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第五話 絶望と反抗


 車輪が石畳を叩く単調な音と、馬車の不規則な揺れ。車内には向かい合わせの席があるというのに、シャルロットは僕の腕の中にすっぽりと収まっていた。

 いや、僕が絶対に逃がさないように抱き込んでいるのだ。

 僕は彼女の柔らかい身体を片腕で支えながら、もう片方の手で、ふんわりと巻かれた桃色の髪を指先で弄ぶ。極上の絹よりも滑らかなその髪を指に絡ませると、彼女が好む甘い花の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。

 シャルロットは僕の胸に力なく身体を預けたまま、窓の外を流れていく景色をぼんやりと見つめている。その透き通るような水色の瞳には、もう何の感情の光も映っていない。


「シャル、楽しみにしてて。『次期公爵夫人』の部屋は前から準備していたんだ。君の好みに合うといいな」


 耳元で甘く囁いても、シャルロットからの返事はない。ピクリとも動かない彼女は、まるで本当に命を持たない精巧なお人形のようだった。けれど、それでいい。彼女がこうして僕の腕の中にいて、僕の体温と匂いに包まれている。その圧倒的な事実だけで、胸の奥が甘く痺れるほどに満たされていた。


「屋敷に着いたら、今日買ったドレスをすべて試そうか。どれが一番似合うかな?」


 彼女の華奢な肩を撫でながら、僕はこれから始まる永遠の時間を思い描く。


「今君に着せているその純白のドレスも、君の純粋無垢な可愛らしさを際立たせていて、とてもよく似合っているよ。でも、黒や深い赤みたいな色味の強いドレスも、君の鮮やかな髪色が映えて絶対に素敵だろうね。……ああ、でも君が好むのは、淡い色のドレスだったっけ。春の妖精のような君の姿も、最高に綺麗だろうな」


 次から次へと溢れ出す着せ替えの想像に、僕の声は自然と熱を帯びていく。彼女を僕の選んだ色だけで染め上げ、僕の好みのリボンで縛り付ける。その光景を想像するだけで、ぞくぞくするような愉悦が背筋を駆け上がった。


「ああ、早く君を着飾ってあげたいよ」


 歓喜に震える息を吐き出しながら、彼女の白い頬にそっと唇を寄せる。

 その瞬間。光を失っていたはずの彼女の透き通る水色の瞳から、ぽろりと、大粒の雫が零れ落ちた。感情を封じ込めてもなお止められなかった、深い絶望の涙。

 僕はそれを咎めるどころか、愛おしくてたまらないというように微笑み、親指の腹でその柔らかな頬を滑る涙を優しく拭い取った。


「泣かないで、シャル。……君の涙は、まるで真珠のように美しいね」


 僕の指先を濡らす冷たい涙さえも、僕を満たす最高の宝石だ。僕は彼女の涙の跡に口付けを落とし、二人きりの馬車の一時を楽しむのだった。






 やがて、窓の外の景色がヴァルデマール公爵邸の広大な敷地内へと入り、玉砂利を踏む音と共に馬車がゆっくりと停車した。ガチャリ、と外から鍵が外され、御者によって重たい扉が開かれる。狭い車内に、外の眩しい光と冷たい風が入り込んできた。

 僕が彼女を抱き寄せたまま腰を上げようとした、その時だった。


「……っ」


 シャルロットが、僕の胸板を両手で押し返すようにして、微かに身をよじって距離を取ろうとしたのだ。


「シャル?」


 僕が首を傾げて覗き込むと、彼女は震える手で僕の腕から抜け出そうとしながら、ひどくか細い、けれど微かな芯のある声で紡いだ。


「離して……。私、一人で歩けるわ」


 それは、男爵令嬢としてのちっぽけな矜持だろうか。自分は決して意志を持たない人形ではないのだと、僕に突きつけたいのだろうか。僕の胸を押すその手はとても弱く、少しでも体重をかければ容易くねじ伏せられる程度の抵抗でしかない。そのささやかで無力な抵抗すらもどうしようもなく愛おしくて、僕はふっと力を抜き、彼女を隣のシートに座らせた。


「そう?じゃあ、お手をどうぞ、僕のお姫様」


 僕は余裕たっぷりに微笑み、先に馬車を降りてから彼女へと優雅に手を差し出した。けれど、彼女はその僕の手をじっと見つめた後、ぷいっと顔を逸らし、僕の手を取ることなく足早に自力で馬車を降りてしまった。少し足元がおぼつかないながらも、必死に背筋を伸ばして前を向こうとするその後ろ姿。


「っふ、ふふ……っ、あはは!」


 僕の喉の奥から、堪えきれない笑い声が溢れ出した。

 もう絶対に逃げられないというのに。この巨大な公爵邸という新しい鳥籠の前に立たされているというのに、それでも気丈に振る舞おうとするシャルロットが、滑稽で、哀れで、狂おしいほどに愛おしい。

 僕は迷うことなく彼女の背後に歩み寄り、その細い腰に腕を回して引き寄せ、空いた手で彼女の手を後ろからきゅっと強く握りしめた。


「なっ……!」

「危ないよ、シャル。僕にエスコートさせて」


 強引に絡め取られた手に、彼女はビクリと肩を震わせ、物言いたげな鋭い眼差しで僕を振り返って睨みつける。けれど、赤く腫れた目元に涙を溜めながら、その大きく透き通る瞳でどれだけ睨みつけられたとしても――僕にはただ、じゃれついてくる可愛い仔猫のようにしか見えないのだ。


「さあ、行こうか。僕たちのお城へ」


 反抗すらも僕の愛の糧になる。

 僕はひどく甘く微笑み返すと、震える彼女の手を絶対に離さないまま、公爵邸の重厚な扉の中へと、ゆっくりと彼女を引きずり込んでいくのだった。


つづく

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