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黒鳥の夢  作者: 氷室冬彦
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16 黒鳥の夢

 郁夜が次に目を覚ましたのは午前十一時を少し過ぎたころで、目覚めてすぐに忌々しいほどの疲労感が身体から消えていることに気が付いた。礼が言うには、聖導音アリアが郁夜にたまり込んでいた余分なものを根こそぎ浄化してくれたらしい。彼女の能力には他人の心身を癒す効果があり、癒すと言っても怪我を治せるわけではなく、厳密な有効範囲も郁夜はよく知らないが、とにかく寝不足とストレス、そこからくる心身の疲れくらいは取り除けるようだ。


 あのアリアが郁夜のためにそんな気を利かせてくれたのは少々意外だったが、しかしよく考えなくとも彼女は勤勉でまじめな聖職者なのだ。同じ組織に属する者に対して、いやまるで無関係な間柄の相手にでも、彼女は会話中の態度から感じられるほど冷淡ではない。必要と判断すれば惜しみなく自らの力を使い、人々に奉仕する。そういう少女だ。


 それにアリア自身が自主的にセラピーをおこなったのでなくても、彼女は過去に礼に命を救われて以降、彼に絶対服従を誓っている。礼がアリアに頼んだのだとすれば、それに従うのは道理だ。実行に至るまでの経緯がどうあれ、近いうちに感謝を伝えておかなければ。


 午後二時ごろ、郁夜は礼とともに再びあの廃屋を訪れていた。なぜここに来たのか、大した理由はない。草木の緑と空の青、鮮やかな色彩の中に浮き彫りになった灰色の人工物が、まるで異質なもののように見える。黒鳥とやらは既におらず、ここはまた、ただの古びた廃屋と成り果てた。


 郁夜が思っていた以上に老朽化しているらしいこの建物は、いつ崩れるかわからない。カルセットに襲われる危険はなくなっても、別の危険があるのだ。そのうちレスペル国かロワリア国のどちらかがこの建物の撤去に踏み切ったとしてもおかしくはない。むしろ、また変なものが棲みついたりする前にさっさと取り壊したほうがいいだろう。ロアの口添えがあれば簡単に叶いそうなものだ。


 郁夜も礼も建物の中に入るつもりはなく、ただその場の景色をしばらく眺めていた。


「なつかしいな」


 礼がこぼしたその呟きが、郁夜に共感を求めて発せられた言葉なのか、それともただの独り言だったのか。郁夜にはわからない。


「ここであの事件がなかったらさ、今みたいにお前と一緒にいることもなかったんだろな」


「……皮肉なものだな」


 郁夜は自虐的に笑う。しかし礼はポジティブだ。


「まあでも、これも運命ってやつなんだろうさ、きっと」


 礼と郁夜、二人にとってのすべての始まり。この廃屋で起きた事件がなければ、彼と出会うことはなかっただろう。二人が出会わなければ、きっと今ごろあのギルドの存在もなかった。仮にギルドが誕生したとして、そこに郁夜はいなかった。となれば郁夜と出会ったことがキッカケでギルドにやってきた複数人のギルド員たちの運命すら変わっていたはずだ。


 どちらが郁夜にとっての幸せなのか、もはや考えてみてもよくわからない。父と友の死があって、今の自分がある。乗り越えたのではない。乗り越えざるを得なかっただけなのだ。郁夜にとっては二度と思い出したくない。だが忘れることすら許されない。最大の別れと、最大の出会いを兼ねた場所。なんとも残酷だ。たとえこの建物が取り壊されて更地になったとしても、事件がなかったことにはならない。郁夜はこの重荷を一生抱えて生きなければならないのだ。


 郁夜はもう一度、自虐気味に笑った。



 *



 夕方から夜中にかけての時間帯が、最もあの男と遭遇する可能性が高いと言える。暗闇で会って暗闇で別れる。柳季は時折、來烏という青年の顔すら忘れそうになってしまうのだ。明るいうちに会ったことが一度もないわけではないが、記憶に残っているのはいつも宵闇に溶け込んだあの黒髪だ。なので今日のように、まだ明るい昼下がりに会うことは、体感的には珍しいことに感じた。


「やっぱりお前の仕業だったんだな」


「会って早々それか。犯人を追い詰める探偵みたいなセリフだな」


 からかった返事に、柳季はうるさい、と鋭く言った。


「最初は少し混乱したけどな。もう全部わかったさ、烏。遮断の術式を仕込んだのはお前だろ」


 カラスのように黒い髪はところどころに青い部分がまざっている。烏はわずかに口角を上げて柳季を見た。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。


「なぜ、そう思ったんだ?」


「ただのカルセットにそこまでの力はないからだ。それに黒鳥は夢を見せるだけの無害な存在だ。お前が仕組んだことなんだろう」


 いつもより言葉尻が荒いのは、それだけ気を許した相手だということでもあるが、同時に、それだけ警戒している相手だという意味でもあった。それに彼と話していると、いつもなんとなく頭が痛くなる。烏は横目で柳季を見ながら、やはりにやにやと笑っている。


「どうなんだよ」


「参ったなあ」


 まったく参っていなさそうなにやけ顔だ。


「シスターといいお前といい、ちょっと友人を疑いすぎじゃないか?」


 烏の言うシスターというのが、具体的に誰のことを指しているのかは柳季にはわからない。


「なら疑われるようなことをするなよ」


「あははっ、そのとおり。まあ、あながち間違いでもないさ。俺を疑うのは正解だ。その警戒心は実に正しい。もっと早く気付くべきだったな」


 來烏は嘘をつかない。


 いや――正確に言うと、烏は頻繁に嘘をつく。前言撤回ばかりのこの男は、嘘をつくことはあっても嘘をつきとおすことしない。うそぶくときは必ず口調が変わるのだ。一人称を変えたり謎に敬語がまぎれたり、とにかくその部分だけ違う話し方をする。


 彼がつく嘘は、その法則を知っている者からすれば無意味でしかない。本人はそれに気付いていないのかというと、もちろんそうではないだろう。おそらくわざとやっている。だからこそ、來烏は嘘つきだが、同時に嘘をつかない男でもあるのだ。


「いつから郁夜さんに目をつけていたんだ?」


「いつからだろうな」


「なにが目的なんだ?」


「忘れちゃったなあ」


「答えになってないぞ」


「わかってるとも」


 意味深長な含み笑いにじれったくなる。


「そもそも、黒鳥があの廃屋に留まっていたのもお前の仕業だろ。なんであの場所を選んだんだ」


「さてね、それはわからないでしょう? もしかするとただ偶然そこにいただけかもしれないし」


「十年も前の記憶だぞ。そんな鮮度の低い夢を黒鳥が好んで見せるはずがない。あれはもっと人の集まりやすく、なおかつ鮮明な記憶に惹かれる習性がある。偶然にあそこに留まっていたというのは不自然だ」


「そうなのか、僕は知らないけど」


 適当な返事をしながら、烏は右から飛んできた一羽のカラスを腕に乗せた。カラスにあちこちを飛び回らせ、その先で見てきたものをエスパー系の能力で読み取る。そうやって彼はあらゆる視覚的な情報を集めている。悪趣味な覗きと言ってしまえばそれまでだ。


「柳岸、お前はどう思ってるんだ?」


「お前がわざと郁夜さんを狙って、あの人に憑かせるために黒鳥を手懐けて配置した」


 柳季の答えに、烏は愉快そうに笑った。


「これは、お前もシスターを同じことを言うんだな。ははは。じゃあ俺も同じ答えを返すべきかな」


 ふ、と笑い声が止まる。


「僕がそんなことするわけないだろ?」

2018/07/08 改稿。

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