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亡国のドラゴンライダー ~竜が狩られた時代。没落した一族の少女は、危険な荷を運びながら生きていく~  作者: キリーロフロフ


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灯さぬ街へ

雲の底は、いつも硝煙のにおいがする。


高度三千。リンは竜の首に身を伏せ、湿った夜気を切り裂いていた。眼下に広がるのは、灯火管制で黒く沈んだ港湾都市ラント。本来なら無数の電灯が海岸線を縁取っているはずの街が、今夜は死んだように暗い。明かりを点ければ、海の向こうの帝国のプロペラ機に位置を教えることになる。光は、贅沢ではなく危険だった。


ヴェルの翼が、ひとつ大きく空気を噛んだ。全長十二メートルの飛竜の背は、馬よりも安定している。だがそれは乗り手が竜の呼吸を読めればの話だ。リンは膝の内側でヴェルの肋の動きを感じ取り、向かい風が強まる一拍前に、わずかに重心を前へ送った。竜と人の境目が、そこで消える。


「いい子。あと少しだけ辛抱して。帰ったら、いちばん上等の干し肉、奮発するからさ」


言葉が通じるわけではない。それでも、声は届く。ヴェルの喉の奥で、低い唸りが応えた。


背の革袋には、薬箱が三つ。包帯と、消毒用の蒸留酒と、解熱の粉薬。ラントの東、丘陵地帯の貧民区で熱病が出ている。夜が明けるまでに届かなければ、熱に灼かれた赤子の小さな体は、もたない。医者は来ない。鉄道は軍に接収され、街道は野盗が出る。だから竜が運ぶ。


竜に乗って空を駆けるこの一族が、誇り高い空の戦士と呼ばれたのは、もう何代も昔の話だ。竜が狩られ、魔術師が焼かれ、誇りはとうに錆びついた。今の仕事は、戦ではない。誰も運びたがらない荷を、空の上を縫って届けること。それだけだ。


前方の雲が、不意に赤く滲んだ。サーチライト。


リンの背筋が冷えるより早く、ヴェルが反応していた。竜が翼を畳み、体ごと横滑りに落ちる。胃が浮く。光の柱が、たった今まで竜がいた空間を舐めて通り過ぎた。


「――見張りだ」


帝国の係留気球だ。長く伸びた光の腕が、夜の海をなで回している。気球から吊り下げられた籠の中で、機関銃の銃身が鈍く光るのが、一瞬だけ見えた。


まともに照らされれば、撃たれる。竜は的が大きい。リンは舌打ちひとつで決断した。逃げない。潜る。この薬は、夜明け前に届ける。竜にしかできないことが、まだ、この世界にはある。それを、信じている。


ヴェルの首を、海面すれすれまで押し下げる。波頭が竜の腹をかすめ、塩の飛沫がリンの頬を打った。サーチライトは高い空ばかりを探している。誰も、竜が海に這うとは思わない。常識を裏切る場所にこそ、生き残る隙間がある。父がそう教えた。


気球の真下を、息を殺して通り抜ける。銃声は、鳴らなかった。


リンは、口の端を吊り上げた。「ほぉら。あんたたちの、真下だよ」


心臓はまだ走ってる。怖い。怖いに決まってる。それでも――相手の裏をかいて、夜をかすめ取るこの一瞬だけは、たまらなく、好きだった。


丘陵地帯の谷あいに、目印の焚き火が二つ。リンはヴェルを旋回させ、棚田の畦に脚を着けた。竜の巨体が降りると、地面が低く鳴る。熱と、獣でも機械でもない匂いが、夜気に押し出される。近づくだけで、人の喉は締まる。待っていたのは、痩せた男と、その背に隠れる子どもたちだった。


「黒翼便です。薬を」


リンが革袋を差し出すと、男は受け取った。だが――その手は、震えていた。恐怖で。子どもの一人が、母親らしき女の腕を引いて、後ずさった。竜から、リンから、できるだけ離れようとして。


「……お、おまえら、人を喰うって」


少年が、かすれた声で言った。


「竜が。村の年寄りが言ってた。昔、竜が町を焼いて、人を喰ったって。だから狩られたんだって」


リンは、何も言わなかった。それは、まるきりの嘘ではないからだ。竜はかつて、確かに空を焼く災いだった。狩られるだけの理由が、なかったわけではない。


ただ、とリンは思う。あの子の暮らしに灯る、小さな明かり。その明かりが何と引き換えに灯っているのか、この子はきっと、生涯知らない。知らないままのほうがいい。知れば、夜が眠れなくなる。リンが、そうであるように。


男が、薬箱を抱えたまま、ためらいがちに小銭を握らせてきた。指が触れた瞬間に、また引っ込められる。汚れたものに触れたように。


「……助かった。本当に。けど」


男は目を伏せた。


「あんたらが来たことは、誰にも言わねえでくれ。竜乗りに借りを作ったなんて知れたら、村にいられなくなる」


「わかってます」


リンは、わざと軽く肩をすくめた。「いいって。あたしの手なんか、竜の血で錆びついてるからさ」


男が、救われたように曖昧に笑う。リンも笑い返してやった。――慣れてる。慣れてなんか、いない。背を向けて竜に跨ってから、ほんの少しだけ、奥歯を噛んだ。命を運んでも、礼はいつも影でこそこそ。その腹立ちの向く先は、この親子じゃない。もっとでかくて、顔のない何かだ。いつか正体を掴んで、ぶん殴ってやる。まあ今は、谷底の赤子の泣き声のほうが、ずっとうるさいけどね。だから、飲み込む。いつもの味だ。


帰り際、リンはふと、棚田の向こうの夜空を見上げた。海の方角、帝国のいる西の空が、地平の際でちりちりと明滅していた。遠雷ではない。砲火だ。前線が、また少し、こちらへ近づいている。


「あたしたちは、運ぶだけ。戦は、もう昔の話」


竜が、夜を蹴って舞い上がる。黒い翼が一度、星を隠した。リンは港の外れ、黒翼便の、ただひとつ灯ることを許された角灯へと、進路を向けた。


近づくにつれ、その小さな明かりが、今夜にかぎって妙に心細く滲んで見えた。胸の奥が、わけもなく、ざわついた。


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