だ、それ?」
エルクが訪ねると、ルークは会心の笑みを浮かべた。
「何って、普通に喋れる関係になるのさ。そしたら、何か困ったことがあったら、相談とか乗り易いだろう?」
「…まあ、確かにな…」
ルークの庶民的な発想に騎士であるエルクとグリスは、否定も肯定もできなかった。